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第26話 二日酔い
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ラダベルはふわっふわの雲の上に寝そべりながら、何度も寝返りを打つ。うつ伏せの状態のまま、雲を食す。綿あめのような甘い味が口内に広がった。あまりの美味しさに感動しながら、ふと下を見ると、見覚えのある城と軍施設が。そこは、ラダベルが嫁いだ場所、レイティーン帝国軍極東部とルドルガー伯爵家の城であった。
「帰らなきゃっ!」
ラダベルが叫んだ瞬間――。
「奥様!」
天の声が聞こえる。ラダベルは驚いた拍子に、雲から落っこちてしまった。急落下していく体。命綱も何もない中、死の奈落に向けて落ちていく。
「きゃああっ!!!」
叫び声を上げ、ブランケットを剥いで起き上がる。体が落ちる感覚はもうない。目を徐々に慣らすと、自身の寝室がぼんやりと見えてくる。夢であったか、とラダベルは安堵の溜息を吐いた。すると、ベッドの横にセリーヌがいることに気がついた。
「奥様、おはようございます」
「お、は、よう……」
ラダベルの頭がズキン、と痛む。昨晩の記憶があやふやなことに加えて、頭痛も激しい。昨晩は、さすがに飲みすぎてしまったみたいだ。アルコールに慣れていない体に、無理をさせてしまうと言い表しようのない気持ち悪さに襲われてしまうらしい。ラダベルは感情に支配されるがままお酒を飲み続けてしまった昨日の自分を呪いながら、おもむろに時計を見上げる。時刻は、既に昼前を指していた。
「もう既に昼食の時間となりますが……食べられそうですか?」
「……少し、遠慮しておこうかしら」
「かしこまりました。こちら、二日酔いに効く薬です」
「ありがとう」
セリーヌから差し出された薬を、ラダベルはなんの躊躇もなく飲み干した。そして、またもベッドに潜り込む。
「何かありましたらまたお呼びください」
「分かったわ」
「ごゆっくりお休みください」
セリーヌは深々と頭を下げたあと、ラダベルの部屋をあとにした。
朝食も昼食もろくに食べることができないとは。お腹は空いているため何か食べたいが、残念ながら何も食べられそうにない。胸焼けが凄まじいし、水分以外何も喉を通る気がしない。このまま寝てしまい、空腹を忘れようと思った時、コンコン、と扉を叩く音が聞こえた。
「セリーヌ?」
舌っ足らずな言葉でセリーヌの名を紡ぐ。しかし返事はない。その数秒後、ラダベルの断りも入れずして、部屋の扉が開かれた。ラダベルは、薬の副作用か、急激な眠気に襲われた状態で、ふよふよと夢と現実の間を彷徨う。
「セリーヌ、まだ何か、」
そう言いかけた瞬間、額に手が押し当てられる。その手は熱く、大きい。ゴツゴツとした感触から、間違いなく男性の手であると感じた。レイティーン帝国軍極東部の司令官の妻であるラダベルの寝室に勝手に入って来られるということは……。ラダベルは、落ちゆく意識を無理やり引っ張り上げ、緩慢に瞳を開いた。眩い光に、揺れる視界。瞬きを、一度。定まった焦点の真ん中にいたのは、ジークルドであった。太陽の光を吸収した純白の髪が輝いている。
「熱はないな。気分は随分と悪そうだが」
ジークルドはラダベルを心配する声色で呟く。
「ジークルド、さま……。どうして、ここに……」
ラダベルが唖然としながら問いかけた。ジークルドは今、仕事中のはず。わざわざ昼休憩に、ラダベルのもとまで来てくれたのだろうか。
「様子を見に来た。今朝は来られなかったからな。専属の侍女から二日酔いに効く薬も飲んだと聞いたし……あとはゆっくり眠るだけだけだな」
ベッドが軋む。ジークルドがベッドに乗り上げたのだ。そして、ラダベルの温かい額に指を滑らせたあと、黒い髪を触る。ジークルドの手のひら全体に馴染みゆく癖毛特有の心地よい質感。彼はそれをじっくりと堪能する。対してラダベルは、頭を撫でられる感覚に身を委ねた。彼女の幼い頃の記憶が少しずつ蘇ってくる。ろくに親に頭も撫でられたことのない、侘しさだけが残る幼少期。ラダベルを生んだ母親は、早くに他界した。誰にも甘えられず、ひとり寂しく育った。いつだって一族から、社交界から期待をされているのは、双子の兄であるラディオルだけ。ラダベルはいつもいつも、蔑ろにされていた。自分もラディオルのように構ってほしいという過剰な気持ちから、問題行動を起こし続けた。気がついたら周囲には誰もおらず、悪女だと後ろ指を指す者ばかりであった。ラダベルは、本当の孤独を経験してきたのだ。
