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其の三百六十三 餓鬼玉
しおりを挟むはぁ、はぁ、はぁ、はぁ……、ごくり。
乱れた呼吸を整えつつ唾を呑み込んだのは、物陰に潜んでいる藤士郎である。
閉じた村の中、屍蝋の群れに襲われ逃げ惑ううちに、仲間たちと離ればなれになってしまった。
早や陽は暮れ、一帯には霧まで垂れ込めており、悪条件が重なったがゆえの不覚であった。
「参ったね。銅鑼がついてくれているから、たぶん長七郎は無事だろうけど」
つぶやきながら藤士郎が思い出していたのは、逃げ隠れしながら銅鑼が教えてくれたこと。
あれほど銅鑼が毛を逆立て憤っていた理由。
それは屍蝋の持つ特性とこれを産み出す大元の存在にある。
屍蝋は動く亡者だ。
動きは緩慢だが、斬っても殴っても止まらず、骨が折れようが肉がひしゃげようが、首がもげ腸をぶちまけようとも、動き続ける。そうして噛みつかれたら、噛まれた者もじきに屍蝋となる。
屍蝋が伝染するとは、そういう意味である。
条件次第では疱瘡(ほうそう)や虎狼狸(ころり)のように爆発的に増殖する。
ではそんな屍蝋を産み出すものは何か?
それが餓鬼玉と呼ばれる邪悪なもの。
人体が寄り集まっている直径三間ほどの大きな玉にて、まるで熟した果実が枝から落ちるかのようにして、屍蝋を産み落とす。
ただそれだけなのだが、ぼたぼた延々と産み落とし続けるので、これを放置したら屍蝋が増える一方となる。
やっかいなことに餓鬼玉から産まれた個体は、感染した者よりもずっと手強い。
屍蝋たちに連携といった概念はなくて、各々がただ手近な獲物を見つけては喰らいつくばかりの烏合の衆。
とはいえ、だからこそ怖い。考えなしに動くものだから、迎える側はその都度、刹那的な対応を迫られる。
餓鬼玉がどこから降臨するのかはわからない。
一説では現世と常世の狭間の淀みからとも云われているが、真実は不明。
かつて古代の大陸にて、とある城塞都市に餓鬼玉が降ろされたことがある。
その時は門を封鎖して、逃げ遅れた住民ともども屍蝋らを中に閉じ込め火を放つことでどうにか退治するも、生者も亡者もいっしょくたに焼かれて、じつに三万人以上もの犠牲が生じ、都も灰塵に帰したという。
「……まったくおそろしい話だよ。銅鑼が怒るのも無理はない。こんなものを降ろすだなんて、寿慶という呪術師はよほど頭がおかしいらしい」
とはいえ早くどうにかしないと、閉じた村の中では逃げることもままならない。
いずれは数の暴力に押し潰されてしまう。
屍蝋の群れは餓鬼玉を倒せば止まるらしい。
そのための手段を藤士郎はすでに手にしている。銅鑼を通じて届けられた巌然の特別な御札だ。これを貼れば餓鬼玉は倒せる。
ただし問題は、その大元のところにまで無事に辿り着けるかどうかということ。
◇
屍蝋どもの追撃をかわしつつ、狐侍は餓鬼玉を探す。
だが暗闇と霧のせいで視界が悪いし、土地勘もない。自由に動けないこともあって、なかなか目当ての相手を見つけられない。
「銅鑼の話からすると見ればすぐにわかりそうなものなのに……いっそのこと朝が来るのを待つべきか」
そう考えたところで、狐侍ははたとあることに気がつき、ぞっとした。
本当に陽はまた昇るのであろうか?
いきなり夕方になったとおもったら、すぐに夜になった挙句にこの霧だ。
ここは結界の中にて、いわば敵の呪術師の懐の内みたいなもの。すべてが奴の手の平の上だとすれば、きっと朝は来ない。
「長引けば長引くほどこちらが不利になる。銅鑼と長七郎のことも気になるし、決着を急いだほうがいいよね。となれば……」
狐侍が目をつけたのは最寄りの民家である。
生者を求め周囲をうろついているであろう屍蝋らに注意しつつ、こそっと家に近づき、中へと忍び込むなり向かったのは台所の竈門のところ。
「たぶんこの辺りにあるはずなんだけど……おっ、あった!」
視界の悪い中、なかば手探りで見つけたのは火付け石。
しめしめとこれを回収した狐侍は、裏手から外へと出て、今度は建物の屋根の上へと。
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