木苺ガールズロッククラブ

まゆり

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Twelfth Affair by りり子

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 りり子は、走り出したサキを追いかけて、洗面所に入った。さつきが誘拐されて気が動転しているのだ。吐くか泣くかのどちらかならまだいいけど、発作的に自傷行為に走らないとも限らない。とにかく、ひとりにしたら危ない。いつも冷静なサキがこんなに取り乱しているところを見たことはなかった。
 予想に反して、サキは洗濯機を開けた。中に入っているものをすべて出し、つるつるした化繊のブラウスと、お花畑みたいな色とりどりのレース刺繍のブラとショーツを取り出して身につけた。りり子のワンピースも、生乾きの襟のところを除いて、ほぼ乾いているようだった。少し型崩れしたけれど、この際細かいことを気にしてはいられない。りり子と繭もとりあえず服を着た。サキはベッドルームに戻ると、スーツを着てドアから出てきた。
「ちょっと、出かけてくる」
「サキ、どこへ行くの?」
 繭が大きな目でサキを見つめる。
「栗田のところ」
「そんな、今、闇雲に乗り込んでも何の意味もないと思うけど」
 落ち着け、サキ。
「あいつを殺しに行ってくる」
「あいつって?」
「山根」
 さつきを誘拐したのは、サキの両親から金を持ち逃げした男、山根だったのか?
「ね、サキ。それならそれで、何があったのかちゃんと話して。それからちゃんと計画を練りましょ。人の殺し方なら、サキより私のほうがずっと詳しいんだから」
 繭がサキの体を抱きしめて、静かに囁いた。サキは崩れるように泣き始めた。
 
