胸に刻まれた誓い

板倉恭司

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白志館という極めて異様な学園

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 白土市は、四方を山に囲まれた地方都市である。余所者よそものを嫌う空気が、令和の時代になっても色濃く残っている。そのため、旅行客からはあまり好かれていない。
 仮に、旅行マニアを無作為に百人以上集め「これまで旅行に行った場所で、最も嫌な思い出のある場所は?」と尋ねたとしよう。一位がどこになるかは不明だが、白土市は十位以内には確実に入るだろう。
 そんな地域ではあるが、白志館学園だけは評判がいい。高い進学率と、自由な校風が人気の秘密であろう。白きこころざしを持って世のため人のために活動できる人材を育てる、それが学園の理念だと校則に記されている。
 しかし今、白志館の校舎内にいるのは……白き志などとは、およそ縁のなさそうな人間であった。



 奇妙な女が、廊下をフラフラと歩いている。年齢は二十歳半ばから三十代前半だろうか。おっとりした雰囲気はあるが、肌は白く整った顔立ちの美人である。小柄だが、肉感的なスタイルの持ち主である。巨大なバストとくびれたウエスト、さらにボリュームあるヒップは、それだけで人目を引くだろう。
 しかし、その表情は異様だった。目はじっとりと潤んでおり焦点が合っておらず、半開きの口からはよだれが垂れている。
 服装は、さらに異様であった。白い体操着に、紺のブルマだ。もう三十年以上前に、男性から性的な目で見られやすい……という理由で廃止になった体操着である。
 とっくの昔に廃止されたはずのブルマを、しかも三十近いと思われる女が穿いている。昭和のアダルトビデオにでも出て来そうな格好の女が、男子校の校舎内を歩いているのだ。この時点で、まともな状況でないのは明白である。
 やがて、女は突き当たりの部屋のドアを開けた。中には、数人の男がいる。女は、入っていくと同時に、その場で正座し頭を下げた。
 上擦った声が、口から発せられる。

「み、皆さま、よくぞいらしてくださいました。きょ、今日も、ご奉仕させていただきます」
 
 つっかえながら、挨拶らしき奇妙な文言を述べる女。
 真っ先に近づいていったのは、スーツ姿の中年男であった。パンチパーマに小山のごとき体格が特徴的である。顔には、数箇所の古傷があった。見るからに堅気の人間ではない。
 そう、この男は見た目の通りのヤクザである。

「その格好、とっても似合ってるぜ」 

 下卑た笑いを浮かべ、正座している女の体をなめ回すように見つめる。女は、とろんとした目で床の一点を見ていた。
 やがて、男の息が荒くなってきた。

「ルミ、立て。早く用意しろ」

 その声は、興奮で震えている。もう待ちきれない、そんな気持ちが見え見えだった。
 ルミと呼ばれた女は、こくんと頷く。立ち上がると、壁に両手を突いて巨尻を突き出す。
 待ってましたとばかり、中年男は後ろから襲いかかった──

 広域指定暴力団である士想会。
 その士想会幹部である塚田啓一ツカダ ケイイチは、白志館学園の運営に深くかかわっている。早い話がケツモチだ。もし、白志館に何かあった場合は士想会が動く。その代わり、美味い汁を吸わせてもらっている。この女は、塚田のお気に入りだ。彼は十代や二十代の若い娘より、ルミのような熟女を好んでいた。



 悩ましげな声をあげ悶えるルミに向かい、獣のように腰を振り続ける塚田。
 そんなふたりの姿を、部屋の隅で見ている者たちがいた。
 ひとりは、白のジャージ上下に身を包んだ男だ。その顔は完璧なまでに美しく整っており、非の打ち所がない。髪は肩までの長さで、美しくツヤがある。例えるなら、女子高生向け漫画のキャラが実体化したかのようであった。手足は長くすらりとした体型であり、体はしなやかな筋肉に覆われている。身長は百八十センチ近いが、その体から漂う得体の知れないオーラが、彼をさらに大きく見せていた。獣のように人前で交わる二人を、つまらないものでも見るような冷たい視線を向けている。
 青年の隣には、もっと背の高い男が立っていた。背だけでなく、体つきもがっちりしている。まさに岩のような体格の持ち主だ。身長は百九十センチ超、体重は百キロを軽く超えているだろう。肩幅は広く、胸板は分厚い。プロレスラーも真っ青な体格であり、着ている黒いスーツがいささか窮屈に見えた。リーゼントできっちり固めた髪型や濃く太い眉は、昭和の映画に登場する不良学生を思わせる。ただし、不良学生など比較にならない凄みを放っていた。情事にふけっているヤクザの塚田ですら、このリーゼントの男と比べれば迫力負けしている。
 個性の強すぎる二人のすぐ後ろに控えているのは、ひときわ異様な風貌の男だった。顔の半分が歪んでおり、左右の目の位置がズレている。鼻は上を向いており、癖のあるもじゃもじゃの髪は見ていてうっとうしい。背は低く、百六十センチあるかないかだろう。腕は長いが足は短く、その体型は猿を連想させる。ブランド物のスーツを着ているが、全く似合っていない。
 そんな醜い男が、ちらりと美しい青年を見上げた。

