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30 夫VS義兄
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グシャグシャッと乱暴に自分の頭を掻いたクリストフに、フィルマンは気遣わし気に声を掛ける。
「まだ、お二人がどの様なご関係かはわかりませんよ?」
「ああ、だが……」
その時、重苦しい空気が満ちていた執務室に、軽やかなノックの音が響いた。
「何だ?」
クリストフが声を掛けると、扉を開けて入室したのはグレースだった。
「旦那様、奥様のお義兄様がご挨拶なさりたいと仰ってますが、いかが致しますか?」
「義兄? ミシェルの?」
「はい。只今、応接室の方でお二人でお茶を飲んでおられます」
「…………そうか、分かった。今行く」
クリストフが応接室に入ると、ソファーに並んで座り楽しそうにお喋りをしていたいた二人は、それに気付いて同時に立ち上がった。
(何故、義兄と横並びに座る?
ミシェルは、一応私の妻なのだから、私の隣に座るべきでは?)
確かに、本来ならば当主夫妻が隣りに並び、義兄は向かい側に座るのが定石だ。
しかし、ミシェルは女性嫌いのクリストフに配慮して、ディオンと並んで座っているのだが───。
残念ながら、今のクリストフに、その配慮に気付けるだけの心の余裕は無い。
(大体にして、この二人、距離感が近過ぎないか?
兄妹と言っても血の繋がりは無いのだろう?)
クリストフの苛立ちを他所に、ディオンは人懐こい笑みを浮かべながら握手を求めて来た。
「初めまして、ディオン・シャヴァリエと申します。義妹がお世話になってます。
今朝まで隣国におりましたので、ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ございません」
「どうも、ミシェルの夫のクリストフ・デュドヴァンです」
差し出された手を取ると、必要以上の力で握られた。
ムッとしたクリストフも、負けじと渾身の力を込めて握り返す。
微笑み合う二人の間には、なにやらピリピリとした空気が漂っているのだが……。
ミシェルはその事に全く気付かず、握手を交わす二人を嬉しそうにニコニコと見ていた。
当たり障りのない会話をしながら、テーブルの上のクッキーを口に運んだディオンは何かに気付き、頬を緩めた。
「コレ、ミシェルが作ったヤツだろ?」
「あ、分かりますか?」
「分かるさ。
俺、コレが昔から好きだったんだよなぁ。
ナッツがたっぷり入ったヤツ」
「ふふっ。そうでしたね」
蚊帳の外に置かれたクリストフは、微かに眉根を寄せる。
彼はミシェルがお菓子を作れるという事さえ知らなかったのだ。
「侯爵様は甘い物はお好きですか?」
「嫌いではありません。
疲れた時などに、たまに食べます」
ディオンとクリストフの会話を聞いたミシェルは、無邪気に微笑む。
「そうなのですね。では、今度お菓子を焼いたら旦那様にも食べて頂きたいです」
「……ああ」
先程までディオンに向けられていたのと同じ柔らかな笑みを向けられると、クリストフは何故か落ち着かない気持ちになって、手元のティーカップに視線を落とした。
ミシェルと目が合うと、今迄経験した事の無い謎の感情が湧いて来る。
自分が自分じゃ無くなるみたいな気がしてしまい、どうにも居心地が悪い。
瞳が逸らされるとホッとするのだが、少し淋しくも感じる。
その気持ちの正体を、彼はまだ知らない。
「……ところで、侯爵様」
「何でしょう?」
「ミシェルを寄越せって言う、王家の無茶振りを断って下さったと聞きました。
ウチのミシェルを守って頂き、ありがとうございました」
ディオンの何気ないこの言葉に、クリストフは又もやカチンと来た。
(は? ウチのミシェル? お前の所のミシェルじゃない。
もう、ウチのミシェルだ)
「……貴殿に礼を言われる筋合いはありません。
彼女は私の妻です。
こう見えても一応、妻を守れるくらいの甲斐性はあるつもりですので」
「そうですか、それは頼もしい」
そう言ったディオンは、少しだけ寂しそうに笑った。
その表情は、他家に嫁いだ愛する娘を見る父親の様でも有ったが、クリストフの目には、血の繋がらない妹を密かに恋い慕っている様にも見えた。
「んじゃあ、俺はそろそろ帰るとしますか」
ディオンはグイッと紅茶を飲み干すと、徐に腰を上げた。
「えっ? もう帰っちゃうの?」
ディオンのジャケットの袖を掴んで引き留めようとするミシェルに、クリストフの胸の奥がチクッとする。
『義兄と離れがたい』という気持ちを隠そうともしないミシェルを見ていると、何故か再び苛立ちが湧いて来た。
「ああ、我が家に帰るより先に、ミシェルに会いに来てしまったからなぁ。
サッサと帰って、父上と母上に隣国での成果を報告しないと」
「そうか、残念だけど」
ミシェルはちょっとションボリした。
「たまにはお前も帰って来いよ。近いんだから。
構いませんよね?」
「……あ、ああ」
急にディオンに話を振られたクリストフは、ぎこちなく頷く。
帰りかけていたディオンは振り返ると、思い出した様に口を開いた。
「あ、そうだ。最後に侯爵様に一つだけ、大切なお話が───、」
そう言った彼はクリストフにスッと近付き、耳元で何かを囁いた。
その内容にクリストフは驚愕の表情を浮かべる。
「では、またお会いしましょう」
何事も無かったように出て行こうとするディオンを、ミシェルは呼び止めた。
「えっ…ちょっと、ディオン兄? 何の話だったの?」
「お前には関係ないの!」
ワシャッとミシェルの頭をひと撫でしたディオンは、鼻歌を歌いながら帰って行った。
「まだ、お二人がどの様なご関係かはわかりませんよ?」
「ああ、だが……」
その時、重苦しい空気が満ちていた執務室に、軽やかなノックの音が響いた。
「何だ?」
クリストフが声を掛けると、扉を開けて入室したのはグレースだった。
「旦那様、奥様のお義兄様がご挨拶なさりたいと仰ってますが、いかが致しますか?」
「義兄? ミシェルの?」
「はい。只今、応接室の方でお二人でお茶を飲んでおられます」
「…………そうか、分かった。今行く」
クリストフが応接室に入ると、ソファーに並んで座り楽しそうにお喋りをしていたいた二人は、それに気付いて同時に立ち上がった。
(何故、義兄と横並びに座る?
