上 下
31 / 107

31 その視線の主は

しおりを挟む
『ウチの両親、ミシェルの仇打ちの為に、王家をぶっ潰そうとしてるらしいんすけど、良かったら侯爵様も一枚噛みます?』

 クリストフは、領地管理の書類を整理しながら、ディオンが最後に残した言葉を何度も反芻していた。

(飄々としていて、食えない男だったな)

 帰り際に、ミシェルの頭を撫でたディオンと、一瞬だけ目が合った事を思い出す。

 あの時のヤツの勝ち誇った顔───。

「あ、」

 グシャッと音がして、クリストフは無意識に手元の書類を握り潰してしまった事に気付いた。
 クシャクシャになった書類を両手で伸ばして、深く息を吐きながら、先程脳裏に浮かんだ光景を振り払うように、軽く首を振る。

 あの義兄とやらはいけ好かないが、ミシェルとシャヴァリエ家の関係が良好そうだと分かったのは収穫だ。
 ミシェルは時折楽しそうに義実家の話をするとグレース達に聞いてはいたし、何度か貰った手紙ではミシェルを気遣っているみたいに感じたが、縁談の際に彼等が挨拶に来る事は無かったので、その実態がよく掴めずにいた。
 しかし、今日の雰囲気を見ると、ミッシェルは彼等にかなり愛されていたらしい。

 その事に何故こんなにも安堵しているのかは、クリストフ自身もよく分からないけれど。



 以前、冗談でミシェルに、『今後はシャヴァリエ家と交流を深めよう』なんて言ったけれど、本当に連絡を取り合ってみようか……。

 執務机の引き出しから白い便箋を取り出して、万年筆を握る。

(取り敢えず、あの不穏な誘いの詳細を確認しよう。
 王家の馬鹿どもに一泡吹かせてやれるなら、手を貸さない事も無い。
 両家の騎士団は国内でも最高峰の精鋭揃いだし、フィルマンは諜報も得意だ。色々と協力出来る事は多いだろう)

