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第三十八話・ひととせの事情
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「なので、ファイマさんのおすすめの宿があれば教えていただきたくて」
ファイマは嬉しそうに手を叩く。
「まあ。それでしたらこちらの宿はいかがでしょう。内装どころか裏も何もかも見せてくれると思いますよ」
「え?」
フリーも顔を上げる。
「ちらっと見せてくれる程度でいいんですけど?」
頷いて同意を示すと、ファイマは額から汗を流した。
「その……あの。その宿は私の友人がやっている宿でして……」
「え。それって」
ファイマは頷く。
「(貴方の祖父に多大な迷惑をかけた)赤犬族の娘の宿です……」
『五区の中にありますので、よろしければ行ってみてください』と、最後まで笑顔を維持していたおばあさんから手書き地図を貰い、それを見ながら歩く。
「ニケ? 俺が持つよ?」
たくさんもらったお土産を預かろうとしたが、ニケは地図を見たままその手を躱す。
「あれ?」
荷物はいつもフリーに持たせていた。だから今回も自分が持つんだと両手を出してスタンバイしていたのだが、ニケはお土産を持ったままフリーの前を通り過ぎた。
「ニケ? もしかして、まだ怒ってる?」
「怒ってない。無理するな」
上がっていく気温。ここからは僕が気を遣ってやらねばならない。
「やだ……素敵」
口元を押さえときめいている白髪を無視して、いくつか角を曲がる。その際、長い鉢巻を巻いた二人組とすれ違った。
紅葉街でも同じような者たちを見かけたことがある。
フリーは歩きながら振り返る。
「ニケ~。いまのってもしかして」
「ああ。治安維持隊だな」
首都には精鋭が多いと聞く。
「紅葉街の維持隊よりは、背筋が伸びている気がするな」
「ふーん……。本当にレナさんほど強くないんだね、維持隊って。今のふたりがかりでも、レナさんに瞬殺されそう」
ニケは少しだけ目を見開く。
「まあ、レナさんだしな。というか、分かるものなのか? その……。相手の力量とか?」
フリーは戦える側の人間だ。そういった者にしか分からない視えない何かがあるのだろう。ニケも男の子として、この手の話は好きだったりする。
内心わくわくしながら返事を待つが、フリーは首を傾けた。
「いや? わかんない」
「そうか。二度とこの手の話はするな。腹立つ」
「なんで怒ってるのっ?」
フリーが喚くも相手にしなかった。ちょうど宿に着いたことだし。
べそべそと泣いてるフリーとニケは看板を見上げる。
宿――「春夏秋冬(ひととせ)」――
「……」
「なんか、ニケの宿の名前と似ているね」
「偶然だろう。僕の宿もよくある名前だし」
「四季」。部屋数を減らす際に、みっつだと名前と合わないので、よっつ残すこととなった由来。
ニケは妙に静かな宿を観察する。建物から明かりは漏れておらず、賑わいもない。場所を間違えたかと貰った地図と見比べるも、名前も場所もここであっている。
フリーが入り口を開けようとすると、ガタガタッと音がしただけで開かなかった。
「あれ? お休みかな?」
「かもしれんが、それなら『定休日』などと書いた札でも下げておかねば、不親切だろうに……」
つい、宿側に立って不満をこぼす。
