胸に刻まれた誓い

板倉恭司

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監禁場所で行われた極めて不快な作業

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 高村獅道の前には、ひとりの少年がいた。鉄製のベッドで仰向けになり、静かに眠っている。
 寝ている少年を、予備知識なしに一目で男性だと見抜くのは非常に難しいだろう。まず、彼の着ているものは、女子の制服なのだ。ブレザーの上着にスカート姿で、御丁寧にも顔には化粧をしていた。もっとも昨今は、ジェンダーレス男子という者もいる。女子の制服を着ている程度では、珍しいとは言えない。
 ただし、彼の胸には膨らみがあった。筋肉の膨らみではない。衣服の上からでも、乳房だとはっきりわかる形だ。顔立ちは端正で、テレビやネットなどで見かける一山いくらのアイドルなどとはレベルが違う。しかし、彼は間違いなく男性なのだ。その事実を、獅道は知っている。
 ややあって、獅道は寝ている少年を足でつついた。しかし、少年は起きない。すると、いらついた表情を浮かべ足でぐいぐい押した。

「おいコラ、起きろ。いつまで寝てんだ」

 その言葉に、少年はようやく目を開ける。上体を起こし、呆けたような顔つきで辺りを見回した。
 おかしな部屋だった。部屋は六畳ほどだろうか。壁は灰色のコンクリートで、床もコンクリートだ。しかも、埃が積もっている。少年が寝ていたのは鉄製のベッドで、一応は布団が敷かれており枕もある。部屋の隅には、大きなバケツとビニールシートで巻かれた大きなものが置かれていた。
 そして目の前には、作業服を着た青年が立っている。他には、何もない。

「あ、あの、ここはどこですか?」

 少年は、ためらいながらも目の前の青年に尋ねた。その時、自身の右足首に手錠のようなものが付けられているのに気づく。手錠は鎖に繋いであり、もう一方の端は鉄製ベッドの足にくくり付けられていた。鎖の長さは、ドアまで届かない。つまり、ここから出られないということだ。
 己の置かれた状況に唖然となる少年に向かい、獅道は答える。

「教えない」

「えっ? あの、どういうことです?」

「簡単に言うとだ、君は誘拐された。今は監禁されてる。とりあえずは、おとなしく俺の言うことを聞くんだね。でないと、とっても怖い目に遭うよ」

「ど、どうして? 僕をさらっても、身代金は出せないですよ」

「だろうね。君の名前は竹川希望タケカワ ノゾミ、女の子の格好をしているが男だ。家は金持ちとはいえない。母子家庭だということも知ってる」

 淡々と語る獅道に、希望は顔を歪める。

「そ、そうです。僕を誘拐しても、お金にはなりません……」

「だから何だと言うんだい?」

 無表情で聞き返す獅道。すると、希望はわなわなと震え出す。
 次の瞬間、土下座した──

「お願いです! 僕を……僕を帰らせてください! でないと、ママがひどい目に遭わされるんです!」

 少年の必死の訴えにも、獅道は涼しい顔だ。

「んなこと知ったことじゃないよ。俺がひどい目に遭わされるわけじゃないから。とにかく、君を帰すわけにはいかないな」

「そ、そんなあ! お願いです!」

 叫びながら、希望は獅道の足に抱き付いた。恐らく無我夢中だったのだろう。
 しかし、その行動は獅道を不快にさせただけだった。次の瞬間、希望の首に指先が食い込む。獅道の手のひらが、少年の細い首をがっちりと掴んでいた。そのまま、力ずくで希望を立ち上がらせる。
 希望は必死でもがき、喉に食い込んだ指を外そうとする。だが、獅道の腕力は常人離れしていた。華奢な少年が全力を振り絞っても、抵抗にすらなっていない。その間も、気道は容赦なく絞められていく。希望の顔は、どんどん青くなっていった──
 その途端、獅道はパッと手を離す。希望はどさりと倒れ、荒い息を吐く。

「静かにしていないと、もっと痛い目に遭うことになるよ」

 どうにか呼吸を整えている希望に、獅道は冷たく言い放つ。
 直後、彼は動いた。つかつかと部屋の隅に行き、青いビニールシートに包まれた何かを力任せに引きずってくる。
 呆然となっている希望の前で、覆っていたビニールシートを剥がしていった。中にあった物があらわになった瞬間、少年はヒッと声を上げる。
 出てきたのは、ひとりの男だった。ソフトモヒカンの髪を茶色に染め、耳と鼻と唇にピアスを付けている。体は大きいが、その顔は恐怖に歪んだ状態で硬直している。そう、彼は白志館学園で獅道に絡んでいった男だ。
 もっとも、希望にそんな事情などわからない。わかるのは、死体が目の前に転がっているという事実だけだ──
 がたがた震えながら、希望は死体から目を逸らした。その時、声が聞こえてくる。

「さて、くたばった彼には悪いが、今から解体させてもらうとしよう。君も見ておくといい。どこの学校でも、教えてくれない貴重な知識だ」

 言いながら、獅道は死体が身に付けている衣服を脱がせた。
 やがて死体を全裸にすると、部屋の隅から道具箱を持ってくる。開けると、中には奇妙な道具が入っていた。複数のメス、はさみ、ペンチ、ゴムチューブなどといった品だ。
 
