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閑話 微妙な距離感
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カミルはその日、上司と酒場へ飲みに繰り出していた。
雑多な雰囲気はどちらかというと苦手なカミルだったが、上司との飲みを断って帰ってくるとフェリシアにそう言ったカミルは彼女に怒られてしまったので、付き合いも大事だということで付き添っていた。
定番のから揚げの盛り合わせと、どこが美味しいのかわからないビールを注文され、カミルは眉根に皺を寄せて上司を見据えた。
「あの、ビールはちょっと…」
「苦手? ったく、甘いものが本当に好きなのねぇ」
彼の上司である黒髪に黒い瞳をした、鼻筋に斜めに抜ける古傷を持つその女性はメニュー表をカミルに押し付けた。
「おごるから好きなもん、頼みなさい」
「ありがとうございます、ミスト姐さん」
その女性は注文したサラダを食べていたが、手を止めた。
「そういえば、今月の定期健診、あなたの嫁さんが来ていないから、来るように言っておいて?」
「定期、検診?」
不思議そうに小首を傾げるカミルに、ミストと呼ばれた女上司は怪訝そうな顔をした後、肩をすくめる。
「本当に何も思い出せない男をそのまま傍に置いておく。あの子も相当あんたに入れ込んでいたってこと、かな。あたしからすれば運命の人なんてそんなもの、存在しないって思っちゃうけど…フェリシアは毎回のようにあたしにあんたの話ばっかりするんだから」
カミルは目を見開くと、ミストは皮肉気な笑みを浮かべた。
「…ただ、あんたがもうちょっと肉食的にいかないと、あの子は逃げちゃうかもしれないわね。『白』は臆病で繊細なのよ」
「白?」
「…あんた、そんなことも知らないの? ――って、まあ、惚気た話を最近、あんたたち夫婦から聞いていないし、あの子も素直に全部話しているわけがない、か」
ミストは運んできてもらった二人前のビールを受け取り、一つのジョッキをあおり飲んだ。
「ぷはぁ…、美味い」
顔を引きつらせているカミルをまっすぐに見据えたミストはガシッとカミルの顎を掴んで不気味な笑みを浮かべた。
「八聖龍って知っているかしら?」
「ええ。八匹の聖龍、ですよね? 地水火風光闇無全。全ての根源にして大いなる力を持った龍たちのことでしたね。今は『全』もとい『虹』属性の聖龍である始祖龍以外、全てが転生者として人の姿をとっていると聞きますが」
「神様だって死ぬのよ。この世に永遠はない。死んだら終わり。けど、醜く縋りついたその末路が七匹の転生者ってこと」
ミストはカミルから手を離してから揚げを頬張り、美味しそうに表情を緩めた。
「ん、これこれ」
先ほどの不気味な笑みはどこかに消え、一見すると美人な上司だったが、その本性は元傭兵にして、医術の心得を身に着けて資格を得、医師になったという変わった経歴の持ち主であった。
元傭兵と言うこともあり、凄むと怖いのである。
「あの、フェリシアはじゃあ、白の聖龍、その転生者ってことですか?」
「ん、そうよ。それに、転生限界領域に達した状態の、ね?」
「転生限界領域?」
「あたしたち八翼には基本的に際限なく転生できる。けど、そうするとね、魂が劣化していくの。転生したらするほど…ね? まあ、ある意味では着ぐるみから着ぐるみに着替えていくのと似ているわね。次々と器を変えていけば疲れちゃう。それと同じ」
「そこに達したら死ぬんですか…?」
「あたしたち自身の魂は死なない。けど、転生できないほどに疲れ切って弱ってしまったら、人間の器は弱いから引きずられてしまうのよ。でも、魂を眠りにつかせることで回復する。フェリシアも次に転生できるまでしばらく永い眠りにつかなくちゃいけない時期なの」
ミストは二杯目のビールをあおり飲むと、ウェイターを呼び止めてビールの追加注文をした。
