上 下
157 / 292
第三章 カーナ王国の混迷

朝はパン屋でコーヒーを

しおりを挟む
 カーナ王国の主食はコーン粉や小麦粉を水で練って薄く丸く伸ばして焼いたトルティーヤと、ピタパンのような無発酵パンだ。
 イースト菌を使った発酵パンもあるがバゲットや菓子パンなどに限定されて数は少ない。

 穢れが強い土地で人体に有害な菌が繁殖しやすかったためで、いま国内で流通しているパンは歴代の聖女や聖者たちの祝福を受けた専用酵母のみを使っている。

 これは酒類も同じだ。
 ほんの数種類の聖別された酵母しか使えないから、国内で流通する酒類も単調だった。
 先日、教会の料理人たちが高価な他国産の酒を大量に隠し持っていたのは、多様な酵母を使って醸造された国外の酒のほうが、単純に美味で贅沢を味わえるからだ。

「ルシウスさんのお店に生地だけ卸してるんだよ。あそこすごいよね、一日にあれだけ大量のパンが出るんだから」

 古書店近くのパン屋のミーシャおばさんが嬉しそうに笑っている。
 ルシウスのレストラン・サルモーネへの卸売りで彼女の家の売上は倍増したそうだ。そろそろスタッフを増やすことも検討し始めたという。
 この勢いなら、生地の卸売り専用の小規模工場を新設しても良いぐらいだとか。

「あの店、ルシウスさん、ゲンジさん、それにミーシャおばさん……飯ウマ持ちが三人も関わってるってすごいよね?」
「ゲンジさんはルシウスさんの料理のお師匠なんだってね。あの人はすごいよね、あれだけ美味いもの作るのに腰も低くていい感じ。故郷くにに息子さんとお孫さんがいるって聞かなかったら、あたしアタックするのに~」
「あ、やっぱり狙ってたのか……」
「さらっとかわされちまったけどね。はははっ」

 などと朝一番にアイシャとトオンが連れ立って、パン屋で談笑していたのが冬の寒い朝のこと。



 飯ウマパン職人で出戻り娘のミーシャおばさんがいる南地区のパン屋では、冬の朝から昼までは店の隣、馬車の駐車場スペースを開放して、パンの立ち食いができるイートスペースを設けている。
 小さな紙コップでホットコーヒーが飲めるサービス付きだ。
 アウトドア用の魔導具ストーブが置かれているので、真冬の外でもそれなりに暖かい。

 パンを食べた後の包み紙や、コーヒー用の紙コップがゴミになることはない。
 これらは食用ペーパーで作られていて、飲食し終わった後は軽いスナック感覚で食べることができるためだ。

 これら食べる食器は皿やカップ、スプーンフォークなど多岐に渡る製品が国内で安価で流通していた。
 カーナ王国の主要輸出品の一つだ。
 魔物退治で一年中、国軍の騎士や兵士たちが活動しているので食器兼形態食の一種として用いられている。

 主に主食のトウモロコシや小麦のデンプンから作られていて、食感は軽いウエハースぐらい。
 それでいて輸送時や保管時の湿気や汚れに強く、扱いやすい特徴があった。



 アイシャとトオンはその日のパン屋の日替わりのローストビーフと野菜のピタパンサンド、それに最近人気だというマヨコーンパンを半分こで。

 ローストビーフサンドは胡椒たっぷりの刺激的な味もだが、使われている玉ねぎの風味豊かなソースがとにかく美味い。
 ピタパンにぎっしり詰め込まれた生野菜の歯触りも楽しかった。

 マヨコーンパンは、フォカッチャタイプのふっくらした食事パンをオーブンの天板一杯にマヨコーンフィリングをのせてから四角く焼き上げて、一食分ずつカットしたタイプだ。
 同じ作り方でトマトソースのピザもよく売っている。

 使われているマヨネーズが市販の業務用ではなく、ミーシャおばさんのお手製なのである。
 まろやかでコクのあるマヨネーズと、新鮮でほんのり甘いコーンの組み合わせは絶品だった。

 アイシャは初めてこれを食べたとき、口当たりの良さにビックリして、最近では店頭で見かけるたびに買って食べている。

 客の中には、これを大きな一枚丸ごと注文して、自宅でチーズをのせて更に焼き直す猛者もいるそうな。



 パン屋の脇でご近所さんたちと井戸端会議をしていると、見回りの若い二人組の騎士が駆け寄ってきてアイシャの足元に跪いた。

「せ、聖女様! 南地区にお住まいと聞いておりましたが、まさかお会いできるとは!」

 あまり騒がれるのも外聞が悪い。
 ミーシャおばさんが砂糖を入れて甘くしたコーヒーを差し出して「見回りご苦労さん」と騎士たちを労った。

 コーヒーを飲み飲み、騎士たちは今年初めに発生した百年に一度の魔物の大侵攻スタンピード時のアイシャの勇姿を語った。
 聖女投稿事件の直前、国の聖女としてアイシャが従事した遠征のことだ。

