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第一章
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執務室を追い出されてしまってからは、あっという間だった。
部屋に戻るなり侍女達がまとめあげてしまったのはイリーゼ個人としての所有物。公爵家ゆかりの品は完全に除かれたいくつかの荷物とともに屋敷からも追い出され、押し込まれたのは王都でも最高級のホテル、マイヤース。
確かに、歴史と名声に見合う最高級のもてなしを提供するホテルではあるが、そこは社交界のお歴々の耳目が集まる場所でもある。そんな場所に捨てられたわが身を晒す勇気もなく、ただひたすらに部屋にこもり続けた。
ー何がいけなかったのか、何を間違ってしまったのか
独り、思考の沼に陥ってしまえば、自信を貶める考えばかりが浮かぶ。
元より、愛で始まった結婚ではなかった。完全なる政略結婚、家と家とを結び、赤の領地の宗主であるソルフェリノに繫栄をもたらすための。
「…」
転がった寝台の上、ほどけて広がる自身の髪が視界に映る。エドワードの紅紫のような鮮やかさを持たない、どちらかと言えば茶に近いくすんだレンガ色。泣いて腫れあがった瞼の奥の瞳は、「望まれた色」に近い翠ではあるけれど、それだけでは次期公爵夫人の座を望むべくもない。学んで鍛えて耐えて、漸く、魑魅魍魎はびこる場での評価を得るところまでたどり着くことが出来たのだ。
「…それが、あの人に出来るっていうの…?」
絶対に、とは言わないまでも、きっと無理。だってそもそも、彼女は最初に選ばれなかったのだから。
想い合っていても、彼女は公爵夫人の器なしとされ、二人は結ばれなかった。だから彼女にはきっと無理。そう決めつける。でなければ、惨めじゃないか。こちらの本気の努力の成果を、そんなに易々とこなされてしまったら、これほど惨めなことってない。
「…でもきっと、あの人にはそんなの関係ないんだよね。」
彼女なら、「公爵家」に相応しくなくても問題ないのだ。だって、彼女は今度こそ選ばれた。ソルフェリノにではなく、エドワードに。まさに「真実の愛」で結ばれた二人は、それこそ物語のようにこれから先の困難に打ち勝っていくのだろう。そしてきっと成すのだ。私が成すことが出来なかった―
「…」
溢れた涙は、零れ落ちるに任せた。頬を伝う熱を感じながら、下腹にそっと手を伸ばす。
「…三年。」
エドワードが口にするまでもなく、本当はずっと、自分でも意識していた年数。
最初の一年はまだ良かった。愛は無いまでも、夫婦としてお互いに歩み寄ろうという意思があった。直接エドワードに確かめたわけではなかったが、彼がむける態度に、口にする言葉に、労りが感じられた。
だから私は、エドワードに恋をした―
最初から敬愛していた相手。見惚れるほどに整った容姿に次期公爵としての自信にあふれた態度と行動力、何もかもが完璧だと思える相手が自分の夫になったのだ。想い寄せることになんの障害もないはずの相手。だから私はあっさりと彼に心を傾けた。
彼から返される想いに熱量が無いことには気づいていたけれど、それでも夫婦として、家族として寄り添いあっていければ、それでも良いと思っていた。
夫婦としての一年が過ぎる頃には、その思いも、自分を苦しめるだけのものになってしまったけれど―
週に数度はあった夫婦の交わりが、月に一度あるかないかへと間遠になり、これではいけないとこちらから夫へと誘いをかけ、何とか月に一度は寝台へと誘うことができるという状況で二年。
気がつけば、キスも触れ合いもなく、ただただ子を成すための作業を積み重ねるだけの関係。膠着してしまった夫婦の在り方に打開策も浮かばず、けれど、苦痛の増していく行為を止める勇気もなくて、何とか繋いだ関係に、結局、望んだ結果は得られなかった。
(…でも、彼女なら…)
シンシア・ヘインズ、エドワードに愛され、望まれた彼女なら。きっと、エドワードの子を産むのだろう。尊い紅紫をまとうソルフェリノの子を。
公爵家も、今度こそシンシアを認めざるを得ないはずだ。愛し合う二人には幸いなことに、エドワードには私という実績があるから。ソルフェリノの次代を望むなら、エドワードに愛される妻でなければ駄目なのだ。
(…何て、何て、)
惨めなんだろう―
子が出来なかったことが、ではない。一方通行の想い、独り善がりの努力、顧みられたいという願望。全部全部打ち捨てられて、存在さえ無かったことにされた。自分を憐れむ言葉に、再び涙が流れ出す。
涙があふれ続ける間、存分に自分を憐れんで、恋物語の主役二人への恨みつらみを吐き出し続けた。
羨んで妬んで、泣いて―
そうして漸く涙が止まったところで、思いは一つに固まった。
(…絶対に、許さない。)
煮え立つ思いの中心にあるのは、醜く歪んだ自尊感情。
ブスでデブでバカだと卑屈になる私はもう居ないけれど、更に捻じ曲がってしまった根性は元の形さえわからない。おまけに、叩き潰されて踏みつけられたプライドは、例え地中にめり込んでしまっても折れなかったのだから仕方ない。
(後悔、させてやる…)
抱える怒りの熱量に突き動かされて、寝台の上、身を起こす。
