江戸から来た花婿

三矢由巳

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第三章 雷土颪は見た! 知り過ぎた女奉公人とカステイラ の謎は湯煙の彼方に

22 心当たり

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 要するに千蔵は姉の名誉が汚されぬうちに、早く姉を殺害した者を見つけてくれと言っているのである。叡倫を罰して欲しい気持ちはあるが、姉や自分の受けた恥辱を知られたくないとも。
 これは難問だった。まず、おかつ殺しの咎人を見つけるのは元々自分の仕事ではない。町奉行所の者の仕事である。元分家の下働きで、茶屋に勤めていたおかつの人間関係は単純なものではあるまい。別れた夫がいるというから、そちらの線からも探らねばならない。町奉行所の者でさえ手こずっているのに、よそ者の己がそう簡単に見つけ出すことなどできそうもない。しかも千蔵は咎人は町方の者とは限らないと思っている。そうなると、いくらしがらみの少ない源三郎でも難しい。いや、しがらみがないからこそ難しいのだ。しがらみができるほど源三郎には深く知った者は少ないのだから。
 叡倫については、千蔵が訴えないなら叡倫を処罰することはできない。だが、彼は罪の意識が薄いように思えるから、おかつや千蔵以外にも手を出した恐れがある。その者を見つけ出し寺社奉行に訴えさせれば、処罰できるだろう。とはいえ、住職を女犯や男色で訴えるというのは訴える側にもそれなりに覚悟がいる。住職は地域の人々に崇敬されている。多くの人々は訴えがあっても本気にしないだろう。逆に訴えた者を悪しざまに罵ることもあろう。また、その時のことを役人に平然と語ることのできる者などあるはずがない。かなり難しい訴えだった。

「正直、難しいな」

 源三郎は本音をこぼした。千蔵はまだ俯いていた。

「俺一人で探し当てるなど……」

 そう言いかけて、源三郎ははっとした。奉行所の与力でも同心でもない自分が見つけるのは至難の業と言っていい。それでも自分に願うというのは千蔵にしかわからぬ心当たりがあるのではないのか。

「千蔵、まさか、おぬし、心当たりがあるのか」
「はい」

 返事とともに上げた顔には強い意志が感じられた。

「その心当たり、町奉行所の者には話したのであろう」
「……いえ、とても話せません。たぶん取り合ってもらえないでしょうから」

 取り合ってもらえないような心当たり。恐らく、町奉行所では手出しできぬ者ということか。

「弟の手前から言うのもなんですが、姉は癖の強い女子です。子どもの頃はそうでもなかったのですが、叡倫のことがあってから人を信じられなくなったみたいで。立派な住職様と皆が信じていたのですから無理もありません。村を離れてから送られてくる文には、目に見えるものだけを信じるな、人には必ず裏があると書いていたので、子ども心になんだか恐ろしくて。実際、手前も同じ目に遭いましたから、姉の言うことはわかるのです。でも、さような人ばかりではないと思うのです。現に玄蕃様のように裏のない御方もおいでです。さような御方なら手前の話をお聞きくださると」

 千蔵にそんなことを言われるとは思ってもいなかった。

「裏のないとは……」
「御無礼を申し上げました」

 千蔵は慌てて頭を下げると続けた。

「難しいとはっきりと仰せなので」

 それを裏がないと言うのは違うと源三郎は思う。単に心に思ったことを率直に述べただけである。源三郎とて、本音建前を使い分けるし、千蔵に見せる顔とは別の顔も持っている。

「千蔵、顔を上げよ。いちいち頭を下げていては目が眩む。まだ話は終わってないだろう。遠慮せずに、心当たりというのを話してくれ。心当たりの者がいるなら難しいことも少しはなんとかなるかもしれぬゆえ」
「かしこまりました」

 千蔵は再び顔を上げた。

「昨日、姉の弔いのため、城下の寺に参った時に奉公先の京屋の吉兵衛様とおかみさんもおいででした。お二人とも何故かようなことになったのかわからないと言っていました。高岡様という奉行所の方もまだ姉を殺めた者はわからぬと言っておりました。お城で殿様からお言葉を頂いた後、手前は京屋へ姉の荷物を取りに参りました。その時、同じ長屋に住む京屋の飯炊きのおしなさんという方から姉のことを伺いました。最初は当たり障りのないことを言っておりましたが、人は気付かないうちに恨みを買うことがあると口にしたのです。手前がどういうことだと問い詰めると、おかるさんは悪い人じゃなかったけど、一言多かったと言うのです。おしなさんもどうやら姉に何か言われたようで」

