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十七、
しおりを挟む宵の幕が下りる頃。
三人は大津を越した武佐の宿場に着いた。
大津を抜ける頃から、めっきり一言も話さなくなった土方とともに、斎藤もまた、声ひとつ落とさず道中を来た。
二人の重い雰囲気に、さすがに少なからず遠慮したのか伊東も、やはり言葉少なだった。
伊東がどう思っているか知れない。
だがどうであれ土方も斎藤も言葉を発さぬことで、かろうじて己の内の淀みを胸奥に留めていた。
「斎藤」
伊東が風呂へ行っている間、二人は各々の持参した書物を、さして楽しげでもない表情で読んでいた。
不意に土方が顔を上げて斎藤に声をかけたのは、そんなさなかだった。
「・・はい」
おもむろに視線を寄こした斎藤を、土方は真っ直ぐに見据えた。
「おまえは伊東を葬れるか」
「・・・」
突然のその言葉に息を殺した斎藤を、土方は促すように見つめる。
斎藤は本を閉じて土方へ向き直った。
「まだ・・泳がせておくと、言われませんでしたか」
「気が変わった」
「・・・」
「こちらがやられるまえに、先にやる。俺は山南のようにはならねえ」
「お言葉ですが、」
斎藤が小さく前置いて、土方を見て返した。
「彼には隙がありません」
「・・葬れないというんだな」
その責めるような口調に、斎藤はとりあわず、静かに頷いた。
「不可能ではありませんが、今はもう暫く機会を待たれたほうがいいかと」
「・・・もう十分待ったんだ。無駄に。」
無駄に・・?
斎藤は黙したまま、己の前で目を伏せた土方を見つめた。
「大津を渡りながら・・何故俺はあの時、沖田に奴を斬らせてやらなかったのかと、そればかり考えてた」
部屋の外、廊下の向こうで、俄かに人の話し声が起こった。
伊東の声が交じっている。風呂を出たのだろう。
「・・あの時は、まだ奴の動きを探るべきだと、思ったんだ」
話し声がだんだんと、廊下をこちらへ向かっていた。
「だが、結局、無駄な時間を費やした気がする。それを今気づいたならば、せめて今度は気づいた時に、」
「副長、」
たまりかねて遮った斎藤の声と、部屋のすぐ傍まで来た伊東の声が、重なった。
「それでは、おやすみなさい」
からり、と障子を開けながら伊東が、話し相手に向かって挨拶を残し、部屋に入ってきた。
土方は今までの思い詰めたような表情を一瞬に消し、さっと立ち上がった。
「おや、どちらへ」
「厠です」
尋ねた伊東の顔を見ず、土方は部屋を出ていった。
「・・・」
一寸置いて、斎藤もやはり、立ち上がった。
あんな話の後で伊東の傍に居れば、気が滅入りそうだ。
「貴方はまた、どちらへ」
いちいち聞かなきゃ済まないのか、と、斎藤は胸中で舌打ちしながら、厠です、と同じく残して、逃げるように廊下へ出た。
結局厠へは向かわずに、斎藤はひとり、宿の裏庭に佇む。
春の風が緩やかに過ぎてゆくのに、斎藤の心は落ちつかなかった。
”何故俺はあの時、沖田に奴を斬らせてやらなかったのかと・・”
土方の言葉が耳に蘇る。
・・山南は、
ある連名書に署名をした。
斎藤が東下すると決まった日、沖田はそう言って話を切り出してきた。
『連名書?』
『ああ』
沖田は例の如く寝転がったまま、頷いた。
それでも、障子の外に人が現れた時には、すぐに話を止められるようにと常に、気配を探っているようだった。
『その内容は組に反するものではなかった。だが、ひとつだけ条件があった』
『条件・・』
正座をしたまま、沖田の横で聞いていた斎藤は、その言葉に首を傾げた。
『時期をみて、その連名のことは組に伝える、という条件だ』
『・・それでは、つまり』
つまり山南が署名した段階では、その書は、組に極秘であったということではないか。
『何故、そのようなものに、山南さんは署名されたのだ』
『天狗党の助命を訴えた連名書だったからだ』
『・・え?』
斎藤は驚いて声を詰まらせた。
『天狗党・・?』
尊皇攘夷を叫び決起した水戸の天狗党志士たちは、結果、幕府に追討され残酷な刑に処された。
