ニケの宿

水無月

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第三十七話・内装の参考に

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 痛んできたブリキ人形のように振り返る。

「え? お、か、看板に書いてなかったか?」
「当時はニケばっか見てたから、看板とかあったっけ?」

 記憶力は良いはずなので、本当に目に入っていなかったのだろう。ため息をつきたいのを我慢して額に手を添える。

「四季の宿だ」
「ニケの宿に改名しない?」

 こやつは簡単に言ってくれる。

「おい。僕の祖父がつけた名前だぞ。なんか文句あんのか?」
「ニケの名前が入っていないとこかな……」
「それで喜ぶのはお前さんだけだ」

 レナさんも喜ぶよと言いたかったが、ニケは前を向いてしまう。

「おにーたん。おひとついかがですか?」
「え?」

 幼いが、ニケの声ではない。そもそも後ろから聞こえた。
 足を止めると小さな女の子が、背負った籠から水筒を取り出そうとしているところだった。

「きょうは、あついですから。おひとつどーぞ」

 竹筒を横にして差し出してくる。フリーはぽかんと瞬きする。
 ほんのりにおうぼさぼさの髪に襤褸切れのような服。にかっと笑う口元には歯が数本無く、左腕もなかった。
 フリーは狼狽える。

「ど、どうしたのその怪我! びょ、びょびょびょ病院にっ」
「落ち着け」

 膝裏を押し込むように蹴られ、膝カックンされたようにカクンと倒れかける。

「おっふ?」
「ただの浮浪児だろう。構うな」
「か、構うなって……」

 膝をついたフリーを見ずに、ニケは女の子をしっしっと追い払う。

「この間抜けを標的に決めた目は褒めてやるが、金はないぞ」
「ちえっ」

 ぱたたーと女の子は走り去っていく。

「ああっ。幼女が! 幼女のほっぺがっ」

 思わず手を伸ばすが零度の目線に気づき、すっと正座する。

「つい本音が……」
「あれは同情を誘って商品を買わせる彼らの手口だ。あんな古代からの手に引っかかるなよ?」
「あ、くれたんじゃなかったんだ」

 やっぱりなと、ニケは汗の滲んだ首の後ろを掻く。

「そうやって無料だと勘違いして受け取ったが最後、金払うまで付き纏われるぞ」
「ちょっと水筒受け取ってくる! そして一生金を払わない。そんなサービスがあるなんて。何で教えてくれないの!」

 真面目に駆け出す阿呆の足首を、ニケは冷静に掴む。

「ほぎゅっ?」
「基本的にああいう手合いは無視一択だ。彼らは彼らで逞しく生きているから、同情する必要はない」

 倒れたフリーの着物を掴んで引きずっていく。

「というか、あんなもちもち度の足りなそうな頬に魅了されるな。この節操なしが!」
「せっそう、梨?」

 尻を蹴られた。



「で、なんでお菓子屋さんなの?」

 引きずられてやってきたのは五区にある和菓子店。一階が店で二階が宿みたいにくっついているわけでもない。

「ちょっと早かったか」

 フリーを無視して窓から中を覗こうとするも、つま先立ちになっても届かない。
 仕方ないので後ろに突っ立っている梯子(はしご)に登る。中がよく見える。
 店内では店員さんが掃除をしたり商品を並べたりしていた。

「開店準備中といったところか。忙しそうだな」
「ニケさん。俺のこと梯子扱いしてない?」
「梯子が喋るな」

 幼女に浮気したせいでニケが冷たい。
 窓から離れようとしたところで、入口の戸が開いた。

「おやっ。これはサク……ニドルケ様」
「ファイマさん」

 世話になった煙羅(えんら)族のおばあさんである。ニケを見ると懐かしそうに目を細める。誰かと重ねているのだろう。ニケはそこには触れなかった。
 煙羅族特有の、煙のような髪の毛が風もないのに揺れる。

「来てくれたんですね。今店を開けますから、少々お待ちください」
「あ、ちょっといいですか?」
「ええ。もちろんです。またお土産用のコンフェイトをお渡ししますので」

 違う違う。お菓子を催促しに来たわけではない。
 確かにあのコンフェイトは美味しかっ、た、けど……
 そして、はたと気づく。

(あれ? 僕、もらったお菓子、どうしたんだっけ?)

 謎の光で昏倒して、荷物盗まれて、でも荷物は取り戻したけどその中にお菓子はなかった。
 梯子から下りると、ニケは地面にべちゃっと倒れた。

「ニケっ?」
「あらあら。どうされました?」

 ――幻の中で食べただけで、現実ではひとつも食べれていない!

