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第二章
第二章 ~『エメラルドの謎が解ける時』~
しおりを挟む映雪に話を聞くために琳華たちは麗珠の部屋へと移動する。以前、歓待された個室へと通された彼女は、天翔と共に椅子に腰掛けていた。
「私は映雪を呼んでくるわね」
麗珠はそれだけ言い残して部屋を去る。外の世界から隔絶されたかのような静けさに包まれた室内は、提灯の柔らかな光に照らされていた。
「映雪はどのような人物なんだい?」
「お世辞にも愛想が良いタイプではありませんよ。それに私のことが嫌いなようで、態度も威圧的です」
「そうか……」
「ですが良い面もあります。私のために美味しい茶を御馳走してくれましたから」
麗珠から遠ざけるために多くの嫌がらせを受けた。ただ映雪の淹れてくれたお茶が絶品であったことは間違いない。その点だけは唯一、感謝していた。
「待たせたわね。映雪を連れてきたわ」
麗珠が映雪と共に部屋に足を踏み入れる。後ろを歩く映雪の足取りは重いが、琳華と視線を合わせた瞬間、僅かに眉を寄せて不機嫌を顕にする。
「映雪様……夜分にご足労いただき、ありがとうございます」
「麗珠さんからの頼みでなければ、断っていたわ」
以前、麗珠と共に映雪とお茶会をした時は、主人の前だからと言葉遣いが丁寧だった。だが今の彼女の口調からは礼節が消えている。それほどに琳華を敵視しているのだ。
「話は道中で聞かせてもらったわ。皇后様から宝石の謎を解くように依頼されたようね……でも無駄よ。あなたに分かるはずないわ」
映雪の攻撃的な言葉で、室内に緊張がもたらされる。重苦しい空気が流れるが、琳華は目を逸らさずに映雪を見据える。
「その心配は無用です。既に謎は解けていますから」
「え?」
「結論から伝えましょう。エメラルドの輝きが失われた事件の犯人は、映雪様、あなたですね」
ビシッと放たれた言葉に、映雪の顔色が一瞬で困惑に変化する。麗珠と天翔も突然の宣言に戸惑い、琳華の方を見つめていた。
「私が犯人? 馬鹿らしいわね」
「そうでしょうか?」
「自由自在に宝石から輝きを奪える力が私にあるとでも? そんなの噂になっている先帝の呪いと同じよ。できるはずないじゃない」
映雪は怒りを顕にする。だが声は僅かに震えていた。琳華は落ち着いた態度で彼女の問いに応える。
「いいえ、逆です。あなたは輝きを失わせたのではありません。凡庸な宝石にオイルによる艶出しを行うことで、一時的に輝きを増していたのです」
エメラルドは硬度が高くないため、微細な傷が残りやすい。また内包物によって透明度が落ちる課題も抱えている。
それらの問題を解決する手段こそがオイルによるコーティングだ。微細な傷をオイルで埋め、屈折率を変化させることで透明度を増し、輝きを生み出せるのだ。
もちろんオイルは永続的に効力を発揮しない。抜け落ちていくため、輝きも衰えていく。それこそがエメラルドの輝きが失われる謎の正体だった。
(この推理には確信があります)
自信に満ちた宣言に、映雪は言葉を失い、反論できずにいた。室内は一層の緊張感に包まれ、麗珠や天翔はゴクリと固唾を飲む。
「反論がないようですし、続けて、事件の全容を時系列順に説明しましょう」
琳華はゆっくりと立ち上がり、部屋の中央に一歩踏み出した。彼女の存在感が部屋を支配し、その場の空気が一変する。目には冷静さを湛え、声が部屋中に響き渡る。
「事件は麗珠様を利用して、皇后様に近づくところから始まりました。あなたはオイルでコーティングしたエメラルドを一級品と偽って、売りつけたのです。ただ表面に塗られたオイルは永続するわけではありません。時間の経過と共に失われていき、その真の姿を晒すことになりました」
琳華は深呼吸をし、映雪の方へと向き直る。
「このトリックの肝は、エメラルドが粗悪品であると判明するのが、売買成立から数ヶ月経過した後ということです。購入した時点では一級品だったのですから。映雪様から疑いの目を逸らすことができます」
買った当時は正常だった品が時間を経て劣化した場合、最初から粗悪品だったと疑う者は少ない。
使い方を誤ったか、保管方法を間違えたか、それとも別の要因か。どちらにしても、原因が使用過程の中で発生したと疑う。
「ですが、このトリックには大きな穴がありました。それは宝石に詳しい者なら、謎を解き明かせてしまう点です」
琳華は映雪の様子を一瞥する。彼女の額には汗が浮かび、目は泳いでいた。だがまだ自白する様子はない。琳華は話を続ける。
