蒼の箱庭

葎月壱人

文字の大きさ
上 下
41 / 52
第三章

埋もれた過去

しおりを挟む
自分の身体が、こんなに重く感じたのはいつぶりだろう。
へたり込む姿勢で床に手をついたのも屈辱以外の何物でも無いのに、いつまでも整わない乱れた呼吸が苦しくてそこまで気にはならなかった。
俯いた首元に静かに当てがわれた鋭い刃先も冷たくて気持ちよさそうに見える。
少し動けば自害する危険もあるのに、ついにイカれてしまったのかもしれないと自暴自棄になった。

「はぁぁ、もう、上手くいかないなぁー」

さっきの毒霧で全部を巻き添えにして一気に仕留めた筈だった。
勿論、綾瀬だけは即効性の解毒薬で助ける算段をつけていたのに予期せぬ力が邪魔をしてきた。

魔法だ。

規格外すぎる力は、不正行為と同じだろう。
魔法なんて未知の力を振りかざされては、その力を持っていない者など赤子に等しい。

あぁ、嫌だ。
綾瀬が魔法を使えた事も知らなかったし、昔の苦い記憶が迫り上がり苛々が止まらない。
稀有な魔女の血を受け継ぐ家系ならではの、あのふざけた儀式で魔女としての能力を発現させた姫椿と何も発現しなかった自分。
分け隔てなく育てられた双子の姉妹に初めて甲乙つけられた瞬間は忘れもしない。

「ねぇ、どうして?」

何処から?初めから?私達は何もかも同じだった。
違う所なんてない。どちらかを出し抜いて綾瀬に会った事もない位、完全に一緒だった。 
私とあの子の何が違うのか、どんなに時間が経っても解らない。

「ねぇ、どうしてあの子なの?」

胸元を飾る赤い南京錠を首から外して手のひらに乗せたものを綾瀬に見えるようにする。

「答えてくれなきゃ、渡さない」

見上げた先に、此方を見下す王李が見えた。

「それと。いい加減、綾瀬の姿に戻って?その姿、好きじゃないわ」
「……そこだよ」
「え?」
「お前、本当に覚えてないんだな」

スカした笑い方に顔をムッとさせる白椿から王李は大鎌を下ろした。

「都合の悪い事は速攻忘れるのはお前の長所なんだろう。昔、お前等の給仕係として側仕えしていた奴の事なんて、いちいち覚えてるのは姫椿だけだ」
「…………は?」

男の子を側仕えにしていた記憶はない。
けど、待って……何か、何か引っ掛かる。
喉に小骨が刺さった時に似ている不快感に顔を顰めていると、鼻で笑う王李の姿が眩い光と共に一変した。
身綺麗とは言えない継ぎはぎだらけの着物を纏い、目元を隠す様に前髪を伸ばした薄気味悪い赤髪の女の子。
身体に似合わない大鎌を両手に抱えた王李は、ハッキリと思い出した顔をしている白椿に微笑んだ。

「思い出しましたか?白椿お嬢様」
「う、そ」

信じられない。あの時の、アイツが!?どうして!?

「うちも昔ながらの腐った家系でね。厄除けの為に幼少期は女の子として育てられてたんだ。そしたら今度は婚約者を見極めろとか無理難題をふっかけられて仕方なく給仕してた時期があったんだよ」

幼名を王李として名乗っていた綾瀬は、唇まで蒼白になってきた白椿に微笑んだまま小首を傾げた。

「白椿お嬢さまには格別に可愛がって頂きましたよね?覚えてますか?」
「あ……、あ……」
「意味もなく長時間外に立たされたり、ご飯抜かれたり、虫や動物の死骸を無理矢理食べさせられたり、綺麗にしてあげるとか言って汚い水を掛けられたり、子供じみたクソみたいな悪事を沢山体験させて頂きました。不手際がある度に……というか殆ど難癖つけられてただけですけど、爪を剥がされたりとか。今でも覚えていますよ。お嬢様の決め台詞。事あるごとに、私のお父様は偉いのよ?言うこと聞かないと言いつけてやるんだから!って……ね?」

暫く頭を抱えて震えていた白椿が、そのまま床に突っ伏して恥ずかしげも無く泣き喚く。

「騙してたのね!?私をっ!!!」
「はぁ?ってか、騙すとか言えた口か?お前が姫椿を“傀儡”にしてた事知ってるんだからな!!」

王李として給仕する様になってから、白椿と姫椿の関係の歪さにすぐに気がついた。
利発的な白椿は、周囲には仲睦まじい双子の姉妹を演じ分け大人の目がない場所では姫椿を虐げていたのだ。
それが昔から常習化されていたせいもあり、心を閉ざした姫椿は何をするにも姉を立てる健気な妹として白椿に従順だった。
残酷な無邪気に晒され続けている姫椿を守る為に、その対象を自分へと向けさせる事に成功したものの、ずっと守る事は叶わなかった。

「ありがとう、王李。私は、大丈夫だから」

唐突に打ち切られた給仕係は、姫椿との別れを意味していた。
帰って両親に訴えても、俄には信じてもらえず絶望したのを覚えている。
それから数年の月日が経ってから双子の成人の儀にて再会した時、白椿は王李の事を覚えてすらいなかった。
ただ、姫椿だけは違った。
驚いた様に目を見開き、小さく微笑んで誰にもわからない様に手を振ってくれた。
自分の嫁に相応しいと認められた姫椿を今度こそ、生涯を賭して護れると思っていたのに。

「お前だけは絶対に許さない」

再び今の姿に戻ると手にしていた大鎌を赤から錆色に変える。
婚約を辞退させようと姫椿を唆かしていた事も。
姫椿に危害を加えると言葉巧みに俺を呼び出し数年間、監禁した事も。
そこで行われていた所業については思い出したくもない。

この女さえ、いなければ。

大鎌を脇に構えて、薙ぎ払う体制に入った。

「そんな事して、いいの?」

ゆっくりと泣き崩れた体勢から上半身を上げた白椿の口元が意味深に微笑んでいるのを見て、急に悪寒と耳鳴りが酷くなった。
その言葉の先を聞く事を拒む様に頭の中に響く音に顔を顰めていると、嘲るような笑顔を携えた白椿の唇がゆっくりと動く。

「牡丹が悲しむわ。牡丹の事、忘れちゃった?」

大鎌を両手から取り零し、カランカランと乾いた音だけが床に反響する中で白椿の声だけがねっとりと耳に届いた。

「私と綾瀬、あなたの子供よ」

しおりを挟む

処理中です...