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第四章 二人の距離
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時計の針が進むのが遅い。
遅々として進まない時計の針を何度も確かめては、窓の外、通りの向こうから帰って来るはずの人の姿を待ち続けた。
「……イロン」
「なーにー、アリシア?」
ルーカス達が店を出て直ぐ、一人きりの状況に耐えきれずに呼び出したイロンは、手持ち無沙汰に店の中をフヨフヨと漂っていた。こちらの呼びかけに、手にしていた店の商品を棚に戻したイロンが近づいてくる。
「イロンはヒュドラって知ってる?」
ルーカスが戦う魔物がどういう生き物か、私には「蛇型の魔物である」という知識しかない。クロエの「大丈夫だ」と言う言葉を疑うわけではないが、未知の魔物と戦うルーカスのことが心配でたまらなかった。
「うーん。ヒュドラかー。たまに洞窟や鉱山に出ることもあるけどー」
こちらの不安を他所に、イロンの口からのんびりとした答えが返って来る。
「ダンジョンで見かけるのがほとんどかなー」
「ダンジョン……」
自然に出来た洞窟や人口の建造物を問わず、魔力が一定の濃度を超えると「ダンジョン」と呼ばれるエリアが発生する。その地域の魔力が枯渇するまでダンジョン内では独自の生態系が築かれ、魔力をより必要とする「魔物」が多く巣食うことになる。つまり、弱肉強食の生態系において、ダンジョン内で生きられる魔物はそれだけ強い――
「あのね?ヒュドラって、分裂するんだー」
イロンの声に、考え込んでいた意識を呼び戻される。
「頭が無事なら再生できるから、どっかでやられちゃったヒュドラが、頭だけで逃げ込んで来たのかもしれないね?」
そうでなければ、魔力の薄いただの坑道でヒュドラが自然発生することはそうそう無いというイロンの言葉に頷いた。
(だとしたら、ダンジョンに居るヒュドラほどの脅威はない……?)
安心できる要素を見つけて何とか心を落ち着けようとするが、それでも浮足立つ気持ちはどうしようもなかった。窓の側を離れ、店の中をグルグルと歩き回る。商品棚に置かれた石に触れて気を紛らわそうとしていると、不意に、イロンの鋭い声に呼ばれた。
「アリシア!」
「イロン?」
振り返れば、窓の側に浮くイロンが警戒を漲らせた表情で窓の外を見つめている。
「アリシア!あいつ!あいつが来る!あの、ドニって男!」
「っ!?」
イロンの言葉に驚き、慌てて窓から外を覗けば、確かに彼の言う通り、細い雨の降りしきる中、見覚えのあるシルエットの男が、真っすぐにこちらへと向かって来ていた。
(どうしよう……!)
最悪なタイミング。ルーカスの不在時に現れた男に面と向かって対峙する勇気はない。店の奥、家へ逃げ込もうかと考えたが、ルーカスが『封印』を施していったのは店の方、この場所が一番安全だと考え直し、窓から離れた死角にしゃがみこむ。
しゃがみ込んで数十秒後、店のドアが大きくドンと鳴った。恐らく、ドアが蹴られた音。やったのが誰かなんて、確かめるまでもなかった。
「アリシア、どうするの……?」
隣に寄り添い不安そうにそう尋ねるイロンに、小さな声で返す。
「このまま隠れてジッとしてる。……あの男が諦めるまで」
或いは、それまでにルーカスが帰って来るかもしれない。ただ、ルーカスがドニと相対するのも怖かった。もし、ルーカスがドニに傷つけられるようなことがあれば――
「おい、居んだろ?」
「っ!」
扉の向こう、聞こえた男の声に息を潜める。
「いいから、さっさとココ開けろよ。……なんだこりゃ、『封印』か?面倒くせぇなー」
そう聞こえた後、また何度もドンドンと繰り返される音に身が竦んだ。
