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32.苦しそうな呻き声が
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騎士になると言っていたオライオンの姿を、アルテミスは一度も王城で見ていない。
もしや兄が何かしたのでは? と不安に駆られるが、確かめるために不用意に動けば、それこそ藪を突くことになり、蛇が出てきかねない。
ただ彼の無事と幸せを祈ることしか、アルテミスにはできなかった。
「駄目ね。もうすぐ結婚するのですもの。忘れて切り替えなければ」
オライオンを愛していた。今も忘れることができずにいる。
けれどアルテミスは、クピードの妃となるのだ。彼を愛し支え、国のために働かなければならない。そう頭では理解していたが、どうしてもあの男を愛することはできなかった。
物思いにふけっていると、どこからか苦しそうな呻き声が聞こえてくる。アルテミスは立ち上がり、庭園の中を見回した。人影は見つからない。
隠れられるところといったら東屋か、人工的に作られた小高い丘の向こう側だろう。
「どうかいたしましたか?」
アルテミスの不審な動きに気付いた騎士が、近づきながら声を掛けてきた。
「呻き声が聞こえるでしょう?」
「確かに」
言われて耳を澄ました騎士も、声に気付く。
「丘の方からだわ」
「危険です。ここでお待ちください」
「一緒に来て」
騎士に止められてためらったアルテミスだったが、庭園の中を走り出した。人に見られればはしたないと謗りを受けるかもしれないが、今は呻き声の持ち主を探すことが先決だ。
ドレスの裾を摘んで駆けるアルテミスに、騎士はぎょっと目を剥いたが、すぐに警戒心を取り戻して彼女を追い越し、先行する。
「アモール殿下!」
騎士の声に嫌な予感を覚えながら、アルテミスは数秒遅れて丘の向こう側に回り込んだ。
丘に背を預けるようにして仰向けに倒れたアモールが、苦しそうに胸を抑えている。
「ここは私が残ります。あなたは城に戻り医師と、殿下を運んでくださる騎士に声を掛けてきてください」
「お願いします」
発作の最中はあまり動かさないようにと通達されているため、騎士は担いで運ぶことを躊躇っていた。
第二王子の婚約者であり、未婚の令嬢でもあるアルテミスを、第一王子が相手とはいえ男と一人きりにして良いのかと迷った騎士だったが、すぐに駆け出す。
「殿下、大丈夫ですか? アルテミスです。今助けを呼びにやりましたから、今しばらくの辛抱です」
入れ替わるようにアモールの脇に膝を突いたアルテミスは、彼の耳元で声を張る。歯を食いしばり、目を閉じていた彼は、薄っすらと開いたまぶたの下から、アルテミスを見た。
「殿下、お薬は飲まれましたか?」
「ま、だ。落としてしま、て」
飲もうとして取り出したところを、苦しみのためか取り落としたのだろう。
「予備は?」
アモールは苦しそうに、首を小さく横に動かす。
辺りを見回したアルテミスは、丸薬を見つけた。
「ありました。こちらであっていますでしょうか?」
目で頷いたアモールから微かに安堵する息がこぼれ、受け取ろうと手を伸ばす。しかし苦しみに負けてしまったようで、胸元に戻してしまう。
早く飲ませなければ、と丸薬に付いた汚れを指で取り除いていたアルテミスは、鼻腔に触れたにおいに眉をしかめ、手を止めてしまった。
薄目で様子を窺っていたアモールの瞳が、徐々に険しくなっていく。
「アル、テミス?」
困惑したアモールが呼ぶ声で正気に戻ったアルテミスは、彼を見る。
「申し訳ありません。土が付いてしまって」
「構わない。早、く」
喘ぐような声で苦しげに懇願するアモールの口に、アルテミスは躊躇いながらも丸薬を放り込んだ。
「アモール殿下!」
先ほどの騎士が、別の騎士を連れて戻ってきた。
「すぐに医者も参りますので」
言葉通り、騎士に背負われた城勤めの医師が、それから間を置かずに運ばれてきた。
診察を終え発作も落ち着くと、騎士たちが持ってきた担架に乗せられて、アモールは彼の寝室へと運ばれていく。
途中まで付き添い、王族たちの居住区の手前で足を止めたアルテミスは、遠ざかるアモールをしばらく見つめていた。人目が無くなったことを確認すると、ちろりと自分の指を舐めた。