 盗まれたまんま。
 手足が地面から離れたかと思うと、フリーに抱き上げられていた。

「どうしたの?」

 フリーの胸板にぐりぐりと額を押しつける。

「あー。コンフェイト一つも食べれてない~」
「あら。お口に合いませんでしたか?」
「盗まれちゃって……」

 悔しい。盗人をもう一発くらい殴りたい気持ちでいっぱいだ。

「それなら今度は新作のコンフェイトを持っていってくださいな」
「せっかくもらったものなのに。すみません」

 しょげるニケに、首を横に振る。

「そんなことより、ニドルケ様が無事で何よりです。中でお茶でも飲んでいってくださいな」
「いえ、そん……」
「ありがとうございます。冷たいお茶でお願いします。お邪魔します」

 ニケが何か言う前に、フリーが頭を下げる。驚いたが、顔を見れば「暑い」と書いてあったので店内で休みたいのだろう。
 やけに機嫌の良いファイマに案内され、奥の部屋へ通される。
 ちゃぶ台に冷たいお茶に和菓子がいくつか出される。ニケは三枚重ねられた座布団の上に正座していた。

「……?」

 なんだろう。この好待遇は。要人かなにかか。
 生き返る~と、冷たいお茶を一気飲みしているフリーを尻目に、ニケはせっせとお菓子を積み上げているファイマに声をかける。

「あの、なぜこんなに良くしてくれるのですか?」

 ファイマの動きがピタリと止まる。彼女はすっと顔を背けた。

「えっと……。私の友人が、本当にご迷惑を……」
(ええーっ?)

 話を聞いた限りでは友人というだけでファイマ自身は何もしていないはず。それなのに身内とはいえ孫にこれほど接待をするとは、いったいどれほどの騒動があったというのだろう。

(聞くのが怖くなってきたな)

 不気味そうに唸るも、ニケの手はお菓子に伸びていた。良い香りに逆らえない。
 手にしたものを食べようとして、ニケは固まる。
 煙饅頭(けむりまんじゅう)。
 闇の民しか製法を知らない煙砂糖(けむりさとう)と鬼塩(おにしお)を使って造られる幻のお菓子。
 一国の王だろうと気安く口にできない。というか、手に入らない。
 ニケの育てている空芋(そらいも)に体力をつける効果があるように、煙砂糖は生物が求めてやまない健康寿命を延ばす力があるのだ。故に、たった百グラムでコップ一杯分の宝石と等価値とされる。
 運良く出会えたとしても、今度は金がないと手に入らない。出会うために運と財力が必要なお菓子。
 それが目の前に山と積まれている。

「……」

 ニケはそれをそっと元の位置に戻すと、ちゃぶ台に額をぶつけた。

「どうなさいました? ニドルケ様?」
「……こんな高価なお菓子、いただけませんよ」

 何を勘違いしたのか、ファイマは青ざめると年齢を感じさせない動きで立ち上がる。

「申し訳ございません! すぐにもう一段上等な菓子を用意させます」
「違あああああっ」

 これより上等なお菓子ってなんだ。怖い。
 煙老婆の着物に縋りつくニケを見ながら、フリーはばりぼりとせんべいを齧っていた。



 金塊に等しい饅頭は下げられ、「ちょっといいおやつ」がちゃぶ台に並ぶ。
 せっかくの煙饅頭。食べても良かったのだが一度あれを食べてしまうと、もう何を食べても美味しいと感じなくなってしまうかもしれない。それほど美味しいのだ。忘れられないほど美味で健康にもいい。煙饅頭中毒になりかねない。

「すみません。我が儘を言って」
「いいのですよ。さ、なんなりと仰ってください」

 ちょっと話を聞きたかっただけなのだが。まあいいかと、ニケは黒糖饅頭を食べる。甘みが濃くて冷たいお茶と合う。

「おいひい……」

 顔をほころばせるニケにファイマが安心したように優しく目を細め、蜘蛛男は身を乗り出す。こら。机に乗るんじゃない。
 フリーの顔を押しのけて、ニケは背筋を伸ばす。

「首都に来たのは、実は宿を、に、ににゅーある……」

 リニューアルをうまく言えなかった。
 カァっと顔を赤らめたが、めげずにもう一度。

「に、リニューアルすることになりまして!」

 言えた!
 ぱあっと花が咲く。ファイマは小さく拍手し、突っ伏しているフリーはなぜ音を残しておく装置(カラクリ)がないのかとこの世を恨んだ。

「内装の参考にと、首都の宿を見に来たのです」
「そうでしたの」

 では、叔母に薬を云々は嘘だったんですね、と言う言葉は飲み込んでおく。
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