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71.再び地下へと向かい下っていく
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再び地下へと向かい下っていく昇降機。ひび割れた鞘から刀を抜いてみると、刀身にまでひびが入っていた。
「おな、が」
「なんじゃ? セッカ」
絶え絶えに紡がれるセッカの声。先程見せた鬼神の如き面を脱ぎ、優しく答える。
「逃げ、て」
「安心せえ。今逃げちょる」
セッカの白く細い手が、オナガの頬に触れる。
「私、あなたの大切な人たちの記憶を、奪ったわ」
「気にすっな。それも俺が取り戻しちゃる」
「あなたの記憶も、奪うように命じられている」
「大丈夫じゃ。俺の記憶はそう簡単には奪えん」
他の隊員たちの記憶が改竄されているのだ。オナガだけが放置されているはずがない。禁衛に就任してからというもの、頭痛や眩暈のようなものを絶えず感じていた。
華族たちの命令よりも強く支配してくるそれらを、オナガは気力で封じ込めている。
「ビンスイ様は、私の想い人を探している。オナガだと知られれば、処分されてしまう」
王に選ばれる前から、ビンスイはセッカに恋慕していた。けれどセッカは断り続けていたのだ。セッカに想い人がいると、彼に知られていてもおかしくはない。
だがそれがオナガであるなどと、彼を見てもビンスイは気付けなかったのだろう。
華族と平民の間には、あまりに大きな隔たりがある。平民が華族に憧れることはあっても、華族が平民に親しみを抱くことは少ない。
王族であるビンスイ以上に愛された相手が平民であるなどと、想像することさえ難しく、想像できたとしても彼の矜持が認めることを許さないだろう。
更にはその恋敵が、禁衛の隊長というあまりに近く、絶対的に忠実であるはずの組織に潜んでいるなど、思いもよるまい。
そこまで考えて、オナガの思考はふとある点に辿り着く。
「セッカ、お前とレイラン様の記憶を禁衛の皆から消したんは、お前の意思か?」
虚ろだったセッカの表情が苦痛に歪んでいく。
セッカとレイランの記憶が隊員たちに残っていれば、オナガとセッカの関係はすぐにビンスイの耳にまで届いただろう。だからオナガを護るため、記憶を奪ったのだ。
理由があったとしても、オナガの仲間たちから記憶を奪った罪悪感は、セッカの心に重く圧し掛かる。
結果としてカイツの命を奪い、レイランを追放させる一因にもなってしまった。
ビンスイとレイランの関係を考えれば、禁衛から記憶を奪わなくとも遅かれ早かれ同じ結果となったかもしれないが、だからといって罪の意識がそう易々と消えるわけでもない。
「一人で背負うな。俺にも背負わせろ」
強く抱きしめて、安心させるように何度も彼女の髪を撫でた。額と額が触れ合うほど至近距離で、彼女に微笑みかける。
「愛しちょる。何があろうと、どんな目に遭おうと、俺の気持ちは変わらん。それだけは忘れるな」
「オナガ、私も、愛している」
神の道具として、王の道具として、自我を奪われながら、それでもオナガを守ろうとしていた愛しい人に、オナガは優しく口付けた。
浮遊感が二人を襲う。甘い空気は捨て去り、オナガは刀を構える。
ひびの入った刀身は、もう一度振るえば折れてしまうだろう。
「鉄棒を持ってくるんじゃったな」
そうすればそう簡単には折れず、相手を斬ることも無い。打ち所が悪ければ命に関わるが、急所を外すなどオナガには難しくないことだ。
後悔したがすでに遅い。その時間も無かった。
「セッカ、俺にしっかり捕まっとけ」
垠萼に通じる蕊山の地下。幸いにも待ち伏せはされていなかった。
オナガは南へと駆ける。氷の北萼、砂漠の東萼、草原の西萼、そして密林の南萼。
魔物の危険度を考えれば安全なのは北萼だが、隠れることができるのは南萼しかない。
「開けてくれ」
「どうぞ」
顔なじみの門番は、オナガの声を聞くと理由など聞かずに三枚の扉と門を操作する。なにせ三日に一度は南萼に出ているのだ。警戒しろと言う方が無理であろう。
ただ、オナガが連れている黒髪の女性に気付くと、ぎょっと目を丸くして驚いていたが。それでもオナガが禁衛であることを思い出すと、勝手に一人で納得してしまった。
オナガが一人で魔物を討伐できる腕前であることを、検衛の者たちはよく知っている。彼が護るのであれば神子が垠萼に出ても危険はないのだとうと考えてしまった。
王族が地下まで下りてきた例もあるのだから、神子が垠萼を見学したいと言い出すこともあるのだろうと。
