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第三章 カーナ王国の混迷

幕間 その頃カーナ王国では2

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 いい加減、カーナ王国はこのままではいけない。

 アイシャたちが焦りを強く感じ始めた頃、王都の教会が神殿に転換され、設備もほぼ整ったとの連絡を受けた。

 同時に聖者ビクトリノが関係者を神殿に招集した。
 翌日の早朝には、聖女アイシャと世話役トオン、ふたりの師匠である聖剣の聖者ルシウスと秘書ユキレラ、神人ジューア、元王家の宰相ベルトラン侯爵が集まった。
 他の共和制実現会議のメンバーはビクトリノの判断で今回は呼ばれていない。

 彼らの前に出てきたのは、白い質素なローブ姿の小柄な老婆だった。
 真っ白の髪は男性のように短く清潔に切り揃えられており、腰は少し曲がっていて杖を持っている。

「大神官アウロラと申します。老い先短い身で新たな神殿の設立に関われること、大変光栄にございまする」

 穏やかな声音は聴いているとホッとするような清冽さがあった。
 青紫の澄んだ瞳も、皺のある顔も、優しげな雰囲気があって親しみやすい。

 その後、大神官アウロラから今後の彼女の役割が説明された。

「新たな神官となる聖女アイシャ様と聖者ビクトリノ様に、専門の教育を施しまする。既に実績のあるお二方なら何も難しいことはございませぬ。聖者ルシウス様におかれましては……」

 お前はやらんのか、とばかりに鋭い目で見られたルシウスは、咄嗟に身を守るように身体の前で両腕で大きなバツ印を作った。

「ノーサンキューだ、私は無所属でいく!」
「残念なことでございます」

 神官の修行は後日で良いとのことで、大神官アウロラは本題に入った。

「ビクトリノ様よりこの国の困難はお聞きしております。国家安泰、鎮護国家、厄災消滅……必要な祈祷を日々、国家の儀式として行わねばなりませぬ。ですが混乱収まらぬ現状では焼け石に水ゆえ、まずは国土安定の祈願を行いましょう」



 神殿内部に促され、以前は聖堂だった祭壇の間に案内された。

「ミーシャおばさん?」
「ゲンジのオヤジさんまで!」

 広間の奥にある段々に供物を飾っているのは、南地区のパン屋でお馴染みの、赤茶の髪のお団子ヘアーの辛口おばちゃんと、ルシウスの飯ウマ料理の師匠ゲンジだった。

「神殿に最初に捧げるお供物を頼まれるなんて光栄にあずかっちまってね!」

 カゴに入った山盛りのパンを持って、ミーシャおばさんがいつもの赤いワンピースに白いエプロン姿で胸を張っている。

「こっちもビクトリノさん経由で頼まれたんだ。俺の故郷の菓子と軽食だね」

 こちらは調理師用の白い制服姿の料理人ゲンジが、大皿に乗ったライスボール、いわゆるお握り・お結びや、団子や饅頭などを供えている。

「飯ウマのミーシャおばさんと、ゲンジさんのタッグ……」
「最強ね」

 するとルシウスが隣にいた姉から脇腹を小突かれていた。
 忘れていたとばかりにリンクのアイテムボックスから取り出されたのは、飾りの付いた大皿にのったサーモンパイだった。
 名前の通り鮭の形に成形して焼いたタイプで、実際の鮭と同じくらいの大きさがある。

「昨日のうちに弟と作って焼いておいたのよ」
「てことは、供物はミーシャおばさん、ゲンジさん、ルシウスさんの飯ウマ三重奏!?」
「ご利益ありそうだな~」

 なお神人ジューアは料理はできるが飯ウマ属性は持っていないとのこと。

 他は花や茶、酒などの瓶が並べられていた。
 酒は先日、教会で没収して聖なる魔力を込めたものの残りも含まれている。

「伝統的に、神殿への供物は儀式の後に民へお下がりでお分け致しまする」

 祭壇の手前に護摩壇があり、ここに炎を燃やして祈願を行う。

「祈願内容につきまして。皆様はまだ神殿式の儀式に不慣れかと存じますので簡単な文言を心の中でお唱えくださいますよう」


『世界の理よ、円環大陸全土とこのカーナ王国をより良い方向へ導かれんことを』


 あっ、とアイシャは思わず声を上げそうになった。
 隣にいたトオンも同じだった。
 これまで彼らがリンクを通じて願っていた導きは、カーナ王国のみしか意図していなかったのだ。

