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「大黒谷出火報。共同住宅火災。延焼の危険性あり」
やはり恐れていたことが起こった。指示された住所は、防災指導の際に通った下町だ。
現場は古い木造住宅の密集地で、表通りから二軒目、裏通りから三軒目。三方を住宅に囲われ、そこへ行くには細い路地しかない。
急に狭くなる路地の手前にポンプ車が停まり、隊員がホースを伸ばしていた。俺達はその真後ろに救助車をつける。
野次馬がスマホの高品質性能カメラに決定的瞬間を収めようと、やたらとフラッシュをたきまくっている。それらを押し退けると、路面には白いホースが水を含んでぱんぱんに膨らんでいた。俺達はそのホースに添って現場へと走る。
木造住宅が燃えるとき特有の症状である、橙の炎がドアや窓から吹き出していた。ブロック塀一枚で仕切られた隣家へ、炎は容赦なく触手を伸ばし、今にも延焼の危険性を孕んでいる。
すでに現着していたポンプ隊の連中は、水柱を燃え盛る炎に向けていた。勢いよく噴出するのをもろともせず、ひたすら鎮火のために職務を全うする。
「ヒナが、ヒナがああああ!」
わんわんと小学一年生くらいの男の子が泣き喚いていた。今にも燃え盛る炎の中に飛び込むかといった勢いで、母親らしき女性が必死に腕を引っ張って食い止めている。女性は駆け寄って来た特救隊員に、半泣きで訴えた。
「雌の柴犬なんです。この子、物凄く可愛がってて」
「ヒナがまだ中にいいいい!」
この子にとっては妹同然の存在なのだろう。
「よしよし。泣くな」
日浦は膝を曲げると、その子と同じ目線になった。目を細め、にっこりと口元を逆さ三日月にする。力を加減しながら、防火手袋をした手を子供の頭に乗せた。
「オニイサンが助けに行くから」
「おじさんが?」
「ああ。オニイサンが」
ガキの中では、日浦はおじさんの位置付だ。そりゃ、三十六は小学生からしたらおっさんだよ。諦めろ。
「絶対助けてやるから。信じろ」
信じろ。既視感が起こる。
十三年前、同じ台詞を日浦は吐いた。そのときは力強く、俺の胸に叩きつけるように。
あのとき、開くはずのなかった扉が開いたのだ。
「おい。久々の大きい火事やからって、『サイボーグ日浦』には、戻らんといてくれよ」
「わかってる」
余計な橋本の忠告に、いつもなら牙を剥いて言い返しているところだが、今日の日浦は違う。神妙に頷いた。身構えていた橋本は、拍子抜けしたようだ。
「空気呼吸器、装着」
藤田隊長の号令で、俺達はすぐさま空気呼吸器を背負う。総重量三十キロ、男でも普通ならあまりの重さに後ろに引っ繰り返るだろうが、こっちは鍛え方が違う。難なく背負うと、炎に体を向けた。
「よし。行くぞ」
隊長の掛け声と同時に、きゃあ、と野次馬から悲鳴が上がる。熱に耐え切れなくなった窓硝子が派手な音を立てて割れた。
ポンプ隊が筒先を向け、水柱を繰り出して突破口を作ってくれる。俺達はその隙を逃さない。
「要救助者、絶対に助けるぞ!」
面体の紐を装着しながら、日浦が吠えた。
炎の中に躊躇なく飛び込む広い背中。
日浦はあの頃のまま、俺の中で何も変わらない。十三年前から、俺の得体の知れない感情は胸の奥底で燻っている。
その感情を何と呼ぶのか。
よりによって、生死を賭けた現場で突きつけられるなんて。
「堂島!早く来い!」
「はい!」
日浦が怒鳴り、間髪入れず俺は返す。
ああ!畜生!認めるよ!もう認めるしかないよ!
やはり恐れていたことが起こった。指示された住所は、防災指導の際に通った下町だ。
現場は古い木造住宅の密集地で、表通りから二軒目、裏通りから三軒目。三方を住宅に囲われ、そこへ行くには細い路地しかない。
急に狭くなる路地の手前にポンプ車が停まり、隊員がホースを伸ばしていた。俺達はその真後ろに救助車をつける。
野次馬がスマホの高品質性能カメラに決定的瞬間を収めようと、やたらとフラッシュをたきまくっている。それらを押し退けると、路面には白いホースが水を含んでぱんぱんに膨らんでいた。俺達はそのホースに添って現場へと走る。
木造住宅が燃えるとき特有の症状である、橙の炎がドアや窓から吹き出していた。ブロック塀一枚で仕切られた隣家へ、炎は容赦なく触手を伸ばし、今にも延焼の危険性を孕んでいる。
すでに現着していたポンプ隊の連中は、水柱を燃え盛る炎に向けていた。勢いよく噴出するのをもろともせず、ひたすら鎮火のために職務を全うする。
「ヒナが、ヒナがああああ!」
わんわんと小学一年生くらいの男の子が泣き喚いていた。今にも燃え盛る炎の中に飛び込むかといった勢いで、母親らしき女性が必死に腕を引っ張って食い止めている。女性は駆け寄って来た特救隊員に、半泣きで訴えた。
「雌の柴犬なんです。この子、物凄く可愛がってて」
「ヒナがまだ中にいいいい!」
この子にとっては妹同然の存在なのだろう。
「よしよし。泣くな」
日浦は膝を曲げると、その子と同じ目線になった。目を細め、にっこりと口元を逆さ三日月にする。力を加減しながら、防火手袋をした手を子供の頭に乗せた。
「オニイサンが助けに行くから」
「おじさんが?」
「ああ。オニイサンが」
ガキの中では、日浦はおじさんの位置付だ。そりゃ、三十六は小学生からしたらおっさんだよ。諦めろ。
「絶対助けてやるから。信じろ」
信じろ。既視感が起こる。
十三年前、同じ台詞を日浦は吐いた。そのときは力強く、俺の胸に叩きつけるように。
あのとき、開くはずのなかった扉が開いたのだ。
「おい。久々の大きい火事やからって、『サイボーグ日浦』には、戻らんといてくれよ」
「わかってる」
余計な橋本の忠告に、いつもなら牙を剥いて言い返しているところだが、今日の日浦は違う。神妙に頷いた。身構えていた橋本は、拍子抜けしたようだ。
「空気呼吸器、装着」
藤田隊長の号令で、俺達はすぐさま空気呼吸器を背負う。総重量三十キロ、男でも普通ならあまりの重さに後ろに引っ繰り返るだろうが、こっちは鍛え方が違う。難なく背負うと、炎に体を向けた。
「よし。行くぞ」
隊長の掛け声と同時に、きゃあ、と野次馬から悲鳴が上がる。熱に耐え切れなくなった窓硝子が派手な音を立てて割れた。
ポンプ隊が筒先を向け、水柱を繰り出して突破口を作ってくれる。俺達はその隙を逃さない。
「要救助者、絶対に助けるぞ!」
面体の紐を装着しながら、日浦が吠えた。
炎の中に躊躇なく飛び込む広い背中。
日浦はあの頃のまま、俺の中で何も変わらない。十三年前から、俺の得体の知れない感情は胸の奥底で燻っている。
その感情を何と呼ぶのか。
よりによって、生死を賭けた現場で突きつけられるなんて。
「堂島!早く来い!」
「はい!」
日浦が怒鳴り、間髪入れず俺は返す。
ああ!畜生!認めるよ!もう認めるしかないよ!
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