 錫杖を持ち全身からネオングリーンの聖なる魔力を放つ神々しい姿。

 小柄な少女でありながら、自分に近づく魔物を拳や蹴り技で粉砕していた圧倒的な力。

 ほとんど飲まず食わずで何日も動き回って、騎士や兵士たちを励ましていたこと。

 特に、金糸の刺繍の入った美しい聖女のローブがよく似合っていたと、騎士が感極まったように言う。

「あの白いローブ姿の聖女様と戦えたのは、我ら騎士の名誉であります!」
「ローブ……そういえば王城を追放されたとき、剥ぎ取られてそのままだったわ」

 言われてようやく思い出した。
 確かあのときは、馬で王城まで駆けてきた外套の下にローブを着ていたが、魔物避けの付与付きのため国の備品と見なされて、申し訳なさそうな顔をした城の者に脱いで手渡した覚えがある。

「クーツの野郎が売り払ってなければ王城の宝物庫に残ってるはずだ。宰相に確認してみよう」
「魔物に食いちぎられちゃった箇所がいくつかあったはず。捨てられてなければいいけど」
「うわ」

 アイシャが持っていた聖女のアミュレットの価値も分からなかったあの愚王太子のことだ。有り得ない話ではない。

「まだ残ってるなら補修したいわね。あのローブは羽竜の毛で織ったものでね。高ランクの希少な魔物だから素材を探すところから始めないと……」





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

破壊のオデット

真義あさひ
恋愛
麗しのリースト伯爵令嬢オデットは、その美貌を狙われ、奴隷商人に拐われる。 他国でオークションにかけられ純潔を穢されるというまさにそのとき、魔法の大家だった実家の秘術「魔法樹脂」が発動し、透明な樹脂の中に封じ込められ貞操の危機を逃れた。 それから百年後。 魔法樹脂が解凍され、親しい者が誰もいなくなった時代に麗しのオデットは復活する。 そして学園に復学したオデットには生徒たちからの虐めという過酷な体験が待っていた。 しかしオデットは負けずに立ち向かう。 ※思春期の女の子たちの、ほんのり百合要素あり。 「王弟カズンの冒険前夜」のその後、 「聖女投稿」第一章から第二章の間に起こった出来事です。

〖完結〗私は旦那様には必要ないようですので国へ帰ります。

藍川みいな
恋愛
辺境伯のセバス・ブライト侯爵に嫁いだミーシャは優秀な聖女だった。セバスに嫁いで3年、セバスは愛人を次から次へと作り、やりたい放題だった。 そんなセバスに我慢の限界を迎え、離縁する事を決意したミーシャ。 私がいなければ、あなたはおしまいです。 国境を無事に守れていたのは、聖女ミーシャのおかげだった。ミーシャが守るのをやめた時、セバスは破滅する事になる…。 設定はゆるゆるです。 本編8話で完結になります。

断罪されたので、私の過去を皆様に追体験していただきましょうか。

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢が真実を白日の下に晒す最高の機会を得たお話。 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】公爵令嬢は、婚約破棄をあっさり受け入れる

櫻井みこと
恋愛
突然、婚約破棄を言い渡された。 彼は社交辞令を真に受けて、自分が愛されていて、そのために私が必死に努力をしているのだと勘違いしていたらしい。 だから泣いて縋ると思っていたらしいですが、それはあり得ません。 私が王妃になるのは確定。その相手がたまたま、あなただった。それだけです。 またまた軽率に短編。 一話…マリエ視点 二話…婚約者視点 三話…子爵令嬢視点 四話…第二王子視点 五話…マリエ視点 六話…兄視点 ※全六話で完結しました。馬鹿すぎる王子にご注意ください。 スピンオフ始めました。 「追放された聖女が隣国の腹黒公爵を頼ったら、国がなくなってしまいました」連載中!

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

あなたをかばって顔に傷を負ったら婚約破棄ですか、なおその後

アソビのココロ
恋愛
「その顔では抱けんのだ。わかるかシンシア」 侯爵令嬢シンシアは婚約者であるバーナビー王太子を暴漢から救ったが、その際顔に大ケガを負ってしまい、婚約破棄された。身軽になったシンシアは冒険者を志して辺境へ行く。そこに出会いがあった。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。