「岸田さん、今日はどうなさいます? ルミの味見をしてみますか?」

 尋ねたが、青年はつまらなさそうな表情でかぶりを振った。

「しないよ。今日は、ちょっと暇だったから寄ってみた。だが、面白くない。彼らのしていることは、実に退屈だ」

 言いながら、岸田と呼ばれた青年は視線を移す。男の顔を、じっと見つめた。
 
「まだ、君の顔を見ている方が楽しめるよ。見る者を、これだけ不快な気分にさせるというのも珍しいな。ここまで来ると、ある種の芸術品だ。樫本さん、あなたは自分の顔を誇るべきだよ」

 もし、こんな言葉を他の人間から言われたのなら、樫本直也カシモト ナオヤは許さない。徹底的に叩き潰すはずだ。
 だが、彼の目の前にいるのは岸田真治キシダ シンジである。この白土市において、絶対に敵に回してはいけない人間のうちのひとりだ。この学園で絶大なる権力を持つ樫本も、笑って済ませる以外になかった。

「そんなこと言われたのは初めてですね。光栄ですよ」

 愛想笑いを浮かべつつ、落ち着いた答える。湧いてきた殺意など、おくびにも出さない。だが、岸田の方は彼の態度など気にも留めていないらしい。すぐに視線を逸らす。

「ところで、希望ノゾミくんはどうしているんだい?」

「ああ、竹川希望タケカワ ノゾミですか。彼なら、今頃はうちの生徒らと外を歩いているはずですよ」

 そう言うと、樫本は下卑た笑みを浮かべる。

「今すぐ呼び寄せましょうか? 少しお待ちいただければ──」

「少し、というのは、どのくらいだい?」

 聞いてきた岸田に、樫本は焦りながらスマホを出す。だが、タッチパネルを操作しようとした途端、岸田はかぶりを振った。 

「いや、いいよ。いないのなら仕方ない。彼の顔を見たかったのだがね、残念だ」

 その言葉に、リーゼントの大男がじろりと睨む。だが、岸田は静かな口調で語り続けた。

「彼は美しい。大人と子供の狭間の時期に特有の、えもいわれぬ魅力がある。さらに、君が注入した女性ホルモンにより、男性と女性の狭間の美しさをも手に入れてしまった。いにしえの聖人たちが出会った天使とは、希望くんのような外見を備えていたのだろうな」

 聞いている樫本は、引き攣った笑みを浮かべていた。何を言っているのか、さっぱりわからない……といった様子だ。
 そんな樫本を見て、岸田は目を細める。蔑みの表情を向けた。

「希望くんは、君らのような凡人の玩具にするにはもったいないな。いずれ引き取らせてもらいたいものだね。構わないかい?」

「もちろんです! 明日にでも、そちらに向かわせますよ!」

「ほう、それは助かる」

 そう言うと、岸田は大男の方を向いた。

「では立花、帰るとしようか」



 それから十分後、岸田は大男の運転する車の後部席に乗っていた。道路は広く、他に車は走っていない。周辺は自然に囲まれており、人工の建物はまばらであった。

立花タチバナ、どうしたんだい? さっきから、機嫌が悪いように見えるが」

 岸田が声をかけると、立花と呼ばれた男は憮然とした様子で口を開く。

「別に。いつも通りですよ」

「そうかな。僕の目には、君はえらく機嫌を損ねているように見えるがね」

「それは気のせいです」

 言った時だった。突然、バイクに乗った若者の集団が、彼らの車を追い越していった。しかも、ひとりが追い越しざまに唾を吐いた。唾が、車のサイドウインドウにかかる。
 その瞬間、立花の表情がさらに険しくなった。思い切りクラクションを鳴らす。
 すると、若者たちはこちらを向いた。次の瞬間、彼らは蛇行運転を始める。明らかに、こちらへの威嚇であろう。

「どうやら、よそから来たガキ共のようですね。仕方ない、すぐに終わらせますから待っていてください」

 言うと同時に、立花は車のスピードを落とした。それに合わせ、向こうも減速させる。どうやら、血を見ないと収まらないらしい。
 立花は、路肩に車を停めた。それに反応し、若者たちもバイクを停める。何やら喚きながら、こちらに近づいてきた。全部で八人。うち三人は、何かキラキラ光るものを手にしている。恐らく武器であろう。
 だが、岸田に恐れる様子はない。むしろ、楽しそうな様子で彼らを見ていた。立花の方は、凄まじい形相で若者たちを睨んでいる。