ファイマさんはこのことを知らなかったのだろうか。それなら今日、なにか不測の事態が起こり、宿を閉めることになったということだ。もしそうなら別の宿に行くしかない。
それは構わないが、祖父と関わりのあった赤犬族(同族)。会ってみたかった……。
どうしたものかとふたりは顔を見合わせる。ニケはそろそろ首が痛くなってきたなぁと首筋をさする。抱っこしろと言いかけるも、それだとニケが持っている荷物も結局フリーが持つことになってしまう。
ぐっと我慢する。
「他の宿に話を聞いてみよっか」
「んー、そうだな……」
赤犬族の宿に若干の未練を残しつつ、ニケはすぐにフリーの後についていく。
そのとき、背後で扉が開いた。
「さあ、足元に気をつけて」
「おい。いい天気過ぎるぞ。日傘持ってこい、日傘!」
「店前に『臨時休業』の札を下げておけと言ったろ。誰だ。忘れてるやつ」
どやどやと賑わいだした宿を振り返る。
そこには大柄なヒトがテキパキと指示を唾しながら、なにかを運び出しているようだった。
「引っ越しかな?」
「違うだろ」
フリーの袴を掴んで見ていると、少女を抱いた白鳥族の女性が出てきた。
手首から先はヒトのものだが両腕が翼になっており、髪の毛も羽毛のようにわさわさしている。白い。雪の妖精のようである。ただし着物は淡い水色なので、フリーほど雪原には溶け込めまい。と、謎の相方自慢をしていると、女性に抱かれているのが少女ではないことに気づく。
老婆だ。
少女と見間違えるほどに縮んだ身を、布で大切そうに巻かれている。だが何の種族かははっきりと分かった。頭の上に生える少し垂れた三角の耳。赤犬族だ。
赤犬族は年を取るうちに髪や毛から黒の色素が抜け落ち、茶色だけが残る。そうなると丹狼(たんろう)と区別がつかず、祖が同じなのではと囁かれる原因なのだが、今は置いておこう。
微かな呼吸音が聞こえるだけの老人を、フリーは指差す。
「もしかしてあの方がファイマさんの?」
「かもしれん。なにかあったのだろうか。それとヒトに指を指すな」
「なんで?」
「それは物に対してする行為だ」
すっと指を引っ込める。
「どうやら身体が弱かったそうで、容体が悪化した……みたいだな。それで薬師のところへ運ぶ、と」
フリーは自身の耳を触る。
「よく聞こえるね。あんなに一斉に話しているのに」
ヒトが多い首都だけに音もまた多い。
「まあなー……」
聞き分けに集中しているせいか、返事が上の空だ。
「俺も挨拶したかったんだよねー。でも今は無理そうかな?」
「? お前さんが?」
こやつとはなんの接点もないはずだが。何の挨拶をしたかったのか気になった。
きりっとフリーは表情を引き締めた。
「うん。だって、お孫さんがいても不思議じゃない年齢だし。いや、いるはずだ! ニケぐらいの年の子が! ケモ耳がついたほっぺが。ぜひ挨拶したかった!」
首都の往来でなにを叫んどるのかこやつは。
ツッコミを放棄して他人のふりをしたニケだが、殴るべきだったと後悔した。
「おふくろ。すぐに薬師さんとこへ連れてくからな!」
ご子息だろうか。白鳥族の腕に抱かれている女性に、熱心に声をかけ続けている男がいる。
「……」
ニケは心が痛むような、家族がいるのが羨ましいような、複雑な心境だった。それでぼうっとなっていたらしい。てくてくとフリーが歩いていくのに遅れて気づく。
「――え? ど、どうした?」
「どうしたって……? お孫さんがいるか聞いてくる」
さらっと言われ、頭が真っ白になった。
――うおおおいっ。ちょっと待て!
