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第四章 二人の距離

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クロエに渡された書類を記入しながら、今後の見通しを立てる。

(魔晶石の買取価格が細分化されてないのは困ったけど……)

口座開設を提案してもらえたことは幸いだった。魔晶石はともかく、「お金」はなかなか受け取ってくれないルーカス相手でも、今後はギルドに持ち込んだ石の売り上げを直接入金することができる。彼がお金に無頓着なのはわかっているが、そこはそれ。いつでも、今日のような高純度の魔晶石が入手できるとは限らない。せめて、イロンが「普通の子たち」と評した魔晶石の売り上げを受け取ってもらわねば、自分の気が済まなかった。

書類を記入する手を止め、買取を希望した魔晶石の山をチラリと見る。クロエが運搬袋に詰め込み始めたそれは、第四坑道で自ら掘ったもの。その中で、「一番、魔力が多い子」とイロンが選んだ一つと、青ジェムガチャで生成された一つだけは手元に残してある。

(販売価格は違っても、買取額が一緒っていうのはキツイなぁ……)

私がここでこの二つを売っても五千ギールほどにしかならないが、ルーカスがギルド本部を通して仕入れている高純度魔晶石は一つで六万ギール。阿漕な商売をしているとは思うが、販売価格を決めているのはギルド本部のため、ここで文句を言っても始まらない。悶々としながら書類の記入を終え、クロエに確認をしてもらった。

不備がないことを確認したクロエが、手続きのためにカウンターの奥、事務室へと向かう。それを見送ってじっと佇めば、ギルドの奥、階段の方から人の声が沸くのが聞こえた。なんだろうと視線を向けた先、会いたくなかった人物の姿を認めて、胸に不快が渦巻く。

他より頭一つ背の高い男、ドニの金髪は人目を引く。彼の姿を認めた周囲の人間が掛けた声に、ドニが笑って答えるのが見える。ふと、視線をこちらに向けた彼と目が合った。その口元に歪んだ笑みが浮かぶのが見えて視線を逸らそうとしたが、気づいた異変に彼から目が離せなくなる。こちらへ近づいてくる男の姿を認識しながらも、足が動かなかった。

「よう、待たせたな。……これで、やーっと、お前に手ぇ出せるぜ」

そう言った男の首元から、つい先日目にしたばかりの隷属の首輪が消えていた。血の気が引く。指先が冷え、震えそうになるのをギュッと拳を握って耐える。

「お前、ルーカスとかいう細工師のところに居るんだってな?」

「っ!」

ドニの言葉にハッとして首元から視線を上げれば、真っ赤な瞳が間近にあった。

「楽しみだなぁ?人のモンに手ぇ出した野郎には、たっぷり報いを受けてもらわねぇとな?」

「止めて!私はあなたのものじゃない!彼は関係ない!」

男がルーカスに何をするつもりなのか。考えただけで頭に血が上った。私の怒りを、男がせせら笑う。

「ハッ!何をどうするか決めんのは俺だ。それとも何か?今、この場でお前が這いつくばって俺に許しを乞うか?お前が今すぐ俺のもんにしてくれって頭下げんなら、まぁ、多少は考えてやらなくもねぇぜ?」

「っ!」

理不尽で屈辱的な言葉に息をのむ。言葉を失って、だけど、ルーカスを傷つけられるくらいなら、彼に迷惑をかけるくらいならと一瞬揺れた心に、静かな声が割って入った。

「ドニさん、何をなされているんですか?」

「あ?なんだ、あんた?あんたにゃ関係ないだろ」

現れたクロエは冷静な態度のまま、ドニの威嚇に平然と答える。

「ここはギルドです。彼女に対して危害を加えるというのであれば、ギルドとして厳正に対処しなければなりません」

「……」

「折角、罪を償われたばかりなのですから、また直ぐに犯罪奴隷に戻りたくはないでしょう?」

クロエの牽制にドニが鼻白んだのが分かった。嘲笑の消えた顔で私とクロエを見比べ、そして、最後に「チッ」と舌打ちをする。

「面倒くせぇなー」

そう呟いた男が歩き出す。こちらに背を向け、去って行こうとしていた背中が途中で振り向いた。

「……覚えてろよ。直ぐに迎えに行くからな」

ほの暗い瞳でそう告げられ、思わず一歩後ずさる。その反応に満足したのか、「ハッ」と短く笑った男は、今度こそ大股にギルドを去って行った。その背中が消えてからも暫く動けずにいると、隣から「大丈夫ですか?」という声がかけられた。その声の主、クロエを振り返って尋ねる。

「……あの人、罪を償ったんですか?」

「ええ。ドニさんは先ほど、奴隷契約金を全て払い終わり、ご自身を買い戻されました」

クロエの言葉に絶句する。彼の首に隷属の首輪が無かった時点で恐らくそうなのだろうとは思っていたが、最悪の事態に恐怖がつのる。それが表情に出ていたのだろう、クロエの眉根が僅かに下がった。

「アリシアさんはドニさんとお知り合い、というわけでは無いんですよね?」

「違います。……ただ、ここに来る時の馬車で目をつけられてしまったらしくて、それからたまに絡まれたり……」

尻すぼみになった言葉にクロエが頷いた。

「分かりました。ギルドでも一応留意はしておきます。ですが、正直、今の時点で何か対応が出来るというわけではありません。……ルーカスさんは彼のことをご存じなんですか?」

「いえ、ルーカスには言っていません」

首を振った私に、思案する様子を見せたクロエが口を開く。

「ルーカスさんにはお伝えするべきです。今日のことだけでなく、彼にされたことを全て伝えておいた方がいいでしょう」

「でも、あの、それって迷惑というか……」

ただの居候、よく言って同居人でしかない私が彼を頼ることは果たして許されるのだろうか。躊躇う私に、クロエが首を振った。

「本来なら、これはお伝えするべきではないんですが、ドニさん、……あの男の罪状は殺人。彼は人を殺しています」

「っ!?」

「どんな理由があったにせよ、彼は人を殺すことが出来る人間だということを忘れないでください」

クロエの言葉に、漠然と感じていた恐怖が形あるものに変わる。ルーカスがドニに殺されるかもしれない。喉元にせりあがって来た熱いものを飲み下して口を開く。

「どうして、どうして、そんな人が簡単に許されるんですか?なんで、こんなに直ぐ……」

みっともなく震えた声に、クロエが小さく首を振った。

「犯罪奴隷の規約では自身の契約金を払う、自分を買い戻してしまえば、罪を贖ったことになります。当然、その罪に応じて契約金は重くなるのですが、あの男の場合は……」

そう言って、表情を苦々しいものに変えたクロエは周囲を見回してから声を潜めた。

「彼の奴隷契約金は一億ギール、通常なら、これほどの短期間で支払えるものではありません。ですから、恐らく、周囲の奴隷仲間から資金を集めた、或いは巻き上げたんだと思います」

「……それは、許されるんですか?」

「許されませんよ。……ですが、それを確かめる手段も止める手段もギルドにはありません。ですから、今までにも、腕っぷしがいいだけの男が力で自由をもぎ取るということは何度かあったんです」

最後に「腹立たしい話ですが」と呟いたクロエの言葉をどこか茫然と聞きながら、ドニの消えたギルドの入口を見つめる。不意に膨れ上がった不安。あの男はルーカスの元に向かったのかもしれない。クロエの「ルーカスさんには必ず伝えてください」という言葉に返事もできないまま、ギルドを飛び出した。




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