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「収益化」と「交流」って両立できない? 「この人と話したい」と「この人の作品を読みたい」は別物?

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(※いくつか似たようなエッセイを書いてしまったのですが、そのまま投稿することにしました。話の内容が被っている部分が多くあります。ごめんなさい。)

 私は現在収益化を目指していますが、元々お喋りというかネット弁慶で、チャットとかゲームのコメント欄とか、コミュニティー(?)に入り浸っていました。
 一言で言うと「人恋しい」のでしょうが、人の温かさに触れたり、声をかけていただいたり、違う価値観に触れてモヤモヤすることでさえ……なんかもう、ネットで人と関わることのすべてが好きなのだと思います。
 テレビを見ていてもテレビの人とは喋れませんが、ネットでは勇気を出してコメントすればお話できます。仲良くなって、「また明日」と言えるような、そんな関係になれるかもしれません。
 それは、コメントをくださる方がいる今は当たり前のように感じてしまっていますが、よく考えたらとても貴重な時間で、ありがたいことです。手放したくない時間です。

 けど最近ふっと気づきました。私のやりたい「収益化」と「交流」って、右と左くらい逆方向じゃないか? って。

 私は現実で落ちこぼれなので、最後の望みを創作に賭けている部分があります。ド下手な底辺作家ではありますが、まだやれる、もうちょっと作れる、もっと面白いものができる……そう希望を持っているのです。
 全力出して誰にも認められなかったらそれはもうしょうがありません。けど、もうちょっと全力出せると思うのです。もうちょっと自分の「好き」を追求して、「自己満足の高い」作品が作れると思うのです。

 で、できることなら、現実で毎日落ちこぼれの不安な日々を送るより、創作でお金を得て、24時間好きなことをしながらクリエイティブに生きていきたい。「駄目な奴」「こいつのせいでみんな尻拭いしなきゃいけない」「どっか行ってくれたらいいのに」と思われるより、「この人の作品を読むのが日々のささやかな楽しみ!」ってどこかの誰かに思ってもらえるような、そんな存在になりたい。

 明日から好きなことをできなくなる可能性もあるわけですよね。重大な病気が見つかるかもしれないし、何か大きな事情を抱えるかもしれない。けど分からないわけですから、ちょっとでもクリエイティブなことに賭けたい。それで人生を回したい。
 病気とかでなくても、集中力とか体力はどんどん落ちるかもしれません。ならば後でもできそうな「のんびり」は後にとっておいて、パワーが必要そうなことを先にやるべきかもしれない……
 そんな人生ためにお金が欲しい、それも好きなことで。というわけです、が。

「いいねを押してくださったら返したいな」「いつも見てくださっている方の投稿を見たいな」「あの人の投稿が気になるな」って、「見たい」「受け取る」の方向でやりたいこともたくさんあるのです。

 ただ、ずーっとテレビを見ていてもお金は入ってこないように、インプットだけでアウトプットしなかったら、自分の作品は存在しないわけですよね。
「作品」を作るなら、一切交流せずに、ずーっと書いていた方が、「作品」は増えるのでしょう。「作家は孤独でなければいけない」ってどなたかおっしゃったみたいですが、そういうことかもな、と。
 私は虫の作品を作りたかったりしますが、どちらかというと価値観は否定される一方な気がします。需要があるのかどうかも謎ですが、普通に生きていると、私の欲しい情報は入ってこず、関係ない情報がどんどん入ってくる気がします。

 多くのものを見ると迷いも増えます。子どもの思い切りの良さと大人の躊躇い、みたいな?
 フォロワー様とネタ被ったな、修正するかボツにするか……とか、地味に遠回りも増えます。

 これが、いいね返しとか一切なくせば? 「書く時間」は増えるし、虫の本を読む時間もできるかもしれないし、フォロワー様とネタ被りしたり、フォロワー様と意見が違うことにハラハラしたり、気を使ったり、フォロワー様に無意識に影響を受けて作風をパクってしまうことに怯える量は減り、「お金になっている」作品を見て参考にする量が増えるかもしれません。

 でも。今になって思うと、「創作に集中しているのかな?」って方のエッセイ的な文章って、感じ悪いのが多かった気がするのです。優しさが足りない、ギスギスしている、闘争心が強い、排他的、みたいな。もちろん、創作一筋でも優しい方はいっぱいいるでしょうが。

 それに比べ、普段からコメント交流している方は、コメントや文章が優しい人が多いように感じられます。書くとき、いろんな人を頭に思い浮かべているからだろうと思います。
 こんなこと言ったらあの人を悲しませるかな。誰か傷つくかもしれないからこっちの言い方の方がいいな。この言葉があの人に届けばいいな。って……無意識にでも意識的にでも、たくさん思考を巡らせていそうな気がします。

 コメントやいいねの付け合いには否定的な見方もあります。する必要もないし、コネみたいな感じもするし、小説投稿サイトだと評価の付け方にも迷います。どうしても普段の投稿やコメントのイメージとか入ってしまうので、作品を読むのにも、純粋に作品だけを感じ取る状態にはなっていないかもしれません。友達の作品と、友達じゃない人の作品があったら友達の作品の方を評価してしまう、みたいな……。そういう状況はちょっと嫌ですが……。
 でも、いつもコメントを丁寧に優しく返してくださる方の文章の言葉はすっと届くのに対し、コメント返信してくださらない方が作品の中でどんなに優しいことを書いておられても、なんとなく、返信がないと無視されたような感じがしてしまったりします。

 作品だけを作るなら交流は時間の無駄、他の人はライバル、あるいはどうでもいい存在ということになるのかもしれない……
 でも作品だけ作っている人は、作品はすごく上手になっていたとしても、どこか人の気持ちとか優しさとか思いやりとか客観性とか抜け落ちて、独りよがりになっているかもしれない……

