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第3章

14. 円満結着

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 何でこんなことになったんだろう……
 朱璃は観客、否、野次馬たちを見渡しながら溜息をついた。


 1刻ほど前、朱璃は弓術道場で少し緊張しながら自主練を始めた。
 というのも先日、師匠から利き目である左眼の使用許可がおりてから初めて弓を手にしたからだ。

「集中集中」
 正座をして黙祷する。

 この世界に来てから3年間休む間もなく鍛錬した弓術は朱璃の特技であり、そのお蔭で武修院へ入ることが出来た。これだけは誰にも負けない自信、負けたくないと言う強い想いが朱璃にはあった。

 しかし、武修院に入る前日、師匠から出された2つのが朱璃の運命を変えた。
 1つは『酒は飲むな』これは問題なかった。朱璃は決して酒が強い方でも、好きな方でもないのでなぜわざわざ禁止されたのか今だに分からないが容易な事であったので約束は守れている。
 そして2つ目『鍛錬中は左眼の使用を禁止する』これの関しては以前から利き目ばかりを使用するなと注意を受けていることだった。
 現代に居るときは利き目など意識していなかったがもともと右眼の方が視力が悪いので無意識に左眼ばかり使っていたのだろう。利き目ばかり使う欠点については琉晟から教わった。普段から利き目を中心軸として物を見たり、空間をとらえているので、利き目ばかり頼ってものを見ていると脳内の認識の軸も偏ってしまい、姿勢や動作の軸もずれ、最終的に体もゆがむと言うことらしい。

 弓道を数年習ったことのある朱璃はこの世界に来てからも当然のように左手で弓、右手で弦を引いていた。
弓道に関しては利き腕などなく、それがだった。利き目が右であることを前提に考えられた形であり、朱璃は最初は苦労したが、いつしか自分なりにコツを掴み乗り越えた経緯がある。

「なんだその珍妙な形は」
 それがこの世界に来て景雪にボロカスに言われ、射形を徹底的に矯正された。左眼の利き目に合わせ右手で弓を持つようになったのだ。
 その厳しい指導あっての今日だと今になっては感謝しかないが非常に過酷な日々であったことは涙なしには語れない。

 それなのに武修院《ここ》での新たな課題。再び混乱してしまった朱璃だったが当然師匠はおらず、泉李にアドバイスをもらったがなかなか調子が出せずにいた。仲間たちからは「あの武闘会はまぐれだ。イカサマだ」とまで言われる羽目になってしまい、自分でもあまりの下手さに落ち込んでしまった。
 あまりに嫌味を言われた時はちょっと位良いだろうと利き目を使ったりもしていたが泉李に次ぐにバレた。
「万が一、利き目や利き腕を負傷したらどうするんだ? お前は両利きなんだろう。大丈夫だ。直に慣れる。自分を信じるんだ」
 泉李に励まされ、景雪のもう一つの意図を知った。

 そうだ。この世界に来た時から、師匠を信じてやってきた。武術に関しては全くの素人の朱璃は彼らに対して絶対的な信頼を持っている。だからこそ景雪を始め、琉晟や泉李の言うことは自分の為なのだと分かる。従おう……!
 朱璃はそれ以来、左眼を封印した。
 

 
 
 朱璃がゆっくり立ち上った。
 流れるような美しい射法八節に道場に居た仲間たちの視線が集まっていたが全く気が付いていなかった。
  
 「シュッ」「ズバーン」 
 「「「おお~」」」

 矢は的の中央を射き歓声が上がる。しかし朱璃は残身を終えると再び、今度はかなりの速さで弓を構え次々と矢を放った。
 全てが中央に当った矢が最後の一矢で放物線を描いたころには声を出すものがいなくなった。
 秋の武闘会で見せた神業とまで言われた弓術。今、目の前で目撃したのに信じられないと言うのが本音だった。
 イカサマなどではなく、これが朱璃の本当の実力。


