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本編

8・余計な一言

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伯爵家に1泊したソフィアは水を得た魚のように生き生きし始めて、それまでよりもいっそう教育に励むようになった。

と、いうのもパスティーナとソフィアは共闘する事にしたのだ。
政治的な意味を考えれば8歳の少女にもこの婚約がそう簡単に解消も破棄も出来ない事は理解が出来る。ならば「楽しんでやろう」と逆の発想をしたのだ。

お互いにさしたる問題点はない。王子2人が下手を打たなければ共に「妃」という位置につく。どちらが王妃になるか、王弟(兄)の妃になるか。おおよその見当はついても付かず離れずの距離にいる事も変わらない。

武術に秀でたパスティーナは座学は苦手だが嫌いではない。
学問に秀でたソフィアは武術は苦手でなかなか会得出来ない。
だが、共に未来も近くにいるのなら妃同士で補い合おうと手を組んだ。





そしてパスティーナは他にする事があった。

【ティグリスの調教】である。

サボってばかりのティグリスを学ばせるためにはまず、学びの場に引っ張り出さねばならない。丁度婚約者の茶会が開かれる事になっており、パスティーナは猫ではなく「豹」を被った。

「ティグリス様、お願いがございますの」
「は?なんだ。金ならないぞ」
「失礼ですわね。今までバースデイカードも強請った事が御座いまして?」
「うっ…ないけど…」
「古代の象形文字を解読している時間は御座いませんの。ですがティグリス様にしか出来ない事がございまして」

自分にしか出来ない事?と考えてティグリスは久しぶりに硬直した。
人に何かをして欲しいと頼まれた事などないに等しい。母のカリスから「婚約者から金を引っ張って来い」と言われたが8歳のティグリスでさえ、して良い事かどうかの判別は出来る。

「鳥の巣ならもう無理だ。小枝はもうない」
「鳥の巣?何の事ですの」
「鳥の巣と言えば鳥の巣だ。親鳥がそこに卵を産むんだ」
「卵を取って食べるんですの?」
「そんな事するわけないだろう!ヒナが孵るのを見るんだよ」
「へぇ‥…」

パスティーナには意外だった。
粗暴なティグリスは鳥を捕まえて羽根を毟り取って食べてしまうのではないかというイメージがあったのだ。

「なんだよ!そんな顔をするな!」
「い、いえ。顔はそうそう取り換えが出来ませんが少々驚いてしまって」
「まぁ、いい!それで頼みとは何だ」
「簡単ですの。座学など講義に休まずに来て頂きたいのです」
「え・・・・」

ティグリスはまた硬直した。
座っていてもなかなか時間が経たない座学の講義は苦痛で仕方がないのだ。
間違えれば容赦なく講師の躾棒が背や手の甲を叩く。
ティグリスはそっと自分の右手の甲を左手で覆った。

「判らない所はわたくしにも御座います。なのでしばらく一緒にお勉強を致しましょう」
「は?!」

「それは良いアイデアで御座います」

割り込んできたのは従者ジップル。
しかし、カリスの宮はとても勉強に向いている環境とは言い難い。

「我が家にお越しくださいませ。ちょうど裏アケビの実が食べごろですわ」
「裏アケビ?!」
「えぇ。裏アケビ。珍しいでしょう?」

ティグリスは滅多に食べる事の出来ない裏アケビが大好きだった。
普通は殆どが種の実を食べるのだが、裏アケビは皮の内側を食べるのだ。
この国にしか実らない果実である。

決して食べ物に釣られたわけではないがティグリスはパスティーナと共に勉強する事を了解した。珍しくケンカにならない茶会を終えて従者ジップルは早速「お出かけセット」を用意したのだった。





結局謝る事も、リボンを返す事も出来ないままさらに2年の月日は流れる。

約束通りパスティーナの屋敷にティグリスはやってくるようになり、机を並べて一緒に勉強をした。王宮での講義もサボることなく通うようになっただけではなく、初級から中級にティグリスは【進級】出来た。

