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第110章 全ては、一つ
元始、女性は太陽であった
しおりを挟む女性解放について思いを馳せていたら、ある日、降りてきたメッセージを思い出した。
※『悲喜交々』より転載
ネットの活動を、休む予定だったんだけど、日々、どんなメッセージが降りてくるか想像もつかない。
とりあえず、この章に、何か降りてくるたび、覚書として、書き記しておこうと思う。
2019.3.4
平塚 らいていの
「元始、女性は太陽であった」のメッセージが、ひっきりなしに降りてきた。
この言葉は、以前から知る言葉ではあったが、私の知識で上手く説明することが出来ないので、wikipediaの解説を転載することにする。
『平塚らいてう』
日本の思想家、評論家、作家
平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、本名:平塚 明(ひらつか はる)
1886年(明治19年)2月10日 - 1971年(昭和46年)5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、戦前と戦後に亘(わた)る女性解放運動家。戦後は主に反戦・平和運動に参加した。日本女子大学校(現:日本女子大学)家政学部卒、2005年に同大学は平塚らいてう賞を創設した。
平塚は、特に、大正から昭和にかけ、婦人参政権等、女性の権利獲得に奔走した活動家の一人として知られる。結局、その実現は、第二次世界大戦後、連合国軍の日本における占領政策実施機関GHQ主導による「日本の戦後改革」を待たざるを得なかった。しかし、1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌「青鞜」発刊を祝い、自らが寄せた文章の表題『元始、女性は太陽であった』は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった。
2019.6.30 追記
日本では明治政府成立後の1872年に発令された芸娼妓解放令や福澤諭吉の唱えた男女同権論、あるいは1880年代の自由民権運動における景山英子、岸田俊子らによる婦人解放運動などが、女性解放運動の前史とされる。
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1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌「青鞜」発刊を祝い、自らが寄せた文章の表題『元始、女性は太陽であった』は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった。
●日本では、1911年(明治44年)9月、雑誌「青鞜」発刊。
“平塚らいてう”の『元始、女性は太陽であった』は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉となる。
●アメリカでは、アンソニーやスタントンの仕事が道を開き、彼女たちの想いを引き継ぐように、
米国人女性に投票権を認めた、合衆国憲法修正第19条が1920年に承認されるに至った。
真理を追求する想いは、こんなふうに引き継がれていくんだな。
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