三原色の世界で

リコピン

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第一章

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「…イリーゼ、お前との婚姻を解消する。」

ソルフェリノ公爵家の王都におけるタウンハウス、当主のために贅をこらした執務室の内、対面に座するエドワードの言葉に息を呑んだ。

(…いくら、なんでも…)

早すぎる。

思っていたより、ずっと早い断絶の決断。自負していたより、ずっと軽すぎる自分の価値を突き付けられたようで、心臓がきしんだ。

「…理由を…」

こぼれた言葉は掠れて弱く、これが自分の声だとういうことが許せなかった。言葉を切り、顔を上げる。

「…離縁の、理由をお聞かせ願えますか?」

「…」

見詰める視線の先、鮮やかな紅紫こうし色の長髪を緩く結んだ美丈夫の姿。長身に、軍隊経験のある鍛え上げられた体躯。二十六という若さでありながら、歴史ある公爵家の次代を担うに相応しい貫禄を持つ―今は未だ自分の夫であるはずの―男。その碧眼はこちらを見ないまま、返る答えもない。

「…先日の、シンシア様、」

「!」

答えを求める問いかけに、空気が動いた。やはり、

「ヘインズ子爵のご令嬢が、離縁の理由ですか?」

「…彼女は関係ない。」

関心の無さを示す、そらされたままであった視線が初めてこちらを向いた。否定の言葉とは裏腹に、彼女の名前一つ、それだけでわかりやすく苛立ちを見せる夫に湧く思い。

(悔しい…)

一週間、たった一週間前の出来事なのだ。

あちらこちらから拾い集めた情報によれば、ヘインズ子爵令嬢シンシアと自分の夫は身分差を越えた友人、幼馴染なのだそうだ。身分差と彼女の資質ゆえに結ばれることはなかった二人。男はその責務として家のための婚姻を結び、女は自身の可能性を求めて新天地へと旅立った。それが三年前の出来事。

けれど、二人の恋物語はそこで終わりではなかった―

月日が経ち、新天地より舞い戻った女は、自分がかつて愛した男と劇的な再会を果たす。そうやって始まった愛の再生の物語。そして今、その物語のスパイス要素、二人の愛の障害である男の妻が、ここで廃されようとしている。それも、彼らの愛に非は無いのだと言う虚飾に彩られて。

そんなの―

「納得がいきません。」

「…」

「シンシア様が理由ではないのだとして、では何故、離縁などという話になるのですか?他に一体どんな理由があると?」

知らず険の混じった言葉に、おざなりな返事が返る。

「…三年だ。」

「!」

言われた言葉に潜む牙に、血の気が引いた。こちらの反応など気にもしない夫の、続く言葉に身構える。

「先月で、婚姻から丸三年経ったが、結局、お前は一人の子にも恵まれなかった。」

「っ!」

「嫁しての三年、婚姻解消どころか無効の要件にさえ成り得る事由だろう?それを、お前のこれまでの働きに免じて、婚姻解消での離縁を認めると言っている。」

「そんなっ…!」

こちらへの寛容さを見せる体での譲歩なんて、意味がない。だって、それもきっと、彼が―僅かばかりであろうと―抱いているはずの罪悪感に対する贖罪でしかないのだから。

「認められません!そんなの!子が出来ないことを私一人の瑕疵とされて、婚姻解消だなんて…」

「だが、私はそれを許される身だ。」

「っそれはっ!」

(法律上はそう、でも…!)

尊き身、三公爵継嗣の血筋を守るため、三公爵にのみ許される悪法。血を受け継ぐ子を成さない婚姻を無効、始めからなかったものとしてしまう、どこまでも傲慢で身勝手な法が、「公爵家、ひいては国の存続のため」としてこの国では認められてしまっている。

双方の合意も不要、公爵家の一方的な決定で成立する婚姻無効では、公爵家側に即時新たな婚姻が可能となる反面、無効とされる側は何の権利も、どころか、主張さえも許されなくなってしまう。

(それが、この国の法なんだと言われても…!)

「納得、できません。」

「…」

「今まで、エドワード様が離縁を言葉にされたことはなかったではありませんか。」

事実、先月の結婚三周年の時には、何も言っていなかったのだ。それに、

「子どものことについても、まだこれから先、いくらでも可能性はあるはずです。」

それこそ、今、この時だって―

「状況が変わった。」

「…状況?」

耳障りの良い言葉で言いくるめようとする夫に、苛立ちが募る。

「状況というのは、シンシア様の存在ということですか?」

「なんだと…?」

問いの形をした怒りの塊が零れ落ちた。それに気づかぬふりで言葉を続ける

「変化したのはシンシア様の存在の有無。彼女が帰国して、エドワード様の前へ現れた。それが全てなのではありませんか?」

「…」

「彼女が、シンシア様さえ、あなたの前に現れなければ…」

「…貴様の勝手な妬心をシンシアに向けるな。…もし、彼女を害するつもりなら、」

「まさか!?」

夫の短絡的な発想が信じられなかった。

「そんなつもりは、全くありません!そうではなくっ…!」

何故、わからないのだろう。何故、伝わらない?

「私はただ、真実を告げて欲しいのです!」

そう、始まってしまった物語を止められないのだとしても、

「離縁の理由を、ちゃんと認めてください!」

主役たちの愛の前に、私の人生が踏みにじられるなんて許せない―

「建前の理由で有責にされ、一方的に切り捨てられる謂れはありません!」

「建前などではない。お前に子ができなかったこと、それが真実で唯一の原因だ。」

「そんなはずないではありませんか!?現に、シンシア様と再会されてから、」

「くどい!」

「!?」

「何度も言わせるな!私達の離縁にシンシアは何の関係もない!」

「嘘です!」

わかっているはずだ、彼だって。本心では認めている。だからこそ、常日頃では考えられぬほど取り乱した姿を、今まさに見せているのではないか。なのに、

「いい加減にしろ!子を産まなかったお前に全ての責がある!」

「ですが!」

「黙れ!」

「っ!」

激昂したエドワードの拳が執務机にたたきつけられた。響いた鈍い音に身がすくんで、言葉を飲み込む。

「…貴様には、温情をかけたつもりだったが…」

「…」

「それさえも浅ましく踏みにじろうとするとはな。」

「ですが、エドワード様、」

「もういい、…無効だ。」

「っ!?」

「婚姻は、解消ではなく無効とする。」

「そんな!」

告げられた残酷な言葉に、続けようとした言葉が浮かんでこない。言葉を重ねれば重ねるだけ、彼の不興をかってしまう。冷静になるべき場面、わかっていても、前世から抱える澱に焦燥をつきつけられるー

「…これ以上、シンシアを謗ることは許さん。」

「…エドワード、様。」

絶望的な言葉に、目の前の男の名にすがってしまった。

指先が震える―

「…出ていけ。」

「!」

「婚姻無効の手続きはこちらで済ませる。…二度と私の前に顔を見せるな。」

言って、そらされた瞳。もう、その碧がこちらを向くことはないのだとわかってしまう。

「…」

震えそうになった足を叱咤して、どうにか動き出した歩み。既にこちらの存在など無いものとして扱う男の横顔に頭を下げ、部屋を後にした。





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