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六夜 鵲(チュエ)の橋

六夜 鵲の橋 5

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 舜は、あからさまに腰を引き、
「オレに触ったら、殴るぐらいじゃ済まさないぞ」
 と、冷たく言った。
 この少年、その青年の性癖を嫌がっているのである。
 もちろん、それはデューイも承知していて、力では敵わないので――加えて、性格的にも、無理やり犯す、などということも出来ないので、邪険にされながらも、いつも健気に耐えている。
「君には本当に、何て言ったらいいのか……。ちゃんと、もてなせると思ってたのに……」
 今も、そんな健気な言葉を、口にしている。
「大丈夫だって。オレ、気にしてないから。――お姉さんの写真、ある?」
 この少年、やはり……子供、というのは、他人を労る心に欠けている。――いや、彼は、というべきであろうか。
「あ、ああ、その棚の上に」
 見事なサイド・ボードの上には、デューイの言葉通り、さまざまなフォト・スタンドが、家族の笑顔を切り取って、並んでいた。
「へェ。結構、美人」
「性格はブスさ。女が一つの家に四人もいる、っていうのが、どんなに恐ろしいことか……。ぼくもパパも、休日に一日家にいると、五キロくらい体重が落ちて――。フィンランドから戻って来た時、パパの体重が何キロになってるか――」
「ほらほら、愚痴なんて誰も聞きたくないんだから――。後でアルバム見せてくれる? 従兄妹にも可愛い子がいるんだろ?」
 この少年には、もう少し、人の話しを聞いてあげることを、覚えてほしい。
 かくして、二人は、荷物を片付けることから始め、二階の客室ゲストルームへと、場所を変えた。
 この辺りで、もう少し、この二人についての説明をしておいた方がいいだろう。
 まず、彼らの最初の出逢いであるが、一年と数カ月前、カメラマン志望であったデューイが、上海で、世にも美しい少年(もちろん、舜のことである)が、気分が悪そうに、公園に蹲っているのを見つけたところから、始まる。
 そして、デューイは、舜と係わったがために、『同族』の者に咬まれ、街で暮らせない体質になってしまったのだ。
 そんな訳で、デューイはその日から、故国アメリカにも帰ることが出来ず、中国の山奥で、舜と、その父親たる黄帝と、三人で暮らしていた。
 そして、デューイを咬んだ〃同族〃の者とは――。
「あー、もう面倒臭いから、荷物の整理はいいや。必要な時に、探して出そ」
 まだ、説明の途中ではあるが、舜が、スーツ・ケースを放り出してしまったので、この続きは、またにしよう。
 今現在の話を進めることも、大切なのである。
「ご、ごめん、舜。本当なら、メイドにさせるんだけど、ママがメイドにも休暇を――」
 デューイの方は、本当に申し訳なさそうに、オロオロとしている。
「今、ぼくがやるから。ちゃんとクロゼットに仕舞っておかないと、服がシワに――」
「そんなことはいいからさ。街に行こうぜ、街に」
 舜の方は、全く気にしていないらしい。早く街に行って、遊びたいだけなのである。何しろ、今まで、中国の山奥で、娯楽のない生活を――いや、これはもう、さっき言った。
 そんな訳で、二人は、着いたばかりだというのに、もう街へ繰り出すことにした訳で、ある。
 十数時間の飛行機の疲れなど、全くなく――いや、デューイの方は、少しあったかも知れないが、体質的に、夜には強い『一族』であるため――なったため、時差の影響も、さして、ない。
 そして、車庫で――。
「ああっ! ぼくのポルシェがぁぁぁっ。――シルヴィア姉さんが打付けたんだな。だから、姉さんに貸すのは嫌だったんだ。それでなくても、女のドライバーなんて、信用できないのに――。やっぱり、マークに貸せばよかった。上海には十日間しかいない予定だったから、つい、油断して――。ああ……」
 どうやら、デューイには、災難続きの里帰りらしい。
 一方、舜の方は、
「車、走らないのかい?」
「あ、いや、そんなことはないけど……バンパに傷が……」
「どこ?」
「ほら、ここに」
「……」
 ここで、舜がすっかり無口になってしまったことは、言うまでもない。山奥で暮らして来たこの少年には、お気に入りの車に傷をつけられてしまったデューイの気持ちなど、解らないのである。
 何しろ、傷といっても、夜の今、吸血鬼でもなければ判らないほどの、ほんの些細なものなのだから。
「……やっぱり、こいつ、ちょっと頭がアブナイかも知んない」


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