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第1章 旅立ちの日 編
第 1 話 修学旅行
しおりを挟む「おっはよ、篤樹!」
背後から 磯野真由子に声をかけられた賀川篤樹は、歩みを止めず半身だけ振り返って答える。
「おはよ……朝からテンション高いなぁ磯野……。何その荷物?」
横並びに歩き始めた真由子が持つ旅行荷物の多さに、篤樹は驚きの声を上げた。2泊3日の修学旅行とはいえ、デイバッグを背負いキャリーバッグを引きながら 手提げバッグまで持っている真由子は、嬉しそうに微笑み答える。
「空き時間の『友』を連れて来たら、荷物増えちゃった」
「……お前……小学校の時もだったろ?」
篤樹は呆れた声を出す。女医の母を持つ母子家庭の真由子は小学校時代から「本の虫」で有名だった。それも漫画や文学では無く、医学や物理など学術関係の本が好きと言う変わり者。
「自由時間もけっこう有りそうだからね。あっ、おはよう江口君!」
わき道から出て来た 江口伝幸に気付き、真由子が声をかける。
「よう! おは……何だよその荷物? 修学旅行の時くらい本なんか持って来んなよ」
こちらは真由子の行動をお見通しのようで、苦笑いを浮かべ挨拶に応じる。
「それに引き替え……賀川はまたえらくシンプルにまとめたなぁ? 忘れ物とか無いだろうなぁ?」
生徒会長を務める江口は、篤樹の小型キャリーバッグを見ながら笑顔で 尋ねる。
「あ? 大丈夫だよ……ってかジャージと、下着とかの着替えだけだし……」
改めて「忘れ物」と問われると不安になるが、必要なものは全て入れた……はずだ、と自分に念を押しながら篤樹は答えた。
―・―・―・―・―・―・―
通常の登校時間より、1時間ほど早く3年生は校庭に集合している。
すでに5台の大型観光バスが並ぶ校庭で、3年2組の担任である 小宮直子は、次々にやって来る自分のクラスの生徒たちに声をかけながら出席を確認していた。
2年生からの持ち上がりクラスであるということだけでなく、2組は他のクラスと比べても男女の別なく仲が良い、と直子は感じている。もちろん、ある程度の「グループ」やいさかいは有るにせよ、いざ運動会や文化発表会ともなれば全員団結の協力体制がすぐに出来上がる。
教師生活5年目の直子にとって、この3年2組の生徒たちはかけがえの無い宝物だった。
一時期世界的に流行した感染病対策のため、数年前まで修学旅行も中止や規模の縮小などの「自粛」が求められた。しかし、今ではすっかり以前と変わらない規模の「恒例行事」に戻っている。
この子たちと過ごす記念の旅行かぁ……。楽しいだろうけど……ちょっとシンドイかもなぁ……
期待と不安を抱えつつ、直子は子どもたちを出迎える。
「あっ、柴田さん! こっちよ!」
直子は 柴田加奈の姿に気付き、大声で呼びかけた。 小柄で丸みのある幼い顔立ち……度の強そうな赤い丸眼鏡をかけ、いつも黒髪を一つ結びにしている少し 陰のある少女、柴田加奈……
2年生から3年生の進級クラス替えは無いが、転出入生は毎年各クラスで数名いる。直子としては、気心の知れた仲良しクラスメンバーで最終学年も過ごしたいと考えていたが、3年2組は4月からこの柴田加奈1名が新しく加わり32名学級となった。
3月末になって校長から柴田加奈の転入を聞き、しかも問題家庭児であることを知らされた時は、正直ちょっと複雑な気分になった。しかし、事前面談で本人と初めて会った時から、直子は加奈のことをとても気に入った。大丈夫! この子ならみんなと一緒に楽しく過ごせるはず! そんな直感が働いた。