もし家族が危険な状態なときに、そんなのんきな質問されたら僕なら殺すぞ。
あやつの空気読めなさっぷりを舐めていた。いや、もはや空気読めないという言葉では片付けられない。フリーの頭の中を見てみたいくらいだ。……やめとこう。どうせ僕のことで九割を占めているに決まっている。
(とにかく止めなくては)
「すいませーん。ちょっといいですか?」
「なんだあんた。いま忙しいんだっ」
荷物を持ったまま駆け出すと、白い背にタックルをかました。
「ほっ?」
子どもに体当たりされただけで倒れるのは情けない(赤犬族基準)が、今回はそれがありがたかった。スーパーマンが空を飛ぶ姿勢で倒れたフリーの背中で、ふうと額を拭う。
もちろん、宿の関係者たちの反応は様々だ。
「な、なんだてめえら! おふくろが危険なときに」
「お。若旦那と同じ赤犬族じゃん。大丈夫か?」
「やだよぉ、まったく。弱ってる方がいるんだ。あっちへおいき」
心配してくれるヒトもいるが、ほとんどの方がピリついている。身内の危機なのだから当然か。
――どう考えてもこちらが悪いな。
ファイマは嬉しそうに手を叩く。
「まあ。それでしたらこちらの宿はいかがでしょう。内装どころか裏も何もかも見せてくれると思いますよ」
「え?」
フリーも顔を上げる。
「ちらっと見せてくれる程度でいいんですけど?」
頷いて同意を示すと、ファイマは額から汗を流した。
「その……あの。その宿は私の友人がやっている宿でして……」
「え。それって」
ファイマは頷く。
「(貴方の祖父に多大な迷惑をかけた)赤犬族の娘の宿です……」
『五区の中にありますので、よろしければ行ってみてください』と、最後まで笑顔を維持していたおばあさんから手書き地図を貰い、それを見ながら歩く。
「ニケ? 俺が持つよ?」
たくさんもらったお土産を預かろうとしたが、ニケは地図を見たままその手を躱す。
「あれ?」
荷物はいつもフリーに持たせていた。だから今回も自分が持つんだと両手を出してスタンバイしていたのだが、ニケはお土産を持ったままフリーの前を通り過ぎた。
「ニケ? もしかして、まだ怒ってる?」
「怒ってない。無理するな」
上がっていく気温。ここからは僕が気を遣ってやらねばならない。
「やだ……素敵」
口元を押さえときめいている白髪を無視して、いくつか角を曲がる。その際、長い鉢巻を巻いた二人組とすれ違った。
紅葉街でも同じような者たちを見かけたことがある。
フリーは歩きながら振り返る。
「ニケ~。いまのってもしかして」
「ああ。治安維持隊だな」
首都には精鋭が多いと聞く。
「紅葉街の維持隊よりは、背筋が伸びている気がするな」
「ふーん……。本当にレナさんほど強くないんだね、維持隊って。今のふたりがかりでも、レナさんに瞬殺されそう」
ニケは少しだけ目を見開く。
「まあ、レナさんだしな。というか、分かるものなのか? その……。相手の力量とか?」
フリーは戦える側の人間だ。そういった者にしか分からない視えない何かがあるのだろう。ニケも男の子として、この手の話は好きだったりする。
内心わくわくしながら返事を待つが、フリーは首を傾けた。
「いや? わかんない」
「そうか。二度とこの手の話はするな。腹立つ」
「なんで怒ってるのっ?」
フリーが喚くも相手にしなかった。ちょうど宿に着いたことだし。
べそべそと泣いてるフリーとニケは看板を見上げる。
宿――「春夏秋冬(ひととせ)」――
「……」
「なんか、ニケの宿の名前と似ているね」
「偶然だろう。僕の宿もよくある名前だし」
「四季」。部屋数を減らす際に、みっつだと名前と合わないので、よっつ残すこととなった由来。
ニケは妙に静かな宿を観察する。建物から明かりは漏れておらず、賑わいもない。場所を間違えたかと貰った地図と見比べるも、名前も場所もここであっている。
フリーが入り口を開けようとすると、ガタガタッと音がしただけで開かなかった。
「あれ? お休みかな?」
「かもしれんが、それなら『定休日』などと書いた札でも下げておかねば、不親切だろうに……」
つい、宿側に立って不満をこぼす。
ファイマさんはこのことを知らなかったのだろうか。それなら今日、なにか不測の事態が起こり、宿を閉めることになったということだ。もしそうなら別の宿に行くしかない。
それは構わないが、祖父と関わりのあった赤犬族(同族)。会ってみたかった……。
