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第四章 二人の距離

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「ルーカス!」

飛び込んだルーカスの店、カウンターに彼の姿を見つけられず、不安に駆られながら工房へと回った。そこで、作業机に座る彼の姿を見つけてホッと大きく息をつく。

「……アリシア?どうした?」

掛けていた作業用のモノクルを外したルーカスが立ち上がり、こちらへ近づいてくる。その大きな体に絶対的な安心感を得て、だけど、思い出したドニの言動のせいで、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

「ルーカス、ごめんなさい、私、私のせい。私のせいで、ルーカスが……!」

「アリシア……?」

ルーカスの側に居れば彼に迷惑をかけてしまう。だけど、彼の側を離れるのは怖い。身勝手で卑怯な思いを彼に知られたくなくて言葉を探す。彼に疎まれないよう、逃げ道を探して。

「アリシア、どうした?何があった?」

だけど結局、言い逃れようのない事態を取り繕う方法が分からない。謝って、お別れして、ここを出て行く以外の選択肢が浮かばなくて、込み上げるものを必死に抑えたけれど――

「……泣くな」

距離を詰めたルーカスの大きな手が背中に回った。グッと引き寄せられて抱き込まれた彼の腕の中、すごく安心する。すごく嬉しい。

(ごめんなさい……)

ずるいと分かっていて、その温もりに縋った。宥めるように背中をなでてくれるルーカスの優しさに甘え、ギルドで起きたことを話す。クロエに言われた通り、今までドニに絡まれたことも全て語り終えれば、「そうか」と呟いたルーカスの腕の力が更に強くなった。

「……怖い思いをしたな」

「黙っていてすみません。ルーカスにも迷惑をかけることになって……」

「謝るな。アリシアに非はない。迷惑だとも思っていない」

そう言ったルーカスにポンポンと軽く背中を叩かれる内に、身体の緊張が解けていく。興奮も収まり、やがて、みっともなくルーカスに縋る自分が恥ずかしくなった。彼の腕から抜け出そうと小さく身じろぎしたが、抱きしめる腕の力が強まっただけ、抜け出すことが出来ない。

「……ドニ、と言ったか。その男のことはあまり気にするな」

淡々と振って来た声に顔を上げれば、こちらを見下ろす金の瞳と視線がかち合った。いつもは硬質な金属の輝きが、トロリと溶けだしたような錯覚を覚える。

「用心に越したことはないが怯える必要はない。アリシアは俺が守る」

「ルーカス。……ですが、ドニは元冒険者だって言ってました。鉱山でも、他の人達を力で従わせていたみたいで……」

だから、あなたの身が心配なのだと視線で訴えれば、金の瞳が僅かに細められた。

「問題ない。だが、暫くはアリシアを一人にするわけにはいかないな。……採掘には俺が付き合おう」

「なっ!?それは駄目です!それじゃあ、ルーカスの仕事が!」

「それも問題ない。今は急ぎの仕事もないからな」

事も無げにそう言って見せるルーカスに、だけど、必死に首を横に振る。彼の言う「暫く」がどのくらいになるのか、ドニの問題が解決するまでにどのくらいの時間が掛かるのか分からない。その間ずっとルーカスの時間を無駄にさせる訳にはいかなかった。

「ルーカスが仕事を休むくらいないら、私が採掘を休みます!」

苦渋の決断だったが、背に腹は代えられない。ドニの狙いは私、私が引きこもっていれば、彼だって早々何かをしでかすことはできないだろう。引きこもっている間に、あの男が諦めてくれれば良いが――

「……アリシアは、本当にそれでいいのか?」

「はい!……ただ、お休みしている間は魔晶石の納品ができないので、ご迷惑をおかけしますが……」

「そんなことは気にしなくていい。……だが、そうだな。下手に出歩いて男を刺激するよりも、家に居てくれた方が俺も安心できる」

そう言って安心させるように笑ってくれたルーカスの姿にホッとする。「面倒だ」とは言わず、むしろ「守る」と言ってくれた彼の優しさに包まれて、精一杯、自分に出来ることを見つけようと誓った。





ドニのせいで採掘を休んで三日、ルーカスと話し合い、ドニのことは、もう間もなく帰還するギルド長に相談すると決めた。ただ、その間、私に出来ることと言えば、やはり家事しかなかったため、いつもよりも念入りに家じゅうを磨き上げていく。