「……当たった……よかった……」
 正直、不安だった。3か月間出来る限り努力をしたつもりだったが、これで良いのだろうかと自信が持てずにいた。いくらやっても、周りの実力者たちを見ると全く足りないと思い、利き目を封印しただけではなく持久力筋力瞬発力の底上げを目標にして鍛錬を積み重ねてきた。
「いい感じや……」 
 上手くなってる。その成果は、今、矢を射った時に身を持って実感できた。
 左手をぎゅうっと握りしめ、奥歯を噛みしめた。そうしないと涙があふれてきそうだったから。
 先生……。琉……。
 報告したい。 この気持ちを伝えたい。それで褒めてほしい!
 しかし今ここにその相手はいなかった。寂しさが朱璃を襲った瞬間だった。


「「「すっげ~!!!」」」「「「朱璃っ」」」
 道場が激しく揺れるほどの歓声に沸いた。と同時に駆け寄る友人たちに朱璃は肩を叩かれ、抱きつかれ、そして質問攻めに合い、寂しさも涙も吹き飛んだ。

「び、びっくりした~。 どうしたの? みんな」
「それはこっちのセリフ。何だよ今のは!」 
「何で急に上手くなったんだ」
「いや、上手いってもんじゃないよ。神業だよ。それ。お前一晩で何があったんだよ」
「ええ~ 大げさな~」
 久遠や紫明の言葉に朱璃が笑う。

「大げさじゃねぇ!」
「いや、武闘会の時、弓術の女神って言われた割には今までが普通過ぎたんだ。お前なんで実力を隠していたんだ?」
「そうだっ。何で団の奴らにこれを見せなかったんだ!? そうしたらあいつら何も言えなかったのに」
「それはないって」
「いやっ有る! あの時お前の弓術を見た時、鳥肌がたつほど感銘を受けた。こんなすごい奴がいるんだって胸が熱くなった。俺ももっと精進しようと心に決めたんだ」
 2人の突っこみを皮切りに圧倒されて言葉すら出なかった面々も口々に朱璃を褒め讃え騒ぎは大きくなっていく。
「俺は神業という評判には作為があると思っていた。許してくれ」
 真面目な健翔に至っては朱璃の腕を信じていなかったことに謝罪し始め、朱璃の腕を馬鹿にした覚えのあるものがそれを聞いて青くなって次々に頭を下げ始めた。

 神聖な道場とは思えない混沌とした状態になっっていることにいち早く気が付いたのは朱璃だった  
「ちょっと落ち着こうかな。みんな」
『ワン! ワン!』



「おやおや、何の騒ぎですか」
 莉己と泉李ら数人の官職が昨日の約束通りぞろぞろと現れた。キュウが絶妙なタイミングで『マオウガキタゾオ~』と言ったのは聞こえないふりをしておく。
 そんな中、的を見て尻上がりの口笛を吹いたのは由仁だった。

「どうだった?」
 泉李が瞳を輝かせている朱璃を目を細めて見つめながら尋ねた。
「はい。何も考えずにとても自然な感じで射れました」
「な、言っただろう。大丈夫だって」
「はい」
「ふふふっ。よくここまで耐えましたね。じゃあ、もう一度見せてもらいましょうか。約束はちゃんと覚えていますよ」

 今までにはない3人の間の気安い雰囲気に違和感を感じる者もいたが、劉長官の次の言葉でかき消されてしまった。以前は朱璃を目の敵のように虐めていた劉長官だけに久遠や紫明が我に返って警鐘をならす。
「お待ちくださいっ。劉長官。約束とはどういうことですか。籐朱璃がまた何かしでかしたのですか」

「ちょっと~ 紫明。まだ何もしてへんし」
「ふふふっ。籐朱璃は私と賭けをしたのですよ。どうせ勝てっこないですから何を賭けたかは知る必要はないでしょう」
「いいえっ勝ちますから。絶対に。勝って私たちの個性にあった道具を貰いましょう! 『弘法筆を選ばず』は今の私たちの実力では無理ですから」

「はぁ!?」
 何じゃそりゃ!? 半人前の自分たちの剣や弓が支給品であるのは当然だと考えている者がほとんどであった。
 朱璃の言いたいことは間違ってはいない。個性にあった剣、弓であればどれほど良いだろう。どんな武器でも関係ないと胸を張れる実力が無いこともその通りだ。しかし、一人前になるまで文句が言えるはずもない。それが決まりなのだと望むことすら無かったのに、当然のようにそう言い切る朱璃にある種の感動すら覚える。
 
