胸に刻まれた誓い

板倉恭司

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風間康史という極めて愚かな男

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 真幌まほろ駅近くの路地裏には、怪しげな商売を営む店が少なくない。特に、駅から歩いて二分の場所に建っている小沼ビルには、裏カジノや違法な風俗店がいくつも入っている。誰が付けたか『プリズン・マンション』なる異名まである始末だ。
 そんな小沼ビルに、ひとりの青年が入っていった。現在の時刻は、昼の三時である。まだ日は高く外は明るく、学校帰りらしい子供の姿も見かける。いかがわしい店が開くには、少し早い時間帯だ。事実、ほとんどの店は営業していなかった。
 だが、青年はそんな事情など興味もないらしい。エレベーターで五階へと上がり、角部屋の前に立っている。スマホを取り出し、タッチパネルを操作し始めた。
 見た感じの年齢は、二十代の半ばだろう。髪は長めで、中肉中背の体を安物のスーツで包み込んでいる。顔立ちは悪くないが表情には締まりがなく、全体的に軽薄そうな雰囲気を漂わせている。田舎の繁華街に潜む風俗店の客引きか、客を掴めずクビを切られる寸前の売れないホスト……といった雰囲気だ。
 やがて、ドアが開かれた。中から、男がぬっと顔を出す。髪は金髪で、厳つい風貌だ。

「あんた、高村獅道タカムラ シドウさんか?」

 ぶっきらぼうな口調で、男は聞いてきた。それに対し、青年はニッコリ微笑む。

「はい、僕が高村獅道です」

「じゃあ、入れ」

 そういうと、金髪の男は獅道を招き入れる。
 獅道が室内に入ると同時に、男はドアを閉める。ガチャリという音に獅道が振り返ると、金髪の男は鍵をかけていた。御丁寧にも、ドアチェーンまでかけている。
 これで、簡単には出られなくなったわけだ。ヤクザがよくやる、相手の恐怖心を煽る仕掛けである。
 ただし、それは一般人が相手なら、の話だ。高村獅道という男は、この程度で煽られる恐怖心など持ち合わせていなかった。



 獅道は、奥の部屋に通される。八畳ほどの広さで、テーブルとソファー、それに来客用の椅子がある。ソファーには、ひとりの若者が座っていた。獅道が挨拶をしようとした途端、部屋の隅に立っていた男が音もなく動いた。彼の前に立ち、口を開く。

「悪いけどな、武器を持ってないかチェックさせてもらうぜ」

 有無を言わさぬ声だった。頭は五分刈りで鼻は少し曲がっており、目つきは鋭い。身長はさほど高くないが、筋肉質の体つきなのはスーツの上からでもわかる。年齢は三十代だろうか。険しい表情で、獅道を睨みつけている。

「そいつは、元キックボクサーの川島カワシマだ。聞いたことあんだろ、一時はチャンピオンの真虎闘マコトのライバルなんて騒がれてたんだからな。逆らうと、痛い目見るぜ」

 ソファーの若者が口を挟む。川島の方は初耳だが、真虎闘は有名だ。獅道も、名前だけは聞いたことがある。

「おお、あの川島さんですか」

 相手の機嫌を損ねないため、知っているふりをしつつ両手を挙げた。ホールドアップの体勢だ。
 川島は、獅道の体をチェックする。ポケットに入っていたものは、金属製シガレットケースとジッポライターと財布、そしてスマホ。それ以外には、何も持っていない。

「風間さん、大丈夫です。ヤバいものは持ってません」

 川島の言葉に、若者が頷いた。
 このソファーに座っている若者の名は風間康史カザマ ヤスシ、近ごろ裏の世界で勢力を伸ばしてきた男である。年齢は二十五と若いが、広域指定暴力団・銀星会の幹部である父親の名前や肩書を上手く使い瞬く間にのし上がってきた。
 もっとも、本人はヤクザではない。暴力団には未来がないと判断しており、一応の肩書は有限会社『狩人かりうど社』の代表取締役である。その実態は、いかがわしい映像の撮影やパパ活の仲介、さらには怪しげな薬の販売といったグレーゾーンに属する業務がほとんどだ。つまり彼は、いわゆる半グレなのである。
 そんな風間は、ブランド物のスーツに身を包み、ソファーにて踏ん反り返った態度で座っていた。獅道に、ニヤリと笑いかける。

「お前、武器も持たずにひとりで来たのか?」

「そうですよ。今日のところは、挨拶に来ただけですからね。他に誰か必要ですか?」

「なるほど、大した度胸だ。その若さで、タイやカンボジアの連中とも付き合いがあると聞いていたが……嘘ではないようだな」

 余裕たっぷり、という感じだ。喋り方も、どこかのヤクザ映画の登場人物をそのまま真似ているかのようである。獅道は内心、付き合いきれないものを感じていた。目の前にいるのは、はっきり言って小者だ。町のチンピラに毛の生えた程度の器の人間である。親の名前を上手く使い、今の地位にいるのだ。
 もっとも、そんな心の中の思いはおくびにも出さない。ペこりと頭を下げる。