「やっぱり」
目を閉じて息を吐き出すと、アルテミスは自分の務めへと戻った。
もしや兄が何かしたのでは? と不安に駆られるが、確かめるために不用意に動けば、それこそ藪を突くことになり、蛇が出てきかねない。
ただ彼の無事と幸せを祈ることしか、アルテミスにはできなかった。
「駄目ね。もうすぐ結婚するのですもの。忘れて切り替えなければ」
オライオンを愛していた。今も忘れることができずにいる。
けれどアルテミスは、クピードの妃となるのだ。彼を愛し支え、国のために働かなければならない。そう頭では理解していたが、どうしてもあの男を愛することはできなかった。
物思いにふけっていると、どこからか苦しそうな呻き声が聞こえてくる。アルテミスは立ち上がり、庭園の中を見回した。人影は見つからない。
隠れられるところといったら東屋か、人工的に作られた小高い丘の向こう側だろう。
「どうかいたしましたか?」
アルテミスの不審な動きに気付いた騎士が、近づきながら声を掛けてきた。
「呻き声が聞こえるでしょう?」
「確かに」
言われて耳を澄ました騎士も、声に気付く。
「丘の方からだわ」
「危険です。ここでお待ちください」
「一緒に来て」
騎士に止められてためらったアルテミスだったが、庭園の中を走り出した。人に見られればはしたないと謗りを受けるかもしれないが、今は呻き声の持ち主を探すことが先決だ。
ドレスの裾を摘んで駆けるアルテミスに、騎士はぎょっと目を剥いたが、すぐに警戒心を取り戻して彼女を追い越し、先行する。
「アモール殿下!」
騎士の声に嫌な予感を覚えながら、アルテミスは数秒遅れて丘の向こう側に回り込んだ。
丘に背を預けるようにして仰向けに倒れたアモールが、苦しそうに胸を抑えている。
「ここは私が残ります。あなたは城に戻り医師と、殿下を運んでくださる騎士に声を掛けてきてください」
「お願いします」
発作の最中はあまり動かさないようにと通達されているため、騎士は担いで運ぶことを躊躇っていた。
第二王子の婚約者であり、未婚の令嬢でもあるアルテミスを、第一王子が相手とはいえ男と一人きりにして良いのかと迷った騎士だったが、すぐに駆け出す。
「殿下、大丈夫ですか? アルテミスです。今助けを呼びにやりましたから、今しばらくの辛抱です」
入れ替わるようにアモールの脇に膝を突いたアルテミスは、彼の耳元で声を張る。歯を食いしばり、目を閉じていた彼は、薄っすらと開いたまぶたの下から、アルテミスを見た。
「殿下、お薬は飲まれましたか?」
「ま、だ。落としてしま、て」
飲もうとして取り出したところを、苦しみのためか取り落としたのだろう。
「予備は?」
アモールは苦しそうに、首を小さく横に動かす。
辺りを見回したアルテミスは、丸薬を見つけた。
「ありました。こちらであっていますでしょうか?」
目で頷いたアモールから微かに安堵する息がこぼれ、受け取ろうと手を伸ばす。しかし苦しみに負けてしまったようで、胸元に戻してしまう。
早く飲ませなければ、と丸薬に付いた汚れを指で取り除いていたアルテミスは、鼻腔に触れたにおいに眉をしかめ、手を止めてしまった。
薄目で様子を窺っていたアモールの瞳が、徐々に険しくなっていく。
「アル、テミス?」
困惑したアモールが呼ぶ声で正気に戻ったアルテミスは、彼を見る。
「申し訳ありません。土が付いてしまって」
「構わない。早、く」
喘ぐような声で苦しげに懇願するアモールの口に、アルテミスは躊躇いながらも丸薬を放り込んだ。
「アモール殿下!」
先ほどの騎士が、別の騎士を連れて戻ってきた。
「すぐに医者も参りますので」
言葉通り、騎士に背負われた城勤めの医師が、それから間を置かずに運ばれてきた。
診察を終え発作も落ち着くと、騎士たちが持ってきた担架に乗せられて、アモールは彼の寝室へと運ばれていく。
途中まで付き添い、王族たちの居住区の手前で足を止めたアルテミスは、遠ざかるアモールをしばらく見つめていた。人目が無くなったことを確認すると、ちろりと自分の指を舐めた。
「やっぱり」
目を閉じて息を吐き出すと、アルテミスは自分の務めへと戻った。
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