三原色の世界で

リコピン

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第一章

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怒りに任せたまま思いついた企みは、端的に言えば「復讐」だった。己を恋物語の脇役に押しやった主役二人に対する逆襲。例えそれが、二人の距離を縮めるためのいちエピソードに終わるとしても、やれるだけのことはやってやる。

(だけど、まあ…)

冷静に考えて相手は公爵家の嫡男。物語の主役を張るような二人に挑める真っ向勝負なんて、思いつきもしない。だから、悪役は悪役らしく、厭らしく搦め手で挑むことにする。

それに、何も馬鹿正直に一人で挑む必要だってない。脇役は―悪役なんて特に―裏で手を組み、更なる悪事を企てるものだから。主役のような縛りもない、好きなだけ仲間を集めることだって許される。

ただ、今のところ、人数を集めたところで思いつく策も無し。たった一つ、賭けのように思いついた策に必要な仲間は一人だけ。しかもその一人には大いに心当たりがあったりする。

(さて…)

侍女の手を借りることも出来ずに整えた精一杯の身だしなみ。泣いて腫れた瞼は十分に冷やしたけれど、佇んだ扉の前、最後に一度、鏡を覗いた。

(よし…!)

目の前の扉、覚悟と共に手を伸ばした―









三時間後、押し掛けたホテルの一室、

「…何と言いますか、まあ、その…」

目当ての人物を前にして、言葉を選ぶ。

「今の私が言うには差し障りがある気も致しますが…」

挨拶の、最初の一言に苦慮していたー

「…取り敢えず、ご機嫌はお伺いしない方がよろしいみたいですね?」

「…」

広くはないホテルの一室、酒瓶が無造作に転がる卓を前に、座椅子に肢体を投げ出していた男が、ゆっくりとその身を起こす。寝ていたわけではなさそうだが、取り次ぎもなしに押し掛けたせいか、機嫌が最底辺にあることがうかがえる。

「お尋ねするまでもなく、」

部屋の主に視線を合わせ、ニッコリと笑って見せる。

「まさに散々、といった有り様でいらっしゃいますね?…ロベルト様?」

「…」

左頬には治りきれていない青あざ、不機嫌を隠すことのないロベルト・クロイツァーは黙ったまま、こちらを睨んでいる。

(…まずかった?)

これはどうやら、タイミングが悪かった。私だって、先ほどまでの散々な状況を人に見られたいとは思わない。最悪なタイミングでの訪問、けれど、次のタイミングを待っている暇はないから、

「ロベルト様。私、今日はロベルト様にお願いがあって参りました。話を聞いて頂けますか?」

単刀直入の言葉に、ロベルトの口元に薄い笑いが滲む。

「…未来の公爵夫人が、供も付けずに男の部屋を訪ねてくるとはな?おまけに、お願いときた。…エドワードは承知しているのか?」

シニカルな前半の言葉と裏腹に、エドワードの関知を問う言葉には鋭さがある。酒精にのまれているようでありながら、瞳には理知の輝きが残っており、こちらの真意を確かめようとしている。

(…腐っても、ってことか。)

名ばかり伯爵家とはいえ、夭逝した先代の跡を継いで六年前に二十歳という若さで伯爵位に就いた、現クロイツァー伯爵家当主。元夫の同い年の従兄弟。その不躾な視線を、改めて観察し返す。

(…よく見ても、やっぱり、あまり似ていない。)

野性味のある美丈夫であるエドワードと比べると、線の細い貴公子然とした美しさを持つロベルト。

(普通なら、王子様ってイメージなんだろうけど…)

今は、着崩した服に酒気の残る顔で、だらしなく背もたれに体重を預けている。長い四肢を気だるげに投げ出す様は、確かに落ちぶれて見えるのに、それでも、退廃的な美しさを感じられるのは、それを補ってあまりある美貌があるからだろう。

(…今は、王子様というより、どこぞのマダムの愛人って感じはするけど。)

ただ、美しいことに変わりはない。

なのに、

「…俺のような下賎の身が、未来の公爵夫人のお役に立てるとも思えませんが?…こんな酔っぱらいに何を願うって?」

自らを貶めて笑って見せる、何てことないという振りで。よく、知っている、この感じー

(卑屈、だなぁ…)

ただ、彼の場合はそれも仕方ないのかもしれない。これだけの美しさを持つ男が、それでもこの国では、胸を張って生きることが叶わない。

(こんなに、綺麗なのに…)

視線を、彼の顔から少しずらす。背の中ほどまである白金に近い金髪は、まとめられずに下ろされたまま。カーテンの閉ざされた室内ではわかりにくいが、その光沢ある金糸が光の下、煌めくのを知っている。

それは、本来この国の人間が持ち合わせない美しさー

(この国の人の髪って、基本、艶なしマットカラーだから…)

だから、「髪に光沢がある」なんてのは異端でしかない。

(流浪の民の血、か…)

国をもたずに諸国を旅して回る流浪の一族。多くは行商や芝居の一座を営み、この国においては蔑みー差別ーの対象となる彼らの、特徴とも言える金糸銀糸。この国では忌避され、貴族社会においては禁忌にも近いその髪色を持つロベルトが、この国でどのような扱いを受けるか。