 
 泉李や由仁が笑いを噛み殺す。常識を常識だと誰が決めたんだとばかり誰もがしないことを容易くやってのける朱璃にその自覚がない事や、周りが振り回され影響を受けてゆく様子が可笑しくてならない。

「ふふっ。では、今から私の指示に従って15本射って貰います。1本でも外したらあなた負け。あの約束は無かったことになり、私からも一つあなたに要求を呑んでもらいます。いいですね」
「はいっ」

「何がだ。また訳の分からない要求されに決まってるのに! あのばか」
「……昨日の今日でこの騒ぎだ・・・・・・。朱璃は騒ぎを起こす天才だな」
「さすが朱璃様ですっ」


 長官たち自らが的を設置するとざわめきが起こった。縦横5目に区切られた正方形の的は誰も見たことのないものだったからだ。
 実は朱璃が現代で流行っていた3×3のストラックアウトをマネて作り自主練習をしたのが始まりだった。景雪が気に入り、今では彼らの間では遊びを兼ねて時々行っている。久しぶりに見た朱璃は懐かしさでテンションが上がった。しかし、
「ます目、多すぎませんか!?」

「はっはっは。改良したんだ。この方が面白いだろ。その代り距離はここにしよう」
 泉李が近的と遠的の丁度間に的を射を置きながら言った。
 指示に従って25ある升目に矢を射るのだと誰もがその超難易度の高さに驚きを隠せなかった。



 いつの間にか武修院に居た訓練生はもちろんの事、武官やら、職員やら、調理員達までもが弓術場に集まってき道場の外まで大賑わいになっていた。
 しかしなぜこのような話になったか知っているがほとんどいなかったため
「籐朱璃が劉長官にケンカを売ったらしい」「籐朱璃が買ったら武器をもらい、負けたら身体を差し出すらしいぜ」
噂が噂を呼び、いつの間にか朱璃は生き別れの義妹で親の仇を打つような話になっていたり、実は許嫁説など、昼ドラ顔負けの憶測が飛び交い、まさに朱璃は悲劇のヒロインだった。

「では、始めましょう」
 世紀の決闘?が始まった。

 あまりの観客やじうまの多さに溜息をついていた朱璃だったが響き渡った莉己の美声に威儀を正した。
 朱璃を取り巻く空気が変わった。凛とした佇まい、的を見つめる鋭い眼光に総毛立つ者もいた。あれがいつもと温柔な朱璃と同一人物だとは思えなかったと、特に鍛錬中の朱璃を見ることのない調理員達は後々語り継いだ程であった。

「一矢段四筋三」
 泉李の張りのある低音が道場に響く。

 朱璃の美しい射形に目を奪われ、熱い視線を注いだその瞬間、注目の第一矢は道場の高い天井を貫いた。

「……!?」

 莉己ですらあまりの予想外の状況に固まってしまった瞬間、朱璃が笑い出した。

「ちょっちょっと待って下さい。そんな不意打ちありますか~。あはははは」
 ほとんどの者が何故朱璃が笑ったのか分からないので頭の整理がつかない。

「宗先生がおっしゃるのならそう言って下さいよ。私はてっきり莉、劉長官が座標を令達されるとばかり、あはははっ あ――びっくりした」

「私はそんな面倒な事はしませんよ」

 やっぱり~と心の中で朱璃は納得する。しかしあの流れではてっきり莉己が座標を令達すると思い込んでしまったのだ。冷静に考えるとそんな姿が想像できず、適任者は泉李なのだが、朱璃としては「そっちか~い」と突っ込みを入れたくなったのも致し方ない。その結果の大暴射。
 もしその場に景雪が居たら「真面目にやれ」と容赦なく拳骨の刑だっただろう。

「おまえな~」「貴女って人は」
「いや、確かに俺も泉李が言うと思わなかったけどさ~ はっはっはっは」

 長官たちが笑い出したところでやっと変な空気がほぐれ、所々で笑いが起こり始めた。
 朱璃がそれに加えて「今のは長官も悪いから、無かった事にしてくれ」と頼み込んだりするものだから、あっと言う間に重々しかった空気が霧散してしまった。
 