「いやあ、お褒めいただき恐縮です。で、お耳に入れたい情報がありましてね。申し訳ないんですけど、静かな場所で話がしたいんですよ。ここは、少々人が多過ぎます」

 言いながら、周囲を見回した。その言葉に反応し、川島と金髪の男がジロリと睨んでくる。 

「こいつらのことなら気にするな。口は堅い」

 対する風間は、表情ひとつ変えていない。こんな雑魚のいうことなど、いちいち取り合っていられない……という態度を、子分たちに見せつけているのだろう。

「駄目です。この方々を退室させてくださいよ。一対一で話したいんです」

 獅道は、即座に言い返した。表情はにこやかだし、口調も柔らかい。ただし、言葉の奥からは……引く気はない、という意思を感じさせた。
 すると、風間の表情が変わる。弱い者をいたぶるチンピラの顔で、ニヤリと笑う。

「嫌だと言ったら、どうするんだ?」

「だったら、無理やり退室させるしかないですね」

 言った直後、獅道はタバコのケースを取り出す。一本抜き取り、口に咥えた。さらに、ジッポライターをポケットから出す。
 タバコに火をつけ、美味そうに煙を吐き出す。その様子を見て、風間がテーブルを蹴飛ばした。

「おい、ここは禁煙だ。誰がタバコ吸っていいと言ったんだ」

 不快そうな顔で言った。と同時に、傍らにいた金髪男が動く。手を伸ばし、獅道の襟首を掴もうとした。
 その瞬間、獅道は動いた。持っていたジッポライターを、金髪男に向け突き出す。
 すると、ライターより炎が吹き出た。それも、バーナーのような勢いの炎だ。金髪男の顔面をまともに炙《あぶ》り、髪と眉が焦げる──

「あぢぃ!」

 悲鳴をあげ、金髪男は反射的に顔を逸らした。その時、獅道の手が伸びる。男の後頭部を掴み、顔面を壁に叩きつける。
 グシャッという音が響く。獅道はタバコを咥えたまま、間髪入れず再度同じ動作をする。またしても、グシャッという音が響いた。
 直後、手を離す。金髪男は、顔面から血を吹き出し崩れ落ちた──
 その瞬間、脇腹に激痛を感じた。バットで殴られたような痛みに、思わず顔をしかめる。
 それは、川島の蹴りだった。体重を乗せた重い左ミドルキックが脇腹に炸裂したのだ。かつて一流のキックボクサーだった、という経歴は伊達ではない。並の人間なら、その一撃が致命傷になっていただろう。
 だが、獅道は並の人間ではない。続けて放たれた川島の右ストレートを、瞬時にしゃがみ込んで躱した。と同時に、咥えていたタバコを投げつけた。タバコはひゅんと飛んでいき、見事に川島の顔面に命中する。
 直後、タバコは爆発した。爆竹のような派手な破裂音を立て弾け飛ぶ。火花が彼の顔面を襲い、細かい破片が顔に付着する。川島は思わず目をつぶり、両手で破片を払おうとした。
 その瞬間、獅道は飛んだ。しゃがみ込んだ体勢から高く跳躍し、川島の顔面に膝蹴りを叩き込む。川島は、血と砕けた前歯を吐き出しながらのけ反った。
 獅道は、それだけでは終わらせなかった。彼の襟首を掴み、己の額を叩きつける──
 顔面への強烈な頭突きにより、川島は完全に意識を失い崩れ落ちた。かつて華やかなリングの上で世界チャンピオンと闘っていた男は、顔面を血に染めて床に倒れている。半開きになった口から、ゴフッと血を吐き出した。
 風間はといえば、先ほどまでの自信たっぷりな態度が完全に消え失せていた。怯えた表情で、座り込んだままガタガタ震えている。自ら切った張ったの修羅場に身を投ずることはないタイプなのだろう。
 一方の獅道は、入ってきた時と変わらぬ表情だ。つかつかと近づいて行き、風間の方に手を伸ばす。
 襟首を掴むと、一気に引き寄せた。鼻と鼻が触れ合わんばかりの位置まで顔を近づけ、ニイと笑う。風間はガタガタ震えるばかりで、抵抗すら出来ない。
 獅道は、静かな口調で語り出した。

「甘く見てもらっては困るねえ。俺はガキの頃、ゴールデントライアングルのジャングルにおっぽり出された。泥水をすすりながら、どうにか生き延びたんだよ。日本みたいな安全な国で、のうのうと生きてきた君たちとは違うんだ。あと、ついでだから言っとく。伊達恭介ダテ キョウスケという俺の兄にも等しい人物がいる。その恭介が、明日ここに来ることになっているんだよ。くれぐれも、失礼のないようにね。でないと、また来るから。そん時は、マジで死なすよ」

 殺意を秘めた言葉に、風間は震えながらウンウン頷いた。



 マンションを出た獅道は、ポケットからスマホを取り出す。耳に当てて喋り出した。

「今、行ってきた。とりあえず、風間のアホにはきっちり言っといたよ。まあ、あれは恭介に逆らうほどの根性はなさそうだね」

(相変わらず、仕事が早いな)

 スマホからは、若い男の声が聞こえてきた。獅道は、ニッコリ微笑む。

「早い安い上手いが、俺のウリだからね」

(ところで、明日から白土市に行くのか?)