止まれなかった。
思い付いた企みが、どれだけ無謀で愚かだとしてもー
部屋に戻るなり侍女達がまとめあげてしまったのはイリーゼ個人としての所有物。公爵家ゆかりの品は完全に除かれたいくつかの荷物とともに屋敷からも追い出され、押し込まれたのは王都でも最高級のホテル、マイヤース。
確かに、歴史と名声に見合う最高級のもてなしを提供するホテルではあるが、そこは社交界のお歴々の耳目が集まる場所でもある。そんな場所に捨てられたわが身を晒す勇気もなく、ただひたすらに部屋にこもり続けた。
ー何がいけなかったのか、何を間違ってしまったのか
独り、思考の沼に陥ってしまえば、自信を貶める考えばかりが浮かぶ。
元より、愛で始まった結婚ではなかった。完全なる政略結婚、家と家とを結び、赤の領地の宗主であるソルフェリノに繫栄をもたらすための。
「…」
転がった寝台の上、ほどけて広がる自身の髪が視界に映る。エドワードの紅紫のような鮮やかさを持たない、どちらかと言えば茶に近いくすんだレンガ色。泣いて腫れあがった瞼の奥の瞳は、「望まれた色」に近い翠ではあるけれど、それだけでは次期公爵夫人の座を望むべくもない。学んで鍛えて耐えて、漸く、魑魅魍魎はびこる場での評価を得るところまでたどり着くことが出来たのだ。
「…それが、あの人に出来るっていうの…?」
絶対に、とは言わないまでも、きっと無理。だってそもそも、彼女は最初に選ばれなかったのだから。
想い合っていても、彼女は公爵夫人の器なしとされ、二人は結ばれなかった。だから彼女にはきっと無理。そう決めつける。でなければ、惨めじゃないか。こちらの本気の努力の成果を、そんなに易々とこなされてしまったら、これほど惨めなことってない。
「…でもきっと、あの人にはそんなの関係ないんだよね。」
彼女なら、「公爵家」に相応しくなくても問題ないのだ。だって、彼女は今度こそ選ばれた。ソルフェリノにではなく、エドワードに。まさに「真実の愛」で結ばれた二人は、それこそ物語のようにこれから先の困難に打ち勝っていくのだろう。そしてきっと成すのだ。私が成すことが出来なかった―
「…」
溢れた涙は、零れ落ちるに任せた。頬を伝う熱を感じながら、下腹にそっと手を伸ばす。
「…三年。」
エドワードが口にするまでもなく、本当はずっと、自分でも意識していた年数。
最初の一年はまだ良かった。愛は無いまでも、夫婦としてお互いに歩み寄ろうという意思があった。直接エドワードに確かめたわけではなかったが、彼がむける態度に、口にする言葉に、労りが感じられた。
だから私は、エドワードに恋をした―
最初から敬愛していた相手。見惚れるほどに整った容姿に次期公爵としての自信にあふれた態度と行動力、何もかもが完璧だと思える相手が自分の夫になったのだ。想い寄せることになんの障害もないはずの相手。だから私はあっさりと彼に心を傾けた。
彼から返される想いに熱量が無いことには気づいていたけれど、それでも夫婦として、家族として寄り添いあっていければ、それでも良いと思っていた。
夫婦としての一年が過ぎる頃には、その思いも、自分を苦しめるだけのものになってしまったけれど―
週に数度はあった夫婦の交わりが、月に一度あるかないかへと間遠になり、これではいけないとこちらから夫へと誘いをかけ、何とか月に一度は寝台へと誘うことができるという状況で二年。
気がつけば、キスも触れ合いもなく、ただただ子を成すための作業を積み重ねるだけの関係。膠着してしまった夫婦の在り方に打開策も浮かばず、けれど、苦痛の増していく行為を止める勇気もなくて、何とか繋いだ関係に、結局、望んだ結果は得られなかった。
(…でも、彼女なら…)
シンシア・ヘインズ、エドワードに愛され、望まれた彼女なら。きっと、エドワードの子を産むのだろう。尊い紅紫をまとうソルフェリノの子を。
公爵家も、今度こそシンシアを認めざるを得ないはずだ。愛し合う二人には幸いなことに、エドワードには私という実績があるから。ソルフェリノの次代を望むなら、エドワードに愛される妻でなければ駄目なのだ。
(…何て、何て、)
惨めなんだろう―
子が出来なかったことが、ではない。一方通行の想い、独り善がりの努力、顧みられたいという願望。全部全部打ち捨てられて、存在さえ無かったことにされた。自分を憐れむ言葉に、再び涙が流れ出す。
涙があふれ続ける間、存分に自分を憐れんで、恋物語の主役二人への恨みつらみを吐き出し続けた。
羨んで妬んで、泣いて―
そうして漸く涙が止まったところで、思いは一つに固まった。
(…絶対に、許さない。)
煮え立つ思いの中心にあるのは、醜く歪んだ自尊感情。
ブスでデブでバカだと卑屈になる私はもう居ないけれど、更に捻じ曲がってしまった根性は元の形さえわからない。おまけに、叩き潰されて踏みつけられたプライドは、例え地中にめり込んでしまっても折れなかったのだから仕方ない。
(後悔、させてやる…)
抱える怒りの熱量に突き動かされて、寝台の上、身を起こす。
止まれなかった。
思い付いた企みが、どれだけ無謀で愚かだとしてもー
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