一度、家じゅうの掃除を終えてしまい、ルーカスの代わりに店番をしながら二周目の掃除に突入するかを迷っていたその日、朝からぐずついていた天気が午後になって崩れ、霧雨が街を濡らす中、異変は突然訪れた。

「ルーカスさん!ルーカスさんは居ますか!」

「クロエさん?」

まだギルドの開庁時間、本来なら受付に居るはずのクロエが、全身を濡れネズミにして店の中へと飛び込んで来た。よほど急いで来たのだろう、荒い息を何とか落ち着かせようとする彼女に変わり、店の奥、工房に居るルーカスを呼びに走る。

クロエの声が聞こえていたのか、工房から姿を現したルーカスを連れて店へと戻れば、先程よりは息の整ったクロエが大きく息継ぎをしながら、口を開いた。

「第七坑道に、ヒュドラが、出ました……!」

「ヒュドラが?……自然発生か?」

「わか、わかりません。……でも、中に、人が取り残されて……!」

クロエの言葉に思わずルーカスを見上げる。ヒュドラという魔物の名は知っていたが、その詳細、危険度までは分からない。不安を感じて見つめれば、ルーカスの眉間に皺が寄った。

「救助隊は?指揮系統はどうなっている?」

「ケイトさんの指揮で、救助隊を出すことに。ですが、冒険者の数が足りません。ルーカスさんの協力が必要です」

「……ボイドはまだ戻らないのか?」

ルーカスの問いに、クロエが大きく首を横に振った。彼女の答えに小さく舌打ちしたルーカスの視線がこちらを見下ろす。迷うような彼の視線に問いかける。

「……あの、行くんですか?」

「出なければマズいだろうな。だが、アリシアを一人にする訳には……」

「行ってください」

クロエが、元冒険者だというルーカスに協力を求めている。ルーカス自身も
出るべきだと判断している以上、私がその足かせにはなりたくなかった。

「だが……」

言い淀んだルーカスだったが、暫しの逡巡の後、クロエに向かって「分かった」と呟いた。身を翻し、工房へと戻るルーカスを見送って、クロエに店の椅子を進める。未だ息の整わない彼女の口から「すみません」と小さな声が聞こえた。

「こんな時に、ルーカスさんを連れ出すことになってしまって……」

「そんな、私は全然。……ただ、あの、ヒュドラって?……ルーカスは危険じゃないんですか?」

私の無知な質問に、クロエは小さく首を横に振った。

「ヒュドラ自体はA級難易度の魔物、ソロで狩るとなると非常に難しいです。ですが……」

そう言ったクロエの視線が、私の背後に向けられる。そこで固定されてしまった彼女の視線を追って後ろを振り向けば、視界に飛び込んで来た長身、見慣れぬ装備を身にまとったルーカスの姿に息をのんだ。

「……ですが、ルーカスさんなら、何の問題もありません」

「……」

小さな声、ボソリと呟かれたクロエの言葉が遠くに聞こえた。初めて目にするルーカスの「冒険者」としての姿。いつも身にまとう作業用のローブとは異なる、襟付きのグレーのコート。いつものようにフードは被っているが、コートの前は開かれたまま、身体のラインが分かる黒のインナーの上には幅広のベルトが巻かれ、腰には剣が下げられていた。

数瞬の間、瞬きを忘れて見惚れる。一歩、二歩、近づいてくるルーカスの姿にハッとした。そんな場合ではないのに、呑気に呆けてしまった自分が恥ずかしかった。

「……アリシア」

「は、はい……!」

「窓と扉に『封印』を掛けていくが、決して開けるな。外からの侵入は防げるが、内からは簡単に開いてしまう」

ルーカスの忠告にコクコクと頷いて了解を示せば、それで安心したのか、ルーカスは厳しかった表情を一瞬だけ弛めた。彼の手が伸び、頭の上に乗せられた。クシャリと、軽く頭を撫でた手が離れていく。

「……行って来る」

低い声でそう一言告げたルーカスに頷いて、「いってらっしゃい」と送り出した。クロエと連れ立ったルーカスが家を出たところで、彼らの背後で扉を閉める。言われた通りに鍵を下ろせば、扉の向こうで淡い光が一瞬光って消えた。ルーカスの言う『封印』がなされたのだろう。扉を離れ、窓から外を覗けば、既にもう小さくなり始めた二人の後ろ姿が見える。雨の中に消えていく二人の背中を、最後まで見送った。



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