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白志館という極めて異様な学園
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白土市は、四方を山に囲まれた地方都市である。余所者を嫌う空気が、令和の時代になっても色濃く残っている。そのため、旅行客からはあまり好かれていない。
仮に、旅行マニアを無作為に百人以上集め「これまで旅行に行った場所で、最も嫌な思い出のある場所は?」と尋ねたとしよう。一位がどこになるかは不明だが、白土市は十位以内には確実に入るだろう。
そんな地域ではあるが、白志館学園だけは評判がいい。高い進学率と、自由な校風が人気の秘密であろう。白き志を持って世のため人のために活動できる人材を育てる、それが学園の理念だと校則に記されている。
しかし今、白志館の校舎内にいるのは……白き志などとは、およそ縁のなさそうな人間であった。
奇妙な女が、廊下をフラフラと歩いている。年齢は二十歳半ばから三十代前半だろうか。おっとりした雰囲気はあるが、肌は白く整った顔立ちの美人である。小柄だが、肉感的なスタイルの持ち主である。巨大なバストとくびれたウエスト、さらにボリュームあるヒップは、それだけで人目を引くだろう。
しかし、その表情は異様だった。目はじっとりと潤んでおり焦点が合っておらず、半開きの口からは涎が垂れている。
服装は、さらに異様であった。白い体操着に、紺のブルマだ。もう三十年以上前に、男性から性的な目で見られやすい……という理由で廃止になった体操着である。
とっくの昔に廃止されたはずのブルマを、しかも三十近いと思われる女が穿いている。昭和のアダルトビデオにでも出て来そうな格好の女が、男子校の校舎内を歩いているのだ。この時点で、まともな状況でないのは明白である。
やがて、女は突き当たりの部屋のドアを開けた。中には、数人の男がいる。女は、入っていくと同時に、その場で正座し頭を下げた。
上擦った声が、口から発せられる。
「み、皆さま、よくぞいらしてくださいました。きょ、今日も、ご奉仕させていただきます」
つっかえながら、挨拶らしき奇妙な文言を述べる女。
真っ先に近づいていったのは、スーツ姿の中年男であった。パンチパーマに小山のごとき体格が特徴的である。顔には、数箇所の古傷があった。見るからに堅気の人間ではない。
そう、この男は見た目の通りのヤクザである。
「その格好、とっても似合ってるぜ」
下卑た笑いを浮かべ、正座している女の体をなめ回すように見つめる。女は、とろんとした目で床の一点を見ていた。
やがて、男の息が荒くなってきた。
「ルミ、立て。早く用意しろ」
その声は、興奮で震えている。もう待ちきれない、そんな気持ちが見え見えだった。
ルミと呼ばれた女は、こくんと頷く。立ち上がると、壁に両手を突いて巨尻を突き出す。
待ってましたとばかり、中年男は後ろから襲いかかった──
広域指定暴力団である士想会。
その士想会幹部である塚田啓一は、白志館学園の運営に深くかかわっている。早い話がケツモチだ。もし、白志館に何かあった場合は士想会が動く。その代わり、美味い汁を吸わせてもらっている。この女は、塚田のお気に入りだ。彼は十代や二十代の若い娘より、ルミのような熟女を好んでいた。
悩ましげな声をあげ悶えるルミに向かい、獣のように腰を振り続ける塚田。
そんなふたりの姿を、部屋の隅で見ている者たちがいた。