どうしたものかとふたりは顔を見合わせる。ニケはそろそろ首が痛くなってきたなぁと首筋をさする。抱っこしろと言いかけるも、それだとニケが持っている荷物も結局フリーが持つことになってしまう。
ぐっと我慢する。
「他の宿に話を聞いてみよっか」
「んー、そうだな……」
赤犬族の宿に若干の未練を残しつつ、ニケはすぐにフリーの後についていく。
そのとき、背後で扉が開いた。
「さあ、足元に気をつけて」
「おい。いい天気過ぎるぞ。日傘持ってこい、日傘!」
「店前に『臨時休業』の札を下げておけと言ったろ。誰だ。忘れてるやつ」
どやどやと賑わいだした宿を振り返る。
そこには大柄なヒトがテキパキと指示を唾しながら、なにかを運び出しているようだった。
「引っ越しかな?」
「違うだろ」
フリーの袴を掴んで見ていると、少女を抱いた白鳥族の女性が出てきた。
手首から先はヒトのものだが両腕が翼になっており、髪の毛も羽毛のようにわさわさしている。白い。雪の妖精のようである。ただし着物は淡い水色なので、フリーほど雪原には溶け込めまい。と、謎の相方自慢をしていると、女性に抱かれているのが少女ではないことに気づく。
老婆だ。
少女と見間違えるほどに縮んだ身を、布で大切そうに巻かれている。だが何の種族かははっきりと分かった。頭の上に生える少し垂れた三角の耳。赤犬族だ。
赤犬族は年を取るうちに髪や毛から黒の色素が抜け落ち、茶色だけが残る。そうなると丹狼(たんろう)と区別がつかず、祖が同じなのではと囁かれる原因なのだが、今は置いておこう。
微かな呼吸音が聞こえるだけの老人を、フリーは指差す。
「もしかしてあの方がファイマさんの?」
「かもしれん。なにかあったのだろうか。それとヒトに指を指すな」
「なんで?」
「それは物に対してする行為だ」
すっと指を引っ込める。
「どうやら身体が弱かったそうで、容体が悪化した……みたいだな。それで薬師のところへ運ぶ、と」
フリーは自身の耳を触る。
「よく聞こえるね。あんなに一斉に話しているのに」
ヒトが多い首都だけに音もまた多い。
「まあなー……」
聞き分けに集中しているせいか、返事が上の空だ。
「俺も挨拶したかったんだよねー。でも今は無理そうかな?」
「? お前さんが?」
こやつとはなんの接点もないはずだが。何の挨拶をしたかったのか気になった。
きりっとフリーは表情を引き締めた。
「うん。だって、お孫さんがいても不思議じゃない年齢だし。いや、いるはずだ! ニケぐらいの年の子が! ケモ耳がついたほっぺが。ぜひ挨拶したかった!」
首都の往来でなにを叫んどるのかこやつは。
ツッコミを放棄して他人のふりをしたニケだが、殴るべきだったと後悔した。
「おふくろ。すぐに薬師さんとこへ連れてくからな!」
ご子息だろうか。白鳥族の腕に抱かれている女性に、熱心に声をかけ続けている男がいる。
「……」
ニケは心が痛むような、家族がいるのが羨ましいような、複雑な心境だった。それでぼうっとなっていたらしい。てくてくとフリーが歩いていくのに遅れて気づく。
「――え? ど、どうした?」
「どうしたって……? お孫さんがいるか聞いてくる」
さらっと言われ、頭が真っ白になった。
――うおおおいっ。ちょっと待て!
もし家族が危険な状態なときに、そんなのんきな質問されたら僕なら殺すぞ。
あやつの空気読めなさっぷりを舐めていた。いや、もはや空気読めないという言葉では片付けられない。フリーの頭の中を見てみたいくらいだ。……やめとこう。どうせ僕のことで九割を占めているに決まっている。
(とにかく止めなくては)
「すいませーん。ちょっといいですか?」
「なんだあんた。いま忙しいんだっ」
荷物を持ったまま駆け出すと、白い背にタックルをかました。
「ほっ?」
子どもに体当たりされただけで倒れるのは情けない(赤犬族基準)が、今回はそれがありがたかった。スーパーマンが空を飛ぶ姿勢で倒れたフリーの背中で、ふうと額を拭う。
もちろん、宿の関係者たちの反応は様々だ。
「な、なんだてめえら! おふくろが危険なときに」
「お。若旦那と同じ赤犬族じゃん。大丈夫か?」
「やだよぉ、まったく。弱ってる方がいるんだ。あっちへおいき」
心配してくれるヒトもいるが、ほとんどの方がピリついている。身内の危機なのだから当然か。
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