「そうだよ。ちょいとばかし大仕事になりそうだけどね」

 そう答えた時、スマホの向こうにいる相手は黙り込んだ。何か言いたいことがあるらしい。獅道も口を閉じ、相手が何か言うまで待つことにした。
 ややあって、声が聞こえてきた。

(なあシド、お前ひとりで大丈夫なのか? 奴らは、風間みたいに甘い連中じゃない。せめて、俺が行くまで待てねえのか?)

「いやいや、こいつは個人的な問題だからね。恭介に迷惑はかけられないよ。俺ひとりで充分。一応さ、助っ人も呼んであるから」

 すると、スマホ越しに溜息が聞こえた。

(お前は昔から、言い出したら聞かない男だからな……好きにしろ。けどな、俺も噛ませてもらうぞ。溜まった仕事を片付けたら、そっちに向かうからな)

「大丈夫だよ。恭介が来る前に終わらせるからさ」



 翌日、高村獅道は白土市に来ていた。
 彼の目の前には、白い建物がある。市内でも有名な私立の高等学校『白志館ハクシカン学園』だ。校庭は広く、校舎も綺麗なものである。学校から二百メートルほど歩くと、川が流れていた。さほど大きなものではないが、橋がかかっており河原には背の高い草が密集している。
 この白志館学園、進学率は高い上に自由な校風で知られていた。一応、学校指定の制服を着なくてはならない……という校則は存在する。しかし、それ以外の点はかなり緩い。髪型は自由でピアスもOK、バイク通学も可である。少子化が叫ばれて久しい昨今ではあるが、この白志館が定員割れしたことはない。
 もっとも、この学園が裏で何をしているかを知る者は少ない。一見、自由な校風で人気の進学校……その裏では、金と欲にまみれた獣たちがうごめいているのだ。
 今の時刻は、午後八時だ。当然ながら、既に生徒たちの下校時間は過ぎている。にもかかわらず、ひとつの教室には明かりがついている。中では、獣たちが哀れな奴隷の肉を貪っているのだ。その事実は、ごく僅かな者にしか知らされていない。

「今時、奴隷学園とは恐れ入ったね。昭和のエロ小説じゃねえんだよ」

 呟きながら、獅道はクスリと笑う。だが次の瞬間、彼の表情は一変した。

「まあ、今のうちにせいぜい楽しんでな。お前ら全員、生まれてきたことを後悔させてやる」

 その時、つかつか近づいて来る者がいた。ソフトモヒカンの髪を茶色に染めた若者である。背は高く、耳と鼻と唇にピアスを付けている。前歯は欠けており、目つきは鋭い。額には、長い傷痕がある。年齢は、獅道と同じくらいか。少なくとも、高校生という歳ではない。
 かといって、この学校の関係者とも思えない。にもかかわらず、この男は学園の校舎から出てきたのだ。
 男は、獅道の前に立った。血走った目で睨みつけ、おもむろに口を開く。

「お前、誰だ? この学校に、何か用か?」

 その質問には答えず、獅道は男の全身をじっくりと眺める。不健康そうな肌の色や欠けた前歯や血走った目から察するに、違法なドラッグをやっている。それも、かなり重度のヤク中だ。恐らく、ドラッグが切れてイライラしているのだろう。今すぐにでも、殴りかかってきそうな雰囲気だ。
 獅道は、己の幸運に感謝していた。こいつは救いようのないバカだ。しかも、暴力を振るいたくて仕方ない。誘いには、すぐに乗って来るだろう。
 まずは、このヤク中から情報を聞き出す。
 そんなことを考えていた時、茶髪の表情が変わった。

「何か用かって聞いてんだろうが! お前、マスコミか!? 探りに来たのか!?」

 聞いてきた。というより吠えた。だが、獅道は無言のままクスリと笑う。すると、茶髪は完全に怒ったらしい。

「何とか言え!」

 喚きながら、掴みかかってきた。だが、獅道はその手を払いのける。直後、バックステップで間合いを離した。
 くるりと向きを変え、走りだす──

「待てや!」

 男は追いかけてきた。予想通りの展開だ。獅道は、さっと河原の草むらへと入っていった。男も、後を追って来る。もっとも、その足取りは重い。百メートルも走っていないのに、荒い息遣いが聞こえてくる。どこまでバカなのだろう。己のスタミナの無さを考えず、こんな所まで追いかけて来るとは。
 もっとも、獅道としてはありがたい話だ。追いかけてくる茶髪に、素早く向き直る。
 その口元に、微かな笑みが浮かんだ。

 

  


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