ひとりは、白のジャージ上下に身を包んだ男だ。その顔は完璧なまでに美しく整っており、非の打ち所がない。髪は肩までの長さで、美しくツヤがある。例えるなら、女子高生向け漫画のキャラが実体化したかのようであった。手足は長くすらりとした体型であり、体はしなやかな筋肉に覆われている。身長は百八十センチ近いが、その体から漂う得体の知れないオーラが、彼をさらに大きく見せていた。獣のように人前で交わる二人を、つまらないものでも見るような冷たい視線を向けている。
青年の隣には、もっと背の高い男が立っていた。背だけでなく、体つきもがっちりしている。まさに岩のような体格の持ち主だ。身長は百九十センチ超、体重は百キロを軽く超えているだろう。肩幅は広く、胸板は分厚い。プロレスラーも真っ青な体格であり、着ている黒いスーツがいささか窮屈に見えた。リーゼントできっちり固めた髪型や濃く太い眉は、昭和の映画に登場する不良学生を思わせる。ただし、不良学生など比較にならない凄みを放っていた。情事にふけっているヤクザの塚田ですら、このリーゼントの男と比べれば迫力負けしている。
個性の強すぎる二人のすぐ後ろに控えているのは、ひときわ異様な風貌の男だった。顔の半分が歪んでおり、左右の目の位置がズレている。鼻は上を向いており、癖のあるもじゃもじゃの髪は見ていてうっとうしい。背は低く、百六十センチあるかないかだろう。腕は長いが足は短く、その体型は猿を連想させる。ブランド物のスーツを着ているが、全く似合っていない。
そんな醜い男が、ちらりと美しい青年を見上げた。
「岸田さん、今日はどうなさいます? ルミの味見をしてみますか?」
尋ねたが、青年はつまらなさそうな表情でかぶりを振った。
「しないよ。今日は、ちょっと暇だったから寄ってみた。だが、面白くない。彼らのしていることは、実に退屈だ」
言いながら、岸田と呼ばれた青年は視線を移す。男の顔を、じっと見つめた。
「まだ、君の顔を見ている方が楽しめるよ。見る者を、これだけ不快な気分にさせるというのも珍しいな。ここまで来ると、ある種の芸術品だ。樫本さん、あなたは自分の顔を誇るべきだよ」
もし、こんな言葉を他の人間から言われたのなら、樫本直也は許さない。徹底的に叩き潰すはずだ。
だが、彼の目の前にいるのは岸田真治である。この白土市において、絶対に敵に回してはいけない人間のうちのひとりだ。この学園で絶大なる権力を持つ樫本も、笑って済ませる以外になかった。
「そんなこと言われたのは初めてですね。光栄ですよ」
愛想笑いを浮かべつつ、落ち着いた答える。湧いてきた殺意など、おくびにも出さない。だが、岸田の方は彼の態度など気にも留めていないらしい。すぐに視線を逸らす。
「ところで、希望くんはどうしているんだい?」
「ああ、竹川希望ですか。彼なら、今頃はうちの生徒らと外を歩いているはずですよ」
そう言うと、樫本は下卑た笑みを浮かべる。
「今すぐ呼び寄せましょうか? 少しお待ちいただければ──」
「少し、というのは、どのくらいだい?」
聞いてきた岸田に、樫本は焦りながらスマホを出す。だが、タッチパネルを操作しようとした途端、岸田はかぶりを振った。
「いや、いいよ。いないのなら仕方ない。彼の顔を見たかったのだがね、残念だ」
その言葉に、リーゼントの大男がじろりと睨む。だが、岸田は静かな口調で語り続けた。
「彼は美しい。大人と子供の狭間の時期に特有の、えもいわれぬ魅力がある。さらに、君が注入した女性ホルモンにより、男性と女性の狭間の美しさをも手に入れてしまった。いにしえの聖人たちが出会った天使とは、希望くんのような外見を備えていたのだろうな」
聞いている樫本は、引き攣った笑みを浮かべていた。何を言っているのか、さっぱりわからない……といった様子だ。
そんな樫本を見て、岸田は目を細める。蔑みの表情を向けた。
「希望くんは、君らのような凡人の玩具にするにはもったいないな。いずれ引き取らせてもらいたいものだね。構わないかい?」