「でも、ちょっとでも長く生きたいじゃない? フェリシアはそれに、あんたを見つけたのよ、カミル? だから、ちょっとでも長くいられるように生活のアドバイスをしてあげるのがあたしの仕事なんだけど、定期健診に来てくれないと、忙しくて診察してあげられないから対応に困るのよ」
カミルは暗い表情を浮かべた。
「転生限界だと、どれくらい…?」
「あの子のこと、ちょっと思い出した?」
「…いえ」
「あ、じゃあ、もしかして好きになっちゃったんだ? まあ、それならそれでいいんじゃないかしらね?」
楽しそうに笑ったミストはサラダを食べる。それを見ながら、ようやくカミルも注文をした。
「…姐さんは転生限界まで転生したいって思ったこと、ありますか?」
「あたしはないわよ。いつだって自分の思うがままに生きて、自分の生きたいように生きてから死んでいく。白や銀(無の聖龍のこと)は人の欲望に巻き込まれやすい能力だけど、あたしのは本当に戦闘と暗殺特化の破壊の力がメインだから、近寄ってくる人間も限られてくるのよ」
「?」
不思議そうに小首を傾げたカミルに、ミストは物憂げな笑みを向けた。
「つまり、前世は相当苦しい思いをしたんだってこと。転生すればその時に経験したことは薄れるけど、心の傷なんて簡単に消えるものじゃない。――でも、今…あの子が笑っていられるのはあんたが頑張ったからよ」
そして、ミストはサラダに視線を落とした。
「カミル。フェリシアはあんたのことが好きだからこそ、記憶が消えた今、臆病な子だから逃げ腰になっていると思うのよ。だから、もっとスキンシップを取って、囲っておくことね。体調がいい日にヤッておくといいんじゃない?」
注文したカクテルを受け取って、チマチマ飲みながら話を聞いていたカミルは最後の一言でむせかえった。
「!? 何を言っているんですか!」
「むしろ、夫婦なのに清い関係でい続けようとする方が驚きだけど?」
「いや、でも…」
「白は本当に臆病なの。だから、あんたは体の関係で繋ぎとめるくらいの強引さが必要だってなんでわからないかなぁ?」
ミストが口を尖らせたのを見ながら、カミルはげんなりとした表情を浮かべた。
「姐さん、酔ってます?」
「最近、酒に弱くなってきたのよ。でも、これくらいはなんともないうちだわ」
そう言いながらカミルの耳をつまんで引っ張ると幾分か座った眼をしながらミストは説教にも近いトーンでしばらく話をし、ミストの迎えが来るまで永遠と話を聞かされていた。
☆
カミルが帰宅すると、フェリシアが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、カミルさん。楽しんでこられましたか?」
「…あまり。愚痴に近い説教をずっとされていたから」
「災難でしたね」
フェリシアがカミルからスーツの上着を受け取ると、臭い消しの魔法を使って煙草や肉の匂いを消した。
「小腹が空いたんだが、何かないだろうか?」
「夜食をご用意しますね」
フェリシアはそう言ってコート掛けにスーツの上着をひっかけて、夜食の支度を始めたフェリシアの様子を眺めていたのだが、ふとテーブルの上に置いてあった絵本を見つけて何気なく手に取った。
「ん? 『銀龍』?」
フェリシアが慌てたように走ってきて、カミルから絵本を奪うように取り上げ、そして背中に隠しながら曖昧に笑った。
「えへへ、友達から借りたのです。今度、友達に会いに行ったときにお子さんに読んであげられるように練習しようと思って」
「そうか」
そうは言うが、不自然なフェリシアの様子を見てカミルはモヤモヤしたものを感じていた。
(銀龍、か。確か、時を司る聖龍だったか?)
そして、ハッとする。
(もしかして、今の俺じゃあ分不相応ってことなのか? だから、記憶を取り戻して…ってことなのか? それとも、俺と出会う前まで戻して姿を消す、っていうのか?)
