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其の二百九十九 七の炎 老人之火 前編
しおりを挟む鐘ヶ淵の家に篭って、日に一冊ずつ、七冊の写本を仕上げる。
それがこの仕事での約定だ。
どうして己に白羽の矢が立ったのかはわからない。
委細を不承知の上で巻き込まれた形の藤士郎ではあるが、さりとて途中で投げ出すわけにもいかない。
やや頭が重い。怠さがつきまとう体を鼓舞し、どうには六冊目の「火残魔」の写本を終えた藤士郎は、書き終えるなり畳の上に大の字で寝転がった。
「つ、疲れたぁ」
これを横目に銅鑼は元本の方を適当にめくっては、ざっと中身に目を通しつつ。
「う~ん、いまいちよくわからんなぁ。この鶏冠野郎が火残魔なのか、それとも悪党どものことを言っているのか」
それは藤士郎も気になっていたところである。
じつは作中では言及されておらず、それらしい記述がどこにもなかった。
気になることは他にもある。
たしかにあの燃える雄鶏の怪異は脅威だが、さりとて七冊もの焚書の術にて封印するほどの魔かといえば「はて?」と首を傾げる。
ぶっちゃけ、正体をあらわした銅鑼の方がずっと強いし、藤士郎がこれまで対峙してきた怪異の中には、燃える雄鶏よりも厄介な相手もいた。それらに比べると、いささか役不足感が拭えない。
「そもそもの話、あの雄鶏はどうして姫のところにあらわれたのやら。その辺りの事情についても一切触れてなかったんだよねえ。銅鑼はどう思う?」
「鶏というのが、おれはちょっと引っかかるな」
鶏は明けの鳥とも呼ばれ、古来より朝を運ぶ者、神の使いとされてきた。縁起のいい動物であり、伊勢神宮でも飼われている。
太陽を司る天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)の暴虐ぶりに腹を立てて天岩戸に篭った神話にて。
機嫌を損ねた天照大神が引っ込んだことで世界は闇になってしまった。
困り果てた八百万の神々は、なんとか彼女に出てきてもらおうと一計を案じる。
それは天岩戸の前で楽しげに歌い踊り宴会をしては、騒ぎを聞きつけた天照大神が気にして顔を出したところを連れ出すというもの。
この宴会の開始を告げたのが鶏であったという。
「もしかして薬子姫の一族は神の怒りを買うような、とんでもないことをやらかしたのかもねえ」
「……じゃないかと、おれは睨んでいる。舎人の若者への仕打ちからして、いかにもやりそうだしな」
「あー、たしかに」
「まぁ、なんにせよ焚書の術も山場を超えただろう。とはいえ最後まで油断は禁物だ。藤士郎は今夜はこのまま休んで、明日に備えろ」
「うん、ちょっと怠いし、そうさせてもらおうかな」
藤士郎は銅鑼の勧めるままに奥にて床についた。
それを見届けたところで「さて」と銅鑼は縁側から庭先へと降りるなり、ぶるんと身を震わせた。たちまち体が膨れ上がって、でっぷり猫が有翼の黒銀虎の姿となっては、ぐるると唸り声を発する。
威嚇だ。
相手は鐘ヶ淵の家の周囲に漂っていた、怪しげな気配たち。
「封印の綻びから漏れた妖気に誘われたか。とっとと失せろ! さもなくば」
くわっとひと睨み、爛と光る金色の双眸、銅鑼は付近の暗がりへと向かって口を開いては牙をちらつかせる。
とたんに家の向かいにある竹林が、ざわざわざわ。
◇
朝が来た。
寝床からのそのそ起き出した藤士郎を「くかぁ」と大欠伸にて銅鑼は迎える。
いよいよ写本仕事も大詰めだ。
七冊目の題目は「老人之火」とある。
これまでの物に比べたら、ずいぶんと大人しい印象を受けるが、はたして……。
銅鑼が見守る中、藤士郎は意を決して冊子をめくった。
◇
戦国の世のことである。
武運つたなく、戦に敗れた一族があった。
味方は総崩れにて、城も焼けた。
いまはこれまで、逃げるしかない。しかし敵の追手はすぐ間近にまで迫っている。捕まれば全員がきっと首を落とされることであろう。
ゆえに一族の生き残りたちは、山深くへと分け入っては潜伏し、御家再興を誓う。
だが山は険しく、道なき道を進むのは困難を極めた。
つねに背後からの追手に怯え、飢えや渇きに悩まされ、続く野宿に、一行は心身ともに摩耗し追い詰められてゆく。
でも天は彼らを見放さなかった。
いよいよ駄目かとうなだれかけた時、一行の前に大きな屋敷があらわれた。
外とは隔絶された山間部に建つ屋敷に住んでいたのは、貧相な老爺がひとりきり。
窮状を訴えれば、老爺は快く一行を迎え入れてくれた。
ひさしぶりに温かい食事にありついた一行が、ほっと安堵したところで老爺は「して、ずいぶんとお困りのようじゃが、いったい何があった?」と尋ねてきたもので、一族の長はかくかくしかじか。事情を説明する。
すると老爺はたいそう不憫がって「それは難儀なことよのぅ。よろしい。これも何かの縁であろう。儂がおぬしたちを助けてやる」と言い出した。
老爺の正体は一帯を統べる山の神であった。
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