「もちろんです! 明日にでも、そちらに向かわせますよ!」
「ほう、それは助かる」
そう言うと、岸田は大男の方を向いた。
「では立花、帰るとしようか」
それから十分後、岸田は大男の運転する車の後部席に乗っていた。道路は広く、他に車は走っていない。周辺は自然に囲まれており、人工の建物はまばらであった。
「立花、どうしたんだい? さっきから、機嫌が悪いように見えるが」
岸田が声をかけると、立花と呼ばれた男は憮然とした様子で口を開く。
「別に。いつも通りですよ」
「そうかな。僕の目には、君はえらく機嫌を損ねているように見えるがね」
「それは気のせいです」
言った時だった。突然、バイクに乗った若者の集団が、彼らの車を追い越していった。しかも、ひとりが追い越しざまに唾を吐いた。唾が、車のサイドウインドウにかかる。
その瞬間、立花の表情がさらに険しくなった。思い切りクラクションを鳴らす。
すると、若者たちはこちらを向いた。次の瞬間、彼らは蛇行運転を始める。明らかに、こちらへの威嚇であろう。
「どうやら、よそから来たガキ共のようですね。仕方ない、すぐに終わらせますから待っていてください」
言うと同時に、立花は車のスピードを落とした。それに合わせ、向こうも減速させる。どうやら、血を見ないと収まらないらしい。
立花は、路肩に車を停めた。それに反応し、若者たちもバイクを停める。何やら喚きながら、こちらに近づいてきた。全部で八人。うち三人は、何かキラキラ光るものを手にしている。恐らく武器であろう。
だが、岸田に恐れる様子はない。むしろ、楽しそうな様子で彼らを見ていた。立花の方は、凄まじい形相で若者たちを睨んでいる。
「もう一度言います。どんなに煽られても、絶対に車から出ないでください」
言った直後、立花は車から飛び出した。待ってましたとばかり、若者たちは怒号と共にずかずか歩いてくる。
しかし、立花は怯まない。もっとも近い距離に迫っていた若者に、豪快な前蹴りを叩き込む──
それは、前蹴りというよりはヤクザ式キックといった方が正確だろう。一発の蹴りで、若者は軽々と飛んでいった。地面に倒れ、ガハッという異様な呻き声を上げる。
罵声をあげていた若者たちは、その一発の蹴りで静まった。仲間が、まるでサッカーボールのように軽々と飛んでいったのだ。目の前で起きたことが理解できず、全員がその場で硬直する。
立花は、それで収まる男ではなかった。さらにとんでもないことをして見せる。おもむろに一台のバイクへと近づいていった。
次の瞬間、バイクを軽々と持ち上げる──
若者たちは唖然となっていた。彼らの乗ってきたのは百二十五CCである。大型ではないが、それでも重量は八十キロを超えているだろう。そんなバイクを、目の前にいる大男が頭上高く持ち上げているのだ。彼らを突き動かしていた怒りは、この荒業を前に消え去っていた。代わりに、怯えという感情が全員を支配している。
立花はバイクを持ち上げたまま、不快そうな表情で若者たちを見回した。普段なら、ここで終わらせる。彼らに、もはや戦意はないのだ。こんな雑魚共を叩きのめしたところで、何の得にもならない。
しかし、今の立花は恐ろしく機嫌が悪かった。この程度で終わらせる気にはなれない。
力任せにバイクをブン投げ、凄まじい勢いで襲い掛かっていった。
直後、岸田も車から飛び出す。立花の暴れっぷりを見ていて、我慢できなくなったらしい。残忍な笑みを浮かべ、若者たちに突進していった──
・・・
岸田と立花が、学園の校舎から出て行った直後のこと。
樫本は、去り行くふたりの後ろ姿を憎々しげな表情で睨みつける。
もっと権力を増大させ、いつか岸田をもひれ伏させてやる。あの美青年を奴隷にし、綺麗な顔が苦痛で歪む様を眺めるのだ。
