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 扉から音が響く。テーブルからオレンジ色に灯ったオーブンを眺めていたトルデは、待っていたとばかりに腰を上げて玄関へ急ぐ。想定していた時間よりも幾分も早い。

「わぁ、いい匂いだね」

 扉を開けると、竜が鼻をひくつかせながら竜がひょいと顔を覗かせた。もう驚きはしない。目線を下げると、少女が姿勢良く立っていたが、どうやら気分が悪いのか口が半開きになっている。
 
「あら、大丈夫?」
「いえ、お気になさらず。時間短縮のために飛ばしすぎただけですので」

 時間が経てば治ると言う。
 トルデは彼女らを家の中へ上げた。ねぎらうために客間に案内をしようとしたが、エラはそれを断り、その代わりに鞄からケースを取り出した。
 中身を開けてケースごとトルデに差し出す。それを受け取り中に入っていた一輪の花を手に取った。
 いつもよりどこか元気が無い気がした。水を含ませればまた元通りにはなるだろうか。チラリと彼女を見やると、どうやらその事に気づいたようで、申し訳なさそうに眉を潜めていた。

「摘み取ってから、そのままかなり時間が経ったのね」
「すみません」
「ううん、いいのよ。このお花はとっても力強くてね、しばらく水がなくてもちょっとやそっとじゃ枯れないの」

 トルデは古めかしい食器棚から淡い水色のグラスを取り出し、キッチン台の上に置いていた飲み水が入っていた瓶をグラスへ注ぐ。花の茎の先を鋏《ハサミ》で切り落とし、花瓶代わりとしてその中へ生けた。
 そのうち萎れている花も元に戻るはずだと少女に伝えるとほっと胸を撫で下ろしていた。

「それと……これを」

 次は鞄の中からファイルにぴっしりと挟まれた封筒を手渡される。トルデは首をかしげた。2つあるではないか。
 いつもであればぶっきらぼうな内容の手紙が一枚だけ入った封筒のみが入っている。しかし今回は二枚重ねて入っていた。
 不思議に思いながらもファイルから封筒を取り出し、透明なシールで留められた部分を剥がす。綺麗に折られた一枚の手紙を引っぱり出し、中身を確認する。
 無愛想で短い文。相変わらずだった。すぐに読み終えてしまうも、もう一つが何か気になり続けて封を開ける。
 そこにはしわくちゃになった紙が一枚入っていた。何度も消した後がついている。トルデはじっくりとその手紙を読み始めた。
 その間、静寂が訪れる。
 エラはトルデをじっと見つめ、その後ろにいるボロも不安そうな顔をしながら見守っていた。


 手紙をそっと机の上に置く。トルデは手紙を読み終えるまで何も話さなかった。驚いている様子も見られない。

「あの、おばあさん。そのね、えっと……」

 ボロは思わず声をかける。だが、何を話せばいいのか分からなかった。大切な人を失う気持ちなんて味わったことがない。辛い、なんて単純な気持ちだけでは言い表せないだろう。
 ボロは足元で黙りこくるエラに視線を向けて助けを求める。
 それに応じてか、それとも元々そのつもりだったのか、エラはボロに一目もやらずに一歩前に出る。
 そして丁寧に腰を曲げた。

「すみません。こちら側がしっかりと本人確認を出来ていなかったせいで、この事実を発見するのに数年もかかってしまいました」

 エラはトルデに端的に説明を始める。
 おじいさんが死んでしまった事、それを拾われた人ではない別種族の子が成り済ましていた事、それに気づかずに今まで配達してしまっていた事、偶然気づいたが、自身もそうしていたかもしれないという事。
 嘘なんてもっての他である。エラは言い訳一つもせずに全部伝える。トルデは、その少女の説明を一文漏らさずしっかりと耳を傾けていた。そしてまた、しばらく静寂が訪れる。
 チン、とオーブンが軽快な音を鳴らした。
 全員の視線がそこへ集まる。トルデはゆっくりと動き出し、取っ手を掴み中を開ける。
 ココアとバターの甘い香りが一気に広がった。

「わぁ、美味しそうな……あっ」

 その匂いに吸い寄せられたボロはついよだれを垂らしそうになるも、さすがに今の状況ではそんな場合ではないと口を両手で抑えた。
 そんなボロの行動を見て、トルデは穏やかに笑った。

「焼きたてのクッキーがね、一番美味しいのよ」

 鉄板を引き出し机の上に乗せた。
 とても綺麗に焼けている。ほんの少しだけ残った油脂が生地の上でジジジと音を立てていた。
 エラは目を輝かせる食いしん坊な竜の足を軽く踏んづける。ボロはハッと我に返った後、誰が見ても分かるような残念そうな顔をした。
 トルデはそんな彼女らに対し優しい笑顔を見せ、クッキーを乗せた大皿を持ち、客間へ向かおうとする。
 エラはトルデが怒りもせず、崩れ落ちもせず、平然そうに振る舞っていることに戸惑いを隠せず、つい背後から声をかけた。

「あの! その……むしろこちら側が何かするべきです」

 謝罪だけでは足りないはずなのに、更に彼女から施されようとしている。決して甘えるわけにはいかない。手紙を届けて終わりではないのだ。これから彼女に対して何かしらの清算をしなければならない。たとえこの一ツ星配達屋の名に傷がつこうとも。
 ピタリと足を止めたトルデは、そんなエラに対し驚きの一言を告げた。