ムッとしたカミルだったが、夜食を食べ終え、シャワーを浴びた後にフェリシアに問い詰めようと思ったのだが、力尽きてしまったのかスヤスヤとソファで眠ってしまっているフェリシアを見た瞬間、その考えはとりあえず放棄することに決めた。
そして、眠っている彼女を抱き上げて寝室に連れて行き、そっと寝かせる。
彼女のあどけない寝顔を見ていたカミルは息を吐き出し、フェリシアの横に身を横たえた。
「考えすぎ、かな…」
酒が回っているから正常な判断ができないのだと考え、カミルも眠ることにしてまどろみの海へと静かに沈んでいった。
雑多な雰囲気はどちらかというと苦手なカミルだったが、上司との飲みを断って帰ってくるとフェリシアにそう言ったカミルは彼女に怒られてしまったので、付き合いも大事だということで付き添っていた。
定番のから揚げの盛り合わせと、どこが美味しいのかわからないビールを注文され、カミルは眉根に皺を寄せて上司を見据えた。
「あの、ビールはちょっと…」
「苦手? ったく、甘いものが本当に好きなのねぇ」
彼の上司である黒髪に黒い瞳をした、鼻筋に斜めに抜ける古傷を持つその女性はメニュー表をカミルに押し付けた。
「おごるから好きなもん、頼みなさい」
「ありがとうございます、ミスト姐さん」
その女性は注文したサラダを食べていたが、手を止めた。
「そういえば、今月の定期健診、あなたの嫁さんが来ていないから、来るように言っておいて?」
「定期、検診?」
不思議そうに小首を傾げるカミルに、ミストと呼ばれた女上司は怪訝そうな顔をした後、肩をすくめる。
「本当に何も思い出せない男をそのまま傍に置いておく。あの子も相当あんたに入れ込んでいたってこと、かな。あたしからすれば運命の人なんてそんなもの、存在しないって思っちゃうけど…フェリシアは毎回のようにあたしにあんたの話ばっかりするんだから」
カミルは目を見開くと、ミストは皮肉気な笑みを浮かべた。
「…ただ、あんたがもうちょっと肉食的にいかないと、あの子は逃げちゃうかもしれないわね。『白』は臆病で繊細なのよ」
「白?」
「…あんた、そんなことも知らないの? ――って、まあ、惚気た話を最近、あんたたち夫婦から聞いていないし、あの子も素直に全部話しているわけがない、か」
ミストは運んできてもらった二人前のビールを受け取り、一つのジョッキをあおり飲んだ。
「ぷはぁ…、美味い」
顔を引きつらせているカミルをまっすぐに見据えたミストはガシッとカミルの顎を掴んで不気味な笑みを浮かべた。
「八聖龍って知っているかしら?」
「ええ。八匹の聖龍、ですよね? 地水火風光闇無全。全ての根源にして大いなる力を持った龍たちのことでしたね。今は『全』もとい『虹』属性の聖龍である始祖龍以外、全てが転生者として人の姿をとっていると聞きますが」
「神様だって死ぬのよ。この世に永遠はない。死んだら終わり。けど、醜く縋りついたその末路が七匹の転生者ってこと」
ミストはカミルから手を離してから揚げを頬張り、美味しそうに表情を緩めた。
「ん、これこれ」
先ほどの不気味な笑みはどこかに消え、一見すると美人な上司だったが、その本性は元傭兵にして、医術の心得を身に着けて資格を得、医師になったという変わった経歴の持ち主であった。
元傭兵と言うこともあり、凄むと怖いのである。
「あの、フェリシアはじゃあ、白の聖龍、その転生者ってことですか?」
「ん、そうよ。それに、転生限界領域に達した状態の、ね?」
「転生限界領域?」
「あたしたち八翼には基本的に際限なく転生できる。けど、そうするとね、魂が劣化していくの。転生したらするほど…ね? まあ、ある意味では着ぐるみから着ぐるみに着替えていくのと似ているわね。次々と器を変えていけば疲れちゃう。それと同じ」
「そこに達したら死ぬんですか…?」
「あたしたち自身の魂は死なない。けど、転生できないほどに疲れ切って弱ってしまったら、人間の器は弱いから引きずられてしまうのよ。でも、魂を眠りにつかせることで回復する。フェリシアも次に転生できるまでしばらく永い眠りにつかなくちゃいけない時期なの」
ミストは二杯目のビールをあおり飲むと、ウェイターを呼び止めてビールの追加注文をした。
「でも、ちょっとでも長く生きたいじゃない? フェリシアはそれに、あんたを見つけたのよ、カミル? だから、ちょっとでも長くいられるように生活のアドバイスをしてあげるのがあたしの仕事なんだけど、定期健診に来てくれないと、忙しくて診察してあげられないから対応に困るのよ」
