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 空が濃紺のうたんで塗りつぶされている。エラはボロの背から降りる。トルデを乗せているボロは軽く息が上がっていた。二人の重さに耐えきれなかった訳ではない。負担を掛けないように気をつかっていたのだろう。
 この時間だからか、守人が変わっていて屈強くっきょうな中年男性が道を塞いでいた。もちろん、一回目と同じような事を繰り返す。機嫌が悪くなるエラをボロが軽くなだめてから、あの少年がいる場所まで案内していく。

 大きな空間に出る。月明かりが差し込んでいた。月に照らされた小屋がひっそりと建っている。光石筒で足元を照らしながら先導していく。扉の前に立ちコンコンと叩いた。
 反応がない。家の中から気配を感じない。

「どこにいったんだろう?」
 
 ボロは首をかしげる。

「そうね、もしかしたら……」
 
 エラは奥にあるクロムが眠る花畑に続く亀裂に視線を向ける。道を隠すための岩石が横にずれている。岩石の位置があの時と変わっていた。おそらく彼はあの場所へ向かったのだろう。
 エラは運んでいたトルデを降ろすように指示をする。ボロは腹部をペタリと地面に着け、エラは安全に降りれるように支える。
 冷気が亀裂から吹き込んでくる。ほう、とトルデは息を曇らせた。

「すみません、ここは狭いので歩かせてしまいますが、きっとこの先に二人ともいるはずです」
「そうかい。ようやく……会えるのね」

 瞳をうるませている。
 トルデはよろめきながらも足は花畑へ続く細道を目指す。その様子を見たエラは、彼女の手を取り先へと急ぐ。

「私の後ろに着いてきてください。それと、ボロは後ろでトルデさんを支えてて」
「うん、分かった。ちょっと怖いけど……がんばるよ」

 ボロは相変わらず大きな身体をぶるりと震わせる。しかし、自身よりも小さく、か弱く、杖なしでは普通に歩くこともままならないトルデが、ただひたすら前だけを見ているのだ。どうして自分だけ怖がっていられようか。
 力強く頷いたボロを見て、エラは微かに口元を上げ細道へと入っていく。
 どんな危険があるか分からず警戒しながら一行は進む。しばらくすると、暗闇の向こうに淡い光が見えてきた。そしてそのまま道を抜けると、あの花畑が眼前に広がった。
 最後尾のボロも外に出ると、安心したのか胸を撫で下ろして安堵の溜め息を漏らした。

「ふぅ、何もなくてよかったぁ……あっ、ねぇあの子、あそこにいるね」

 ボロは花畑の中央に立ち尽くすネロの姿に気付く。仁王立ちのまま微動だにしない。何をしていいるのだろうか。
 エラの横に立っていたトルデは、無言でゆっくりと歩みだした。花を踏まないように避けながら近づいていく。ボロを入口に待機させた後、エラも彼女の背を追った。途中で人の気配に気づいたのか、あの少年は警戒した様子で勢いよく後ろに振り返る。
 エラとボロの姿を確認し、そしてもう一人の老婆を見るやいなや、目を大きく開いた。きっとすぐに気づいたのだろう。口をパクパクと動かし、驚きを隠せない様子だった。
 トルデが近づくごとに、一歩ずつ下がっていく。しかしすぐに後ろに墓があることに気づき立ち止まった。
 二人は向かい合う。その後ろでエラは見守っている。天井から吹き込んでくる風が花畑を揺らす。薄紫色の花の香りに包まれる。

「……あなたが手紙を書いてくれていたのね」

 優しく頬を撫でるような穏やかな声。話しかけられた魔物の少年はそのお陰ですぐに緊張が解れたのかゆっくりと頷く。そして彼の喉から振り絞った声はか細く、風と共に消えゆく。エラの耳には届かなかったが、その正面にいるトルデは優しく微笑み、小刻みに震える少年の体を包み込んだ。

「謝らなくてもいいのよ。元気そうで良かったわ」

 しばらくの間トルデの腕の中ですすり泣いたネロは次第に落ち着いてきたのか、ゆっくりと彼女の元から離れる。

「ありがとウ。でも、なんデここニ……?」
「それはねぇ……」

 後ろで二人の様子を眺めていたエラは表情を緩ませて身をひるがえす。二人なら心配はないだろう。手紙では話せなかったこともたくさんあるはずだ。彼らに水を差すことはできない。ボロの元まで戻り、二人が満足するまで見守ることにした。
 花の香りがまた広がる。穏やかな風が心地よい。隣ではボロが涙目になっている。エラは小さく笑い、積年せきねんの思いを語らう二人をうらやましそうに見つめている。
 空にたゆたう極小の光がより輝きを増してきた頃、互いに墓の前でとむらいを済ませて戻ってきた。

「もう、大丈夫そうですか?」
「ええ。十分よ」

 トルデは満足そうに笑う。
 隣のネロもこくりと頷く。

「では帰りましょうか。随分ずいぶんと暗くなってしまったので」
「そうだねぇ。最後まで気を抜かずにおばあさんを家に送り届けなきゃ」

 エラとボロは気を引き締める。安らぎを与えてくれる秘密の空間。ここを後にすれば、そこからは危険でありふれている。彼女を無事に元の家に送り届けるまでは、常に警戒していなければいけないのだが――。

「私ね、ここに住むことにしたわ」
「エッ?」

 トルデの突拍子とっぴょうしもない発言に対し、一番先に反応したのはネロだった。目を点にしてトルデの顔に視線を向ける。笑みで返される。冗談では無さそうだ。
 口をあんぐりと開けたボロは次第に慌て出す。