「薄々そうなんじゃないかと思ってたわ」
「えっ……?」

 呆気に取られるエラは大きな瞳をパチパチと瞬きさせる。トルデはそのまま部屋に入り電気をつけ皿をテーブルに置く。トルデはクッションもついていない、安価な木製の一人椅子に腰を掛けた。さぁ、と手で誘導する。
 ボロは嬉しそうに床にドスンと音を立て、中央に鎮座するココアクッキーに目が釘付けになっている。エラはよそよそしく朝方自分が座っていた所へ小さく座った。

「さぁどうぞ。熱いうちにお食べ」

 トルデの目蓋に皺が寄り、小さくなった瞳がじっとエラを映している。

「……はい。ありがとうございます」

 遠慮していたエラもついに折れてしまい、彼女にすすめられるままココアクッキーに手を伸ばす。一口サイズに作られているため、そのまま口の中に放り込んだ。

「……っ」

 エラの緊張していた表情が一瞬ほぐれた。
 バタークッキー生地の濃厚な甘みとココアのほろ苦さが口の中に広がる。いつも食べているようなサクサクとした軽い食感ではなく、歯を当てた時にホロリと崩れるほどに柔らかい。
 そしてどうしてか、これを食べるのは初めてなのに、なぜか懐かしさを感じた。不思議な感覚がじんわりと体の隅々へと広がっていく。

「うわぁ! おいしい! これでお店出せちゃうよ!」

 静かに味わうエラの正面では、尻尾を振って全身で大袈裟な反応をしたボロが次へ次へと口に運んでいく。山積みになっていたココアクッキーはみるみる減っていき、皿の底が見えた所で満足したのか、幸せそうにケフッと喉を鳴らす。
 穏やかな時が流れていく。エラはこのままどうして良いか分からず、困り果てていた所でようやくトルデが口を開く。いつの間にか彼女の手には渡した手紙が握りしめられていた。

「……数年前かしら。すぐに気づいたわ。筆跡もほとんど同じで、いつもの文章の短さだってぶっきらぼうな所だって一緒で……でもね、どうしてか分かったの。ああ、この差出人は夫じゃないって」

 エラは不可解そうに眉を潜める。何故気づくことができたのだろうか――そう思っていた心境を見透かすように、トルデは答えた。

「直感よ。それと、長年の付き合いだからかねぇ」
「そうなんですか……」

 この熟年の夫婦が、どれほどの時を重ねてきたのかエラには分からない。そもそも、10年という途方もない年月でも、帰りを待ち続けることができるなんて、とんでもないことだ。まだまともに恋心すら芽生えたことのないエラには、全く想像のつかない世界である。

 それゆえにエラが伝えた真実に対し、いきどおるどころか狼狽うろたえもしないトルデが不思議でたまらなかった。

 最愛の人を失っただけではなく、その死に目にも逢えず、更に他の者にいつわられたのだ。そしてそれに気づけなかった配達屋達の落ち度もある。やり場の無い怒りを今、自分に向けてもおかしくはないはずだ。だが、彼女はこうして自身を持て成し、更に慈しむような目で手紙を見つめている。

「ねぇ、この差出人はあの峡谷にいるのよね?


 トルデは手紙から視線を外し、エラに問いかける。

「はい、入り組んだ道の奥で暮らしているようです」 
「一人? それとも他に誰かいるの?」
「いえ、一人です」
「そうなのね……」

 トルデは再び手紙に視線を落とし、少しの間深呼吸を繰り返した後、ゆっくりと顔を上げてエラと目を合わせた。

「今からそこへ向かうことにするわ」

 強い意志が籠《こも》った瞳だった。

「ええッ!? あそこはこわぁい生物がいて危ないよ!」

 ボロがギョッと目を大きく開いて止めようとする。しかし彼女は小さく首を振る。

「それでも会ってみたいの。この差出人の子に。そして、そこで眠る夫にもね……」

 そう言って、シヴィル峡谷がある方面へ視線を向ける。決意は固いようだ。
 エラは彼女の意思を汲み、スッと立ち上がる。

「じゃあ、行きましょう。私達ならすぐに案内できるので」

 ここまで適任の者はいないだろうと胸を張った。

「いいのかい?」
「はい。それくらいはさせてください。もちろん、お金もいりません。これは私達配達屋からの償いです。こんなものではまだまだ足りないと思いますが……」

 暗い顔をする彼女に対し、トルデは小さく横に首を振る。そして椅子のひじ掛けを支えにして立ち上がり、責任感の強い少女の頭を優しく撫でる。

「ううん、十分よ。ありがとうねぇ。それに、あなた達もこの手紙を書いた子も悪気があった訳じゃないもの。誰のせいでもないわ。こうなる日がいつか来るのは分かってた。だって、冒険家の妻なんだから」

 常に危険が身にまとう冒険家。いつ、どんなタイミングで突然別れが訪れるか分からない。だから常に覚悟はしていた……とトルデは語った。
 心の中で踏ん切りがついたのか、先程より明るい顔色をしている。エラはトルデのしたたかさに感心する。いずれ自分も彼女のような強い女性になれるのだろうか。誰かをここまで信頼し、愛することができるだろうか。想像してみたものの、全くその姿が思い浮かばなかった。
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