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其の二百九十八 六の炎 火残魔 後編
しおりを挟む大きくなって、より脅威を増す雄鶏の怪異により、熊谷景時は倒された。
恐れ慄く人々。
『けけけ』
雄鶏の怪異の嘲笑が邸内に木霊する。
さなかのこと、これを止めたのは二番手である尾野長近であった。
手にしているのは通常の槍よりも小ぶりな、錫杖ほどしかない短槍である。
穂先が閃き貫いたのは、怪異の尾の蛇だ。熊谷景時と同じ轍は踏まぬとばかりに尾野長近は真っ先にこれを床に縫い留め封じた。
ばかりか尾野長近は懐より取り出した数珠をかざして「えいっ!」
仏門にいたのは伊達ではない。ひとしきり修行を済ませており、その身には法力を宿していたのである。
これに驚いたのが雄鶏の怪異だ。
いきなり顔を数珠でぴしゃりと打たれて法力を注がれたもので、「ぎゃあ」と悲鳴をあげた。そしてたまらず逃げようとしたところを、背後からぶすり。
尾野長近の槍は一本ではなく、二本用意されてあったのだ。
雷撃のごとき刺突は狙いあやまたず、雄鶏の怪異の心の臓をひと突きに貫く。
だがしかし――。
「なっ、槍が抜けん」
槍の先端が怪異の身にくわえ込まれてしまいびくともしない。
ばかりか相手はなおも立ったまま。
これはいかんと、尾野長近はすぐに武器から手を離そうとするも、奇妙なことに手が柄にぴたりと吸いついており指一本動かせなかった。血濡れた手元、どうやら槍伝いに触れた怪異の血のせいらしい。
だから念仏を唱えて仏の加護を得ようとしたのだが、ここでいきなりぐりんと回ったのは雄鶏の怪異の首である。人ではありえない動き、真後ろを向くなり、かぱっと嘴(くちばし)を開く。『こけーっ!』と甲高い声を発し、轟々と吐かれたのは青炎であった。
まともに浴びた尾野長近は、たちまち全身が青炎に包まれて成す術なく両膝をつく。
ふたりの猛者を退けたところで、またもや雄鶏の怪異の身に変化が起きようとしていた。
どうやらこの怪異は倒した相手の魂を喰らい我が物としては、より凶悪に成長するらしい。
このままでは手に負えなくなる。
すぐさま矢を放ったのは立花義信(たちばなよしのぶ)であった。
美貌の射手が引き絞った弦を放したとたんに、ひゅんと鋭い風切り音が鳴る。
放たれた矢がすとんと突き立ったのは、変化途中の怪異の額だ。
大太刀で斬られても、槍で貫かれても平気であった怪異、だというのに矢を受けたとたんに激しく身悶えしては苦しみだす。
なぜなら立花義信が放ったのはただの矢ではなかったからである。さる大神社にて宮司より祈祷してもらった特別な破魔矢であった。
さしもの雄鶏の怪異もこれには参ったらしい。
すかさず立花義信は新たな矢をつがえて止めを刺そうとするも、それよりも先に怪異の身に変化が生じる。
その身を包んでいた紅い炎が青い炎へと色を変え、火の玉の姿となったとおもったら、ひゅんと飛び去り向かったのは薬子姫のところ。
あろうことか姫をさらって逃亡をはかったのである。
「あーれー」
悲鳴をあげて助けを求める薬子姫、逃がすまいと立花義信をはじめとして屋敷の警護の者らが追いかける。
そうこうしているうちに姫と怪異は屋根の上へとあがり、戦いの舞台は地上から高所へと移った。
一方、その頃、舎人の若者である椋が何をしていたのかというと、彼はひとり白い大蛇と対峙していた。
この大蛇は熊谷景時に斬り飛ばされた首が変じたもの。
戦いの一部始終を物陰より伺っていた椋は、どさくさにまぎれて消えようとする白蛇の動向にずっと目を光らせていた。
忍びの勘が、その行動を不審だと告げていたからである。
そしてその勘は当たった。じつはこちらこそがあの怪異の本体にて、立花義信やみなが躍起になって相手をしている向こうは、操られていた影に過ぎなかったのである。
小太刀を手に椋は単身、大蛇に立ち向かい、死力を尽くしてこれを仕留めることに成功した。
するとあちらでも歓声があがった。
あの様子では姫も無事であろう。
椋はお役目を果たし、ほっと胸を撫で下ろす。
けれどもその三日後のこと――。
椋は死んだ。
舎人の若者は近くの沼でうつ伏せで浮かんでいるところを発見された。
◇
六冊目の「火残魔(ひざま)」の書を読み終えるなり藤士郎は「うっ」と胸のあたりを掻きむしり、どうと倒れた。
舎人の若者に憑いた形にて、彼の身に起きたことをそっくり体験したせいだ。
迎えた結末があまりにも酷かった。
本来であれば一番手柄にて賞賛されてしかるべき。
なのに椋は認められず。
位も富も名声も美しい姫君も、手に入れたのは立花義信であった。
表舞台での華々しい活躍、その優れた容姿もあり、また姫自身が強く望んだもので、すべては彼の手柄とされた。
そして椋はもはや用済みとばかりに、事故にみせかけて殺された。
真相を知る者らはみな口を噤む。
かくして美しい姫君が美しい若武者に救われる美談が語られ、不都合な真実は闇へと葬られた。
主君のため、姫のため、御家のためにと懸命に働いた若者を待っていたのは裏切り……。
絶望の果てに、椋はありったけの呪詛をぶちまけ慟哭しながら死んだ。
渦巻くどす黒い感情に触れた瞬間、椋の中にいた藤士郎もまた苦しみだす。
意識とともに現実に置いてきた肉体にも影響が及んだ。
もしも近くに控えていた銅鑼がすぐに処置をしてくれなければ、藤士郎はそのまま物語に引きずり込まれて帰ってこれなかったかもしれない。
じきに藤士郎は瞼を開けた。
それでもすぐには起きられないほどに消耗している。
「危ないところだったみたいだね。助かったよ、銅鑼」
張りのない声で礼を言われて、黒銀虎毛のでっぷり猫は「ったく、世話をかけやがって」と口をへの字に結ぶも、長い尻尾をゆらゆら。
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