「故にあなたは私と麗珠様が親しくなるのを阻止しようとしました。最初は嫉妬だと誤解しましたが、本当の目的は私が皇后様のエメラルドを鑑定しないようにするためだったのですね」
琳華の推理は、映雪の計画を明るみにする。部屋の中は静まり返り、映雪の目は床へと向けられた。
「映雪様、どうか素直に認めてください」
言い逃れのできない状況に陥った映雪だが、まだ心は折れていないのか、顔を上げると憤怒を滲ませた瞳を琳華に向ける。
「面白い推理ね。でもそれはただの仮説でしょ。証拠がないわ」
「証拠があれば認めるのですか?」
「出せるものなら出してみなさい。できるわけがないわ!」
映雪は苦し紛れに声を荒げる。憐れみさえ感じながら、琳華は決定的な切り札を提示する。
「証拠ならありますよ。それは皇后様のネックレスです」
「あのネックレスがどうして私が犯人という証拠になるのよ!」
「嵌め込まれた宝石もオイルコーティングされたエメラルドですよね。なら暖かい湯や石鹸を使えば輝きを失うはずですから」
天然の輝きならば湯や石鹸で輝きが衰えるはずもない。その提案に映雪は顔色を変えるが、琳華は動じずに続ける。
「なんでしたら皇后様の前で実演してみましょうか」
「――ッ……うぐっ……それには……及ばないわ……」
「では認めるのですね」
「ええ、一連の事件の犯人は私よ」
映雪は自らの罪を認めるように膝を折ると、琳華を見つめる。口元には乾いた笑みが張り付いていた。
「私は家が貧乏でね。借金があるの。覚えているかしら?」
「覚えています」
「その借金を返済するには女官の給金だけでは足りなかったの。だから皇后様を騙すしかなかった……もちろん良心の呵責はあったわ。でもね、後宮への復讐だと思えば、私は心を鬼にできたの」
「復讐ですか?」
琳華の問いに、映雪は遠い目を向ける。
「私の両親は二流の宝石商だった。でもね、食べるのには困らなかったわ。大口の顧客を抱えていたおかげで、日銭は稼げていたの……でも、あるキッカケで家業を畳むことになったわ。そしてそれは私の善意だった……」
映雪の目尻から涙が溢れて頬を伝う。その瞳は後悔で滲んでいた。
「後宮の外に買い出しに来ていた宮女が、財布を落としたの。私はそれを拾って、警吏に届けた……そしたらね、冤罪で逮捕されたの。牢屋に閉じ込められた私を、商談中だった両親が迎えに来てくれたわ……でもね、理由がまずかった。娘が宮女から財布を盗んだと噂が広がり、後宮との揉め事を恐れた顧客たちは離れてしまった。経営は悪化し、私たち家族には借金だけが残ったのよ」
「…………ッ」
「もし、あの時私が財布を拾わなければ……ぅ……家族はみんな笑って暮らせたのに……」
映雪の話は場の空気を重くする。沈黙が流れ、彼女の過去の痛みと後悔が、言葉を超えて伝わったのだ。それは後宮の華やかさの裏に隠された、一人の女官の切ない心の叫びだった。
絶望で沈む映雪。そんな彼女を救うように、手を差し伸べたのは主人である麗珠だった。
「映雪、私と一緒に皇后様に謝りに行きましょう」
「麗珠さんに迷惑をかけるわけには……」
「部下が犯した過ちは、上司である私の責任でもあるわ。一緒に罪を背負ってあげるから。安心なさい」
麗珠は肩に手を乗せ、柔和に微笑む。彼女の優しさに触れて、映雪の瞳から溢れていた涙は勢いを増す。
ただそんな彼女たちに、天翔が待ったをかける。
「皇族を騙したとなれば、最悪の場合に死罪にもなりかねない。熟慮した上で決断を下すべきだ」
現実に引き戻すような忠告に、映雪の顔が青ざめる。不安にさせる意図はなかったのか、天翔は微笑みながら言葉を続ける。
「誤解しないで欲しい。脅したいわけではないんだ。僕の方で手を尽くして、君を無罪にできないか掛け合ってみるから、それまでは慎重に行動して欲しいんだ」
映雪の身の上話を聞かされ、天翔も彼女に同情していた。彼の眼差しは彼女を穏やかに包み込むように優しく、その言葉の一つ一つには、映雪を守りたいという強い意志が感じられた。
そんな彼の優しさを感じ取った琳華が今度は口を挟む。彼女にもまた考えがあったからだ。
「麗珠様、天翔様、この問題は私に任せてくれませんか?」
「どういうことだい?」
「この謎はこれで終わりではないのです。私が最後まで解決させますから、どうかお願いします」
琳華の目には解決への確固たる意志が宿っていた。麗珠と天翔は互いに顔を見合わせ、その決意を受け入れる。彼女がこの難局を乗り越え、事件を解決へと導くだろうと信頼しているからこその決断だった。
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