斎藤は、彼らが獄中に居る間、山南がひどく憂いていたのを覚えている。
確かに沖田の言う通り、助命を願う連名書の内容は、新選組に反したものではない。当時、天狗党が投降し捕らえられた際に、 その処置を巡っては幕府内でさえあらゆる論争が繰り広げられ、多くが助命を訴えていたからだ。
そんな中だから、幕府の機関に居る新選組の内部でもまた、天狗党の助命を求めること自体は決して反する行為にならなかった。
とはいえ、
天狗党が謀反の党と、捉えられていることに違いはなく。
一歩間違えば、こちらまで謀反人を庇い立てしているなどと疑われてもおかしくはない。
ゆえに、公にしがたい連名であったことは、容易に理解できた。
『しかし、一時的な極秘であっただけなら、何が問題だったのだ。何故、山南さんは腹を切らなければならなかった』
『伊東が、その連名書をすり替えたからだ』
一瞬、沖田に纏われた殺気が、空気を震わせた。
『す・・り替えた、だと?』
掠れた声が斎藤の喉を通り出た。
『そうだ。山南さんの署名の載った、その連名書を伊東は、公開されていなかったのをいいことに、会津公暗殺の連名書にすり替えた』
『何だって・・?!』
『・・伊東はその偽の連名書を流した。それを入手した大阪奉行のほうから、守護職へと渡った』
『・・・・』
斎藤は唖然として、沖田を見つめた。
沖田は、苦しげな表情を灯し。呟いた。
『山南さんは、それのために腹を召された』
言葉が、
出てこなかった。
斎藤の脳裏に、いさぎよく散った山南の最期が、映って、消え。
『どれほど、』
斎藤の見つめる先で、沖田は搾り出すような声で言葉を続けた。
『どれほど、山南さんが無実を訴えたところで。現に署名はその連名書に存在する以上、もはやどうしようもなかった。 伊東は、そ知らぬふりだった。だが山南さんは・・伊東に謀られる隙をつくったのは己が原因と言い、責任をとって腹を召されることを決めてしまった。 それも、この件を騒ぎ立てて隊を乱すわけにはいかぬと、表向きには脱走という理由をもってして。』
(・・山南さん・・・)
いつでも、いさぎよく潔癖な人であった山南を、斎藤は想い起し、目を伏せた。
『近藤先生も土方さんも、山南さんを逃したかった。だから、かたちばかりの追跡に、俺ひとりを寄こした』
起き上がり沖田は、その眼に深く哀しみと憤りを沈ませ、弱く哂った。
『それなのに何もできなかった己を憎んだよ』
大津の宿場口で、沖田を待っていた山南は、近藤たちの願いとは反し、逃げる気など全く無く。
逃げてくれと請う沖田を逆に宥めて、山南は屯所へ戻り。
自ら作った脱走という仮の咎をかかえつつ、事実上は連名書の責任を負って、腹を切ったのだった。
(沖田・・・)
いつか、
伊東に隙を見つけた時。俺が斬ってもいいのか。
瞼の裏に浮かんだ姿へ、斎藤は問うた。
・・・聞かずとも。
沖田はそれを許すだろう。
だが。
(・・誰より苦しんだのは、山南さんを連れ帰ったあんただ)
俺は、あんたに伊東を斬ってもらいたい。
(副長だって、本当はそう思っているはずだ)
同じ、沖田を大事と想う身だから、わかる。
きっと、まもなく土方は・・
「斎藤」
振り返った斎藤の目に、縁側にやってくる土方の姿が映った。
探しまわったのか、息を切らして土方は、口走った。
「先ほど言った事は、忘れてくれ」
斎藤は、その予想していた言葉へと、静かに頷いた。
もし、いま道中三人であるうちに伊東を消さぬのなら、江戸からの戻り道は、伊東の募った同志をかかえ、計り知れぬ危険を背負うことになるかもしれない。
・・・それでも。
「帰ったら、あいつに斬らせる。必ず」
声を落として、だがはっきりと、土方は言った。
斎藤は土方を見据えた。
(・・沖田、)
あんたの願いだ。
「道中、全力をもって、貴方をお護りします」
頷いた土方を見ながら。
緩やかな風が、己を包むのを斎藤は今、
晴れた想いで受け止めた。
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