あの女のように──
樫本は、獣のような体勢で犯されているルミに視線を移した。美しい女が、塚田のような下司な男に犯され悶えている……その様を眺めることこそが、この異常者にとっての最高の快楽であった。
いつしか、ルミと岸田の顔が重なっていく。塚田に犯され、苦痛に顔を歪める岸田……想像しただけで笑みが漏れた。ただ、塚田にはそっちの趣味はないらしい。
もっとも、岸田とやりたいと願う男など、掃いて捨てるほどいるだろう。その中でも、一番醜い男に犯させてやる。
そんな妄想を膨らませていた時だった。ポケットに入れておいたスマホが震える。何か通知がきたらしい。
スマホを取りだし、画面を見る。その途端、表情が歪んだ。ただでさえ醜い顔が、一層ひどくなる。
だが、それも仕方なかった。スマホには、たった一行ではあるが、とんでもないメッセージがきていたのだ。
(ノゾミがさらわれました)
次の瞬間、彼はすぐさま電話をかける。
「おいゴラァ! 希望がさらわれたって、どういうことだ!」
怒鳴りつけると、スマホから泣き声が聞こえてきた。
(す、すいません! どうしても希望と会いたいって奴がいたんで、からかってやろうと行ったら……いきなり全員やられて……)
その言葉に、樫本はぎりりと奥歯を噛み締める。
電話の相手は、白志館学園の生徒だ。一部の生徒を、樫本は便利な手駒として使っていた。その代わり、彼らには学園内で絶大な権力を与えていたのである。
希望を連れ歩くのも、そのひとつだ。彼らが希望を使い、サラリーマン相手に美人局のようなことをやっていることも知っていたが、好きにさせていたのだ。やり過ぎない限り、放っておくつもりであった。
まさか、こんな事態を招くとは──
「さらったのは、どんな奴だ!?」
(それが、へらへらした感じのチャラい奴で……で、でも仕方なかったんスよ! そいつ、いきなりライターで火ィつけてきて、火炎放射機みたいにボワッと燃えて──)
「言い訳なんざ聞きたくねえ! どうせ、今回も盗撮してたんだろうが! そいつの動画を、さっさと送るんだ!」
仮に、旅行マニアを無作為に百人以上集め「これまで旅行に行った場所で、最も嫌な思い出のある場所は?」と尋ねたとしよう。一位がどこになるかは不明だが、白土市は十位以内には確実に入るだろう。
そんな地域ではあるが、白志館学園だけは評判がいい。高い進学率と、自由な校風が人気の秘密であろう。白き志を持って世のため人のために活動できる人材を育てる、それが学園の理念だと校則に記されている。
しかし今、白志館の校舎内にいるのは……白き志などとは、およそ縁のなさそうな人間であった。
奇妙な女が、廊下をフラフラと歩いている。年齢は二十歳半ばから三十代前半だろうか。おっとりした雰囲気はあるが、肌は白く整った顔立ちの美人である。小柄だが、肉感的なスタイルの持ち主である。巨大なバストとくびれたウエスト、さらにボリュームあるヒップは、それだけで人目を引くだろう。
しかし、その表情は異様だった。目はじっとりと潤んでおり焦点が合っておらず、半開きの口からは涎が垂れている。
服装は、さらに異様であった。白い体操着に、紺のブルマだ。もう三十年以上前に、男性から性的な目で見られやすい……という理由で廃止になった体操着である。
とっくの昔に廃止されたはずのブルマを、しかも三十近いと思われる女が穿いている。昭和のアダルトビデオにでも出て来そうな格好の女が、男子校の校舎内を歩いているのだ。この時点で、まともな状況でないのは明白である。
やがて、女は突き当たりの部屋のドアを開けた。中には、数人の男がいる。女は、入っていくと同時に、その場で正座し頭を下げた。
上擦った声が、口から発せられる。