(大丈夫、このままこうしてればいいだけ……)
自分にいい聞かせるが、執拗に続く大きな音に逃げ出したくてたまらない。耳を塞いでも聞こえて来る音に、ギュッと目を瞑れば、男の焦れたような怒鳴り声が聞こえて来た。
「クソがっ!?いい加減にしやがれ!あ!?」
「……」
「てめぇっ!開けろよ!開けねぇんなら、火ぃつけんぞっ!」
「っ!?」
男の言葉に目を開く。咄嗟に店の中を見回した。あるのは、ルーカスの大事にしているもの。たくさんの石。それに、もし本当に火をつけられたら、店だけじゃない、工房も家も、全部全部焼けてしまう。
(い、いや……)
気づけば、フラリと立ち上がっていた。
「アリシア……?」
不安そうなイロンの声。一歩、二歩、扉に向かって歩き出せば、慌てたようにイロンが目の前に立ち塞がった。
「アリシア!ダメだよ!出てっちゃダメ!」
「……でも、出て行かないと、私のせいでお店が、石だって焼けちゃう」
「それでもダメ!絶対にダメー!」
店の中を見回して、涙目になりながら首を振って立ち塞がるイロン。懸命に引き留めようとする彼の姿に、恐怖で麻痺していた頭が少しだけ冷静さを取り戻した。
「そう、そうだね。……このまま出て行っても、捕まるだけ」
そうしたら、ずっと私を守ってくれていたルーカスの努力は無駄になる。彼を裏切るような真似はしたくない。
(ああ、でも、だけど……)
彼の『封印』がかかった扉を見つめる。
「……おーい、アリシアー」
扉の向こう、嬲るような男の声が聞こえて来た。
「お前、俺が本気で火ぃ着けねぇと思ってんのか?……言ったよなぁ?俺はこれでもA級冒険者様だぜ?こんなボロ屋一つ燃やすなんざ、わけねぇんだよ」
そう男の声が聞こえた後、窓の向こうが明るく光った。水滴のついた窓ガラスに揺れる炎が映る。火魔法だろうか。ドニの言葉に彼の狂気を感じて、覚悟を決める。
「……イロン、お願いがあるの」
「アリシア……?」
不安げにこちらを見上げるイロンに告げる。以前、彼の助けを借りてやったこと、今度はその反対。ギルドで起きたことの再現が出来れば――
遅々として進まない時計の針を何度も確かめては、窓の外、通りの向こうから帰って来るはずの人の姿を待ち続けた。
「……イロン」
「なーにー、アリシア?」
ルーカス達が店を出て直ぐ、一人きりの状況に耐えきれずに呼び出したイロンは、手持ち無沙汰に店の中をフヨフヨと漂っていた。こちらの呼びかけに、手にしていた店の商品を棚に戻したイロンが近づいてくる。
「イロンはヒュドラって知ってる?」
ルーカスが戦う魔物がどういう生き物か、私には「蛇型の魔物である」という知識しかない。クロエの「大丈夫だ」と言う言葉を疑うわけではないが、未知の魔物と戦うルーカスのことが心配でたまらなかった。
「うーん。ヒュドラかー。たまに洞窟や鉱山に出ることもあるけどー」
こちらの不安を他所に、イロンの口からのんびりとした答えが返って来る。
「ダンジョンで見かけるのがほとんどかなー」
「ダンジョン……」
自然に出来た洞窟や人口の建造物を問わず、魔力が一定の濃度を超えると「ダンジョン」と呼ばれるエリアが発生する。その地域の魔力が枯渇するまでダンジョン内では独自の生態系が築かれ、魔力をより必要とする「魔物」が多く巣食うことになる。つまり、弱肉強食の生態系において、ダンジョン内で生きられる魔物はそれだけ強い――
「あのね?ヒュドラって、分裂するんだー」
イロンの声に、考え込んでいた意識を呼び戻される。
「頭が無事なら再生できるから、どっかでやられちゃったヒュドラが、頭だけで逃げ込んで来たのかもしれないね?」
そうでなければ、魔力の薄いただの坑道でヒュドラが自然発生することはそうそう無いというイロンの言葉に頷いた。
(だとしたら、ダンジョンに居るヒュドラほどの脅威はない……?)