 そう思うと、作品はあまり書けなくても、人の作品を見たり、優しいコメントに癒されたり、誰かの言葉が引っかかって「自分はこういう言い方しないようにしよう」って感じたり、フォロワー様とのネタ被りを恐れたり、いいねとの付き合い方に悩んだり……
 そういうことも何か力になっているのかも、って。

 昔から人付き合いが下手で、友達もいなくて、きっと多くの人を傷つけてきただろうけど、それでもまったく話さないよりは、ネットのおかげで人と関われる人間になっているかも……それが作品にも影響しているかも、と思います。

 人と関わっていないときの文章では、誰にどう思われるとか気を使うこともなく、言いたいことズバズバ言っていたので、それはそれで大事にしたい感覚でもあるのですが、自分はどうしても人恋しくて、誰かと話したくなります……。もしコメント欄を閉じたりしたら、きっと反動がくると思うのです。
 って言うと重いですが、そんなこと言わずとも普通に声をかけていいのがSNSのありがたさです。

 けど、せっかくあちこちのサイトで話した方がいるのに、回りきれていなくて申し訳ないなぁ……切ってしまった繋がりもたくさんあるなぁ……って思います。人間の肉体や時間が存在するってもどかしいですね。

 さて……
 世の中多様性、と言いますが、私は私の作品を好きになってくれる人と出会いたい! どうやったら出会えるだろう? と思います。作品自体が少なければ、読者様との出会いもへったくれもありませんが。

 世の中にあってもなくてもいい、たまたま目に止まった、下手な作品……私のはそんな感じでしょう。
 写真も撮ったりしていますが、上手な人には敵いません。綺麗な写真は検索すれば出てくるし、Twitterでも流れてきます。生き物の記録も、生き物の名前で検索すればたくさん出てきます。「この人の投稿が見たい!」ってのは、コンセプトや独自の視点や知識や絵柄等、個性がなければならないことでしょう。
 でも先ほどの「交流」によって、投稿の見え方が、「どこかの誰かの画像」から、「◯◯さんの作品だ!」に変わったりもしますが……。

 素敵な作品がたくさんある中で特別になるには……私の場合上手くなりそうもないので、発想しかありません。
「猫の絵が世界一上手い人」には絶対なれないでしょうし、「可愛い猫の絵を描く人」にもなれそうにあれませんが、個性的な虫の作品を書く人、くらいならいけるかもしれません。
 需要なさそうで不安だし、特別になるために虫が好きなわけではないですが(幼稚園児の頃から好きだったので、人は理由もなく虫が好きなのだと思いたい……)。

 交流の力、そして作品の力……。
 私の作品はまだまだ、クリックしていただけません。いいねも、いいねのお返しでいただいているものが多いでしょう。
 けど何だろう……「作品には興味ないけど、たまに話したい人」なんてポジションも、可能性として存在するわけですよね。

 友達が超大作を書いたとしても、その作品が好きになるかどうかは分かりません。また、好きな作家様の作品であっても、全部好きなわけではありません。宮崎駿監督のナウシカやもののけ姫や千と千尋の神隠しは好きですが、風立ちぬは、言いたいことはなんとなく分かるけどあまり興味ありません……みたいな。

 また、私は動物や妖怪などの人外が出てくる作品は買うことがありますが、同じ作者さんが人間しか出てこないストーリーを書かれても多分買いません。基本的に、人外が出てこない、ファンタジー要素のない作品は買いません。でもたまに例外があって、人しか出てこないのに買う作品があったりもします。
 今鬼滅のアニメを見ていますが、あれも、鬼という人外が出てきますが、鬼は元々人間で、人間だけの話とも言えますね。でも好きです。

 そんなわけで、作品の好みはありますが、「作品」と「作者様」は微妙に別物です。作品が好きならその作者様が好き、とは限らないし、逆でもそう。
 私の作品を宣伝しても、全然読んでいただけませんが、私の投稿が好きで読んでくださっていた人はいたと思いたい部分もあります。

 友達とか夫婦とかで……「趣味が合う、価値観や考え方が似ている」から一緒にいるというのは分かりやすいけど。時々見ますね。趣味も考え方も全然違う、って人。
 そういう場合人は、お互いに一体何を求めているのでしょう。……刺激?
 相手の方が趣味や意見について話しても、「そうですね」とはならないのでしょう。そういう関係もきっとあるんですね。人付き合いの薄い私は、テレビや創作でしかそういうの見たことないので、よく知りませんが。

 人の考え、感覚ってのはまだまだ私には難しいものです。そして私はたまに人嫌いモードですが、人が好きなのだと思います。……完全に矛盾した文章ですね。

 とりあえず、タイトルの結論は。

『「収益化」と「交流」って両立できない?』
 ……両立できたら嬉しいですね!

『「この人と話したい」と「この人の作品を読みたい」は別物?』
 別物だと思います。仲間が自分の個性や持ち味を理解してくれない、家族や友達が夢に反対する、って可能性もあるので、人との関わりってそういうものなのでしょう。あんまり好きとも何とも思われていないズルズルとした関係もあれば(そういうの切りたい。好きでいてくれる人と一緒にいたい)、愛ゆえに妨害されることもあるのでしょう。多分。
 仲間から「それあんまり良くないよ、やめておけば?」とか言われても、気にしなくていい場合もあると思います(詐欺とかだったら、教えてくださったことありがたく聞かないと、ですが……)。
 投稿を見ていると、作者さんとは気が合いそうにないけど、作品は好きだ~なんてこともありますね!


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