「み、皆さま、よくぞいらしてくださいました。きょ、今日も、ご奉仕させていただきます」
つっかえながら、挨拶らしき奇妙な文言を述べる女。
真っ先に近づいていったのは、スーツ姿の中年男であった。パンチパーマに小山のごとき体格が特徴的である。顔には、数箇所の古傷があった。見るからに堅気の人間ではない。
そう、この男は見た目の通りのヤクザである。
「その格好、とっても似合ってるぜ」
下卑た笑いを浮かべ、正座している女の体をなめ回すように見つめる。女は、とろんとした目で床の一点を見ていた。
やがて、男の息が荒くなってきた。
「ルミ、立て。早く用意しろ」
その声は、興奮で震えている。もう待ちきれない、そんな気持ちが見え見えだった。
ルミと呼ばれた女は、こくんと頷く。立ち上がると、壁に両手を突いて巨尻を突き出す。
待ってましたとばかり、中年男は後ろから襲いかかった──
広域指定暴力団である士想会。
その士想会幹部である塚田啓一は、白志館学園の運営に深くかかわっている。早い話がケツモチだ。もし、白志館に何かあった場合は士想会が動く。その代わり、美味い汁を吸わせてもらっている。この女は、塚田のお気に入りだ。彼は十代や二十代の若い娘より、ルミのような熟女を好んでいた。
悩ましげな声をあげ悶えるルミに向かい、獣のように腰を振り続ける塚田。
そんなふたりの姿を、部屋の隅で見ている者たちがいた。
ひとりは、白のジャージ上下に身を包んだ男だ。その顔は完璧なまでに美しく整っており、非の打ち所がない。髪は肩までの長さで、美しくツヤがある。例えるなら、女子高生向け漫画のキャラが実体化したかのようであった。手足は長くすらりとした体型であり、体はしなやかな筋肉に覆われている。身長は百八十センチ近いが、その体から漂う得体の知れないオーラが、彼をさらに大きく見せていた。獣のように人前で交わる二人を、つまらないものでも見るような冷たい視線を向けている。
青年の隣には、もっと背の高い男が立っていた。背だけでなく、体つきもがっちりしている。まさに岩のような体格の持ち主だ。身長は百九十センチ超、体重は百キロを軽く超えているだろう。肩幅は広く、胸板は分厚い。プロレスラーも真っ青な体格であり、着ている黒いスーツがいささか窮屈に見えた。リーゼントできっちり固めた髪型や濃く太い眉は、昭和の映画に登場する不良学生を思わせる。ただし、不良学生など比較にならない凄みを放っていた。情事にふけっているヤクザの塚田ですら、このリーゼントの男と比べれば迫力負けしている。
個性の強すぎる二人のすぐ後ろに控えているのは、ひときわ異様な風貌の男だった。顔の半分が歪んでおり、左右の目の位置がズレている。鼻は上を向いており、癖のあるもじゃもじゃの髪は見ていてうっとうしい。背は低く、百六十センチあるかないかだろう。腕は長いが足は短く、その体型は猿を連想させる。ブランド物のスーツを着ているが、全く似合っていない。
そんな醜い男が、ちらりと美しい青年を見上げた。
「岸田さん、今日はどうなさいます? ルミの味見をしてみますか?」
尋ねたが、青年はつまらなさそうな表情でかぶりを振った。
「しないよ。今日は、ちょっと暇だったから寄ってみた。だが、面白くない。彼らのしていることは、実に退屈だ」
言いながら、岸田と呼ばれた青年は視線を移す。男の顔を、じっと見つめた。
「まだ、君の顔を見ている方が楽しめるよ。見る者を、これだけ不快な気分にさせるというのも珍しいな。ここまで来ると、ある種の芸術品だ。樫本さん、あなたは自分の顔を誇るべきだよ」
もし、こんな言葉を他の人間から言われたのなら、樫本直也は許さない。徹底的に叩き潰すはずだ。
