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00.プロローグ
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「アルテミス・フルムーン! 貴様との婚約を破棄する!」
舞踏会の一角で、第二王子とその側近たちが、一人の令嬢を睨み付けていた。
第二王子の隣には、濃い紫色の髪を持つ小柄で可愛らしい少女が寄り添っている。つぶらな瞳はにじむ涙で潤み、きらきらと輝いていた。
一方、第二王子から睨みつけられていた令嬢は、手に持っていたグラスを近くにいた使用人に渡し、第二王子に体ごと向けた。
「了承しました。婚約を破棄するのですね」
ドレスのスカートを手に取ると、膝を軽く折って淑女の礼をする。
お手本のような微笑を浮かべる彼女を目に映し、不機嫌そうに顔をしかめた第二王子だったが、礼を終えた彼女が見せた挙動に、満足そうに口の端を上げる。
アルテミスは周囲に気付かれないように気を付けながらも、悲しみにを耐えるように、ふっと首を斜めに下げたのだ。
今まで自分に気のない振りをしていたが、やはり自分に惚れていたのだと確信し、自尊心が高まっていく。しかし第二王子を残して、アルテミスはその場から立ち去ろうと足を動かしだしたではないか。
「待て! 話はまだ終わっていない」
このまますんなりと逃がしてなるものかと、慌てて第二王子は呼び止めた。
足を止めて振り返ったアルテミスのわずかに見開かれた茶色の瞳には、焦燥が覗いていた。このままでは表情を取り繕えないと焦っているのだろう。
第二王子は満足そうに、細めた目で彼女を眺める。
それでも高位貴族の娘として育った彼女は、すぐにいつもの微笑を貼りつけると、冷静な声を返してくる。
「はい、何でしょう?」
「お前は婚約を破棄されても良いのか?」
第二王子である自分との婚約が破棄されるのだ。悔しく悲しいに決まっている。女が後悔する顔をもっとはっきり見たくて、確信を突く問い掛けをした。
アルテミスは苦しそうに眉をひそめ、唇を震わす。優越感に、第二王子の口元が緩んだ。
けれど微笑を浮かべた彼女は、
「ええ、構いませんわ。敢えて申し上げますなら、破棄ではなく解消とされるべきではないかとは思いますが」
と、難癖とも取れる強がりを言い放った。言葉とは裏腹に、内心では悔しくて臍を噛む思いなのだろう。目は笑えていない。
その冷たい眼差しに、第二王子が腕に抱えている少女が怯え、身を寄せる。
「貴様がプシケーにした所業、私が知らないとでも思っているのか?!」
アルテミスを睨み付け、叩き付けるように強く言い放つ。眉を尖らせてアルテミスを睨み付ける姿には、彼の怒りの大きさが現れていた。
隣の少女は怯えるように身を縮こまらせて、第二王子にぴたりと寄り添う。あまりの密着具合に、会場にいた淑女たちは眉をひそめたが、少女は気付いていないようだ。
「殿下、申し訳ありませんが、そのプシケー様とはどなたのことでしょう?」
「とぼけるか? 知らないとは言わせぬぞ」
ここにきてとぼけたことを言い出したアルテミスに、第二王子は一瞬だけ驚いたが、すぐに怒りを増幅させる。腕に抱えた少女を少し前に押し出して、涙目で見上げてくる少女を示した。
しかしアルテミスは自分の非を認めるどころか、更にしらばっくれる。
「初めてお会いする方ですね。アルテミス・フルムーンと申します。プシケー様?」
「小賢しい小芝居をするな。お前の所業は証拠も掴んでいるのだ!」
わざとらしく初見の挨拶をしてみせるアルテミスを苦々しく睨みつけた第二王子は、吐き捨てるように咎めると、側近の令息たちに目を配った。
意を察した令息たちは、アルテミスの悪行の証拠を次々と提示していく。些細な嫌がらせから、毒の混入、誘拐未遂、屋敷への侵入など、命の危険を伴うものまであった。
周囲を囲む貴族たちの表情が険しくなっていく。それと同時に、顔色を青くする者や、してやったりと笑いを堪える者もいた。
表情を変えた貴族たちは、第二王子たちが上げた犯行に思い当たることがあるのだろう。
