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激怒する恋人

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「誰か家に上げたんだな! 」
 朝になって帰宅するなり、ブレインは憤怒し、牙を剥いた。
「な、何故? 」
 ニーナは凍りつき、喉を引くつかせながら何とか声を絞り出せた。
「お前は珈琲が苦手だろ! それなのに、豆を挽いた匂いがプンプンしている! 」
 迂闊だった。
 ワットを持て成すために珈琲を淹れたが、食器を洗ってしまえば隠蔽出来るとタカを括っていた。 
 香ばしい匂いは、一晩換気をすれば良いと。
 しかし、残り香はしつこく室内に滞っていた。
 ブレインは鼻が効く。
 誤魔化しはきかない。
「誰だ! 誰を家に引き込んだ! 」
 冷徹さはどこかへ消え、ブレインは怒りでダンと足を踏み鳴らす。仕事着である黒のローブを脱ぐなり、床に叩きつけた。
「ち、違うの。ブレイン」
「今、俺の名を呼んだな! 『父さん』じゃなく! 疾しい証拠だ! 」
 すっかり見抜かれてしまっている。
 父に対してではなく、恋人としてニーナは言い訳しようとしていた。
「誰だ! 答えろ! 」
 あまりの激怒ぶりに、ニーナは震え上がった。
 彼がこれほど感情を剥き出すのは、三年前にニーナが村の何某といかがわしいことをしようと試みて以来だ。
「まさか村のジョンとかいうクマ野郎じゃないだろうな! あいつ、また性懲りもなく! 」
「ジョンに何かしたの? 最近、私を見るなりぶるぶる震えて失禁するのよ? 」
「黙れ! あんな図体がでかいだけのノミの心臓野郎は、今は関係ないだろ! 」
「父さん。鉄面皮はどうしたのよ」
 ニーナは困り果てた。
 これでは言い訳しようにも、聞く耳は持たないだろう。
 理由を話しても、きっと軽率な真似をしたと余計に怒りを煽るのは目に見えている。
 取り敢えず落ち着かせようと、ニーナはキッチンに入ると、棚から珈琲ミルを取り出そうと背伸びした。
「おい、随分と余裕だな」
 ミルに指先が届く寸前、横から掠め取られる。
 いつの間にか背後に来たブレインが、ミルを調理台に置いた。
「と、父さん? 」
 つい今しがたまで顔を真っ赤にして声を張り上げていたというのに。
 ブレインの整った顔には昏い影が落ち、ゾワッとニーナの背筋が寒気だった。
「父さん、か。背徳感を煽って、逃げる算段か? 」
「そ、そんなわけじゃ」
 そこまで狡くはない。
「質問にまだ答えてないぞ。誰を家に上げた? 」
 狭いキッチンスペースは、二人が並べば息苦しさが増幅する。背が高く体格の良いブレインは、ニーナを圧した。ニーナはするりとブレインと調理台の隙間から抜け出すと、ダイニングまで逃げようとした。
 が、不意打ちで手首を捕まえられ、引き戻されてしまう。
 ニーナの鼻先が、硬い胸板にぶつかる。
 彼女の腰に腕が巻きつき、動きを封じられてしまった。
「た、倒れていた旅の行商人を」
 ニーナは間近にあるブレインの胸を両手で押し退けようとしたが、びくともしない。
「ほう。旅人をか」
「じ、乗馬をしていたら、う、馬に逃げられたらしく。顔色も酷く悪くて。お年を召した方だったし」
「ほう。成程な」
 すっかり表情筋を殺して、ブレインはやけに静かに相槌を打った。
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