「もう死後硬直が始まってるからな。力もいるし、面倒くさいんだよ」

 そう言って、獅道は死体の肘関節を無理やり折り曲げる。道具箱からメスを取りだし、関節付近の肉を削ぎ落としていった。
 途端に、嗚咽のような音が響き渡る。耐えられなくなった希望が吐いたのだ。美しい顔を歪め、胃の中のものを思いきり戻している。
 獅道は、くすりと笑った。

「おいおい、まだ始まったばかりだよ。とりあえずは、ほれ」

 言うと同時に、切断した腕を放り投げる。希望は、ヒッと悲鳴をあげた。彼の目の前には、人間の前腕が無造作に転がっている。あまりにも陰惨な光景に、希望は耐えきれなかった。もう一度、

「関節付近の肉やすじをきっちり削いでいけば、人間の腕くらい簡単に切り取れるんだよ。さて、次は上腕いってみようか」

 陽気な口調で言いながら、再びメスを振るう。肩周りの肉を、丁寧に切っていく。
 だが、不意に手が止まった。その目は、希望の方に向いている。

「誰が目をつぶっていいと言った? ちゃんと見ろ」

 言うと同時に、切り取った肉片を投げつける。人肉の欠片は、希望の顔面へと当たった。少年は、慌てて目を開ける。だが何を投げられたか気づくと、ヒッと声を上げ後ずさった。
 そんな希望を、冷酷な表情で見つめる獅道。ややあって、口を開いた。

「おい、ちゃんと目を開けて見るんだ。でないと、ものすごく嫌な目に遭うぞ」

 声は、静かなものだった。その静けさが、逆に凄みを感じさせる。希望は、硬直した顔でどうにか頷いた。

「よろしい。では、オペを続行する」

 真面目くさった表情で言うと、獅道は解体作業を再開した。



 約一時間後、全てが終わった。
 死体は部位ごとに解体され、並べられている。既に体内で固まっていたのか、血はほとんど出ていない。腹は切り開かれ、内臓は大半が取り出されていた。
 希望は、その作業をずっと見ていた。いや、見ることを強いられていたのだ。途中、耐え切れず何度も嘔吐した。胃の中のものは全て出し尽くし、胃液すら残っていない状態だった。
 そんな希望に向かい、獅道は静かに口を開く。

「いいかい、よく聞くんだ。君は当分、ここで生活する。俺に逆らったら、君のママをさらう。そして、君の目の前でこんな風に解体するよ。それが嫌なら、俺の言うことには全て従うんだ。いいね?」

 その言葉に、希望はこくんと頷いた。綺麗な顔は死体のように青く、口の周りは吐瀉物で汚れている。目は虚ろで、人形のようだった。生まれて初めて見た人間の解体作業の衝撃から、未だ覚めていないのだ。
 獅道はというと、愉快そうに微笑んだ。

「素直でよろしい。では、聞かせてくれ。君の身に、何が起きたのかを」

 ・・・

「クソが……こいつ、何者だ?」

 樫本は、忌ま忌ましげに呟いた。立ち上がると、理事長室の中をせわしない様子で歩き出す。まさか、こんなことになるとは予想もしていなかった。



 樫本が手駒として使っていた白志館の不良生徒たちは、竹川希望を女装させ連れ回していた。援助交際を申し出る美少女……のふりをさせて誘い、スケベ心を出し引っ掛かってきたサラリーマンを脅して金をまきあげる。それが、不良生徒たちの小遣い稼ぎだった。最初は反抗的なサラリーマンも、自分がホテルに連れ込もうとした相手が男子生徒だったと知ると、途端におとなしくなった。
 ところが、昨夜はとんでもないことが起きる。接触してきたのは、スケベ心まるだしの中年サラリーマンではなく、ラッパーのようにベラベラ喋りまくる軽薄そうな青年であった。パーカー姿で、いきなり希望に声をかけてきたかと思うと、半ば強引に人気ひとけのない路地裏へと引っ張っていく。不良たちは、慌てて後を追った。
 その後は、予想だにしない展開が待っていた。突然、青年が希望の腹に拳を叩きこむ。うっという呻き声をあげ、希望は崩れ落ちた。その様子を見た不良たちは、罵声をあげ襲いかかっていく。
 だが、数秒後に倒れていたのは不良たちの方だった。動画で見る限りでは、青年が何かを手にした。途端に、大きな炎が吹き上がる。不良たちは、慌てて顔を押さえた。次の瞬間、青年が動く。その動きに合わせ、不良たちがばたばたと倒れていく。
 映像はそこまでだった。後の様子は、全く撮れていない。

「使えねえガキどもが……」

 樫本は、思わず毒づいた。
 昨日、岸田真治と交わした約束。それを反古にしたとなると、自分は一気に信用を失う。何が何でも、希望を探し出さなくてはならない。
 今、手駒にしていた不良たちは全員休ませた。今は、町で希望を探している。さらに、パーカー姿の青年も探しているが、昼の十二時となった今でも連絡が来ない。
 こうなっては仕方ない。樫本はスマホを手にした。