だが、彼の目の前にいるのは岸田真治である。この白土市において、絶対に敵に回してはいけない人間のうちのひとりだ。この学園で絶大なる権力を持つ樫本も、笑って済ませる以外になかった。
「そんなこと言われたのは初めてですね。光栄ですよ」
愛想笑いを浮かべつつ、落ち着いた答える。湧いてきた殺意など、おくびにも出さない。だが、岸田の方は彼の態度など気にも留めていないらしい。すぐに視線を逸らす。
「ところで、希望くんはどうしているんだい?」
「ああ、竹川希望ですか。彼なら、今頃はうちの生徒らと外を歩いているはずですよ」
そう言うと、樫本は下卑た笑みを浮かべる。
「今すぐ呼び寄せましょうか? 少しお待ちいただければ──」
「少し、というのは、どのくらいだい?」
聞いてきた岸田に、樫本は焦りながらスマホを出す。だが、タッチパネルを操作しようとした途端、岸田はかぶりを振った。
「いや、いいよ。いないのなら仕方ない。彼の顔を見たかったのだがね、残念だ」
その言葉に、リーゼントの大男がじろりと睨む。だが、岸田は静かな口調で語り続けた。
「彼は美しい。大人と子供の狭間の時期に特有の、えもいわれぬ魅力がある。さらに、君が注入した女性ホルモンにより、男性と女性の狭間の美しさをも手に入れてしまった。いにしえの聖人たちが出会った天使とは、希望くんのような外見を備えていたのだろうな」
聞いている樫本は、引き攣った笑みを浮かべていた。何を言っているのか、さっぱりわからない……といった様子だ。
そんな樫本を見て、岸田は目を細める。蔑みの表情を向けた。
「希望くんは、君らのような凡人の玩具にするにはもったいないな。いずれ引き取らせてもらいたいものだね。構わないかい?」
「もちろんです! 明日にでも、そちらに向かわせますよ!」
「ほう、それは助かる」
そう言うと、岸田は大男の方を向いた。
「では立花、帰るとしようか」
それから十分後、岸田は大男の運転する車の後部席に乗っていた。道路は広く、他に車は走っていない。周辺は自然に囲まれており、人工の建物はまばらであった。
「立花、どうしたんだい? さっきから、機嫌が悪いように見えるが」
岸田が声をかけると、立花と呼ばれた男は憮然とした様子で口を開く。
「別に。いつも通りですよ」
「そうかな。僕の目には、君はえらく機嫌を損ねているように見えるがね」
「それは気のせいです」
言った時だった。突然、バイクに乗った若者の集団が、彼らの車を追い越していった。しかも、ひとりが追い越しざまに唾を吐いた。唾が、車のサイドウインドウにかかる。
その瞬間、立花の表情がさらに険しくなった。思い切りクラクションを鳴らす。
すると、若者たちはこちらを向いた。次の瞬間、彼らは蛇行運転を始める。明らかに、こちらへの威嚇であろう。
「どうやら、よそから来たガキ共のようですね。仕方ない、すぐに終わらせますから待っていてください」
言うと同時に、立花は車のスピードを落とした。それに合わせ、向こうも減速させる。どうやら、血を見ないと収まらないらしい。
立花は、路肩に車を停めた。それに反応し、若者たちもバイクを停める。何やら喚きながら、こちらに近づいてきた。全部で八人。うち三人は、何かキラキラ光るものを手にしている。恐らく武器であろう。
だが、岸田に恐れる様子はない。むしろ、楽しそうな様子で彼らを見ていた。立花の方は、凄まじい形相で若者たちを睨んでいる。
「もう一度言います。どんなに煽られても、絶対に車から出ないでください」
言った直後、立花は車から飛び出した。待ってましたとばかり、若者たちは怒号と共にずかずか歩いてくる。
しかし、立花は怯まない。もっとも近い距離に迫っていた若者に、豪快な前蹴りを叩き込む──
