蒼の箱庭

葎月壱人

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第三章

刻んだ約束

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真白は、何かが割れる音を確かに聞いた気がした。
それは身に覚えのある音で、絶対に駄目な音だと警鐘が鳴る。
音の出所を探す為に顔を上げると異変に気づいた姫椿と目が合ったと思ったら、どうやら自分の後ろを注視している様だった。
嫌な胸騒ぎが責め立ててくる中、真白も姫椿が見ているものを振り返ろうとした時に姫椿の呟きが遅れて届いた。

「まずい」

その言葉が予言みたいに真白達の下に描かれていた魔法陣が一瞬で消え、ほのかな光に包まれていた緑色の空間が無くなってゆく光景の先で、武器を落として打ちひしがれている王李の姿を捉えた。
そこへゆっくりと近づいていくのは……学園長だろうか?
真白の瞳には、黒い靄に身を包まれて既に姿すら確認出来ないものに見えた。
背筋をゾワっとさせる寒気を感じて、アレに王李を近づけてはいないと本能的に悟る。

「行かなくちゃ」

それまで防げていた毒霧が、ふさっと静かに降り注ぐ中、熱に浮かされた様に真白は立ち上がった。
ズキズキ脈打つ頭痛が何かを思い出そうとしているのに、それが思い出したくないものである事だけは知っていた。
フワフワしてきた意識の中、目の前に見える二つの光だけが眩しい位に自分を呼んでいるのだ。
思い出せ、と暗に訴えてくる光を指差した。

「ねぇ、姫。あの光ってるのって何だか分かる?」
「光ってるの?」

おうむ返しにしながら真白が指差す方を見て、姫椿は息を呑んだ。

「あれは……南京錠と黎明の鍵だよ」

答えながら姫椿は何故、真白にも光って見えているのかを考える。
だって、今のところアレらは真白には関係ないものなのに……

「約束を、果たさないと」
「え?約束?ちょっ、真白!?って、嘘っ!?待っ……!!!!?」

フラフラ進み出した真白を引き止めたかったものの、突然、真横から姫椿に体当たりする形で突っ込んできた白馬を受け止めきれず物凄い音を立てながら共倒れになる姫椿。

「……悪い」
「うぅぅ。はくばぁぁぁぁ」

下敷きになったまま恨めしい声を上げる姫椿の手を取り起き上がるのを手伝いながらも白馬が見ているのは綺羅だけだった。
白馬を吹っ飛ばした後、白椿と王李がいる方向へ進む途中ふらついた真白を片手で抱き止める事に成功している姿を見ながら、まだそんな余裕があるのかと歯噛みする。

「あいつにかけた術、解けよ」
「は?解くわけないじゃん!何?負けそうなの?」
「違う。実力でやりたいだけだ」
「実力もなにも……使役を解いたら馬に戻っちゃうんだけど?文句なら、そもそもの原因を作ったおたくの我儘クソ女に言いなさいよ!」
「……役立たず」
「はぁぁぁあ!?!?」

思いもよらない所で白馬の黒い部分を目撃した姫椿は、額に青筋を浮かべながら言葉にならない怒りを声に出した。

(絶対、泣かす。絶対、絶対、逃さないんだから!)

ぎゅうぅっと、ありったけの力を込めて白馬の手を握っても軽々しく引っ張り上げられてしまい、鬱陶しそうに手を離されて綺羅の方へ行ってしまった。

「くっそー!……でもまぁ、上々かな」

意味深な事を呟きながら、手のひらをそっと開いて形成したものを確認する。
まだ透明を維持したままの未完成な“施錠”と次に使う“黎明の鍵”の手触りを確かに感じつつ消えない様にと念を込める。
これが具現化するのは、綾瀬が目的を達した後だ。
すっかり忘れていた毒霧の効果を食道から迫り上がってきた血液の味で思い出しながら、今だに動こうとしない王李を見た。
二人の会話は聞こえてこないものの、白椿が優勢であろう事は明白だった。
本当なら、近くまで行って呆けてる頭を叩いて何をやってるのよと叱りつけてやりたいけど、もうそんな体力は残っていない。
憎まれ口を叩けるだけの気力と綺羅を繋ぐ“使役”を操作する力をギリギリ保てている自分を鼓舞して、最後の瞬間まで意識を保つ事に集中する。
今できる事を全力で。
さっきそんな話を真白にしたのを思い出しながら、王李の方へと向かって行った真白の背中に全てを託すのだった。





一歩前へ進む度に脈打つ様に頭痛がする中、早く、早くと王李の元へと急かす気持ちだけが自分を動かしている。
約束を果たさないとと口走った言葉の意味が何なのか……思い出そうとすると激しい痛みが頭に走って思考の邪魔をした。

多分、思い出したくない事を思い出さないといけない。

漠然とした絶望感に包まれながら、それでも目先にいる王李を放ってはおけなかった。
足がもつれて倒れそうになった所を、力強く脇から支えてくれたのは綺羅だった。
ゼーゼーと肩で呼吸して全力疾走した時みたいに苦しそうにも関わらず、目が合うと力が抜けた様な柔らかい表情を向けてくれる。

「セーーフ」

ありがとうと言おうとして、でももう綺羅が自分ではなく白馬の動向を見つめたまま滴り落ちる汗を拭うのを見て、真白は口を噤んだ。
何だろう。今、すごく置いてかれた気持ちがする。

「明日、筋肉痛だなー」

綺羅の何気ない言葉に意表を突かれた。

「あ、明日?」
「うん。だって俺、こんなに動く事あんまりないからって……ちょっと。笑ってるけど他人事じゃないからね?真白もだよ、絶対」
「え?私も?」
「頑張ってる人は全員、明日筋肉痛でーす」
「なにそれ」

ふふっと笑う真白を見て、綺羅はもう一度気合を入れ直した。

「さて。お互い、頑張ろ?」

軽く拳を真白の方に突き出すと、少し躊躇いがあったものの綺羅の意を汲んで真白も軽く拳を合わせてくれた。

「うん、頑張る」

置いてかれたと思ってた気持ちは、ちょっとだけ違った。
綺羅は、共にあろうとしてくれる。並ぶことを許してくれる人だ。
守ろうするんじゃなくて、近くで支えてくれる頼もしい存在。
不思議と気持ちが軽くなっている事に気づいた真白は、あんなに苦しかった頭痛もなんとかなるんじゃないかとさえ思えてきた。

「……今、できる事を全力で」

魔法についてザックリ教えてもらっている時の姫椿の言葉を口に出す。
そうだ。思い出す、出さないじゃない。
今、できる事があるなら……私はどうしたいかを考えよう。

深く、深く、深呼吸をしながら真白はそっと瞳を閉じた。
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