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第2章 地球活動編

第137話 奮起衝動  二節 聖者襲撃編

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 雨女河村の少女――盤井巴ばんいともえは幼い弟の手を引きながら、放送事務所の前に佇んでいた。

「お姉ちゃん……」

「大丈夫、大丈夫だから」

 不安そうに見上げて来る弟の頭を優しく撫でる。
 ともえは改めて当たりを見渡す。
 お爺さん、お婆さん、おばさん、おじさん、お兄さん、お姉さん、子供達――老若男女を含めた凡そ、全村民が鬼気迫る表情で放送事務所前に集まっている。
 ともえ達があのほたるお姉ちゃんの放送を聞いたのは学校の教室内だった。
 全身に震えがきた。だってほたるお姉ちゃんの言葉はともえが今抱いていることそのものだったから。
 ともえも、ほたるお姉ちゃんと同様、この雨女河村が大嫌いだった。村を歩くだけで、怖い女神達に殴られ、蹴られる。最悪殺されることすら日常の風景の一つ。生贄として大切な人達が次々にいなくなる。
 そんな場所を好きになれという方に無理がある。ともえにとって今すぐにでも逃げ出したい場所がこの雨女河村だ。そしてそれはこの村民の共通認識でもある。
 それでも逃げ出さないのはまず逃げ延びる事の困難性。
 生贄に選ばれた男女の家族は幾度となくこの村から逃がそうとした。でも未だ嘗て一人たりと逃げ出せたものはいない。その主な理由は女神達に捕まることにはなく村を脱出した後にあった。
この村での事情は和泉家にとってはまさに鬼門。審議会に知られれば、和泉家本家とてただで済まぬ秘匿事項。だから近隣の街へ抜ける街道には結界が張り巡らされていて大抵気付かれる。そうなると和泉家の殲滅部隊が出動し、殺される。仮に運よく警察や審議会の事務所に駆け込むことが可能だったとしても、近隣の村の警察や審議会の事務所は全て和泉家の圧力がかかっている。和泉家の圧力により村に戻され処分される。
 村の外へ出ることが許されている者は村の外で一切の村の事情を話す事を禁じる呪いをかけられ、村の外で村の事情を話した時点で心臓発作により死亡する。
 こんな袋小路の状況に四十年間もこの村はあったのだ。
 しかも、今 ともえ達がこうしている以上、噂の和泉家の殲滅部隊が既にこの村に向かっている。
 普通に考えればまさに破滅の状況だ。
 それなのに村民の顔には強烈な不安と共に一握りの希望があった。
 村民を奮い立たせているのは、じんお兄ちゃんと真白ましろお姉ちゃんが連れて来た魔術師。即ち――『あの人』の存在。

 突如、若い男の人の声が頭の中に響く。キョロキョロと辺りを探し見るともえ

『初めまして。僕は《妖精の森スピリットフォーレスト》のギルドマスター、楠恭弥くすのききょうや

妖精の森スピリットフォーレスト》? 楠恭弥くすのききょうや? ほたるお姉ちゃんの演説に出て来た『あの人』のことだろうか。

『僕は壬や真白達から聞いて君達の事情の委細を把握している』

 やはり、この声の人は『あの人』だ。壬お兄ちゃん達が連れてきたともえ達を救ってくれる人。
 だが『あの人』の言葉は巴の期待していたものとは少し違っていた。

『この四十年間、君達は、この村を支配していた和泉家と天族により、蹂躙されてきた。
 生きるために必要最低限の権利以外の全てを剥奪され、自由を奪われた。親を無慈悲に殺され、愛する我が子や恋人を天族の生贄にされる。抵抗するものは例外なく殺された』