カミルは暗い表情を浮かべた。
「転生限界だと、どれくらい…?」
「あの子のこと、ちょっと思い出した?」
「…いえ」
「あ、じゃあ、もしかして好きになっちゃったんだ? まあ、それならそれでいいんじゃないかしらね?」
楽しそうに笑ったミストはサラダを食べる。それを見ながら、ようやくカミルも注文をした。
「…姐さんは転生限界まで転生したいって思ったこと、ありますか?」
「あたしはないわよ。いつだって自分の思うがままに生きて、自分の生きたいように生きてから死んでいく。白や銀(無の聖龍のこと)は人の欲望に巻き込まれやすい能力だけど、あたしのは本当に戦闘と暗殺特化の破壊の力がメインだから、近寄ってくる人間も限られてくるのよ」
「?」
不思議そうに小首を傾げたカミルに、ミストは物憂げな笑みを向けた。
「つまり、前世は相当苦しい思いをしたんだってこと。転生すればその時に経験したことは薄れるけど、心の傷なんて簡単に消えるものじゃない。――でも、今…あの子が笑っていられるのはあんたが頑張ったからよ」
そして、ミストはサラダに視線を落とした。
「カミル。フェリシアはあんたのことが好きだからこそ、記憶が消えた今、臆病な子だから逃げ腰になっていると思うのよ。だから、もっとスキンシップを取って、囲っておくことね。体調がいい日にヤッておくといいんじゃない?」
注文したカクテルを受け取って、チマチマ飲みながら話を聞いていたカミルは最後の一言でむせかえった。
「!? 何を言っているんですか!」
「むしろ、夫婦なのに清い関係でい続けようとする方が驚きだけど?」
「いや、でも…」
「白は本当に臆病なの。だから、あんたは体の関係で繋ぎとめるくらいの強引さが必要だってなんでわからないかなぁ?」
ミストが口を尖らせたのを見ながら、カミルはげんなりとした表情を浮かべた。
「姐さん、酔ってます?」
「最近、酒に弱くなってきたのよ。でも、これくらいはなんともないうちだわ」
そう言いながらカミルの耳をつまんで引っ張ると幾分か座った眼をしながらミストは説教にも近いトーンでしばらく話をし、ミストの迎えが来るまで永遠と話を聞かされていた。
☆
カミルが帰宅すると、フェリシアが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、カミルさん。楽しんでこられましたか?」
「…あまり。愚痴に近い説教をずっとされていたから」
「災難でしたね」
フェリシアがカミルからスーツの上着を受け取ると、臭い消しの魔法を使って煙草や肉の匂いを消した。
「小腹が空いたんだが、何かないだろうか?」
「夜食をご用意しますね」
フェリシアはそう言ってコート掛けにスーツの上着をひっかけて、夜食の支度を始めたフェリシアの様子を眺めていたのだが、ふとテーブルの上に置いてあった絵本を見つけて何気なく手に取った。
「ん? 『銀龍』?」
フェリシアが慌てたように走ってきて、カミルから絵本を奪うように取り上げ、そして背中に隠しながら曖昧に笑った。
「えへへ、友達から借りたのです。今度、友達に会いに行ったときにお子さんに読んであげられるように練習しようと思って」
「そうか」
そうは言うが、不自然なフェリシアの様子を見てカミルはモヤモヤしたものを感じていた。
(銀龍、か。確か、時を司る聖龍だったか?)
そして、ハッとする。
(もしかして、今の俺じゃあ分不相応ってことなのか? だから、記憶を取り戻して…ってことなのか? それとも、俺と出会う前まで戻して姿を消す、っていうのか?)
ムッとしたカミルだったが、夜食を食べ終え、シャワーを浴びた後にフェリシアに問い詰めようと思ったのだが、力尽きてしまったのかスヤスヤとソファで眠ってしまっているフェリシアを見た瞬間、その考えはとりあえず放棄することに決めた。
そして、眠っている彼女を抱き上げて寝室に連れて行き、そっと寝かせる。
彼女のあどけない寝顔を見ていたカミルは息を吐き出し、フェリシアの横に身を横たえた。
「考えすぎ、かな…」
酒が回っているから正常な判断ができないのだと考え、カミルも眠ることにしてまどろみの海へと静かに沈んでいった。
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