 大神官アウロラがそんなアイシャとトオンを見て頷いた。

「カーナ王国は建国から五百年間、邪法で繁栄してきた国。いくら王家が崩壊したとはいえ、この国のことのみ考えていては世界の理は動きませぬ」
「……私たちに何も良い閃きが降って来なかったのは、そういうことだったんですね」
「アイシャ様がこの国に囚われた聖女でなければ、すぐご自身で気づかれたかと存じまする。あまり御身をお責めになりませぬよう」

 何度か祈願文を全員で口に出して復唱するよう指示されて、皆が練習しているうちに大神官アウロラは護摩壇に点火した。

「では私が護摩壇へ香木とお香を投入し終わるまで、祈願文を心の内で念じていただきまする。この量ですと……十分弱ほど」

 そうして大神官アウロラは手前の台の上にある香木のチップと、樹脂香などのお香を少しずつ手に取っては炎の中に放り込んだ。
 投げ入れるたびに炎の色が変わり、甘い香り、苦い香り、爽やかでスーッとする香りなど、様々な香りが祭殿に広がっていく。

 アイシャたちは言われた通り、無言のまま胸の中だけで祈願文を唱え続けた。


『世界の理よ、円環大陸全土とこのカーナ王国をより良い方向へ導かれんことを』


 アイシャやルシウス、ビクトリノといった聖なる魔力持ちの身体からはネオンカラーの光る魔力が放たれていく。
 それぞれの持つ聖なる芳香も、護摩壇から広がる香気に混ざって、より濃密な香りとなって祭殿を満たしていった。

 その光景を、少し後ろに下がって秘書ユキレラと神人ジューア、二人の青銀の髪と湖面の水色の瞳の麗しの男女は見ていたのだが。

 ちら、と互いの顔を見た後で秘書ユキレラは目を閉じた。先ほど教えられたばかりの祈願文を唱えるためだ。

 神人ジューアも小さな溜息をついた後で目を閉じた。
 若い少女に見える、細い身体から虹色を帯びた夜空色の魔力が拡散していく。



 護摩壇に香木とお香を投げ終えた大神官アウロラは、振り返って一同に目を開けるよう促した。

「皆様は国の行方を左右するお立場ゆえ、私的な願いは大義の後に祈るのが良いのです。護摩の炎が燃えている間は天に願いが通じやすくなっておりまする。炎の勢いがあるうちに願掛けをどうぞ」

 私的な、つまり個人的な願いごとや目標などがあれば祈るようにと勧められた。

「幾つでも構いませぬ」

 ならばと皆それぞれの願いを念じた。



 アイシャは『これからも美味しいごはんが食べたい。親しい人たちと一緒だと嬉しい。自分でも美味しい料理をたくさん作ってみたい。あ、お菓子も!』と。

 トオンは『アイシャに相応しい男として研鑽を積んでいけますように。リンク使いとしてスキルにバリエーションが増えますように』と願った。

 アイシャとトオンは最後に互いを見て、笑いながら同じ願いを祈った。

『この地に骨を埋めるまでともに!』

 老宰相のベルトラン侯爵は『可能な限り新政権の中枢に聖女アイシャが参与くださいますように』と表立って言えない本音を。

 ビクトリノは聖者らしく『自分がこの国の安定に寄与できるよう。二度とアイシャのような悲しい聖女が生まれぬよう』と淡々と意図した。

 供物を捧げた後、祭殿の端っこで見学していたミーシャおばさんと料理人ゲンジも、しっかり祈願には参加していた。
 ひそひそ声で、

「あたしは別れた旦那の百倍いい男がいたら再婚したいねえ」
「俺は死に別れの女房ひとりでいいかな。……うん、故郷で食べてたのと同じ食材を再現したいかな。発酵させた豆とか緑茶とか」
「それ今度詳しく聞かせてよ」

 秘書ユキレラはルシウスとほとんど同じ麗しの容貌で少し悩む素振りを見せた。
 だがすぐに自分の本音を欲望だだ漏れでストレートに願うことにした。

『できるだけ長生きしたいっぺ! しわくちゃのじいちゃんになってもルシウス様のお側に! 生涯現役! あとこの国でも可愛いめんこい恋人がそろそろ欲しいー!』

 神人ジューアも皆に合わせて願いを祈った。

『愛しき弟が二度と目の届かぬ場所へ行かぬように』

 ルシウスは力のある男なので願掛けなどしなくても、叶えたいことは自力で実現したいタイプだった。
 けれどあえて挙げるならば、やはりこれだ。

『我が最愛の甥っ子がまたカズン様と一緒に笑い合っている姿を早く見たい』



 この日、カーナ王国で初めて神殿が護摩を焚いて祈祷の儀式を行った。

 聖なる魔力持ち三人と神人まで加わった儀式の威力は、後にほぼすべてが実現したことで明らかとなる。



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