「両親多忙」という理由で 親戚を名乗る女性と来校した加奈は、通常の転校生以上に不安と関心に満ちているように感じた。 周りの人に「自分の気持ちをうまく伝えられない」のは問題ある家庭環境のせいだろうかと直子は心配になった。そのため、この1ヶ月ちょっとの間、直子はとにかく加奈にとって自分が「安心できる大人」として接するように心がけた。
その 甲斐も有ってか、4月の終わりには加奈にも少女らしい 屈託の無い笑顔が時々見られるようになっていた。
「はーい! 2組の皆は荷物を入れたらこっちに集まってー!」
バスの下部収納に大型のバッグ類を預け終わった生徒たちが、直子の声に従い周りを囲むように集合する。
「さあ、みんな。本格的に高校受験勉強に取りかかる前に、しっかりと楽しい思い出を修学旅行で作りましょう!」
直子が号令のように大きな声で呼びかける。
「おー!」
生徒たちが 一斉に声を合わせて応じると、他のクラスの生徒たちが「またやってるよぉ……」とニヤニヤしながら注目する。そんな周りの目も気にしないこの「団結力」……直子は生徒達の屈託の無い笑顔を満足気に見渡した。
ホントに、みんなかわいい子たちだわ……
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「 美咲ちゃん!」
バス運転手の 佐川は、隣の席に座っているバスガイドの 加藤美咲に大きな声で呼びかける。生徒たちが熱唱しているカラオケに意識を向けながらも、美咲は眠気に負けウトウトしてしまっていた。おかげで、呼びかけに気付くのが遅れたらしい。
「え? あ、はい、呼びました?」
「3回な! それ、ランプが点いてるんだけど!」
佐川は前方に注意を向けつつ、席に座っている美咲の 腰にチラッと視線を向けた。美咲の手に 握られている本社との 連絡用無線機の電源ランプが点滅している。本社から呼びかけられているのだ。
「あ、すみません!」
美咲は急いで無線機のイヤホンを 探した。どうやら耳に付けていたイヤホンを落としてしまったらしい。しまった。うたた寝しちゃったのか! 美咲はレシーバー本体から 垂れ下がるイヤホンコードを 巻き上げ、すぐに耳にはめた。
「はい、2号車です」
『美咲ちゃーん、早く応答くれなきゃ 困るよぉ』
イヤホンから聞こえる社長の声に、美咲はただただ 恐縮するばかり。
「すみません。え? はい。そうですか。他の皆さんは、あ、そうですね。分かりました。佐川さんにはそのように。はい。もう大丈夫です! すみませんでした。……はい。では 戻りましたらすぐに……」
佐川は大体の内容を予想しつつ、美咲の声を聞いていた。
「 始末書モンだな」
「はい……戻ったらすぐに書くようにと……。あ、それより佐川さん、 経路変更連絡です」
「さっきの事故かい?」
「え?」
「さっき電光で出てたろ? 50キロ先の事故情報」
どうやら佐川は、ちょうど美咲がウトウトしてる間に通過した 電光掲示板の案内で、この先で起こっている事故渋滞の情報をすでに 把握していたらしい。
「あ、はい、そうです……スミマセン」
「んで、次で 降りるってこと?」
「そうです! そうです!」
「じゃ、音、止めてくれる?」
美咲は車内カラオケのスイッチを急いで切った。ちょうど 今流行の曲が盛り上がりのCメロになった 瞬間だったようで、マイクを 握り熱唱していた少年の 生声だけがスピーカーから流れる。盛り上がっていた 手拍子もパラパラと止んだ。
車内アナウンスの 環境が 整ったのを見計らい、佐川は事故による経路変更のため次のインターチェンジで高速道路を降りる事を案内する。
予想通り一斉に「エーッ!」と生徒たちは 落胆の声を上げた。他の車でも同じ落胆の声が上がっているに違いない。
いつ終わるか分からない事故処理を待つよりも、高速を降りて2~3区間下道を走ったほうが、結果的に目的地への到着が早いのだということを説明するのも手だが……佐川はそうしなかった。
