寡黙な消防士でも恋はする

晴 菜葉

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 頭、痛え。腰、痛え。何かまだ尻に挟まってる感じ。吐きそう。
 髪の毛に両側から計十本の指を差し入れると、がしがしとやたらに掻き乱した。
 今朝、目が醒めたとき、関節が錆びついてしまったのかと思うくらい、ギシギシと軋んだ。
 悪い夢でも見たか、とこめかみから流れ落ちる汗を拭ったとき、もぞもぞっと俺の右側で気配が動いた。
 日浦が気持ち良さそうに寝息をかいていた。
 ぎょっと目を見開き飛び上がったと同時に、これが夢ではなく誤魔化しようのない現実であることを突きつけられた。
 タッパある男二人だと、ダブルベッドでも窮屈だ。
 慌ててマットレスから飛び降りた俺は、尻の隙間からいきなり零れ落ちた白濁に、危うくぎゃっと叫びそうになった。それでも、どうにかこうにか浴室に陰干ししてあった衣類の中から俺の分を選別すると、消防で鍛えた早着替えを駆使し、取り敢えず万札を二枚ばかし書斎机に残して部屋を飛び出した。アパートには戻らず、一目散に職場に直行した。
「うおっ?っと、何だぁ?」
 がしがしと闇雲に頭をかきむしる俺に、橋本は後ずさった。俺のこの行いに何の意味があるのかと胡散臭そうだ。聞け、何の意味もねえ。
 と、橋本はくんくんと鼻をひくつかせる。
「何や何や、えらい湿布臭いで」
 犯人は俺だ。ギシギシと痛む体をどうにかしようと、職場の薬箱から湿布を大量に失敬した。
「お前か、堂島」
 発生源が俺であることを突き止めるや、器用に片方の眉だけ斜めに吊った。
「おいおい、そんなんで大丈夫かあ?」
 非難めいた口調だが、悔しいことに言い返せない。特救はチームが第一。誰か一人でもリズムを崩せば、統率の乱れる恐れがある。
「堂島、無茶はするなよ」
 丸切り空気だった隊長が、呑気に茶を啜りながら口を挟んできた。
「大丈夫です」
 拳を握り込みアピールする。ほんまかいな、と何やらぶつぶつ口中で文句を言う橋本を、睨み一発で捩じ伏せた。
「堂島さん、弁天町のホテルバイキング、行きました?」
 隊長以外にも呑気なやつはいた。スチール椅子のゴマを動かし、隣の席の笠置が肩を寄せた。
「あそこの最上階に、結構いい感じのバーが出来たらしいですよね」
 日浦のお姉さんの店だ。
 呟く笠置の目は、国語辞書ほどある厚みの本に釘付けだ。おい、もうすぐ始業時刻だろ。悠長だな。隊長、注意しろよ。
 それにしても、何を熱心に読んでるんだ。
 俺は顔を傾け、ひょいっと中身を確かめる。薄紅の液体がグラスの中で揺れる、カクテルの写真が掲載されていた。
「今度、彼女にプロポーズしようかなって。カクテル言葉使ってなんて、なかなか洒落てると思いません?」
「カクテル言葉?」
 珍しく俺が食いついたことに、笠置は心底うれしそうに目尻の皺を深くする。パラパラとページを捲った。
「へへへー。実は橋本さんに幾つか教えてもらったんです。キールは最高の巡り合い。スクリュードライバーは女殺し」
「アプリコットフィズは?」
 取り敢えず聞いてみた。
 笠置はアを索引する。
「あなたに振り向いてもらいたい」
 カッと頬が熱を持つ。いやいやいやいや。まさか。偶然だ。慌てて仮定を打ち消した。
「アイ・オープナーは?」
「運命の出会い」
「シェリーは?」
「今夜は寝かせませんよ」
 いきなり、ホテルの一室での情事が蘇った。やばい。鼻血を吹きそうだ。
「何や、堂島。誰か口説く気ぃか?」
 本、貸したるでえ、と今にも言いそうなお節介な気質を出し惜しみなく、橋本がうきうきした足取りで寄って来た。
 つい、橋本の台詞の中にあった『口説く』の単語に反応してしまった。
「ぐ、偶然だ。偶然」
 そのとき、バタバタと何やらやかましく廊下を駆ける足音が近づいてきた。いつもの倍の速度だ。どんどん大きくなる。
 勢いよく扉が開いて、顔を真っ赤にして汗だくの日浦登場だ。シャワーを浴びて乾かし切れていないのか、前髪に雫が滴っている。
「あっちゃん、ひどいじゃないか!何でさっさと帰ってるんだよ! せっかく一緒に出勤しようって楽しみにしてたのに!」
 ゼイハアと肩を上下させて必死に呼吸を整えながら、全力疾走直後のだらだら垂れる汗を何度も手の甲で拭う。上気する息。
 昨夜の艶めかしさを引き摺った、半開きの唇。そこから覗く真っ赤な舌。
 ないないないない。あれは酔った勢いでの、一時の過ち。カクテルに意味なんて、ないないない。
「偶然だ」
「ん?何が?」
 呟きを日浦がしっかり拾って小首を傾げる。地獄耳は、あっちへ行ってろ。
 そんな俺達に、笠置は不思議そうに尋ねてきた。
「へえ。一緒に出勤って。昨日、どっちかの家に泊まったんですか? お二人って、そんなに仲良しでしたっけ?」
 おい、余計なこと言うなよ。ジロリと俺は不良時代の眼光を日浦だけにわかるように仕向ける。間違っても肉体関係を持ったとか口に出すなよ。やつは、そこのところは心得ているようで、ニタニタ笑いでやり過ごした。
「勿体なくて教えられるか」
 わけのわからない言葉を付け加えて。
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