そうのんびりと考えて送り出した門番に、通信機から非常事態が告げられたのは、オナガの姿が扉の向こうに消えて、数秒後の事であった。
「おな、が」
「なんじゃ? セッカ」
絶え絶えに紡がれるセッカの声。先程見せた鬼神の如き面を脱ぎ、優しく答える。
「逃げ、て」
「安心せえ。今逃げちょる」
セッカの白く細い手が、オナガの頬に触れる。
「私、あなたの大切な人たちの記憶を、奪ったわ」
「気にすっな。それも俺が取り戻しちゃる」
「あなたの記憶も、奪うように命じられている」
「大丈夫じゃ。俺の記憶はそう簡単には奪えん」
他の隊員たちの記憶が改竄されているのだ。オナガだけが放置されているはずがない。禁衛に就任してからというもの、頭痛や眩暈のようなものを絶えず感じていた。
華族たちの命令よりも強く支配してくるそれらを、オナガは気力で封じ込めている。
「ビンスイ様は、私の想い人を探している。オナガだと知られれば、処分されてしまう」
王に選ばれる前から、ビンスイはセッカに恋慕していた。けれどセッカは断り続けていたのだ。セッカに想い人がいると、彼に知られていてもおかしくはない。
だがそれがオナガであるなどと、彼を見てもビンスイは気付けなかったのだろう。
華族と平民の間には、あまりに大きな隔たりがある。平民が華族に憧れることはあっても、華族が平民に親しみを抱くことは少ない。
王族であるビンスイ以上に愛された相手が平民であるなどと、想像することさえ難しく、想像できたとしても彼の矜持が認めることを許さないだろう。
更にはその恋敵が、禁衛の隊長というあまりに近く、絶対的に忠実であるはずの組織に潜んでいるなど、思いもよるまい。
そこまで考えて、オナガの思考はふとある点に辿り着く。
「セッカ、お前とレイラン様の記憶を禁衛の皆から消したんは、お前の意思か?」
虚ろだったセッカの表情が苦痛に歪んでいく。
セッカとレイランの記憶が隊員たちに残っていれば、オナガとセッカの関係はすぐにビンスイの耳にまで届いただろう。だからオナガを護るため、記憶を奪ったのだ。
理由があったとしても、オナガの仲間たちから記憶を奪った罪悪感は、セッカの心に重く圧し掛かる。
結果としてカイツの命を奪い、レイランを追放させる一因にもなってしまった。
ビンスイとレイランの関係を考えれば、禁衛から記憶を奪わなくとも遅かれ早かれ同じ結果となったかもしれないが、だからといって罪の意識がそう易々と消えるわけでもない。
「一人で背負うな。俺にも背負わせろ」
強く抱きしめて、安心させるように何度も彼女の髪を撫でた。額と額が触れ合うほど至近距離で、彼女に微笑みかける。
「愛しちょる。何があろうと、どんな目に遭おうと、俺の気持ちは変わらん。それだけは忘れるな」
「オナガ、私も、愛している」
神の道具として、王の道具として、自我を奪われながら、それでもオナガを守ろうとしていた愛しい人に、オナガは優しく口付けた。
浮遊感が二人を襲う。甘い空気は捨て去り、オナガは刀を構える。
ひびの入った刀身は、もう一度振るえば折れてしまうだろう。
「鉄棒を持ってくるんじゃったな」
そうすればそう簡単には折れず、相手を斬ることも無い。打ち所が悪ければ命に関わるが、急所を外すなどオナガには難しくないことだ。
後悔したがすでに遅い。その時間も無かった。
「セッカ、俺にしっかり捕まっとけ」
垠萼に通じる蕊山の地下。幸いにも待ち伏せはされていなかった。
オナガは南へと駆ける。氷の北萼、砂漠の東萼、草原の西萼、そして密林の南萼。
魔物の危険度を考えれば安全なのは北萼だが、隠れることができるのは南萼しかない。
「開けてくれ」
「どうぞ」
顔なじみの門番は、オナガの声を聞くと理由など聞かずに三枚の扉と門を操作する。なにせ三日に一度は南萼に出ているのだ。警戒しろと言う方が無理であろう。
ただ、オナガが連れている黒髪の女性に気付くと、ぎょっと目を丸くして驚いていたが。それでもオナガが禁衛であることを思い出すと、勝手に一人で納得してしまった。
オナガが一人で魔物を討伐できる腕前であることを、検衛の者たちはよく知っている。彼が護るのであれば神子が垠萼に出ても危険はないのだとうと考えてしまった。
王族が地下まで下りてきた例もあるのだから、神子が垠萼を見学したいと言い出すこともあるのだろうと。
そうのんびりと考えて送り出した門番に、通信機から非常事態が告げられたのは、オナガの姿が扉の向こうに消えて、数秒後の事であった。
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