「もう一度言います。どんなに煽られても、絶対に車から出ないでください」

 言った直後、立花は車から飛び出した。待ってましたとばかり、若者たちは怒号と共にずかずか歩いてくる。
 しかし、立花は怯まない。もっとも近い距離に迫っていた若者に、豪快な前蹴りを叩き込む──
 それは、前蹴りというよりはヤクザ式キックといった方が正確だろう。一発の蹴りで、若者は軽々と飛んでいった。地面に倒れ、ガハッという異様な呻き声を上げる。
 罵声をあげていた若者たちは、その一発の蹴りで静まった。仲間が、まるでサッカーボールのように軽々と飛んでいったのだ。目の前で起きたことが理解できず、全員がその場で硬直する。
 立花は、それで収まる男ではなかった。さらにとんでもないことをして見せる。おもむろに一台のバイクへと近づいていった。
 次の瞬間、バイクを軽々と持ち上げる──
 若者たちは唖然となっていた。彼らの乗ってきたのは百二十五CCである。大型ではないが、それでも重量は八十キロを超えているだろう。そんなバイクを、目の前にいる大男が頭上高く持ち上げているのだ。彼らを突き動かしていた怒りは、この荒業を前に消え去っていた。代わりに、怯えという感情が全員を支配している。
 立花はバイクを持ち上げたまま、不快そうな表情で若者たちを見回した。普段なら、ここで終わらせる。彼らに、もはや戦意はないのだ。こんな雑魚共を叩きのめしたところで、何の得にもならない。
 しかし、今の立花は恐ろしく機嫌が悪かった。この程度で終わらせる気にはなれない。
 力任せにバイクをブン投げ、凄まじい勢いで襲い掛かっていった。
 直後、岸田も車から飛び出す。立花の暴れっぷりを見ていて、我慢できなくなったらしい。残忍な笑みを浮かべ、若者たちに突進していった──

 ・・・

 岸田と立花が、学園の校舎から出て行った直後のこと。 
 樫本は、去り行くふたりの後ろ姿を憎々しげな表情で睨みつける。
 もっと権力を増大させ、いつか岸田をもひれ伏させてやる。あの美青年を奴隷にし、綺麗な顔が苦痛で歪む様を眺めるのだ。
 あの女のように──

 樫本は、獣のような体勢で犯されているルミに視線を移した。美しい女が、塚田のような下司な男に犯され悶えている……その様を眺めることこそが、この異常者にとっての最高の快楽であった。
 いつしか、ルミと岸田の顔が重なっていく。塚田に犯され、苦痛に顔を歪める岸田……想像しただけで笑みが漏れた。ただ、塚田にはそっちの趣味はないらしい。
 もっとも、岸田とやりたいと願う男など、掃いて捨てるほどいるだろう。その中でも、一番醜い男に犯させてやる。
 そんな妄想を膨らませていた時だった。ポケットに入れておいたスマホが震える。何か通知がきたらしい。
 スマホを取りだし、画面を見る。その途端、表情が歪んだ。ただでさえ醜い顔が、一層ひどくなる。
 だが、それも仕方なかった。スマホには、たった一行ではあるが、とんでもないメッセージがきていたのだ。

(ノゾミがさらわれました)

 次の瞬間、彼はすぐさま電話をかける。

「おいゴラァ! 希望がさらわれたって、どういうことだ!」

 怒鳴りつけると、スマホから泣き声が聞こえてきた。

(す、すいません! どうしても希望と会いたいって奴がいたんで、からかってやろうと行ったら……いきなり全員やられて……)

 その言葉に、樫本はぎりりと奥歯を噛み締める。
 電話の相手は、白志館学園の生徒だ。一部の生徒を、樫本は便利な手駒として使っていた。その代わり、彼らには学園内で絶大な権力を与えていたのである。
 希望を連れ歩くのも、そのひとつだ。彼らが希望を使い、サラリーマン相手に美人局のようなことをやっていることも知っていたが、好きにさせていたのだ。やり過ぎない限り、放っておくつもりであった。
 まさか、こんな事態を招くとは──

「さらったのは、どんな奴だ!?」

(それが、へらへらした感じのチャラい奴で……で、でも仕方なかったんスよ! そいつ、いきなりライターで火ィつけてきて、火炎放射機みたいにボワッと燃えて──)

「言い訳なんざ聞きたくねえ! どうせ、今回も盗撮してたんだろうが! そいつの動画を、さっさと送るんだ!」



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