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プロローグ

水無月海瑠という役者

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水無月海瑠みなづきかいるは、今年30歳になる役者だった。

主に、小さな舞台で。
主演ではないものの、そこそこ重要な役を演じていた。
せめて大台に乗る前にメジャーデビューを果たしたかったが、鳴かず飛ばずのまま、ここまできてしまった。

アルバイトをしながらの役者活動も、そろそろ限界を感じている。

男だけの世界ならともかく、女性も普通に居る。
この年になってまで女装が似合う可憐な美貌の男など、使いどころに困るのだ。

しかも、身長は165cmしかない。
モデルも多い世界である。下手すれば女性よりも低かったりする。

若いうちはそれでも物珍しさもあり、起用されるだろうが。年を取ったらただの背の低い、女顔のオッサンである。
ニューハーフになってみたら、とか、オカマにでも転向すればバラエティ枠での可能性は充分あるかもしれない、という話も振られたが、丁重にお断りした。

そういうセクシャリティをキャラとして売り、笑いものにする風潮はどうかと思うし。そのケもないのに本物に失礼である。


その美貌ゆえ、下心たっぷりのプロデューサーや大物俳優らに声を掛けられたりすることもあったが。
芸は売っても身は売らない、と頑なに拒んできたため睨まれて、TVデビューのチャンスを潰されることも少なくなかった。


この年になっても未だ童貞。
演劇の道にはまり、高校を卒業して舞台へ飛び込んで以来、役者ひとすじ12年。

男にも女にも身体を触れさせてこなかった、清らかなカラダである。
そんなものは、何の自慢にもならないが。


実家は寛永から続く問屋、現在は百貨店のグループ経営をしている。
親兄弟は自分を可愛がり、舞台がある度にチケットを大量に購入、顧客にも配ってくれて、出来る限りの宣伝、応援をしてくれているが。

いい加減引退して、実家に戻り。家業でも手伝うべきだろうか。
海瑠は悩んでいた。


◆◇◆


海瑠はその日、海瑠は翌日に迫った家賃の支払い期限、そのやりくりに頭を悩ませながら、最終稽古をしていた。

しゃーねえ、母さんに頭下げて、金借りるか。
そう考えて。覚悟を決めることにした。

お坊ちゃんの身であったが、なるべく自分の力だけでやっていきたくて。今までバイトでつなぎながら頑張ってきたのだが。
この舞台を最後に役者を引退して、家業を手伝おう。
そう決めた。

幸い、というか。次の舞台は決まっていなかった。


本番さながらに化粧を施し。
天女の衣装を身に着けた海瑠の美しさに見惚れ、皆が感嘆の息を吐く。

カイさんキレー……」
「口さえ開かなきゃ、絶世の美女なのにねぇ」
後輩の喜田が目を潤ませ、同輩の加奈が笑う。

「うっせえ」
仲間の軽口に、舌を出して。
「はったおしますわよ?」

高く澄んだ声を出してみせた海瑠に、皆が笑う。


「スタンバイ、OK!」
ワイヤーに釣られ、ひらひらと、舞うような動きをみせる。

優雅そうな見た目に反して、身体を水平に保つのには、かなり筋力や体力が要るものだ。
股間を締め付ける金具がやけに痛いな、と思ったときである。


ワイヤーが、外れた。


一瞬の浮遊感からの落下感。
海瑠は死を予感した。

あ。おれ、死んだわこれ。

高さ5メートルからの落下。下は座席である。
助かる気がしない。
……あ~あ、ロクなことねえ人生だったな……。


目を閉じ。そのときを待った。


◆◇◆


しかし。


小鳥の声がして、目を開いたら。
そこは一面の花畑だった。

どこも痛くない。
痛くないが。金具が当たっていたところがかゆい。

「んあー? 何だ、ここ。天国か?」
誰も見てないしいいか、とばかりに遠慮なく、股間をぼりぼりと掻く。


しかし、金具の感触は無かった。
ワイヤーを取り付ける器具も。

自分は、死んだのだろうか?

夢のように美しい光景。
見たことのないような花弁をした花が咲いている。

周囲には、ひらひらと舞っている花びら。いい香りがする。

楽園だろうか?
季節は冬のはずなのに、ここはあたたかい。


ああ、やっぱ死んだか……。お迎えはまだだろうか?
綺麗な天女だといいな。

などとのん気に思いつつ。


海瑠はとりあえずその場に寝転がって、誰かが迎えに来るのを待つことにした。


◆◇◆


『***マルカ、***!』


男の声が聞こえた。
おいおい天国なのに、お迎えは天女じゃねえのかよ! と残念に思いながら、海瑠が目を開けると。

白と黒の、王子様のような超美形の男が二人、自分を覗き込んでいた。


黒いほうだけなら、死神かと思ったかもしれない。
黒い服のほうは巻き毛の短い髪も瞳も真っ黒で。ココア色の肌の、人形のように完璧に整った怜悧な美貌。
黒地に銀糸の刺繍がついた軍服のような衣装を着た、インドか砂漠の王子様を思わせる美青年で。

白い服のほうは腰までありそうなプラチナプロンドをゆるく編み、澄んだスカイブルーの瞳の、光輝くような美貌。
白地に金糸の刺繍がついた、黒いほうと色違いの衣装を身に着けた、西洋風の、いわゆるスタンダードな王子様だ。


白いほうが海瑠の手を取り。
姫にするように、恭しく手の甲に口付けた。

『***マルカ、***』

何を言ってるか、さっぱり理解できないが。
自分の格好を思い出し、お姫様に間違われているのかと思った。

天国からのお迎えではなさそうである。
手の甲に押し付けられた唇の感触が生々しすぎた。


「お、おれ、女じゃねえよ!?」
思わず後ずさった。

ここは、股間を見せ、男である証拠を見せるべきだろうか?
いや、そんな変質者じゃあるまいし。

海瑠は混乱していた。


二人は慌てふためく海瑠を安心させるように、にっこり笑ってみせた。
黒いほうは少々笑顔がぎこちなかったが。

黒いほうが自分を指差して。
『くりしゅな』

白いほうもそれに倣った。
『おーらんど』

Oh、ではなくOrl、だろうか。
白いほうはRとLの発音が聞き取りにくかったが。何とか聞き取れる名前でよかった、と海瑠は思った。


海瑠も自分を指差して。
「……カイル」

二人は海瑠に笑顔を見せ、頷いた。


とりあえず、お互いの自己紹介は済んだようだ。
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