 癖が強いというのはそのことだったらしい。

「おしなさんの言う通り、手前に送ってくる文にしても、最後に一言余計なことを書いておりましたし」
「どういうことを書いてきたのだ」
「早く嫁をもらえとか、たまには羽目を外せとか、まあ手前にとってはまたかと思うくらいのことで。ただ他人様はそれをどう受け止めるか」

 源三郎は壱子の話を思い出す。頭でっかちの御姫様。言われた側にしてみれば気分のいいものではない。

「恐らくは京屋で姉を嫌っていた者は少なくないかと。ことによると御分家様でも」

 勤め先の主の姫である壱子のことをあげつらうくらいだから一緒に働いていた者の中には不愉快な思いをした者もいるはずだった。

「して、心当たりは」

 千蔵は源三郎の顔を見つめた。礼儀知らずの振舞だが、その真剣な顔を見れば咎めることはできなかった。

「御分家の厨で働く文助です。あの男が京屋に来た翌日姉は行方知れずになったのです。なれど、文助は御分家の奉公人。町奉行所の方々には調べることはできません。どうか、玄蕃様の御力で文助を調べていただきたいのです」

 文助のことは町奉行の娘婿の倉島平兵衛からも尋ねられている。確かに彼が店を訪れた翌日におかつが行方不明になったとあれば疑われても仕方ない。だが、後から来た和助に負けぬため、柳町の茶屋に出入りして味付けを学んでいるような真面目な男がおかつを殺めるとは思えない。人には必ず裏があるとおかつは思っていたかもしれないが、文助に果たしてそれがあるかどうか。
 源三郎は我知らず胸の前で腕組みをしていた。

「文助か……」
「それから」
「まだ、いるのか」
「はい。姉はそれだけのことをしてきたのです。まことにお恥ずかしい話です。米屋の大黒屋のおたつさんからも恨まれていることでしょう」
「誰だ、それは」
「姉の元夫だった栄蔵さんのおかみさんです。手前が郡奉行所で中間に雇ってもらえたのは栄蔵さんのおかげです。姉と別れた後も手前のことを案じてくださり。ですが、どうも姉は近頃栄蔵さんとよりを戻したようで。大黒屋の家付き娘のおたつさんからすれば夫の栄蔵さんを寝取った姉は憎い女です。姉を殺めたいと思ってもおかしくありません」

 町方ならば源三郎がどうこうせずとも町奉行所が先に動くはずである。それにしてもおかつが元夫と不義密通していたとは。

「そのおたつとやらは町人だろう。奉行所が調べるのではないか」
「町人ですが、大黒屋は御家中の御用を勤めております。郡奉行所の御用も勤めています。ただの町人ではないのです。大黒屋に何かあれば御家中も混乱します」

 米を扱うということは家中の財政にも関わるから、そうたやすく町方も手出しできぬということであろう。

「それにしても、おぬしはどうして姉が栄蔵とよりを戻したとわかったのだ」
「昨日、京屋に行った後、すっかり暗くなっておりましたが、大黒屋の栄蔵さんに会いに行ったのです。夜が明ける前にこっちに戻る予定だったので、夜しか会えないと思いまして。大黒屋に行くと栄蔵さんは店の中ではなく外で話がしたいと言うので、八幡様の近くの酒屋に行きました。大黒屋と取引があるとかで、店の奥の部屋を借りて話をしました」
「八幡様ということは辰巳町だな」
「はい」

 城下で八幡様といえば辰巳町の八幡宮のことであろう。周辺には中程度の身分の武家の屋敷だけでなく、八幡宮に参詣する者相手の商人らも住んでいる。

「栄蔵さんの話では、肥後屋という炭屋に呼ばれ奉行所の高岡という同心から姉の死を知らされいろいろと聞かれたと。その話の流れで栄蔵さんと姉がわりない仲になっていたことを聞きました。まったくお恥ずかしい限りで。おかみさんは知っているのかと尋ねると、まだ知らないと。養子ですから話せることじゃないというのはわかりますが。でも、女っていうのは勘がいい。話を終えた頃に大黒屋の丁稚が番頭さんがこちらにおいでのはずですがと言って来たんです。しかも丁稚はお客様もご一緒に、おかみさんがお待ちですと言うのです。栄蔵さんは震え上がってました。おたつが気付いたのかもしれないと」