ミシェルは、一応私の妻なのだから、私の隣に座るべきでは?)
確かに、本来ならば当主夫妻が隣りに並び、義兄は向かい側に座るのが定石だ。
しかし、ミシェルは女性嫌いのクリストフに配慮して、ディオンと並んで座っているのだが───。
残念ながら、今のクリストフに、その配慮に気付けるだけの心の余裕は無い。
(大体にして、この二人、距離感が近過ぎないか?
兄妹と言っても血の繋がりは無いのだろう?)
クリストフの苛立ちを他所に、ディオンは人懐こい笑みを浮かべながら握手を求めて来た。
「初めまして、ディオン・シャヴァリエと申します。義妹がお世話になってます。
今朝まで隣国におりましたので、ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ございません」
「どうも、ミシェルの夫のクリストフ・デュドヴァンです」
差し出された手を取ると、必要以上の力で握られた。
ムッとしたクリストフも、負けじと渾身の力を込めて握り返す。
微笑み合う二人の間には、なにやらピリピリとした空気が漂っているのだが……。
ミシェルはその事に全く気付かず、握手を交わす二人を嬉しそうにニコニコと見ていた。
当たり障りのない会話をしながら、テーブルの上のクッキーを口に運んだディオンは何かに気付き、頬を緩めた。
「コレ、ミシェルが作ったヤツだろ?」
「あ、分かりますか?」
「分かるさ。
俺、コレが昔から好きだったんだよなぁ。
ナッツがたっぷり入ったヤツ」
「ふふっ。そうでしたね」
蚊帳の外に置かれたクリストフは、微かに眉根を寄せる。
彼はミシェルがお菓子を作れるという事さえ知らなかったのだ。
「侯爵様は甘い物はお好きですか?」
「嫌いではありません。
疲れた時などに、たまに食べます」
ディオンとクリストフの会話を聞いたミシェルは、無邪気に微笑む。
「そうなのですね。では、今度お菓子を焼いたら旦那様にも食べて頂きたいです」
「……ああ」
先程までディオンに向けられていたのと同じ柔らかな笑みを向けられると、クリストフは何故か落ち着かない気持ちになって、手元のティーカップに視線を落とした。
ミシェルと目が合うと、今迄経験した事の無い謎の感情が湧いて来る。
自分が自分じゃ無くなるみたいな気がしてしまい、どうにも居心地が悪い。
瞳が逸らされるとホッとするのだが、少し淋しくも感じる。
その気持ちの正体を、彼はまだ知らない。
「……ところで、侯爵様」
「何でしょう?」
「ミシェルを寄越せって言う、王家の無茶振りを断って下さったと聞きました。
ウチのミシェルを守って頂き、ありがとうございました」
ディオンの何気ないこの言葉に、クリストフは又もやカチンと来た。
(は? ウチのミシェル? お前の所のミシェルじゃない。
もう、ウチのミシェルだ)
「……貴殿に礼を言われる筋合いはありません。
彼女は私の妻です。
こう見えても一応、妻を守れるくらいの甲斐性はあるつもりですので」
「そうですか、それは頼もしい」
そう言ったディオンは、少しだけ寂しそうに笑った。
その表情は、他家に嫁いだ愛する娘を見る父親の様でも有ったが、クリストフの目には、血の繋がらない妹を密かに恋い慕っている様にも見えた。
「んじゃあ、俺はそろそろ帰るとしますか」
ディオンはグイッと紅茶を飲み干すと、徐に腰を上げた。
「えっ? もう帰っちゃうの?」
ディオンのジャケットの袖を掴んで引き留めようとするミシェルに、クリストフの胸の奥がチクッとする。
『義兄と離れがたい』という気持ちを隠そうともしないミシェルを見ていると、何故か再び苛立ちが湧いて来た。
「ああ、我が家に帰るより先に、ミシェルに会いに来てしまったからなぁ。
サッサと帰って、父上と母上に隣国での成果を報告しないと」
「そうか、残念だけど」
ミシェルはちょっとションボリした。
「たまにはお前も帰って来いよ。近いんだから。
構いませんよね?」
「……あ、ああ」
急にディオンに話を振られたクリストフは、ぎこちなく頷く。
帰りかけていたディオンは振り返ると、思い出した様に口を開いた。
「あ、そうだ。最後に侯爵様に一つだけ、大切なお話が───、」
そう言った彼はクリストフにスッと近付き、耳元で何かを囁いた。
その内容にクリストフは驚愕の表情を浮かべる。
「では、またお会いしましょう」
何事も無かったように出て行こうとするディオンを、ミシェルは呼び止めた。
「えっ…ちょっと、ディオン兄? 何の話だったの?」
「お前には関係ないの!」
ワシャッとミシェルの頭をひと撫でしたディオンは、鼻歌を歌いながら帰って行った。
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