安心できる要素を見つけて何とか心を落ち着けようとするが、それでも浮足立つ気持ちはどうしようもなかった。窓の側を離れ、店の中をグルグルと歩き回る。商品棚に置かれた石に触れて気を紛らわそうとしていると、不意に、イロンの鋭い声に呼ばれた。
「アリシア!」
「イロン?」
振り返れば、窓の側に浮くイロンが警戒を漲らせた表情で窓の外を見つめている。
「アリシア!あいつ!あいつが来る!あの、ドニって男!」
「っ!?」
イロンの言葉に驚き、慌てて窓から外を覗けば、確かに彼の言う通り、細い雨の降りしきる中、見覚えのあるシルエットの男が、真っすぐにこちらへと向かって来ていた。
(どうしよう……!)
最悪なタイミング。ルーカスの不在時に現れた男に面と向かって対峙する勇気はない。店の奥、家へ逃げ込もうかと考えたが、ルーカスが『封印』を施していったのは店の方、この場所が一番安全だと考え直し、窓から離れた死角にしゃがみこむ。
しゃがみ込んで数十秒後、店のドアが大きくドンと鳴った。恐らく、ドアが蹴られた音。やったのが誰かなんて、確かめるまでもなかった。
「アリシア、どうするの……?」
隣に寄り添い不安そうにそう尋ねるイロンに、小さな声で返す。
「このまま隠れてジッとしてる。……あの男が諦めるまで」
或いは、それまでにルーカスが帰って来るかもしれない。ただ、ルーカスがドニと相対するのも怖かった。もし、ルーカスがドニに傷つけられるようなことがあれば――
「おい、居んだろ?」
「っ!」
扉の向こう、聞こえた男の声に息を潜める。
「いいから、さっさとココ開けろよ。……なんだこりゃ、『封印』か?面倒くせぇなー」
そう聞こえた後、また何度もドンドンと繰り返される音に身が竦んだ。
(大丈夫、このままこうしてればいいだけ……)
自分にいい聞かせるが、執拗に続く大きな音に逃げ出したくてたまらない。耳を塞いでも聞こえて来る音に、ギュッと目を瞑れば、男の焦れたような怒鳴り声が聞こえて来た。
「クソがっ!?いい加減にしやがれ!あ!?」
「……」
「てめぇっ!開けろよ!開けねぇんなら、火ぃつけんぞっ!」
「っ!?」
男の言葉に目を開く。咄嗟に店の中を見回した。あるのは、ルーカスの大事にしているもの。たくさんの石。それに、もし本当に火をつけられたら、店だけじゃない、工房も家も、全部全部焼けてしまう。
(い、いや……)
気づけば、フラリと立ち上がっていた。
「アリシア……?」
不安そうなイロンの声。一歩、二歩、扉に向かって歩き出せば、慌てたようにイロンが目の前に立ち塞がった。
「アリシア!ダメだよ!出てっちゃダメ!」
「……でも、出て行かないと、私のせいでお店が、石だって焼けちゃう」
「それでもダメ!絶対にダメー!」
店の中を見回して、涙目になりながら首を振って立ち塞がるイロン。懸命に引き留めようとする彼の姿に、恐怖で麻痺していた頭が少しだけ冷静さを取り戻した。
「そう、そうだね。……このまま出て行っても、捕まるだけ」
そうしたら、ずっと私を守ってくれていたルーカスの努力は無駄になる。彼を裏切るような真似はしたくない。
(ああ、でも、だけど……)
彼の『封印』がかかった扉を見つめる。
「……おーい、アリシアー」
扉の向こう、嬲るような男の声が聞こえて来た。
「お前、俺が本気で火ぃ着けねぇと思ってんのか?……言ったよなぁ?俺はこれでもA級冒険者様だぜ?こんなボロ屋一つ燃やすなんざ、わけねぇんだよ」
そう男の声が聞こえた後、窓の向こうが明るく光った。水滴のついた窓ガラスに揺れる炎が映る。火魔法だろうか。ドニの言葉に彼の狂気を感じて、覚悟を決める。
「……イロン、お願いがあるの」
「アリシア……?」
不安げにこちらを見上げるイロンに告げる。以前、彼の助けを借りてやったこと、今度はその反対。ギルドで起きたことの再現が出来れば――
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