自分たちにまで火の粉が飛んでこないかと息を飲む者は、まだ良心が残っている方と言える。
責めをアルテミスに全て負わせることができたとほくそ笑む者たちは、すでに更生の余地もないのかもしれない。
騒ぎの中央にいるアルテミスは、何を考えているのか読み取れない作った微笑を張り付けたまま、小首を傾げていた。それでもいつもの穏やかさは消えている。
第二王子は追い込まれていくアルテミスが、いつ自分に詫びて許しを請うかと、その目に彼女をひたと捉え続ける。
側近たちが上げ連ねている犯行の中に、アルテミスが行ったと証明されたものは一つも無かった。中には完全に他の貴族の犯行だと明らかになっているものさえある。
けれど提示されていく証拠は、確かにアルテミスが犯人だと示していた。
婚約者であるアルテミスの行動は、逐一第二王子に報告されている。
彼女がいつならば一人だったか、どのような人物に会っていたか、第二王子は全て知っている。そして彼女の持ち物をくすねることも、持ち物に何かを加えることも、彼女の周囲にいる王家の手の者を使えば、容易く行える。
アルテミスに冤罪を被せるなど、彼にとっては他愛もないことだった。
追い詰められたアルテミスは第二王子から視線を逸らし、壁をきつと睨む。
反論もできなくて悔しいのだろう。王子である自分を蔑ろにしたからだと、第二王子は思い通りになることのなかった女を、蔑むように見た。
「これでもまだ言い逃れをする気か?!」
チェックメイトとばかりに、第二王子は声を張る。
逸らされたアルテミスの顔が悔しげに歪む姿を目にして、第二王子は満足そうに口角を上げる。
さあ、仕上げだと、獲物を射程距離に捉えた猛禽類のように瞳を輝かせながら、最後の台詞を口にした。
「このような罪人を王家に迎え入れるわけにはいかない。よって婚約は破棄する。アルテミス・フルムーンを捕えよ」
これで彼女は己の失態に気付き、深く後悔し、自分の立場を思い知ることだろう。泣いてすがりつくはずだ。
さあ、その無様な姿をさらすがいいと嘲りを浮かべる目の先で、会場に控えていた騎士たちが動き出した。
舞踏会の一角で、第二王子とその側近たちが、一人の令嬢を睨み付けていた。
第二王子の隣には、濃い紫色の髪を持つ小柄で可愛らしい少女が寄り添っている。つぶらな瞳はにじむ涙で潤み、きらきらと輝いていた。
一方、第二王子から睨みつけられていた令嬢は、手に持っていたグラスを近くにいた使用人に渡し、第二王子に体ごと向けた。
「了承しました。婚約を破棄するのですね」
ドレスのスカートを手に取ると、膝を軽く折って淑女の礼をする。
お手本のような微笑を浮かべる彼女を目に映し、不機嫌そうに顔をしかめた第二王子だったが、礼を終えた彼女が見せた挙動に、満足そうに口の端を上げる。
アルテミスは周囲に気付かれないように気を付けながらも、悲しみにを耐えるように、ふっと首を斜めに下げたのだ。
今まで自分に気のない振りをしていたが、やはり自分に惚れていたのだと確信し、自尊心が高まっていく。しかし第二王子を残して、アルテミスはその場から立ち去ろうと足を動かしだしたではないか。
「待て! 話はまだ終わっていない」
このまますんなりと逃がしてなるものかと、慌てて第二王子は呼び止めた。
足を止めて振り返ったアルテミスのわずかに見開かれた茶色の瞳には、焦燥が覗いていた。このままでは表情を取り繕えないと焦っているのだろう。
第二王子は満足そうに、細めた目で彼女を眺める。
それでも高位貴族の娘として育った彼女は、すぐにいつもの微笑を貼りつけると、冷静な声を返してくる。
「はい、何でしょう?」
「お前は婚約を破棄されても良いのか?」
第二王子である自分との婚約が破棄されるのだ。悔しく悲しいに決まっている。女が後悔する顔をもっとはっきり見たくて、確信を突く問い掛けをした。
アルテミスは苦しそうに眉をひそめ、唇を震わす。優越感に、第二王子の口元が緩んだ。
けれど微笑を浮かべた彼女は、
「ええ、構いませんわ。敢えて申し上げますなら、破棄ではなく解消とされるべきではないかとは思いますが」
