二人静

幻夜

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三十五、

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もとから望みも期待も無かった。

それでも、・・・胸奥には鈍い痛みが残っている。



部屋の前、斎藤は立ち止まった。
障子の向こう、沖田の気配が在る。

「何を言われた」
おもいきって障子を開けたとたん、沖田が斎藤を見やり。そんな台詞を言い。

斎藤は。居ると分かっていて開けたはずが、
それでも一瞬、沖田を目に映して表情を凍らせた。

「・・・どうした」
斎藤の一瞬の緊張を感じ取った沖田が、問いを追わせ。咄嗟に斎藤は小さく首を振った。

「これからいろいろ知る事やる事が増えると、言われただけだ」


「・・・・」

それだけなら、土方が沖田を追い出す必要など無く。
何かを隠していることは気づかれているだろうと、
思っても、斎藤には取り繕う言葉も見つからず。
「副長が呼んでる」
それだけ伝えると、斎藤はその場に座り込んだ。

沖田が。己と視線を合わせようとせぬ斎藤の横顔を見ながら、のっそりと立ち上がり。

視線に耐えられず斎藤は、自然を装って棚の上の本へと手を伸ばした。
斎藤の横を沖田の袴捌きと、畳の軋む音がともに移動してゆく。


障子の前で、沖田が一つ溜息をついた。

「・・土方さんが何をおまえに言ったのかは知らないが。気にするな」


斎藤は閉められた障子を見やり、廊下に消える影を目に追った。

胸奥の鈍痛は、止みそうになかった。







「総司・・」
土方は沖田が戻ってきたことに、ほっとした顔で見上げた。
「追い出して・・悪かったな」

「斎藤に、何を言いました」
だが。第一声で落ちてきたその声音は、土方がはっとするほど冷たく。

「・・・総司」
「あいつはろくに俺の眼を見ませんでしたよ。貴方が仕事の件以外で何かを言ったんだとしたら、あの態度も納得がいく」

「・・・」
障子の前に立ったままの沖田との、その距離を縮めようと。
土方は這うように立ち上がった。

そうでもしなくては、
沖田を見失いそうな不安に。駆られていた。

おぼつかない足取りで己のほうへやってくる土方に沖田は、
刹那、その眼から怒気を抜くように、気遣って土方へと手を差し伸べ、支えながら共にその場へ腰を下ろした。

その手を、握りこんだまま。土方は目の前の沖田を見据えた。

「・・全部おまえが悪い。俺がいながら、斎藤を大事だとか何とかぬかすおまえが悪い」
「だから大事なのは当然でしょうが。俺の代わりにいつか、貴方と先生を守れるのは斎藤だけだ」

懸命に握ってくる土方の手を握り返しながら。
沖田の声はいつもの穏やかなものへと戻っている。

「だったら・・っ」
それを確かめた土方が、思うままに声を荒げた。
「だったら同じくれえってどういう意味だっ、俺と同じくれえ大事になるって言っただろう?何故そういう言い方になった」

「土方さん、」
沖田はそれには答えなかった。

「貴方がどう思ったにせよ、そいつは貴方の解釈であり誤解だ。あくまで俺と貴方の間のことであって、貴方が斎藤に言った事は何であれ余計なことでしかない」

答えず、
ただ誤解だ、と言い置くだけの。
本質への追求を避けたかの沖田に、土方は表情を曇らせ。

「総司、」
握り締める手を、夢中で引き寄せていた。
「俺だけを見ててくれ」
「・・・もとから貴方だけですよ」

「だったら何で、斎藤に矢立をやった・・!」

「・・・」
沖田が途端、説明するのも馬鹿馬鹿しいと訴えるような表情になって土方を見やった。
「貴方の矢立を選んでもらったんだ、柄を選ぶには俺の見立てじゃ無理なんで。その時の礼のつもりで斎藤にも買った」


土方は言葉を無くし、押し黙った。

なぜ、贈り物で礼をするのかと。
その贈り物を、のちに見た土方の気持ちまでを察しろと。

そんなふうに責めてしまうことは、
本当の両想いでもないこの男相手に、望み過ぎなのか。

「・・おまえは、ただ礼のつもりで、やったんだな」

「そうだと言ってるでしょう」
確認する土方に、沖田がもういいかげんにしてくれと云わんばかりに溜息をつく。
「わかったら斎藤にもう一度、話をつけてくれませんか。貴方が何を言ったんだか知らないが、あれじゃ可哀想だ」

