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本編

32 疑似恋人モードで朝チュンを

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 窓の外で小鳥がチュンコチュンコとやかましいくらいに囀っている声で目が覚めたスイは、ぼやけた視界の中、エミリオのターコイズブルーの瞳の穏やかな視線と目が合った。

「……おはよう」
「おはよーございまふ」

 あくび混じりに口を押えて挨拶を返すと、そのターコイズブルーの瞳を細めてクスクス笑うエミリオがスイの黒髪をそっと撫でてきた。
 色々曲がり角な二十五歳女のすっぴん寝起き顔を見つめるなど良い趣味をお持ちのようだとぶすくれた顔をすると、そんなこととは露知らずのエミリオが「……寝顔、可愛かった」などと今日も極上のふにゃり笑顔を見せる。
 ああもう、朝からご馳走様ですとスイは五体投地しそうな気持になった。イケメン尊い。

「……身体の調子どう? エミさん」
「ん、いいよ。頭痛も今朝はないし、魔力も昨日より回復していると思う。……スイのおかげだな」
「はは……」

 さも愛おしそうにスイの額にちゅっとキスをしていくエミリオに、スイは今日も疑似恋人モード全開だなあと苦笑する。

 エミリオと知り合って三日目の朝。たったの三日でずいぶんと懐いたものだなあと犬や猫なら思うところだが、彼はれっきとした人間の男。
 一昨日と昨日と、初対面なのに濃ゆい触れ合いをしたおかげか、疑似だが恋人モードは継続中。
 本番なしとはいえ、身体の関係を築いてしまったので、甘えて来たりいちゃついて来たり、つまらない嫉妬までするようになったエミリオであるけれど、すべては彼の魔力枯渇の身体症状が原因である。

 魔力が全回復したら、魔力枯渇による身体症状(主に発情)は消えるだろうから、こんな恋人モードは無くなってしまうんだろうなあと思うと、何か物寂しい気もする。
 だが、彼には彼の役割とか仕事とか責任とかが、ここシャガ地方から遠く離れた王都ブラウワーにあるので、どうしても魔力回復はしなければいけないわけで。

 ――たかが一平民の女が貴族で騎士団所属の大魔術師様の道行きを邪魔してはいけないもんねえ。あくまでも疑似恋人。期間限定。最後の砦だけは死守しながら付き合っていきますか。

「今何時……?」
「もうすぐ朝六時だな」
「ふあああ~……朝食何時までだっけ」
「朝食は朝九時までだからまだゆっくりできるよ」
「ん~、そっか。じゃあまたお風呂入って来ようかな。エミさん昨日大浴場行った?」
「いや、俺はここの客室露天風呂で済ませた。気楽でな」
「えー、昨日の土砂降りでほぼ貸し切り状態だったから大浴場でもそんな変わらなかったけど。もったいなくない? めちゃくちゃワンダーランドだったよ、広くて色んな泉質あって」
「……それよりも、スイと二人きりで客室露天風呂に入ったことのほうが、嬉しかったし楽しかったからいいんだ」
「一回ケチつきましたけども?」
「……それはもう言わないでくれ」

 寝転びながら両手で顔面を覆って恥ずかしがるエミリオ。昨夜の風呂での喧嘩(?)はどうやら彼にとっては黒歴史となってしまったようだ。
 次に何かまた揉めたら、その都度この話持ち出してやろうかいとスイはにやりと笑った。

「つーか温泉宿に来てすべての泉質制覇しないなんて無欲な」
「どこら辺が。欲望まみれだよ俺は」
「それは知ってる。しかも男の欲望ね。どエッチエミさんだもんね」
「はははは。男はみんなそうだから」
「開き直ったー」

 まあどエッチだけども快楽に素直で甘えん坊で、顔も体つきもイケメン、嫌いじゃないが。

 じゃあ今朝はどっちに入りに行こうかと、大浴場派のスイと客室露天風呂派のエミリオでジャンケン(この国にもあったらしい)して、スイが勝ったのでエミリオを大浴場に連れ出すことにした。

