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十八、
しおりを挟む「久しぶりだね藤堂君!」
最初に彼を見とめたのは伊東だった。
「御三方、長旅お疲れさま」
江戸についた三人を出迎えた藤堂の、
顔色はすぐれず。
昨年より江戸に残留していた藤堂は、いまや池田屋で負った額の傷も癒し、今回三人について京に戻る予定であり。今頃はこの快活な青年の面は笑顔に溢れていてもおかしくないはずだった。
今年の初めに、山南の事さえ起きなければ。
「それでは私どもはここで」
江戸に妻帯している伊東とは明日に落ち合う約束をし、土方、斎藤は今夜を藤堂の宿で過ごすことにして、夕闇に沈む道を歩み出した。
始終言葉少なな藤堂と、不機嫌なままの土方と、去来する想いに黙したままの斎藤が三人、活気に満ちる夕時の江戸と対照的な影を落としながら。
斎藤には、藤堂のあまりに沈んだ様子が胸に痛かった。
沖田が言うには、藤堂は山南の件を、とうの昔に手紙で聞いているという。
脱走による切腹として。
真実を隠されたままで。
伊東と藤堂は剣の師弟関係にあり、もともと新選組に良かれと伊東を勧誘したのも藤堂だった。
まさか引き入れた師が山南を陥れて殺したとは、藤堂には知らされてはいないのだ。
(知らせないのは優しさか)
前を案内する藤堂の背を見つめ、斎藤は小さく嘆息を零した。
少なくても土方たちが藤堂に知らせぬ最大の理由は、伊東が藤堂の師であり、藤堂が伊東を組に引き入れたからであるに間違いはないだろう。
(だが、もともと・・・)
山南と伊東の連名書沙汰。
沖田が斎藤を江戸に送ると決めるまで、斎藤にも知らされていなかったその真実は。
恐らくは新選組局長である近藤と、土方、沖田、
山南の件を扱ったこの三者のみが抱えた秘密であり、憎悪であり痛みであり。
脱走という不名誉の罪を自ずから背負ってまで、隊をこの真実で騒がせまいとした山南の、その遺志を三人は頑なに継いだのだろう。
秘密を共有する者が増えれば増えるほど、綻びの隙が増してゆくのを恐れ。ひとえに漏れを防ぐために、昔ながらのつきあいの斎藤たちにさえ口を噤んできたのだろう。
(もともと・・要するに、信じられていなかったわけだ)
斎藤には、べつに驚く事でも何でもない。
斎藤たちには信用に足るものがひとつ足りないからだ。
流派、である。
近藤たち三者には、時に井上を加えて、一つの結束が存在した。
四人は同じ剣流儀を納めている。流儀が同じということは、唯それだけの意味ではない。他者が入り込めぬ壁の内の、互いへの絶対的な親近感、優先的な信頼をも意味し。
筆頭局長であった芹沢一派が消え、新選組が近藤を中心に回り出した初期の頃からすでに、山南でさえ除いたこの四人、とりわけ近藤土方沖田の三人だけが組の全ての機密を握っていると、専ら囁かれているのも当然だった。それだけの高い壁を、新選組形成前からのつきあいである斎藤たちでさえ、感じていた。
機密、ことに組の監察方でさえ通じぬ、決して明るみに出てはならない内情は全て、この三人に秘匿されていることだろう。
近藤土方の決定をその剣でもって遂行する沖田が、あれほど人当たりが良くて尚、隊士に恐れられているのにも、その辺りに理由があった。
組の者が忽然と姿を消す前、その者と沖田が連れ立って歩いていたのを見た者が居るという噂から、果ては幕府方の要人が何者かに暗殺される事件があった前夜、闇から帰ってくる沖田の姿を見た者がおり、恐らく新選組は幕府と内密には直結の関係があるのではないかという、そのような全く真偽のほどは掴めぬような噂まで、まことしやかに流れているほどだ。
伊東が参入してからも、山南に代わって伊東が組の政治に加わったというだけで、実際の機密保持はこの三人に掌握されたまま何ら昔と今で変わってはいない。
今までその外に在って、組の仕事をただ黙々とこなしてきた斎藤にとっては、いま己がその三人の内に引きずり込まれている現実に、憂いに似た憤りをおぼえていた。
もともと斎藤は仲間意識というものを持ったことが無い。
芹沢が暗殺された際も、沖田らの仕業だと斎藤には容易に想像できたが、事前に知らされなかったことに何ら不満もおぼえなかった。