「・・・それはできない」

土方の返事に。

消えていたその怒気が、再び薄らと沖田の眼にくゆるのを。
土方は認めるしかなかった。


(こんなおまえを、見たことがない)

心の芯が、震え。

(総司)
絶望が、土方の胸内を覆い尽くしてゆく気がした。

土方が他の人間に向けた言動を、沖田が何らかの理由で咎める際に、
かつて一度でも、そこに感情が含まれたことがあったか。

こんな、

「おまえは、あいつを・・」

今その眼が帯びるような
冷たさを、怒りを、

含ませたことなど。
一度たりとあったか。



「おまえに代わる人間だから大事におもうのだと。言うなら・・」

おまえは、斎藤に対して持っているその情を
そう解釈したわけか

土方は胸内に呟き。
強ばる表情の下でどうしようもなさに嘲った。

(俺の目は節穴じゃねえ。おまえがまだその感情のわけに気づいていなくても、俺には見えてる)

そして、この先どんなことになっても
おまえのことは、絶対に離さねえ。


「・・・そう言うなら、わかった。俺が勝手に不安になって誤解していた。斎藤にはあとで話をしておく」
そんな嘘で、
土方は沖田へ無理に微笑みかけ。


土方の見つめる前、沖田の眼がほっとしたように和らいだ。
「それで、何を言ったんです?」
「もういいだろ・・。ちゃんと話はつけとくからよ」
話をつけるということで納得したのだろう、沖田はそれ以上は聞いてこなかった。

土方はおもむろに膝を寄せ、目の前の広い胸へと顔をうずめ。
握っていた沖田の手を離し、顔にふれる襟元を代わりに握り締めた。

「どこにも行かせない」
はっきりと言ったつもりなのに、声が震えた。

握り締める拳には、己の爪がくい込み。
「おまえが、俺たちの為に剣を離さねえんなら」

沖田の着物が皺を残すほどきつく、力を込めていた。
「俺はその分おまえを離さねえ、いつまでだって」

その言葉は。もう少し、別の印象で沖田へ届いた。
「歳さん」
土方の背に、硬い両の腕がまわされ、
土方はそのままきつく抱き締められて、息をついた。

「ずっと傍にいてもいいの」
寄せる頬へ直に、沖田の声が響いた。
「いつか、人にうつるほどまでこの病が悪化しても・・?」

「悪化なんかさせねえよ・・っ」
土方は、
殆ど嘆くように遮っていた。

「おまえを三年なんかで死なせない。おまえの限界は俺が決める」

「歳さん」
再び響いた、穏やかなその声は。だが断固として譲らぬ意志を帯び、
直に胸前の土方を包み、堪らずに土方は顔を上げた。

見下ろしてくる眼は。
常の、土方を慈しむその眼だった。
土方を護ろうとする、強い光を湛えた。

(総司)
見上げながら、土方は込み上げてくるものを抑えるように目を瞑り、顔を伏せていた。

分かっている。無理に決まっている、

この世が治まり、近藤と土方がなんの危険もなく暮らせるその時までは剣を手離すはずのない沖田に、
それまで、どうやって悪化してゆく病を止めるすべが残されているのか。


「いいんですよ、ずっとここに居てもいいと許してもらえるなら、それなら」

かわらず胸元の土方を包んできたその言葉におもわず、土方は紅い瞳のまま沖田を再び見上げた。

「・・・剣がとれなくなる時が来て、どれだけ悪化しても。俺は諦めませんよ」

迷いのない声が。

「この体に命が残ってる限り、俺の体が盾となって先生を守れるかもしれない。死んでしまえばそれすら叶わなくなる」

だから最期の最期まで、諦めたりはしない


――――そう告げたのを。
土方は、
震える拳を握り締め、堪えきれずついに溢れた涙を隠して強く顔をうずめた。

「いつまでも居ろ、・・最期まで俺たちはおまえに護ってもらうから、ずっと、傍にいてくれ」
それでも療養もできるかぎりすると誓って、三年たっても斎藤が必要がないほど元気でいろ、と。
土方は涙に詰まった声を押し出した。

(頼む)

ずっと、俺の傍にいてくれ


沖田は肯いた。
己の胸に顔をうずめ嗚咽を堪えている土方を、抱き締め。
心奥、遥か以前に沈めたままの、遣りきれぬ想いにはかわらず目を瞑った。



    

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