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第7章 天下分け目の大決戦編
38.四面楚歌
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一方、三浦宮御所では将軍である継晴が苛立ちの表情を見せていた。
継晴
「えぇい!どいつもこいつも!将軍を何じゃと思っておるか!」
継晴は顔をしかめながらそう叫んだ。
すると、継晴の元に二人の武将が現れた。
継晴の嫡男である三浦教晴(みうらのりはる)と現 黒松家当主の黒松義久(くろまつよしひさ)であった。
・三浦 教晴(みうら のりはる)
継晴の嫡男。
父である継晴が将軍に就任した五年後に元服。
その後は次期将軍として家臣の黒松義政より様々な手ほどきを受けて育ち、才能面においては父である継晴よりも勝っていたという。
ここ最近の領内での混乱状態が続いている事もあってか、三浦幕府は自身が将軍に就任する事は無いであろうと考えている。
・黒松 義久(くろまつ よしひさ)
義成の弟として生まれる。
兄である義成が黒松家の家督を相続後に配下となる。
後に義久は、継晴によって異動を命ぜられて義成と共に桐丘城へ配属される。
後に桐丘城が地獄式爆弾による攻撃を受けた事で義成と妻子が犠牲となるが、その頃義久は三浦宮御所にいた為に難を逃れた。
突然の義成とその嫡子の死によって黒松家の家督を相続し、当主となる。
兄の義成は、叔父である義政によって様々な教育の手ほどきを受けていたが、義久はその機会が無かったという。
それ故に、器量は義成と比べると劣っていたと思われる。
教晴
「父上、これ以上我らによる政で民たちを苦しめるのはおやめくだされ。」
教晴は、継晴を戒めるように強い口調でそう言った。
そして続けて義久も口を開く。
義久
「継晴様、拙者も教晴様の御意見に賛成にございます。民たちのことを思えばのことにございます。」
教晴と義久は、今の三浦将軍家が置かれている状況を冷静に受け止めていた。
将軍就任後に継晴が出した政策から始まり、それに抵抗する志太家を討伐するという名目での戦い。
こうした幕府による身勝手極まりない行動に、各国の大名家たちの不信感を徐々に募らせていった。
そして、大月長包の失態を責め立てて処罰した事で幕府への信用度の失墜は決定的なものとなった。
結果は、こうなると初めから分かっていた。
義久は継晴に対して暗にそう言っているようであった。
すると、継晴は目を大きく見開いて大声をあげた。
継晴
「えぇい!貴様ら!何を申しておるか分かっておるのか?!何代も続いた三浦家をここで絶やすことなど余は断じて許せぬぞ!」
継晴は酷く激昂していた。
数百年間も続いた三浦幕府を容易に終わらせる事など許されない。
先祖の名誉を守る為にも、三浦家を絶やす事などもってのほかだ。
そう言葉で言ってはいるものの、継晴の中では自身の保身とプライドを守る為といった利己主義的な思想が強かった。
それ故に、幕府を自身の代で終わらせる事を頑なに拒んでいたのである。
教晴
「しかし、堀内為永殿を始めとする幕臣たちも我ら幕府から離れていかれました…」
志太家に寝返った幕臣は、堀内家だけでは無かった。
これは、志太家による地獄式爆弾の攻撃で皆が恐れをなした結果だ。
このまま幕府側に付いていれば、次は自家が攻撃の標的にされかねない。
そういった防衛的本能が働いた事もあり、各国の幕臣たちは次々と志太家に降伏していったのである。
義久
「我ら幕府に味方する者は今やごく僅か。最早勝ち目はございませぬ…」
義久は、この四面楚歌とも言える三浦幕府の状態に警鐘を鳴らすべく継晴に言った。
しかし、継晴はそんな義久の忠告に耳を貸そうとはせずに相変わらず強気な態度を見せて言った。
継晴
「たわけが!弱気なことを申すでないわ!必ず三浦幕府を余の手で再興して見せようぞ!」
