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第110章 全ては、一つ
生涯を女性解放運動に捧げたスーザン・B・アンソニー
しおりを挟む2019.6.29日の夜、『アンソニー』という言葉が降りてきた。
恥ずかしながら、アンソニーと言えば、『キャンディ・キャンディ』に登場してきた、あの、イケメンのアンソニーしか、私は、知らない。
実は、アンソニーという言葉は、1年前にも降りてきたが、繋がりが見つからず、スルーしていた。
今回、2回目なので、何か見つかるかもしれないので、やっぱり調べてみようとネット検索した。
2019.6.30 早朝
私は、素晴らしい人物を見つけた。
『アンソニー』は、男性をイメージしていたが、私が見つけなきゃいけない人物は、女性だった。
女性実力者の系譜-女性投票権 「スーザン・ブラウネル・アンソニー」|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/4883/ より転載
女性実力者の系譜-女性投票権 「スーザン・ブラウネル・アンソニー」
pub-women-6c女権運動の「比類なきまとめ役」 1820年2月15日生まれ、1906年3月13日死去
エリザベス・キャディ・スタントンと同じく、スーザン・B・アンソニーも北東部出身で、意志強固な父親の指導の下で人生を歩みだした。マサチューセッツ州アダムズ生まれのアンソニーは、ビジネスマンとして成功したクエーカー教徒の奴隷制度廃止論者の家庭で育った。伝えられるところによると、彼女は3歳で読み書きができたそうで、英才児として知られていた。
アンソニーは20代半ばに教師になり、最終的には地元の学校の校長としてニューヨーク州ロチェスター地区に落ち着いた。そして、飲酒を社会と家庭の不幸の根源とみなし、「酒瓶」に反対する政治的・宗教的運動である禁酒運動に引き込まれていった。
男性が支配する組織では過小評価され、発言できないと感じたアンソニーと一部の友人たちは、「ニューヨーク州女性禁酒協会」を設立した。1850年頃、アンソニーはエリザベス・キャディ・スタントンと出会い、彼女に従って女性の権利を求めるより大規模な活動を行うようになった。
スタントンと違い、アンソニーは一度も結婚せず、自分の時間とエネルギーのすべてを政治活動に費やした。1856年から1861年の南北戦争の勃発まで、「米国奴隷制度廃止協会」の一員として働き、戦争中も奴隷解放のために引き続き尽力した。その後アンソニーは、スタントンとともに女権の請願活動に従事し、進歩主義的雑誌である「ザ・レボリューション」を創刊し、「ニューヨーク勤労女性協会」の設立を助けた。
1870年に合衆国憲法修正第15条が採択され、「人種、肌の色または過去における労役の状態」に関わらず、すべての市民に投票する権利が保障されたが、この中に「性別にかかわらず―」と言う言葉は含まれなかった。この状況に唖然としたアンソニーは直接的な行動に立ち上がり、女性の一群を率いてロチェスターの投票所に向かった。
逮捕され、裁判を待つ間に、彼女は世間の注目を利用して講演旅行を始めた。1873年、彼女は再び市民的不服従運動を行い、またも投票を試みた。彼女は女性であることを理由に自分の裁判で証言する権利を拒絶され、軽い罰金を科せられたが、その支払いを拒否した。この戦いと、それに伴う世間の注目に鼓舞されて、彼女は米国人女性の投票権を実現するために、全国規模の組織を通じて、また東部諸州や西部の準州での個人的な講演旅行によって、これまで以上に活発に活動した。
アンソニーは1888年に「国際女性会議」、1904年には「国際女性参政権同盟」を設立して、ロンドンとベルリンで会合を開き、その活動を国際的レベルに押し上げた。彼女はスタントンの死から4年後の1906年に亡くなったが、彼女たちの仕事が道を開き、米国人女性に投票権を認めた、合衆国憲法修正第19条が1920年に承認されるに至った。
●百科事典マイペディアでは、
スーザン・B・アンソニーの活動が、要約されている。
米国の伝説的な女性運動組織者。クエーカー教徒として奴隷制反対運動に加わるが,女性の権利要求に向けた運動も同時に展開。
1869年には〈全国婦人参政権協会(NWSA)〉を結成,《革命》誌を発行した。フェミニズム運動の国際化に尽力,1888年には〈国際女性協会〉を設立,ワシントンで第1回国際会議を開き,教育機関の開放,男女同一賃金,道徳基準の男女平等などを主張した。
1904年にはベルリンで〈国際婦人参政権連盟〉を創立,24ヵ国が加入した。生前は〈女権運動のナポレオン〉〈女モーセ〉などと呼ばれ,1979年,女性としてはじめて肖像が硬貨(1ドル)に採用された。
◎アンソニーは、米国の政治活動に自らの生涯を捧げた。
生前は〈女権運動のナポレオン〉〈女モーセ〉などと呼ばれ,1979年,女性としてははじめて肖像が硬貨(1ドル)に採用された。
日本では、どうだろう?
と調べてみた。
下記は、Wikipediaより引用
《明治維新からの女性解放政策》
日本では明治政府成立後の1872年に発令された芸娼妓解放令や福澤諭吉の唱えた男女同権論、あるいは1880年代の自由民権運動における景山英子、岸田俊子らによる婦人解放運動などが、女性解放運動の前史とされるが、反発も起こり十年ほどで急速にしぼんでしまう。
日本と米国との比較検証
●米国
1869年には〈全国婦人参政権協会(NWSA)〉を結成,《革命》誌を発行した。フェミニズム運動の国際化に尽力,1888年には〈国際女性協会〉を設立,ワシントンで第1回国際会議を開き,教育機関の開放,男女同一賃金,道徳基準の男女平等などを主張した。
●日本
日本では明治政府成立後の1872年に発令された芸娼妓解放令や福澤諭吉の唱えた男女同権論、あるいは1880年代の自由民権運動における景山英子、岸田俊子らによる婦人解放運動などが、女性解放運動の前史とされる。
(※反発も起こり十年ほどで急速にしぼんでしまう)
ちょっとビックリした!!
アメリカでは、
スーザン・ブラウネル・アンソニーや、エリザベス・キャディ・スタントンが…
日本では、
福沢諭吉や、景山英子、岸田俊子らが…
【国は、違えど、
同じ時期に、男女同権を主張している!】
【国は、違えど、
同じようなことに尽力を注いでいる人物がいる。】
このシンクロは、実に嬉しいものであった。
応援ありがとうございます!
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