 その通りだ。この雨女河村では死はありふれた日常だ。天族共の気まぐれで簡単に失われる。それに関して和泉家から謝罪の一言すらない。

『自由と権利を奪われ、村を逃げ出そうにも見せしめとして殺される。こんな存在が人間と言えると思うかい?』

 分かっている。和泉家や天族にとって巴たちは――。

『そうだ。君達は天族にとっての家畜であり、和泉家のとっての贄。
より適切な言葉で言えば天族という猛獣を飼いならすための餌に過ぎない』

 猛獣を飼いならすための餌。この村でその事実を認識していない者などいない。
 村の役員達は幾度となく和泉家に開放を求めた。せめて子供達だけでもと何度も懇願した。だが和泉家の返答はない。あるのは声を上げた者が先導者として処罰されることだけ。だから、『あの人』のこの言葉は何ら間違っちゃいない。
 でも……それでも――ともえは生きている。生きているのだ。ともえの意思に反し小刻みに身体が震えだす。

『君達が親を失おうが、子を失おうが、恋人を失おうが、友を失おうが、和泉家の首脳部には報告すらされない。
 君達が抱く悲痛も、絶望も、天族に対する憎しみも、全て価値のない塵としてシュレッダーにかけられ、今も和泉家は我が世の春を謳歌している』

 悔しい。巴達のこの苦悩を、憎しみを、絶望を知ろうともせずに普段通り生活を送っているその事実がどうしょうもなく悔しい。

『無価値――これが今の君達の価値についてのこの世界での認識だ』

 先のない暗い身の上のことが暗雲のように ともえの頭上にかぶさってくる。そして他の村民達も ともえと抱く気持ちは同じ。
 ――悔し涙を流すもの。
 ――憤りに天に向かって吠えるもの。
 ――蹲り、地面に何度も拳を叩きつけるもの。
 
 そんな ともえ達の気持ちを引き裂くように無情な声は続く。

『無論、君達は過去に何度も立ち上がったのだろう。その度に打ちのめされるうちに君達は諦めしてまった。
 ――過去にされた罪を断ずることを諦めてしまった。
 ――現在されている罪を止めることを諦めてしまった』

 多分、『あの人』の言う通り。 ともえ達は諦めた。でも仕方ないじゃないか。天族は強くて、とってもとっても強くって、ともえ達が束になっても敵わない。和泉家も同じだ。凄まじい権勢を持ち、ともえ達をこの村へ閉じ込める。
 だからこそ、ともえ達はほたるお姉ちゃんのいう『あの人』に縋ったのだ。

『搾りかすしか残っていない、正真正銘のどん詰まり。それが今の君達であり、この村の現状だ』

 そうだ、どうせもう――。
 ともえの頬を熱い液体が伝う。

『でもさ、ならなぜ君達はここにいる?』

「え?」

 思わず口から言葉にならない声が吐き出される。

『君達の手を見なよ。何を握っている?』

 ともえの左手には弟の手、そして右手にては木の棒が握られていた。

『武器なんじゃないのかい? だとすればこれはどういうことなんだろうね?
 君達は天族にばれたら下手をすれば死ぬくらいわかっていたはずだ。和泉家の殲滅部隊が向かっていることもわかってはずだ。
 動かなければ少なくても死なない。奴隷のような生活は保障される。それなのに君達 はこうしてこの場にいる。ほたるを助けるためにこうしてこの場に集まっている』

 この人は何を言いたいんだろう? その発言の意図が読めない。

『君らはほたるの発言にあった壬と真白の連れて来た『あの人』ならばこの事件を解決してくれる。その希望に縋ってこの場にいると考えているんじゃないのかい?』

 その通りだ。ともえ達はほたるお姉ちゃんの言っていた『あの人』がこの村を地獄から解放してくれると信じて――あれ?

『もう気づいたろ? だったら、なぜこの場にいる? 武器を持っている?
 君達が人任せにするつもりなら、僕が全て解決するんだ、その場を動かなければいい。戦うつもりもないんだ。武器など持たなければいい』

 打ちひしがれ泣いていた人も袖で涙を拭いて、立ち上がり、空を見上げる。

『もっと、正直になりなよ。君らはとっくの昔に人任せにするつもりなんてないんだ。
 だって、許せないだろ?』

 許せるかだって? そんなの決まってる。許せる訳なんてない!
 お父さんをあんなに悲しませる奴等なんて、許せない! ほたるお姉ちゃんにあんなひどい事をする奴等なんて許せない!