それは、前蹴りというよりはヤクザ式キックといった方が正確だろう。一発の蹴りで、若者は軽々と飛んでいった。地面に倒れ、ガハッという異様な呻き声を上げる。
罵声をあげていた若者たちは、その一発の蹴りで静まった。仲間が、まるでサッカーボールのように軽々と飛んでいったのだ。目の前で起きたことが理解できず、全員がその場で硬直する。
立花は、それで収まる男ではなかった。さらにとんでもないことをして見せる。おもむろに一台のバイクへと近づいていった。
次の瞬間、バイクを軽々と持ち上げる──
若者たちは唖然となっていた。彼らの乗ってきたのは百二十五CCである。大型ではないが、それでも重量は八十キロを超えているだろう。そんなバイクを、目の前にいる大男が頭上高く持ち上げているのだ。彼らを突き動かしていた怒りは、この荒業を前に消え去っていた。代わりに、怯えという感情が全員を支配している。
立花はバイクを持ち上げたまま、不快そうな表情で若者たちを見回した。普段なら、ここで終わらせる。彼らに、もはや戦意はないのだ。こんな雑魚共を叩きのめしたところで、何の得にもならない。
しかし、今の立花は恐ろしく機嫌が悪かった。この程度で終わらせる気にはなれない。
力任せにバイクをブン投げ、凄まじい勢いで襲い掛かっていった。
直後、岸田も車から飛び出す。立花の暴れっぷりを見ていて、我慢できなくなったらしい。残忍な笑みを浮かべ、若者たちに突進していった──
・・・
岸田と立花が、学園の校舎から出て行った直後のこと。
樫本は、去り行くふたりの後ろ姿を憎々しげな表情で睨みつける。
もっと権力を増大させ、いつか岸田をもひれ伏させてやる。あの美青年を奴隷にし、綺麗な顔が苦痛で歪む様を眺めるのだ。
あの女のように──
樫本は、獣のような体勢で犯されているルミに視線を移した。美しい女が、塚田のような下司な男に犯され悶えている……その様を眺めることこそが、この異常者にとっての最高の快楽であった。
いつしか、ルミと岸田の顔が重なっていく。塚田に犯され、苦痛に顔を歪める岸田……想像しただけで笑みが漏れた。ただ、塚田にはそっちの趣味はないらしい。
もっとも、岸田とやりたいと願う男など、掃いて捨てるほどいるだろう。その中でも、一番醜い男に犯させてやる。
そんな妄想を膨らませていた時だった。ポケットに入れておいたスマホが震える。何か通知がきたらしい。
スマホを取りだし、画面を見る。その途端、表情が歪んだ。ただでさえ醜い顔が、一層ひどくなる。
だが、それも仕方なかった。スマホには、たった一行ではあるが、とんでもないメッセージがきていたのだ。
(ノゾミがさらわれました)
次の瞬間、彼はすぐさま電話をかける。
「おいゴラァ! 希望がさらわれたって、どういうことだ!」
怒鳴りつけると、スマホから泣き声が聞こえてきた。
(す、すいません! どうしても希望と会いたいって奴がいたんで、からかってやろうと行ったら……いきなり全員やられて……)
その言葉に、樫本はぎりりと奥歯を噛み締める。
電話の相手は、白志館学園の生徒だ。一部の生徒を、樫本は便利な手駒として使っていた。その代わり、彼らには学園内で絶大な権力を与えていたのである。
希望を連れ歩くのも、そのひとつだ。彼らが希望を使い、サラリーマン相手に美人局のようなことをやっていることも知っていたが、好きにさせていたのだ。やり過ぎない限り、放っておくつもりであった。
まさか、こんな事態を招くとは──
「さらったのは、どんな奴だ!?」
(それが、へらへらした感じのチャラい奴で……で、でも仕方なかったんスよ! そいつ、いきなりライターで火ィつけてきて、火炎放射機みたいにボワッと燃えて──)
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