長い睫毛が振動する。目尻から一滴の涙が滲み出た。
「さみ、しい……」
ぽつり。一言呟くと、そのまま夢の中へと身を投じた。
「帰らなきゃっ!」
ラダベルが叫んだ瞬間――。
「奥様!」
天の声が聞こえる。ラダベルは驚いた拍子に、雲から落っこちてしまった。急落下していく体。命綱も何もない中、死の奈落に向けて落ちていく。
「きゃああっ!!!」
叫び声を上げ、ブランケットを剥いで起き上がる。体が落ちる感覚はもうない。目を徐々に慣らすと、自身の寝室がぼんやりと見えてくる。夢であったか、とラダベルは安堵の溜息を吐いた。すると、ベッドの横にセリーヌがいることに気がついた。
「奥様、おはようございます」
「お、は、よう……」
ラダベルの頭がズキン、と痛む。昨晩の記憶があやふやなことに加えて、頭痛も激しい。昨晩は、さすがに飲みすぎてしまったみたいだ。アルコールに慣れていない体に、無理をさせてしまうと言い表しようのない気持ち悪さに襲われてしまうらしい。ラダベルは感情に支配されるがままお酒を飲み続けてしまった昨日の自分を呪いながら、おもむろに時計を見上げる。時刻は、既に昼前を指していた。
「もう既に昼食の時間となりますが……食べられそうですか?」
「……少し、遠慮しておこうかしら」
「かしこまりました。こちら、二日酔いに効く薬です」
「ありがとう」
セリーヌから差し出された薬を、ラダベルはなんの躊躇もなく飲み干した。そして、またもベッドに潜り込む。
「何かありましたらまたお呼びください」
「分かったわ」
「ごゆっくりお休みください」
セリーヌは深々と頭を下げたあと、ラダベルの部屋をあとにした。
朝食も昼食もろくに食べることができないとは。お腹は空いているため何か食べたいが、残念ながら何も食べられそうにない。胸焼けが凄まじいし、水分以外何も喉を通る気がしない。このまま寝てしまい、空腹を忘れようと思った時、コンコン、と扉を叩く音が聞こえた。
「セリーヌ?」
舌っ足らずな言葉でセリーヌの名を紡ぐ。しかし返事はない。その数秒後、ラダベルの断りも入れずして、部屋の扉が開かれた。ラダベルは、薬の副作用か、急激な眠気に襲われた状態で、ふよふよと夢と現実の間を彷徨う。
「セリーヌ、まだ何か、」
そう言いかけた瞬間、額に手が押し当てられる。その手は熱く、大きい。ゴツゴツとした感触から、間違いなく男性の手であると感じた。レイティーン帝国軍極東部の司令官の妻であるラダベルの寝室に勝手に入って来られるということは……。ラダベルは、落ちゆく意識を無理やり引っ張り上げ、緩慢に瞳を開いた。眩い光に、揺れる視界。瞬きを、一度。定まった焦点の真ん中にいたのは、ジークルドであった。太陽の光を吸収した純白の髪が輝いている。
「熱はないな。気分は随分と悪そうだが」
ジークルドはラダベルを心配する声色で呟く。
「ジークルド、さま……。どうして、ここに……」
ラダベルが唖然としながら問いかけた。ジークルドは今、仕事中のはず。わざわざ昼休憩に、ラダベルのもとまで来てくれたのだろうか。
「様子を見に来た。今朝は来られなかったからな。専属の侍女から二日酔いに効く薬も飲んだと聞いたし……あとはゆっくり眠るだけだけだな」
ベッドが軋む。ジークルドがベッドに乗り上げたのだ。そして、ラダベルの温かい額に指を滑らせたあと、黒い髪を触る。ジークルドの手のひら全体に馴染みゆく癖毛特有の心地よい質感。彼はそれをじっくりと堪能する。対してラダベルは、頭を撫でられる感覚に身を委ねた。彼女の幼い頃の記憶が少しずつ蘇ってくる。ろくに親に頭も撫でられたことのない、侘しさだけが残る幼少期。ラダベルを生んだ母親は、早くに他界した。誰にも甘えられず、ひとり寂しく育った。いつだって一族から、社交界から期待をされているのは、双子の兄であるラディオルだけ。ラダベルはいつもいつも、蔑ろにされていた。自分もラディオルのように構ってほしいという過剰な気持ちから、問題行動を起こし続けた。気がついたら周囲には誰もおらず、悪女だと後ろ指を指す者ばかりであった。ラダベルは、本当の孤独を経験してきたのだ。
長い睫毛が振動する。目尻から一滴の涙が滲み出た。
「さみ、しい……」
ぽつり。一言呟くと、そのまま夢の中へと身を投じた。
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