 入口で男女に分かれて入ることにぶすったれていたエミリオだったけれど、結局ゆっくりすべての泉質を堪能してサウナまで入ってきたスイのほうが、大浴場から出てくるのが早かった。
 
 ご自由にお飲みくださいと書かれた「飲む温泉」を飲んでいると、ホカホカと顔を火照らせて恍惚とした表情でやっとエミリオが上がってきた。

「……風呂……堪能した……」
「良かったでしょ? エミさんもほら、飲む温泉」

 エミリオが冷たい「飲む温泉」をぐびぐび飲んでいるのを、寝起き&温泉効果で頭がほわほわしながらスイは微笑ましく眺めやった。ぷはー、というのがなんとも美味しそうだ。

 昨日のレストランでがっつり朝食を取り、ロビーで今日の馬車の予定を聞いていると、昨日のナンパ男らしき人物が、あくびをしながら大浴場へ向かうのが見えた。
 寝起きらしくスイたちにも気づいて無さそうだったが、なんとなくエミリオの影に隠れて通り過ぎるのを待った。

「どうかした、スイ?」

 エミリオに心配されたけれど、あのナンパ男のことはエミリオは嫉妬で怒りまくっていたから、もう少しエミリオが男湯から出てくるのが遅ければ、鉢合わせしていたかもしれないと思うと少々冷や汗が出た。
 
 

 昨日の雨の影響で道がどうなっているのかをロビーで確認したところ、結局はシャガ中町までの道のりは、チャリでしかも二ケツで帰るのは厳しいぬかるみ具合だったので、このくらいなら大丈夫と太鼓判を押された公共の馬車を使って帰ることになった。

 深夜に雨は止んだようだが、道がもう少し乾いてから、ということで出発は昼前になるとのことだったので、その間に土産物売り場を今一度ウィンドウショッピングして時間をつぶした。

 酒のアテに良さげな燻製チーズと、先日シュクラが見せびらかしてきた鮭とばを見つけたので買うことにした。完全に自分用だからチョイスがおっさん臭い。今日はこれで一杯やろう。
 シュクラや聖人聖女のおっちゃんおばちゃん、友人のリオノーラ嬢には昨夜買ったヤマウズラのカスタードケーキを配ろう。もう一箱くらい買っておこうか。

 財布のひもがかなり緩んでいるが、それは観光地あるあるだ。結構な荷物になってしまったのを、エミリオが苦笑しながら持ってくれた。

「エミさんみたいな無限収納袋超ほしい。どこで売ってるの?」
「王都のメノルカ神殿かな」
「やっぱ王都かー。メノルカ様って王都の土地神様だよね。やっぱそういうのは神様が作ってるのね。シュクラ様も作れるのかな?」
「どうだろうな。神様にも向き不向きがあるから……ちなみにメノルカ様は手先が器用な方で、ほら、昨日見せたこのミスリル銀の精製のほか、そういった魔道具なんかも結構作っているんだ」

 メノルカはものづくりが得意な鍛冶の神様なのだそうだ。
 ちなみにシャガ地方のシュクラは水と豊穣の神である。シャガ地方に海の幸山の幸の旨いものが多いのは、そうしたシュクラの恩恵からなるものらしい。
 確かにおいしい物(主に酒のアテ)に目がないものなあとシュクラを思うスイ。

「いいな~、エミさん王都に帰ったらその収納袋送ってよ。お金払うからさ」
「そんなの、スイが金なんか払わなくても俺がプレゼントするよ。世話になりっぱなしだから少しくらいお礼をしたいし」
「いいの? マジで!? すっごい楽しみ!」

 さりげなくエミリオが王都へ帰ってしまったあとにも連絡ができるように取り計らうのは、ささやかな乙女心だと笑ってほしいとスイは思う。せっかく仲良くなったのだから、これっきりというのは少し寂しいので。
 守る気のない口約束という可能性もありだけれど、エミリオはそんな人じゃないと信じたいものだ。
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