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三十六、
しおりを挟む斎藤が次に土方を見たのは、夕餉の席ではなかった。
『再度土方さんから話があるはずだ。その時は、悪いが聞いてやってくれ』
あれから暫くして、沖田が部屋に戻ってくるなり第一声でそんな事を言って、斎藤の心を余計に鬱々とさせた。
更にまた何の話があるというのか。しかも、それを沖田が告げてきた。土方は沖田に、斎藤の抱える感情について何か話したのか。
考えれば考えるほど斎藤は、沖田にそれとなく聞くことさえ出来なくなった。
『そういや、お前がいない間こんな事があったよ』
やがて当たり障りない世間話を始めた沖田の横で、それから斎藤は只々黙っていた。
夕餉の時間を告げて回る声が外で響くに至って、続いていた世間話の話題も尽きたか、沖田がいったん口を噤んだのを、斎藤は遠い心の侭に認識した。
直後に、
斎藤の耳には、わざとらしい激しい溜息が続いて届いた。
『お前、本当にいったい、土方さんに何言われた』
世間話が尽きたわけでもなく沖田のほうは、斎藤の尋常でない黙り込みに耐えきれなくなったのだが、
斎藤は、なお強張ったままの表情でそんな沖田を一瞥しただけだった。
『・・・副長から聞いたんじゃないのか』
そうして漸う返されたその返事に、それでも沖田は幾分ほっとしたのだが、一方で、
その鉛のように重い声音に思わず、斎藤の俯き加減の瞳を覗き込んでいた。
『聞いていない。教えてほしい』
斎藤をここまで塞ぎこませた土方に、沖田は胸内で言い難い苛立ちすらおぼえ。
今また答えずに再び黙り込んでしまった斎藤を前に、沖田はついに嘆息した。
『斎藤、』
そうまで俺には話せない事を言われたのか
斎藤のほうは。沖田のそんな苛立ちの篭った声を耳に、
その苛立ちが、口をきかないでいる斎藤へ向けられているものだと感じて。
『・・何も余計な事を言われたおぼえはない』
煩わしかった。こうしてざわめく心が。
『もう頼むから、少し黙っててくれないか』
斎藤は、今の返しに呆気にとられた沖田を振り切るように、夕餉の広間に向かうべく立ち上がった。
二人隣合わせに座りながらもはや無言だった夕餉の後、斎藤は廊下へ出て、ふと庭の暗がりに感じた人の気配に視線をやった。
井戸の前に佇む影が、土方だと。斎藤はすぐに気がついて、
そして沖田の言葉を思い出した。
再度話があると言っていた。だが斎藤は、もう土方とその件で話などしたくもない。土方から言い出してこない限り、己から聞きにゆく気は更々無かった。
いっそ気づかれぬように。斎藤は黙したまま、己の歩を進めた。
そのとき不意に背後で、追って広間を出たのか斎藤に呼びかける沖田の声がした。
振り返ったのは土方だった。
「総司、夕餉は済んだのか」
土方の視線は斎藤を通り越し、斎藤の背後の存在へとまっすぐに向かっていた。
否、斎藤の存在にも当然気づいている。
気づいていながら、意図的に斎藤を見ない土方に、違和感を感じたのは斎藤だけではなかった。
そう、まるで土方は。斎藤と一切話す気など無いかのように。頑なに、視線すら合わせようとしないでいるのだと。
「・・・ちょうどいい。二人してそこにいるなら今、話をつけてくれますか、土方さん」
そんな土方の様子を明らかに見て取りながら、有無を言わせぬかの沖田の物言いに。土方は眉を潜めた。
「おまえはそんなに、・・」
(副長?)
一瞬泣きそうなまでの土方の声に、斎藤は二人の間で声も無く、食い入るように土方を見つめた。
薄闇の月光を纏い、ひっそりと井戸の傍らに佇む土方のその瞳は、尚斎藤を見返しはしなかった。
土方自らが望んで斎藤と話をしようとしていたのではなかったのだ。沖田が要求したのだと。斎藤は気がついた。
だが、土方の気が進まぬのに圧してまで、斎藤と何の話を何故させようとするのだろう。
(沖田、あんたは一体、)
どこまで、これまでの斎藤と土方のやりとりに気づいているのか。
(・・・こっちの気が狂いそうだ)
「副長、」
斎藤の直の呼びかけに。
漸く、土方の虚ろな瞳が斎藤を捉えた。
「私に何かお話があるとの事ですが、今でなくても宜しいですか。少々これから用がありますので」
「・・ああ」
土方があからさまにほっとした表情で頷いた。
斎藤は、沖田の強い視線を背に感じながら、
息苦しいこの場から唯々抜け出すために、二人を残し足早に廊下を歩み去った。
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