「え、駄目だよ、ここは危険がいっぱいなんだよ!? おばあさんは見てないけど、でぇっっかい獣もいるし、毒蛇だって。それにこんな所で暮らすなんて……」
「ええ、この子から聞いたわ。それでも私はね、この子を放っておけないの」

 トルデは横で不安げに見つめるネロの頭を撫でやる。くすぐったいのか首を引っ込めて口元を緩ませている。彼女はその様子を、まるで我が子を見ているように、愛おしそうな瞳をしていた。

「……私はねぇ、自分の子供が欲しかったのよ。でも……駄目だった。だから……かしらねぇ」 

 エラはピクリと眉を動かす。

「そういうことですか……分かりました。何にせよ、私達がトルデさんの決めた事に口を出す権利はありませんから」
「ま、待ってよ」

 踵を返し、ネロが住んでいる小屋を目指しスタスタと歩いて行こうとするエラを止めたボロは、こそこそと耳打ちをする。

「駄目だよ。危険が多すぎるって。それにおばあさん足腰も悪いし……あっ、そうだ。それならあの家に住まわせてあげたらいいんじゃないの? あそこは全然安全な地域だし、ここみたいなやばそうな生物もいないだろうしさ」

 ボロはあの巨大な生物を思い出してしまったようで、ぶるりと震える。
 エラは首を小さく横に振った。
 確かにボロの言うことは正しい。エラ自身も、人を安易に殺めてしまうような生物が、この峡谷に潜んでいることは分かっている。冒険家という、危険区域を探索するスペシャリストでさえ命を落としているのだ。それがただの一般人の、更に足腰の悪い老婆が、まともに余生を過ごせる場所ではない。

「じゃあ外に出るとき、あの子を関所の人に何て説明するの? 額に角が生えている人ではない謎の子供を一人外に連れ出したいのですがって? 無理だよ。きっと認められない。人の手が届いてない外へと続く抜け道を探せばあるのかもしれないけど、それは危険な橋をいくつも渡ることになる。きっとそれはトルデさんも理解してる。だから現状ここに住むしかないと思う」

 無理矢理理由をつけているが、エラも非常に危険な決断だと理解はしている。それでも、彼女がここに残ることを選択したのは、きっと大切な人が命を懸けて守った少年を、孤独にさせたくなかったからだろう。それに、彼女にとってこの少年は、亡き夫が残した形見のようなものなのだ。トルデがネロに向ける慈しみを含んだ暖かな瞳が、それを物語っている。

「そ、そっか……それなら僕たちには止めることなんてできないね」

 エラの言うことに納得したのか、ボロはおとなしく引き下がった。

「ええ。まぁ、それにあの子の力があれば危険はよっぽど無さそうだけど」 

 エラは最初に小屋へ訪ねた時を思い出す。あれだけの大物を撃退するほどの力の持ち主だ。用心棒としての役割としてはエラ達よりもずっと有能である。
 それに食料や外部から物品は、定期的に配送便を頼めば問題無い。あの大きな家のような贅沢ぜいたくな設備は無いものの、それでもやっていくことはできるだろう。

「じゃあ行きましょう。関所の人には伝えておきます。怪しまれると思いますが、よっぽど詮索せんさくはしてこないはずです。危険区域内に住む人自体、居ないわけではないですから。ただすみません、ひとつだけ私達からお願いを。もちろん断ってもらっても構いませんが」

 エラは目の前に移動し、頭を下げる。

「もしよろしければ、ここへの配達をこれからも私達に指名を頂けたらと」

 かしこまるエラに、そんなことかとトルデは小さく笑う。

「うふふ、もちろんよ。これからもお願いしたいわ。あなたじゃなければきっと、この子に驚いてしまうだろうから……あっ」

 トルデは何かを思い出し、両手を擦り合わせて申し訳なさそうな顔をする。

「でも、オーブンが無いからお菓子作りはできないわね。ごめんなさいねぇ」
「えー。ちょっと、残念だなぁ」

 ボロは見るからに残念そうな顔をする。

「こら、ボロってば。私達は配達屋よ。そもそもお客様に施しを受けてる時点で――」 
「あはは、エラだってクッキー食べたとき目をキラキラさせてたくせにっていだだっ! ごめんってば!」

 食いしん坊の竜の尻尾を踏んづける。飛び上がるボロに対し、エラはそっぽを向いて知らんぷりをしている。
 ネロはそんな彼女らのやり取りを見ていると、ふとクロムとの日々を思い出してしまう。懐かしそうな顔をしていると、横から声を掛けられた。

「あなたもあんな感じだった?」
「うン。お互いに譲らない所があっテ」

 頑固な人だった。でもそれ以上に優しい心を持っていた。時には言い争い、手を出す程に喧嘩をし、気づけばいつものように肩を組んで笑いあっていた。そんな毎日だったとネロは語る。
 それを聞いたトルデは瞳をじわりと潤ませる。

「そうだったのね」
「……? どうして泣いているノ?」
「どうしてかしらねぇ……」

 感傷に浸るトルデを、不思議そうに見つめるネロ。そっぽを向いていたエラは視線の端で二人の様子に気付く。小さく笑みを浮かべ、未だに痛がっているボロの背中を軽く叩く。

「なんだよう」

 ボロはエラの視線の先を追う。自然と頬が緩んだようで、穏やかに笑う。

「あは、なんだかまるで本当の家族みたいだね」
「……うん」

 エラは老婆と少年を見つめる。
 二人ならきっと、ここでも生きていけるだろう。根拠は無い。そんな気がしただけ。
 眩しそうに目を細める。そんな彼女はどこか、寂しそうにも見えた。
 
 
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