だが、伯爵家での勉強はどんどん難しくなっていく。
宮ではカリスが夜通し騒ぐため予習も復習も出来ない。ティグリスは空いた時間は何処にあるか?と考え馬車で予習復習をするようにもなったのだが・・・。


「第51代ペトルス王は灌漑対策として何をしましたか?」

講師はティグリスに回答を求めた。

――予習したのにな…なんだったっけ――

ノートを捲るティグリスだが、紙の音だけが部屋に響く時間だけが過ぎていく。
正解は判っているのだが、隣でパスティーナが見ている思うと焦ってしまって考えが全く纏まらなくなってしまうのだ。
講師は時計を見てパスティーナに同じ事を聞いた。

「はい、ペトルス王は雨季に水を貯める事が出来るよう貯水池を作る事を貴族に命じ、そこから田畑には水路を設けました。ですがその分水について農夫たちが不平を申し出るようになり53代ストロック王は中継地には分岐用の桝を設けました。平等に流れるよう対策を取ったのです」

「よろしい」

「カっカンニングだ!僕のノートを見たな?ズルいぞ!」

「見てませ~ん。貴方のノートなんか何処を見てもミミズかカタツムリが這ったような文字。解読するほうが難しいですもの(ぷいっ)」

「彼女の言う通りですよ。文字は相手に伝えるためにあるのです。折角書いても解読できない文字では何も伝わりませんよ?ティグリス殿下、字もしっかり他者に判るように書くようにせねばなりません。頭の中は誰にも見えないのですからね?」

「そんなの!口で言えば良いじゃないか」

「遠くにいる人にどうやって?だから手紙があるのよ?知らないのぉ??(ぷいっ)」

「はいはい。喧嘩をしない。ティグリス殿下は学ぶ気持ちが乱高下していますよ。昨日と今日では別人のようです。体調が悪い時は先に申し出なさい。そしてパスティーナ嬢、貴女はちゃんと睡眠をとるように。目の下にクマがありますよ。淑女の嗜みも忘れずに」


ティグリスはパスティーナの横顔を見た。講師にの言葉が無ければ気が付かなかっただろう。パスティーナは目の下にクマを作っていたのだ。

それまで気にもしなかったが、パスティーナは誰にも見えない所で予習復習をしている事にティグリスは気が付いたのだった。それを自慢する事もない。過去の自分が恥ずかしくなってしまった。

伯爵令嬢であるパスティーナは婚姻となれば国王がニキフォロスだとしてもティグリスの隣に立つことになる。恥ずかしくない知識や学力、マナーを身につける必要があった。
寝ている時間はなかったのだ。


「あまり無理するな」

講師が帰った後、ぽつりと呟いたティグリスの言葉にパスティーナは片付けていた教本を揃える動きを止めた。

「珍しいですわね?熱でもありますの?」
「熱なんかない。ただ、無理をしてまでする事はない」
「お気遣いは無用です。何かの役に立つ事もあるでしょうから」
「そんなのあるわけないだろう!妃になるとはいえ伯爵令嬢如きが足掻いても無駄だ」

少しの沈黙が2人の間に流れる。
ティグリスは自分の発言が非常によろしくない事も判っているのに口から出てしまった。

「ご心配なく。この結婚は当家と王家の契約。感情など求めていません」

表情から感情も温度も消し去ったパスティーナは教本を抱えると部屋を出て行った。

――またやっちまった…なんで言っちゃったかなぁ――


パスティーナの考えは間違ってはいない。
未だに貴族や王族の結婚は家と家の契約のようなもので、子供の感情は問題外。
事業をしたり融資をしたりする上で結ばれる事が多く、中には事業の終結、融資された額の全額返済など期日が決まっていればその場で円満解消となる事もある。



宮に戻り、椅子に腰かけて引き出しを開けるのも日課になった。
そこにあるのは返せないままになっているリボンを入れた箱。そして何十枚も書き直しを必要とするバースディカードの予備である。

引き出しを引いた事で少し動いたカードの束の位置を指で直し、ティグリスは引き出しを元に戻した。
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