(生きやすいわけがない…)

そうやって彼の髪を見つめている内に、どうやら意識を飛ばしていたらしい。黙って待つことに飽きたのか、ロベルトが立ち上がって、扉近くの卓へと向かった。置かれた水差しに行儀悪く口をつけてあおる彼の、その背中で揺れる金糸に、気づけばまた惹き付けられていく。

忌まれる髪を短く刈ることも隠すこともせず、惜しげもなくさらして社交界を渡り歩く。この男のそのひねくれた性根が、私は嫌いではない。

「…それで?」

濡れた口元を腕でぬぐった男が振り向いた。

「俺に何をやらせようって?」

男の言葉に、現実に引き戻される。

覚悟を決めるつもりで、下腹に手を置いた。

「…エドワード様と、離縁しました。」

「!」

ロベルトの目が驚きに見開かれていく。その反応に安堵した。初手は成功、彼の興味を引けたらしい。後は最後まで話を聞いてもらえれば―

「…私は既に、『次期公爵夫人』ではありません。」

「ちょっと待て。」

思考をクリアにするためか、頭を振るうロベルトは、案外、立ち直りが早そうで、彼への好感度が増していく。次にこちらを向いたロベルトの瞳は醒めきっていて、

「エドワードと別れた、のか…?」

「はい。」

「…」

続く沈黙、やがてロベルトが至った結論。

「シンシアか…?」

(へぇ…)

直ぐ様そこに行き着くということは、ロベルトはやはり愚鈍ではない。あるいは、エドワードがあまりにあからさま過ぎるということかもしれないけれど。

浮かんだ皮肉に口元が歪んだが、何かを考え込んでいるロベルトの視線はこちらにない。黙って、彼の言葉を待てば、

「…そうか、なるほど、な。」

何かを納得した様子のロベルトが視線を上げた。

「つまり、公爵夫人の座を追われたあんたは、他に味方も無く、俺に助けを求めに来たってわけだ。」

「…」

ニヤリと、音がしそうな笑い方をするロベルト。片頬だけを上げて笑うそれは、綺麗な顔をしているのが勿体ないくらいに小者感を漂わせていて、何というか本当に残念に過ぎる。本人はいたって楽しそうだけれど―

「それで?俺と組んで、あんたは何をするつもりだ?シンシアとエドワードの仲を邪魔でもするか?」

その邪魔とやらが具体的に何をさしているのかはわからないけれど、放っておくと「シンシアを攫って」、などと言い出しかねない雰囲気が漂ってきた。そして結局最後には、エドワードに刺されるか、崖から落とされるかして、あっけない最期を迎えてしまうのだろう。そんな咬ませ犬街道をまっしぐらに突き進むつもりはない。

「…私は、二人の仲をどうこうしようとは考えていません。」

「…エドワードとの復縁が目的ではないのか?」

「違います。」

(復縁…?)

生憎、そんな建設的な目標は持ち合わせていない。

「…だったら、あんたは何がしたい?」

「復讐です。」

「復讐?」

「はい。」

訝しむロベルトの視線に、一つ、頷いて見せる。

「…エドワード様には、後悔して頂きたいと思っています。私を切り捨てたことを心の底から悔いて、その事だけに心を苛まされて欲しいんです。」

私の足元にひれ伏し、這いつくばって縋って欲しい。許しを請う彼の姿が見たい―

そんな私の企みに、ロベルトが難しそうに顔をしかめた。

「…あいつは、そんな真似しないだろう?」

「ええ、まあ、そうでしょうね。」

エドワードの性格的に、意地でもしないだろう、とは思う。

(それでも、思いっきり悔しがる顔が見たい。)

私が味わった脳が焼き切れそうなほどの屈辱の、せめてその一欠片でも感じさせてやりたい。

そして、

「言ってやりたいんです、彼に。『ざまあみろ』と。」

「…」

ロベルトの顔から表情が抜け落ち、束の間、視線が虚空を彷徨った。

「…それが出来るなら、俺は…」

言って、直ぐに戻って来た視線に、射竦められる。

「具体的に、何をするつもりだ?俺に何が出来る?」

期待の見え隠れする眼差しに応えたいとは思うけれど、巻き込んでしまう以上、彼にはなるべくフェアでいたい。

「賭け、なんです。」

「賭け?」

「はい。必ず勝てるとは限らない方法なので。」

「…勝算は?」

それを最初に気にする彼は、こちらの提案に食いついてくれる気があるらしい。だから、言葉を選ぶ。

「勝算は…、どのくらいでしょうね?」

正確なところは自分でもわからない。それでもある意味、

「五分五分、だとは思います。」

「…」

嘘ではない。

(…に居るか、居ないか。)

そのどちらか―

「…俺は、何をすればいい?」

「…」

五割の勝算で怪しい釣り餌に引っかかることを決めてくれたロベルトに、願う。

「私と、結婚して下さい。」

心からの、同族意識を込めて―






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