と、難癖とも取れる強がりを言い放った。言葉とは裏腹に、内心では悔しくて臍を噛む思いなのだろう。目は笑えていない。
その冷たい眼差しに、第二王子が腕に抱えている少女が怯え、身を寄せる。
「貴様がプシケーにした所業、私が知らないとでも思っているのか?!」
アルテミスを睨み付け、叩き付けるように強く言い放つ。眉を尖らせてアルテミスを睨み付ける姿には、彼の怒りの大きさが現れていた。
隣の少女は怯えるように身を縮こまらせて、第二王子にぴたりと寄り添う。あまりの密着具合に、会場にいた淑女たちは眉をひそめたが、少女は気付いていないようだ。
「殿下、申し訳ありませんが、そのプシケー様とはどなたのことでしょう?」
「とぼけるか? 知らないとは言わせぬぞ」
ここにきてとぼけたことを言い出したアルテミスに、第二王子は一瞬だけ驚いたが、すぐに怒りを増幅させる。腕に抱えた少女を少し前に押し出して、涙目で見上げてくる少女を示した。
しかしアルテミスは自分の非を認めるどころか、更にしらばっくれる。
「初めてお会いする方ですね。アルテミス・フルムーンと申します。プシケー様?」
「小賢しい小芝居をするな。お前の所業は証拠も掴んでいるのだ!」
わざとらしく初見の挨拶をしてみせるアルテミスを苦々しく睨みつけた第二王子は、吐き捨てるように咎めると、側近の令息たちに目を配った。
意を察した令息たちは、アルテミスの悪行の証拠を次々と提示していく。些細な嫌がらせから、毒の混入、誘拐未遂、屋敷への侵入など、命の危険を伴うものまであった。
周囲を囲む貴族たちの表情が険しくなっていく。それと同時に、顔色を青くする者や、してやったりと笑いを堪える者もいた。
表情を変えた貴族たちは、第二王子たちが上げた犯行に思い当たることがあるのだろう。
自分たちにまで火の粉が飛んでこないかと息を飲む者は、まだ良心が残っている方と言える。
責めをアルテミスに全て負わせることができたとほくそ笑む者たちは、すでに更生の余地もないのかもしれない。
騒ぎの中央にいるアルテミスは、何を考えているのか読み取れない作った微笑を張り付けたまま、小首を傾げていた。それでもいつもの穏やかさは消えている。
第二王子は追い込まれていくアルテミスが、いつ自分に詫びて許しを請うかと、その目に彼女をひたと捉え続ける。
側近たちが上げ連ねている犯行の中に、アルテミスが行ったと証明されたものは一つも無かった。中には完全に他の貴族の犯行だと明らかになっているものさえある。
けれど提示されていく証拠は、確かにアルテミスが犯人だと示していた。
婚約者であるアルテミスの行動は、逐一第二王子に報告されている。
彼女がいつならば一人だったか、どのような人物に会っていたか、第二王子は全て知っている。そして彼女の持ち物をくすねることも、持ち物に何かを加えることも、彼女の周囲にいる王家の手の者を使えば、容易く行える。
アルテミスに冤罪を被せるなど、彼にとっては他愛もないことだった。
追い詰められたアルテミスは第二王子から視線を逸らし、壁をきつと睨む。
反論もできなくて悔しいのだろう。王子である自分を蔑ろにしたからだと、第二王子は思い通りになることのなかった女を、蔑むように見た。
「これでもまだ言い逃れをする気か?!」
チェックメイトとばかりに、第二王子は声を張る。
逸らされたアルテミスの顔が悔しげに歪む姿を目にして、第二王子は満足そうに口角を上げる。
さあ、仕上げだと、獲物を射程距離に捉えた猛禽類のように瞳を輝かせながら、最後の台詞を口にした。
「このような罪人を王家に迎え入れるわけにはいかない。よって婚約は破棄する。アルテミス・フルムーンを捕えよ」
これで彼女は己の失態に気付き、深く後悔し、自分の立場を思い知ることだろう。泣いてすがりつくはずだ。
さあ、その無様な姿をさらすがいいと嘲りを浮かべる目の先で、会場に控えていた騎士たちが動き出した。
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