 源三郎も婿養子だが、浮気などしようとは思わない。壱子に満足しているからである。栄蔵の女房のおたつは一体どのような女なのか。

「手前は栄蔵さんと大黒屋に戻りました。おかみさんには大久間で仕事で世話になった者でと挨拶をしました。おかみさんは栄蔵さんが以前所帯を持っていたことを知ってますが、手前のことは知らないはずでした。手前と顔を合わせたのは初めてのことで。するとおかみさんは『おまえさん、おかつさんの弟だろ。大久間の郡奉行所の中間の』と言うのです。栄蔵さんが怯えているのがわかりました。手前は違うとは言えませんでした。城に参上した帰りなので中間の姿ではありませんが、髷はご覧の通りのやっこ頭で一目で中間とわかりますから。うなずくと、おたつさんはお姉さんお気の毒なことになったそうだね、お悔やみだと言って銭を包んだものを持たせました。なんとも申し訳ないような気がしました」

 千蔵の頭は確かに月代さかやきが広く、耳の上のびんは糸のように細い。

「栄蔵さんがどうして知っているのかと尋ねると、おまえ様が肥後屋の松兵衛さんのところから帰って来た後で肥後屋から高岡様が出てくるのを見たと丁稚の竹吉が言っていたので、これは例の坂瀬川の女の死体の件じゃないかと思ったと言うのです。高岡様は姉の件を調べてまわっているので、おたつさんは栄蔵さんが調べを受けたと気づいたようで。栄蔵さんと関わりのある女といえばまずは前の女房だったうちの姉。おかみさんは栄蔵さんが昔所帯持ちだとご存じですから、察したのでしょう。大方、弟が中間ということもどこからか耳にしたのでしょう」

 まことに女の勘の良さは恐ろしいと源三郎は思う。

「手前は朝が早いのでと言ってすぐに退散いたしました。が、御奉行様の屋敷へ戻る道すがら思い出しました。おたつさんの目が最後まで冷ややかだったことを。お気の毒なことと言った時の目はなんというか。熊田様や御奉行様が姉のことを話した時のほうがよほどお辛そうで。目を見てはならぬとはわかっているのですが。もしかしたらと手前の胸に嫌な感じが湧いてきました。栄蔵さんと姉のこと、おたつさんは気づいておいでだったんじゃないかと」
「つまり、前からおたつは亭主の栄蔵とおかつが密通しているのに気付いていて、それでおかつを」
「はい」

 果たして姉を殺しておいて、その弟の千蔵に悔やみを言うなど町人の女にできるものであろうか。もしできるとしたら、おたつとやらは並の女ではない。だが、おたつを知らぬ源三郎にははっきりと否定はできなかった。実際に顔を合わせた千蔵の目から見て、おたつの立ち居振舞は疑惑を抱かせるに足るものだったのかもしれないのだから。

「他にも心当たりはあるのか」
「はい」

 千蔵の返事が少し遅れた。何やらためらいが感じられた。

「どうした、千蔵。なにか障りがあるのか」
「おそれおおいことながら」

 声がわずかに震えていた。

「おぬしはおかつのただ一人の身内。その身内が不審に思っているならば、それ相応の理由があるはず。遠慮はいらない」

 千蔵は再びおそれおおいことながらと口にしてから、その名を告げた。

「御分家様にございます」

 源三郎は己の耳がおかしくなったのではないかと思った。あるいは夢でも見ているのではないかと。

「千蔵、もう一度言ってくれないか。俺の耳はおかしくなったみたいだ」
「……御分家様にございます」

 わけがわからなかった。が、目の前のこの中間が根拠のないことを言うはずがない。熊田が信頼して召し使っているのだから。それでも問わずにはいられない。

「まことか」

 千蔵は頭を下げた。

「身の程知らずのことを申しました。なれど、ここに姉の残した文がございます」

 懐から出したのは一通の文であった。千蔵は頭を下げたままいざり寄り、それを恭しく源三郎の前に差し出した。
 手に取った文を広げた源三郎は一読し、しばし沈思黙考した。



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