『君らは親を奪った奴らを許せるのか?』

「許せるものか!」

 近所の八百屋おじさんが獣の遠吠えのような叫びをあげる。

『君らは子供を奪った奴らが許せるのか?』

「許さないよ!!」

 農家のおばさんが、自分の太腿を平手打ちする。

『君らは友を、恋人を奪った奴等が許せるのか?』

「許さない!」

 普段優しいともえの担任の先生が声を荒げて叫ぶ。

『君らは何もしない自分自身を許せるのか?』

「「「許せるわけない!!」」」

 幾多もの声がまるで洪水のように、この放送事務所前に溢れかえる。

『自覚しなよ。君らは未来まで諦めちゃいないんだ』

 ともえの胸の芯がかっかと火山のように発火していく。ともえの左手を握る弟の手がギュッと強く握り締められる。

『自覚しなよ。君らは無力に震える羊じゃない。傷つきながらも、敵の喉笛を嚙み切らんと隙をうかがう誇り高き狼だ』

 木刀を握る右手に力が籠る。
 村で唯一の美容院のお姉さんが、奥歯を痛いくらい噛みしめるが見えた。

『結構なことじゃないか。世界が価値を認めようとしないなら、無理矢理にでも認めさせればいい! 搾りかすしか残っていないなら、また一から作ればいい!
 僕が保障しよう。君らにそれができる』

 それは無意識だろうか。誰かが始めた地面を叩く靴裏の音が、次々に伝播し地鳴りとなって放送事務所の建物を揺らす。

『君らはもう十二分に苦しんだろう、悲しんだろう? 悪魔が描いた悲劇しか書かれていない筋書きシナリオなど、丸めてゴミ箱に投げ捨ててしまえ。
 今、これからの君らの筋書きシナリオを決めるのは悪魔でも僕でもない。君ら自身の手と足だ!』

 瞬間、津波のような歓声が放送事務所前から湧き上がり、吹き抜けていく。
 ――武器を頭上高く掲げるもの。
 ――拳を突き出すもの。
 ――あらんかぎりの声をあり上げるもの。

 周囲が熱狂の渦に包まれたとき、ともえの内部に説明しがたい凄まじい力が生じる。同時に、頭の中に突如浮かぶ、レベル1~4までの【終の黒魔術Ω】、【終の白魔術Ω】、【終の青魔術Ω】、【終の呪術Ω】、【終の降霊術Ω】【終の赤魔術Ω】【終の召喚術Ω】、【お菓子魔術】の魔術の発動の仕方と解析という能力の使用方法。そして自身が一時的にレベル150になったという事実。
 混乱する ともえの前に、一振りの剣と漆黒のジャケットが浮遊していた。そして弟、他の村民達にも同じ現象が起こっていた。

『手に取れ。それは君らの未来そのものだ』

 言葉のままに剣を握り、漆黒のジャケットに触れる。剣は刀身が縮んでいき、ミリタリーナイフまで大きさ形状を変化させる。対してジャケットは布地まで分解すると ともえの身体に纏わりつき、着用される。
 唖然として、弟に視線を向けると、大剣に全身フルメイルの様相となっていた。
 村人達もこの非常識な状況に言葉もなく自身の武具を眺めている。
 ともえの左隣にいた弟が近くの松の木まで歩いていくと、左拳を無造作に放つ。
ドンッと火薬が暴発したかのような轟音と大穴が開いた松の木が倒れる姿。

「すごい! お姉ちゃん。僕、強くなってるよ!」

 喜色を顔面に張らせながらも、ぴょんぴょんと飛び跳ねる弟の言葉を契機に村民達の興奮が爆発する。
 騒々しい放送事務所に再度声が響く。

『さあ、始めよう、君らの誇りと魂を賭けた闘いを!』

 今度こそ、一斉に耳が弄するような鬨の声が上がる。

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