どうやら継晴は、依然として志太家と徹底抗戦する構えを崩そうとしない様子である。
継晴
「えぇい!どいつもこいつも!将軍を何じゃと思っておるか!」
継晴は顔をしかめながらそう叫んだ。
すると、継晴の元に二人の武将が現れた。
継晴の嫡男である三浦教晴(みうらのりはる)と現 黒松家当主の黒松義久(くろまつよしひさ)であった。
・三浦 教晴(みうら のりはる)
継晴の嫡男。
父である継晴が将軍に就任した五年後に元服。
その後は次期将軍として家臣の黒松義政より様々な手ほどきを受けて育ち、才能面においては父である継晴よりも勝っていたという。
ここ最近の領内での混乱状態が続いている事もあってか、三浦幕府は自身が将軍に就任する事は無いであろうと考えている。
・黒松 義久(くろまつ よしひさ)
義成の弟として生まれる。
兄である義成が黒松家の家督を相続後に配下となる。
後に義久は、継晴によって異動を命ぜられて義成と共に桐丘城へ配属される。
後に桐丘城が地獄式爆弾による攻撃を受けた事で義成と妻子が犠牲となるが、その頃義久は三浦宮御所にいた為に難を逃れた。
突然の義成とその嫡子の死によって黒松家の家督を相続し、当主となる。
兄の義成は、叔父である義政によって様々な教育の手ほどきを受けていたが、義久はその機会が無かったという。
それ故に、器量は義成と比べると劣っていたと思われる。
教晴
「父上、これ以上我らによる政で民たちを苦しめるのはおやめくだされ。」
教晴は、継晴を戒めるように強い口調でそう言った。
そして続けて義久も口を開く。
義久
「継晴様、拙者も教晴様の御意見に賛成にございます。民たちのことを思えばのことにございます。」
教晴と義久は、今の三浦将軍家が置かれている状況を冷静に受け止めていた。
将軍就任後に継晴が出した政策から始まり、それに抵抗する志太家を討伐するという名目での戦い。
こうした幕府による身勝手極まりない行動に、各国の大名家たちの不信感を徐々に募らせていった。
そして、大月長包の失態を責め立てて処罰した事で幕府への信用度の失墜は決定的なものとなった。
結果は、こうなると初めから分かっていた。
義久は継晴に対して暗にそう言っているようであった。
すると、継晴は目を大きく見開いて大声をあげた。
継晴
「えぇい!貴様ら!何を申しておるか分かっておるのか?!何代も続いた三浦家をここで絶やすことなど余は断じて許せぬぞ!」
継晴は酷く激昂していた。
数百年間も続いた三浦幕府を容易に終わらせる事など許されない。
先祖の名誉を守る為にも、三浦家を絶やす事などもってのほかだ。
そう言葉で言ってはいるものの、継晴の中では自身の保身とプライドを守る為といった利己主義的な思想が強かった。
それ故に、幕府を自身の代で終わらせる事を頑なに拒んでいたのである。
教晴
「しかし、堀内為永殿を始めとする幕臣たちも我ら幕府から離れていかれました…」
志太家に寝返った幕臣は、堀内家だけでは無かった。
これは、志太家による地獄式爆弾の攻撃で皆が恐れをなした結果だ。
このまま幕府側に付いていれば、次は自家が攻撃の標的にされかねない。
そういった防衛的本能が働いた事もあり、各国の幕臣たちは次々と志太家に降伏していったのである。
義久
「我ら幕府に味方する者は今やごく僅か。最早勝ち目はございませぬ…」
義久は、この四面楚歌とも言える三浦幕府の状態に警鐘を鳴らすべく継晴に言った。
しかし、継晴はそんな義久の忠告に耳を貸そうとはせずに相変わらず強気な態度を見せて言った。
継晴
「たわけが!弱気なことを申すでないわ!必ず三浦幕府を余の手で再興して見せようぞ!」
どうやら継晴は、依然として志太家と徹底抗戦する構えを崩そうとしない様子である。
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