己の剣が必要とされている、それだけで十分であり。
仲間内に含まれぬかわりに、束縛されずに済む。むしろ斎藤には新選組は居心地の良い場所であり続けた。
(沖田が・・)
それを変え始めている。
気づけば逃れるすべもない所に、もはや己は立っているではないか。
”沖田はおまえに今回の東下を任せた、即ち”
いつかの雨の日に、土方が斎藤へ告げた言葉。
”おまえを信頼したということになる。”
沖田が斎藤を信頼したということは、即ち近藤土方が斎藤を信頼したと同等の事だ。土方があの雨のなかで告げてきたことは、そういうことだろう。
(・・・信頼、か。)
余計なものを得たと思う。
なぜ沖田は、そうして斎藤を壁の内側に引き入れたのか、斎藤には今もってどうしても判らなかった。
斎藤に山南と伊東の真実を伝え、東下の土方の警護を任せた訳は何なのか。
信頼の代償に課されたその任務は、今回の旅が終えた時点で終了するのか、果たしてそれすら疑問であり。
知らされた秘密はあまりに重い。この先も、伊東の関わる物事に、嫌でも巻き込まれてゆくことになるのではないかという懸念を拭い去れない。
「沖田から手紙で聞いたよ」
紺色の空を遠く見つめながらぽつり藤堂が呟いた。
「あの山南さんが脱走なんてな・・正直信じられなかったよ」
「・・・」
土方が風呂に出たのを見計らったように話を始めた藤堂に、斎藤は一抹のつかえをおぼえ、藤堂の背をおもわず見つめた。
視線を感じているはずの藤堂は、だが斎藤を振り返らず、なおも空を見上げたまま息を吐いた。
「山南さんは・・己の脱走の罪を重くみて、自ら処分を望んだと沖田は書いてきたけど・・どうして止めなかったんだよ?」
「え」
「俺がその場にいたら、どんな手を使ってでも止めていた・・絶対、死なせやしなかったのに・・っ」
隊を脱した全ての者が、死罪を科されてきたわけではない。
それなのに山南が自ずから切腹を望んだのは、ひとえに山南の誠実な人柄が罪を免れるを潔しとしなかったからだと。
斎藤は何も知らなかった頃は、そう思っていた。いや誰もが自身にそう言い聞かせて、山南を止めようとしてできなかった己らを慰めた。
・・確かに、連名書の責任など負わずに逃げてくれと願った、近藤たちのその想いを聞き入れることなく山南が切腹を望んだのは、彼の誠実な人柄と武士たる心が為した結果ではあり。近藤土方も、実際に同行して帰ってきた沖田も、だからこそ最終的に山南の意志を泣く泣く尊重した。
だが、もしも。
「局長は山南さんの意志を尊重したんだ・・」
「たかが脱走の為に死ぬ意志をか?!」
たかが脱走、と言い放ち、藤堂は怒りに涙を溜めて、斎藤を振り返った。
「あの山南さんが脱走したなんて、よほど何かあったんだ、組に反してのことではなかったはずだ!出て行ったからってなんだっていうんだ。そんなことで、山南さんが切腹するのを許した局長や土方さんが、俺には信じられないよ!」
(言う通りだ)
斎藤は言葉無く藤堂から目を逸らした。
そう・・・もしも。
山南が死を選ぶわけが本当にただの組抜けであったならば、近藤たちとて何としてでも山南が切腹しようとするのを止めただろう。ただの脱走であったならば、だ。
連名書のことを知らない藤堂が、山南に切腹を許した近藤たちを咎めるのは当然で。ましてその場に居なかった藤堂には、どれだけ悔やまれたことか。
(藤堂・・・)
それでも藤堂にだけは真実を伝えることがどうしてもできないのだ。
なにが起こるだろう・・藤堂が、伊東と山南の間で起きた真相を知ったなら。
山南をあれほど慕っていた藤堂だ。
伊東に絶望し、彼を引き入れた己に呵責をおぼえ、・・・それだけでは済むまい。
(血をみることになるだろう・・・そして藤堂は)
「何を騒いでる」
不意に、
障子がからりと開かれた。
現れた土方に、さっと藤堂が背を向け。
「・・・」
肩を小さく震わせる藤堂に、土方は一瞬苦しげに表情を歪め。すいと目を逸らした。
開け放たれた窓から、薄い風が無音に落ちた三人を掠めてゆき。
藤堂を覆うかの紺色は、徐々に深みを増していった。
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