「キイチゴ城からハーブティーを持ってくればよかったわね」
 コーヒーカップにお湯を注ぎながら、繭が頼りなげに笑った。コーヒーも紅茶もなかったけど、湯気の出るカップがあるというだけで、少しでも気分が落ち着くのなら、何もないよりはましだった。台所においてあったM&M’sのディスペンサーをテーブルの上に置いて、ハンドルを押した。出てきたピーナッツ入りのチョコレートをそれぞれのソーサーに分ける。
「ちゃんと、状況を整理してみようよ」
 りり子は、オレンジ色のM&M'sをひとつかじり、続けた。
「純花と石塚が繋がっていて、純花とは連絡が取れない。一億円の手形はすでに換金されている。……やっぱり現金は純花が持ってったんじゃない? そうとしか考えられない」
「純花に成りすました別人かもしれない」
 繭が、さりげなく訂正する。
「とにかく、純花あるいは、純花の振りをした別人。それから、栗田か、あるいは栗田の息のかかった連中がさつきを学校から誘拐した。要求は一億円と名簿。取引の詳細は未定」
「そして、私たちは一億円を持っていない」
 繭が再び、横槍を入れる。材料は出尽くした。
「もうひとつだけ、使えるかもしれないカードがある。エスエフティ・プロモーションのことで」
 サキは俯いたまま、りり子の顔を見ずに言った。
「サキ、それは使えないと思う」
 繭の表情が凍りついたような気がした。りり子の知らないところで、ふたりは何を調べていたのだろう。石塚が死んでから、まるで世界に三人だけ残されたみたいに結束して、どんなことでもできると信じていた。やはり、ふたりを巻き込むことなくひとりでいればよかったと思う。いつから間違えてしまったのだろう。六年前にふたりと出会ったときからだろうか。体を売ることなんて、なんでもなかった。何度か恐ろしい目にもあったけれど、誰かがりり子のことを殺したいと思えば殺せばいいし、どこか知らない土地の風俗に売られてもよかった。
「でも、状況を整理しているだけなんだから、言うべきだと思う」
 サキと繭の会話の内容がいまいち見えない。
「じゃあ、サキ言いなよ。サキはさつきとりり子のどっちが大事なの?」
「ねえ繭、あたしとサキの妹とどっちが大事ってどういうこと?」
 さつきのほうが大事に決まっている。りり子には兄弟がいない。りり子に妹がいたら、どんなことをしても両親から守ってやりたいと思う。サキが顔を上げて、りり子の顔を見た。感情の読めない生気のない表情をしている。
「ねえ、りり子、本当にこれは、状況を把握してるだけだからね、あくまで事実を共有しているだけ。勝田富士夫って知ってるでしょ」
「知ってる。何度か会ったこともある」
 勝田は、お父さまの検事時代の先輩だ。一度だけ家にも来たことがある。もちろん、大物のヤメ検弁護士で、裏社会に顔が効くことも知っている。勝田が家にきたときのお父さまは、普段は黒いものを白という独裁者振りから打って変わって、勝田のケツの穴も舐めかねない平身低頭振りだった。りり子は当然のことながら、お父さまの自慢の娘で、母は自慢の妻らしく料理を沢山作ってもてなし、勝田が帰ったあとにりり子は食べたものを全部吐いた。絵に描いたような素晴らしい家庭に、耐えられなかったのだ。
「栗田のお抱え弁護士なの」
「ふうん。勝田のおじさま、そういうの得意だから」
 勝田は、企業の顧問料だけでも、相当な収入を得ているはずだ。エスエフティ・プロモーションの顧問弁護士をしていてもおかしくはない。
「それが?」
「それだけ」
「うん」
 それだけなわけがない。サキも繭も、勝田がエスエフティ・プロモーションの顧問弁護士をやっていることを随分前から知っていて、りり子には黙っていたのだろう。
「勝田にあたしから頼みごとをしてほしいってこと?」
 事務所の電話番号くらいは調べられないことはないけれど、携帯電話の番号は限られたごく親しい人しか知らないはずだ。それに、一度会ったことがあるというだけで親しいわけではない。下手に接触すると、かえってやぶ蛇という気がする。
「よかった。今のところそのくらいしか方法がない」
「無理。知ってるって言っても、一回しか会ったことない」
「そう。それなら他の方法を考える」
 あまり落胆したふうではなかった。最初からりり子の答えを予測していたような。
「……お父さまに頼み込めば何とかなるかも」
 そう言ってから、気がついた。りり子とさつきとどっちが大事って、サキは最初からそういうつもりで、勝田のことを切り出したのだ。
「わかった。これから家に電話して、頼んでみる」
 そんなことをしたら、帰って来いといわれるに決まっている。でもそれしか方法がないのなら、そうするしかない。
「ねえりり子、わたしはただ、知っていることを言ったまでで……」
 最初から、そういうつもりだったくせに。そうやって逃げ道を作るなんて、サキはずるい。
「うちのお父さまにできないことなんてないよ。なにしろ、お父さまが白といえば、黒いものも白だから」
 もう、ひとりになりたいと思った。仲間がいるのは嬉しかった。誰かを好きになったり大事に思うことができるのは、嬉しくてそしてつらい。初めて会ったころは、サキと繭がいるというだけで嬉しかった。長くいっしょにいればいるほど、求めるものが大きくなりすぎて苦しくなる。
「でも、お父様に頼むって、どうやって?」
「帰る。それしかないでしょ」
「やだ、帰るなんていわないでよ、りり子。そんなことして……」
 サキがその先を言い淀む。
「さつきを助けたいんでしょ。だったらあたしのことなんか考えなくていいよ、またもとの生活に戻るだけだから」
 りり子はお父さまの携帯に電話をかけた。繭がりり子の手から携帯をひったくり、終話ボタンを押した。
「ねえ、そんな手を使う前に、もう一度事情を話して、交渉してみましょうよ。私たちは石塚を殺したわけじゃないし、一億円は持ってない。なんでこんなことになっちゃうのよ。私たちはただ、自由になりたいだけだったのに」
 そうだった。自由になりたかった。家を出て、お父さまに絶対見つからないところで三人で暮らしたかった。繭もサキも、たぶんりり子に適当に調子を合わせていただけで、本当はもうたくさんだと思っているにちがいない。あんな母親にところに電話をかけている繭をみつけたときには、繭を振り回しているという罪悪感で、頭に血が上った。逆ギレだった。家に帰って、お父さまから勝田に頼みごとをしてもらって、さつきが戻ってくれば、すべては終わる。繭とサキがこれからどうしたいのかはわからない。これまでの失敗の原因を作ったのはりり子なのだ。ふたりを巻き込んでしまって、本当に申し訳ないと思う。
「ごめん、もう疲れた。ってか、今まで振り回しててごめん。別にサキのせいとかそういうんじゃなくて、なんだか帰りたくなってきた。やっぱり異常な家だとは思うけど、あたしにとってはそれが普通で、ずっと家を空けてると調子狂ってくるってきて、どうでもいい男を拾っちゃったりして。しばらく会えないと思うけど、元気でね。ちゃんと勝田のことは頼んどくから」
 荷物はバッグ一個。M&M’sは置いていくことにする。
「りり子、待って」
 サキに肩をつかまれる。
「離してよ」
 振りほどく。
「ありがとう」
 サキは、今にも泣きそうな顔をしている。
「サキに感謝される筋合いはないよ」
「違うの、そういうんじゃなくて」
「じゃあどういうの?」
 サキの目から涙が流れ落ちた。断崖絶壁から突き落とされた子供のような目。ひどいことを言ってしまったと思う。
「電話するわね、りり子」
 繭は相変わらず、すべてを吸い込むみたいな大きな目を見開いて、落ち着き払っている。りり子がもうふたりのところへは戻ってこないということを認めたくないのだろう。
「あたしも電話するから」
 りり子がそう言うと、サキは黙って頷いた。携帯は取り上げられるだろう。サキにも繭にも会うことはないだろう。
 玄関に置いてあったバレエシューズに足を突っ込んで、ドアを閉めた。
 最初に来たタクシーを拾って、祐天寺の自宅へ向かってもらう。行き先を告げ、お父さまの携帯に電話をかける。何から話したらいいのかわからなかった。すべてを最初から、包み隠さず。理由はもちろん、お父さまのことが好きだったから。
 お父さまのことが好きで、こんなことしてちゃいけないと思って、たくさんの人と寝た。離れられなくなったら怖いと思って家を出た。嘘をつくのは大好き。喋っているうちに本当のことに思えてくる。
「勝田のおじさまに頼んで、友達の妹を助けて」
 お父さまは、電話の向こうで沈黙していた。
「ねえ、なんでもする」
 返答がない。
「もう一生家を出て行かない」
「約束するか?」
「約束する」
「わかった。なんとかやってみよう」
「ありがとう」
「……百合子、すぐに迎えにいく」
「もうタクシーで家に向かってる。まだ二十分くらいかかるけど」
「本当に手間のかかる子だ。これで二度目だ。この次はないと思いなさい」
「どういうこと?」
「百合子の最初の家出のときにも、裏から手を回した。プティ・フランボワーズは栗田が音楽事務所の傍らに作った組織だ。わけのわからない派手な連中に群がる少女に仕事を斡旋することから始めて、だんだんと低年齢化させていったんだ。今でも続けている音楽事務所は実際に機能してないし、モバイル・フェイスを買収したら、完全に撤退して社名を変更するという話だ」
 六年前の監禁事件のことなのか。わけもわからないまま、救出されたのは、お父さまの横槍だったのか。体中の力が抜けて、りり子はタクシーの座席に身をゆだねる。もがけばもがくほど、どこにも行けない。お父さまの掌からは、一生出られないのだろう。りり子はため息をひとつついて、窓の外を見た。
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