そこまで説明する責任は自分にはない。生徒たちを 抑えるのは教師の仕事だ。それがルールってもんだ。
「あーあ。しっかり休んだはずなんだけどな…」
美咲は 職務中に眠ってしまった 失態と、戻って書かなければならなくなった始末書を思い、気が 滅入ってしまった。「スミマセン!」で 済めば楽なのになぁ……
「社会人のルールだ。キッチリ始末書がんばんな」
佐川は美咲の 呟きに、突き放したように無機質な 口調で告げ、大型のルームミラーでクラス担任の小宮直子を見た。そこには 車酔いに苦しむ青白い顔の直子と、同じように青白い顔をして 隣に座る女生徒の顔が 映っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……んじゃ、国道で 峠越えだな」
篤樹は運転手や教師らが集まり話す声を聞きつつ、 脇を通り抜ける。
高速道路を降りてすぐの場所―――国道沿いの「道の駅」で変更の道順を確認するため、 臨時の休憩時間になっていた。
バスに戻った篤樹は最後部の自分の席に戻ろうとしたが、まだ通路に数名が 詰まっている 状態でなかなか前に進めない。
「 磯野……何読んでんの? 酔うぞ?」
篤樹はバスの中央付近の席で、熱心に本を読む 磯野真由子に気づき声をかけた。
「え? ああ……大丈夫よ。慣れてるから」
真由子は読んでいる本の表紙が篤樹に見えるように持ち上げた。その 拍子に、膝の上に乗せていた 手提げバッグがズルっと床に落ちる。「あっ」真由子は急いで 屈み、飛び出した一冊をバッグに戻し顔を上げる。
「 暇な時間を有効活用!」
そう言うと篤樹に笑顔を見せた。
「 相変わらず難しそうな本ばっか。それに重たそう……」
「篤樹ー! 早く席に戻るー!」
小宮直子の声が車内に 響いた。いつのまにか 混雑の先頭なってしまっていたらしい。
「はーい」
篤樹は直子に背を向けたまま最後部の自分の席へ進んだ。
「まったく……」
まだ数人移動中の通路を見ながら直子が 呟く。
「先生、気分はいかがですか?」
バスガイドの加藤美咲に声をかけられた直子は、 振り返り笑みを浮かべる。
「あ、すみません。ご心配おかけしました。大丈夫です。今の休憩中に薬が 効いたみたいで……。もう気持ち悪くないです」
「ちょうど良かったかもですね。『もう 限界』って顔されてましたし。隣の子も大丈夫でしたか?」
隣の子? ああ、柴田加奈のことか……
「ええ。あの子も今の休憩中に元気になったみたいです。ありがとうございます。ホント、久し振りでした。車に 酔うなんて。……お薬代、後でお返ししますから……」
直子は申し訳なさそうに美咲に声をかけた。別のバスには同行の保健教諭が薬箱と共に乗っているのだが、動くのもきつそうな直子を見かねた美咲が自分の酔い止め薬を 渡してくれたのである。
「私物ですから差し上げますよ。私はさすがに酔わないですけど、御利用者様用に一応準備してるんです。気になさらないで下さいね」
美咲の言葉が終わる 間際、バスの扉が空気音を立てて閉まった。美咲は直子に笑顔で 頷くと、車内マイクを持ちアナウンスを入れる。
「この先、国道を通って 風光明媚なN山観光道路へと向かいます。 峠の頂上付近からは、 眼下に広がる雄大な自然を 一望出来る撮影ポイントも 御座いますので、記念写真係さんはカメラの 準備をされていて下さいね」
絶景の撮影ポイントかぁ……私、あの道キライなんだよなぁ。崖に吸い込まれそうで……
美咲はアナウンスをしながら、心の中で苦笑いを浮かべていた。
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