 その一方で朱璃の友人たちは何とも言えない思いを共有していた。
「どう考えても流れ的に劉長官が座標を示す場面であったとしても、この空気の中で思いきり期待を裏切り、震撼とさせるあいつの心臓の方が俺には信じられない」
「同感」
「常識に当てはまらない方だとは思っていましたが、只者ではないと確信しました」
「天才と何とかは紙一重ってよくいったもんだよな……」


 結局、朱璃は今の一矢は無にしてもらい、その後の十五矢全てを命中させると言う圧巻の腕前を見せ、その場に居た人々を歓喜の渦に巻き込んだ。
「やった!! 最高!!」「すっげぇ~!!」
 たまらなく飛び出してきた仲間たちの祝福を受け、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを表す朱璃を目を細めていた見ていた長官たちがそばにやってくる。

 泉李が朱璃に向かって大きな手を出すと、朱璃が嬉しそうに同じように手を出した。
 パンっと良い音が響き、微笑む莉己の右手にも同じように朱璃がタッチをする。朱璃が伝授したハイタッチだ。
 先程の神業以上にその光景に呆然と静まり返ったのだったが、それには全く気が付かず朱璃は満面の笑み笑みを浮かべた。
「素晴らしかったですよ。悪い癖もちゃんと直りましたね」
「本当ですか! やったっ」
「ああ、よく3か月耐えたな。えらかったぞ」
 泉李に頭を撫でられ目を細める朱璃は嬉しげに、どれほど矢が射りやすかったかを二人に話し始めた。
 見たことのない優しい笑顔で朱璃の話を聞く長官たちの姿に言葉も出ず、ただただその様子を見つめる訓練生たちやその他大勢の人々を代表して、弘長官が歩み出た。

「お前らイチャこらは後でやって、とりあえずこの場を収拾してくれ」
「おや? どうしましたか。ふふふっ わかりましたよ」

 かつて朱璃を虐めたおした非情の鬼長官の面影は全くなく、朱璃の頭を撫でながら破壊力満点の微笑を向けた。
「朱璃はここに来る前に師匠に利き目の使用を禁止されたのです。当然利き目でない方の目を特訓し能力を向上させるためです。苦労したようですがその甲斐あって彼女は見事その試練を乗り越え、見ての通り、私との賭けに勝利しました。よって彼女の要望通り、禁軍配属の前に各自に剣と弓の支給をします。もちろん個性にあったものを特注しますからご安心を」
「ありがとうございます!」 
 朱璃が嬉しそうに礼を言うが、殆どの者は目の前の光景に加え、今の言葉、想像を超える情報に処理に頭が着いていかない状況だった。見かねた由仁がもう一度助け舟を出した。

「そうじゃなくて、お前らの関係をちゃんと説明しろよ。もう隠す気ないんだろ。このままじゃこいつらが可哀想だぜ」
「ふふふっ そうですね。皆ももう分かっているとは思いますが、実は私たちはずっと前から、このと知り合いなわけですよ。もっと言うなら、朱璃がまだ何も分からない頃に、私たちが彼女を拾ったんです。持ち主の解らない落し物は拾った人の物ですよね。ですから朱璃は私たちのなんですよ。ふふふ」

「……」

「しかし、身内、しかも女性が武修院に入ることでいくら平等にしても優遇されていると不満が出ると考え一切公表せずにいた。そして、この3か月間で皆も知っての通り、籐朱璃は贔屓でも何でもない、実力でここに入り優秀な逸材であることを身を持って示してくれた。もちろん今までもこれからも皆平等に教育するつもりだが、異議があるものは申し立てよ」

「……」

 突っこみどころはあり過ぎるが、異議が有るかと言えば異議など無い。朱璃の人格も実力も十分認めているからだ。
 同期生たちはとりあえず、ぷるぷると一斉に首を振った。

「では、これからも私たちの可愛いを宜しくお願いしますね。ふふふ」
「手を出すなら、その覚悟で来るように。以上」
「……お前らも相当親ばかだと俺は思うぞ」


  この一件は籐朱璃とゆかいな仲間たちの武修院時代の伝説として、天井に刺さった矢と共に後世まで語り継がれることになる。


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