「塚田さん、お願いがあります。昨日、竹川希望がさらわれました。相手は、どっかのチンピラのようです。申し訳ないですが、そちらでも探していただけませんか?」

 スマホに訴えかけ、ペコペコ頭を下げる。
 ややあって、樫本はスマホを置いた。非常に不愉快な気分だ。こんな時のために、塚田には上納金を払っている。正式な組員でもないのに、多額の上納金を毎月支払わされているのだ。
 にもかかわらず、いざトラブルが起きると腰は重い。今も、ぐだぐだ恩着せがましいことを言った挙げ句、明日にでも探させる……ときた。

「ざけんじゃねえぞ、ヤー公が」

 毒づいた時だった。ドアをノックする音が響く。次いで、若い女の声。

「すみません。そろそろ、お薬の時間です……」

「わかった。今から行く」

 答えると同時に、ドアを開ける。
 立っていたのは、パンツスーツに身を包んだ若い女性だった。眼鏡をかけた顔からは、理知的で真面目そうな雰囲気を漂わせている。
 樫本は、じろりと女を睨んだ。途端に、女は怯えた表情で目を逸らす。

「薬の時間なんだろう? では、行くとしようか」



 二人は、無言のまま地下へと降りていく。通路を進んでいくと、鉄製の扉が行く手を塞ぐ。
 この白志館学園は、第二次世界大戦以前に建設されている。戦争に備え、生徒や教師のために地下にトンネルを掘り、いつでも逃げられるようになっていた。その地下通路は、今も残っている。もっとも、生徒の立ち入りは固く禁止されていた。それどころか、危険だという理由から教師の立ち入りも禁止されている有様だ。
 現在、地下の施設に出入りできるのは、理事長である樫本直也と、彼の許可を得た数人の人間だけである。
 樫本は、鍵を取り出した。分厚い鉄製の扉を開け、中に入っていく。女も、後に続いた。
 地下通路は、見た目は校舎の通路と変わらない。ただし、漂っている空気は異様なものだった。天井に設置されている蛍光灯も、心なしか薄暗く感じられる。しかも、片側の通路にはいくつかの扉が付いていた。まるで監獄のようである。
 やがて二人は、ひとつの扉の前で立ち止まる。樫本は鍵を取り出し、鍵穴に入れた。
 ガチャリという音に続き、ギイという金属音とともに扉が開く。
 中は、四畳半ほどの広さだった。床には畳が敷かれ、部屋の隅に和式のトイレと洗面所がある。それ以外は何もない。
 そんな部屋の中央に、ひとりの女がいた。昨日、塚田の相手をしたルミだ。豊満な肉体をタンクトップトップとホットパンツで覆い、虚ろな目で床の一点を見つめ座り込んでいる。口は半開きで、二人が入って来ても何の反応もない。
 樫本は、ニヤリと笑った。ポケットから、革製の細長いケースを取り出す。
 開けると、注射器が入っていた。中には、透明な液体が入っている。
 ルミの腕を掴み、肘の内側をそっと触っていく。やがて静脈を発見すると、針を血管に突き刺した。一気に中身を注入する──
 その途端、ルミの表情が変わった。虚ろな目に、光が宿る。次いで、首を動かし樫本を見上げた。

「ご、ご主人さま……奉仕の時間でしょうか」

 言いながら、手を伸ばしてくる。だが、樫本はルミの手を払いのけた。

「ルミ、お前が奉仕するのは、こちらの神代カミシロ先生だ」

 そう言うと、若い女の方を向く。

「神代先生も、早く脱ぎなさい。この欲求不満の雌犬を、喜ばせてあげるんだ」

 すると、神代先生と呼ばれた女はこくりと頷く。樫本の目の前で、眼鏡を外し衣服を脱ぎ始めた。頬は紅潮し、ルミを見る目には欲望が浮かんでいる。
 樫本は知っていた。この神代は、男性より女性が好きなのだ。それも、ルミのような年上の女性をいたぶるのが好きである。一見すると真面目で気弱そうな風貌だが、その実はサディストであった。
 やがて、神代はルミを押し倒した。凄まじい形相で、荒々しく乱暴に責めたてる。神代の罵声と、ルミの悲鳴のような声が室内に響き渡った。
 その様を、樫本は憑かれたような表情で見ていた。



 樫本には、ひとつの信念がある。自分のような醜い男は、金が無ければ誰も相手にしてくれない。
 だからこそ、裏社会に深くかかわり手段を選ばず金を稼いできた。稼いだ金をあちこちにばらまき、表の世界でも権力を手にしていく。
 やがて彼は、四十前にして白志館学園理事長の座を手に入れる。もっとも、金と暴力とで強引に手に入れたものだったが。
 彼がのし上がってこれた理由、それは……今、目の前ではしたなく悶えているルミを手に入れるためだった。
 そう、樫本はルミを本気で愛している。その愛した女が、目の前で狂ったように悶える姿を見る。それこそが、この異常者にとって最上の喜びであった。




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