 そう考えたクリストフは、シャヴァリエ家に宛てて文を認めた。



~~~~~~~~~~~~~~



「はい、あと三回!! さん、に、いち、お疲れ様でしたぁ」

 稽古場で腕立て伏せをしていたジェレミーは、レオの終了の合図でゴロンと地面に転がった。
 その様子を、私はハラハラしながら見守っている。

「う゛ぅ~~……腕がパンパンだぁ……」

 弱音を吐くジェレミーに、レオはハハッと笑いながら手を差し伸べ、引っ張り起こした。

「坊っちゃまは、剣の扱いは上手くなってきましたが、まだまだ筋肉が足りませんね。
 でも良く頑張りましたから、少しだけ休憩しましょうか」

 そう言われたジェレミーは、チェルシーやシルヴィと共に見学していた私の所へフラフラと寄って来た。

「大丈夫?」

「はい、強くなる為に必要な事だと聞いたので、頑張ります。
 大きくなったら、僕が母様を守ってあげますからね」

 ニコニコしながら可愛らしい宣言をするジェレミーの頭をそっと撫でる。

「ふふっ。小さなナイトですね」

 シルヴィが微笑ましそうに呟く。

「ええ、とても頼もしいわ」

 堪らなく抱き締めたくなって、手を伸ばしたのだけれど、

「あ、ダメですよ、母様。
 汗もかいてるし、さっき地面に寝てしまったので、汚れていますから」

 と、拒絶されてしまった。

「そんなの別に気にしないのに」

「僕が気にしますからっ!」

 頑なに断りつつ、筋肉痛で痛む腕を摩っている姿を見ると、つい可哀想になってしまう。

「……奥様、強い筋肉を育てる為には、無闇に治癒をかけてはいけませんよ?」

 珍しく真剣な表情のレオの忠告に頷く。

「ええ、分かってるわ」

 分かっては、いるのだ。
 けれど……、何もしてあげられない事が、とても歯痒い。


 その時、また何処からか視線を感じて、ふと、邸の建物を見上げる。
 すると、二階にある書庫の窓辺にいた人影がフッと立ち去るのが見えた。
 その姿は一瞬だけしか見えなかったけど、多分、黒くて短い髪の……。

 ───もしかして、旦那様?





「では、父様、母様、お休みなさい」

 就寝時間になって、ダイニングを出て行くジェレミーを見送り、二人きりになった時、珍しく旦那様に話し掛けられた。

「いつもミシェルの護衛に付いている騎士だが……」

「レオの事ですか?」

「レオ……愛称で呼んでいるのか?」

「は?」

 予想外の言葉にポカンとした表情になってしまった。

「レオポルド・ラングレー。奴の名だ」

「ああ、今初めて知りました。
 初対面の時に『レオと申します』と自己紹介されましたし、皆んなも『レオ』って呼んでいたので、それが本名かと……」

「……そうか。
 まあ、騎士は有事の際に長い名前だと呼び難いから、短縮した愛称を普段から使う事が多いと聞くしな」

「そうなのですか? 旦那様は何でもご存知ですね。
 そのレオが、どうかしましたか?」

 話の先を促すと、旦那様は少し口籠った。
 何か言い難い話なのだろうか?

「……………その……、彼は、君と、仲が良いのだろうか?
 いつも楽しそうに畑仕事などをしている様だが」

「はい、普通に仲は良いです。
 ブツブツ文句を言いながらも、護衛以外の事も色々と手伝ってくれるので助かっていますが……。
 あ、もしかして専門外の仕事をさせてはいけなかったですか?」

「いや、それは構わない。そうか、普通か……」

 何か納得した様に、何度も頷いている。
 使用人の勤務態度を確認したかったのだろうか?

「旦那様は、もしかして、私達が薬草畑にいる時とか、よくご覧になってますか?」

「たまに。書庫にいると、窓からよく見えるから」

「そうですか。ジェレミーが手伝ってくれている事もありますもんね」

 そうか、あの視線はやっぱり旦那様だったのかも。
 きっとジェレミーや使用人達の様子を見守っていたのね。

 やだなぁ。
 自分が誰かに見られているのだと勘違いしていたなんて、私ったら自意識過剰だったわ。

 照れ笑いをした私に、旦那様も微かに口角を上げてくれた。



 でも、この時の私は気付いていなかった。

 視線の主が、一人とは限らないのだという事に。

しおりを挟む
感想 396

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです

【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。

千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。 だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。 いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……? と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。

成人したのであなたから卒業させていただきます。

ぽんぽこ狸
恋愛
 フィオナはデビュタント用に仕立てた可愛いドレスを婚約者であるメルヴィンに見せた。  すると彼は、とても怒った顔をしてフィオナのドレスを引き裂いた。  メルヴィンは自由に仕立てていいとは言ったが、それは流行にのっとった範囲でなのだから、こんなドレスは着させられないという事を言う。  しかしフィオナから見れば若い令嬢たちは皆愛らしい色合いのドレスに身を包んでいるし、彼の言葉に正当性を感じない。  それでも子供なのだから言う事を聞けと年上の彼に言われてしまうとこれ以上文句も言えない、そんな鬱屈とした気持ちを抱えていた。  そんな中、ある日、王宮でのお茶会で変わり者の王子に出会い、その素直な言葉に、フィオナの価値観はがらりと変わっていくのだった。  変わり者の王子と大人になりたい主人公のお話です。

勘当された悪役令嬢は平民になって幸せに暮らしていたのになぜか人生をやり直しさせられる

千環
恋愛
 第三王子の婚約者であった侯爵令嬢アドリアーナだが、第三王子が想いを寄せる男爵令嬢を害した罪で婚約破棄を言い渡されたことによりスタングロム侯爵家から勘当され、平民アニーとして生きることとなった。  なんとか日々を過ごす内に12年の歳月が流れ、ある時出会った10歳年上の平民アレクと結ばれて、可愛い娘チェルシーを授かり、とても幸せに暮らしていたのだが……道に飛び出して馬車に轢かれそうになった娘を庇おうとしたアニーは気付けば6歳のアドリアーナに戻っていた。

【完結】婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~

Na20
恋愛
セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。 そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。 「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」 ※ご都合主義、ふんわり設定です ※小説家になろう様にも掲載しています

完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!

仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。 ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。 理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。 ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。 マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。 自室にて、過去の母の言葉を思い出す。 マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を… しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。 そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。 ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。 マリアは父親に願い出る。 家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが……… この話はフィクションです。 名前等は実際のものとなんら関係はありません。

【完結】婿入り予定の婚約者は恋人と結婚したいらしい 〜そのひと爵位継げなくなるけどそんなに欲しいなら譲ります〜

早奈恵
恋愛
【完結】ざまぁ展開あります⚫︎幼なじみで婚約者のデニスが恋人を作り、破談となってしまう。困ったステファニーは急遽婿探しをする事になる。⚫︎新しい相手と婚約発表直前『やっぱりステファニーと結婚する』とデニスが言い出した。⚫︎辺境伯になるにはステファニーと結婚が必要と気が付いたデニスと辺境伯夫人になりたかった恋人ブリトニーを前に、ステファニーは新しい婚約者ブラッドリーと共に対抗する。⚫︎デニスの恋人ブリトニーが不公平だと言い、デニスにもチャンスをくれと縋り出す。⚫︎そしてデニスとブラッドが言い合いになり、決闘することに……。

処理中です...