狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
298 / 483

其の二百九十八 六の炎 火残魔 後編

しおりを挟む
 
 大きくなって、より脅威を増す雄鶏の怪異により、熊谷景時は倒された。
 恐れ慄く人々。

『けけけ』

 雄鶏の怪異の嘲笑が邸内に木霊する。
 さなかのこと、これを止めたのは二番手である尾野長近であった。
 手にしているのは通常の槍よりも小ぶりな、錫杖ほどしかない短槍である。
 穂先が閃き貫いたのは、怪異の尾の蛇だ。熊谷景時と同じ轍は踏まぬとばかりに尾野長近は真っ先にこれを床に縫い留め封じた。
 ばかりか尾野長近は懐より取り出した数珠をかざして「えいっ!」
 仏門にいたのは伊達ではない。ひとしきり修行を済ませており、その身には法力を宿していたのである。
 これに驚いたのが雄鶏の怪異だ。
 いきなり顔を数珠でぴしゃりと打たれて法力を注がれたもので、「ぎゃあ」と悲鳴をあげた。そしてたまらず逃げようとしたところを、背後からぶすり。
 尾野長近の槍は一本ではなく、二本用意されてあったのだ。
 雷撃のごとき刺突は狙いあやまたず、雄鶏の怪異の心の臓をひと突きに貫く。
 だがしかし――。

「なっ、槍が抜けん」

 槍の先端が怪異の身にくわえ込まれてしまいびくともしない。
 ばかりか相手はなおも立ったまま。
 これはいかんと、尾野長近はすぐに武器から手を離そうとするも、奇妙なことに手が柄にぴたりと吸いついており指一本動かせなかった。血濡れた手元、どうやら槍伝いに触れた怪異の血のせいらしい。
 だから念仏を唱えて仏の加護を得ようとしたのだが、ここでいきなりぐりんと回ったのは雄鶏の怪異の首である。人ではありえない動き、真後ろを向くなり、かぱっと嘴(くちばし)を開く。『こけーっ!』と甲高い声を発し、轟々と吐かれたのは青炎であった。
 まともに浴びた尾野長近は、たちまち全身が青炎に包まれて成す術なく両膝をつく。
 ふたりの猛者を退けたところで、またもや雄鶏の怪異の身に変化が起きようとしていた。
 どうやらこの怪異は倒した相手の魂を喰らい我が物としては、より凶悪に成長するらしい。

 このままでは手に負えなくなる。
 すぐさま矢を放ったのは立花義信(たちばなよしのぶ)であった。
 美貌の射手が引き絞った弦を放したとたんに、ひゅんと鋭い風切り音が鳴る。
 放たれた矢がすとんと突き立ったのは、変化途中の怪異の額だ。
 大太刀で斬られても、槍で貫かれても平気であった怪異、だというのに矢を受けたとたんに激しく身悶えしては苦しみだす。
 なぜなら立花義信が放ったのはただの矢ではなかったからである。さる大神社にて宮司より祈祷してもらった特別な破魔矢であった。

 さしもの雄鶏の怪異もこれには参ったらしい。
 すかさず立花義信は新たな矢をつがえて止めを刺そうとするも、それよりも先に怪異の身に変化が生じる。
 その身を包んでいた紅い炎が青い炎へと色を変え、火の玉の姿となったとおもったら、ひゅんと飛び去り向かったのは薬子姫のところ。
 あろうことか姫をさらって逃亡をはかったのである。

「あーれー」

 悲鳴をあげて助けを求める薬子姫、逃がすまいと立花義信をはじめとして屋敷の警護の者らが追いかける。
 そうこうしているうちに姫と怪異は屋根の上へとあがり、戦いの舞台は地上から高所へと移った。
 一方、その頃、舎人の若者である椋が何をしていたのかというと、彼はひとり白い大蛇と対峙していた。
 この大蛇は熊谷景時に斬り飛ばされた首が変じたもの。
 戦いの一部始終を物陰より伺っていた椋は、どさくさにまぎれて消えようとする白蛇の動向にずっと目を光らせていた。
 忍びの勘が、その行動を不審だと告げていたからである。
 そしてその勘は当たった。じつはこちらこそがあの怪異の本体にて、立花義信やみなが躍起になって相手をしている向こうは、操られていた影に過ぎなかったのである。
 小太刀を手に椋は単身、大蛇に立ち向かい、死力を尽くしてこれを仕留めることに成功した。
 するとあちらでも歓声があがった。
 あの様子では姫も無事であろう。
 椋はお役目を果たし、ほっと胸を撫で下ろす。
 けれどもその三日後のこと――。

 椋は死んだ。

 舎人の若者は近くの沼でうつ伏せで浮かんでいるところを発見された。

  ◇

 六冊目の「火残魔(ひざま)」の書を読み終えるなり藤士郎は「うっ」と胸のあたりを掻きむしり、どうと倒れた。
 舎人の若者に憑いた形にて、彼の身に起きたことをそっくり体験したせいだ。
 迎えた結末があまりにも酷かった。

 本来であれば一番手柄にて賞賛されてしかるべき。
 なのに椋は認められず。
 位も富も名声も美しい姫君も、手に入れたのは立花義信であった。
 表舞台での華々しい活躍、その優れた容姿もあり、また姫自身が強く望んだもので、すべては彼の手柄とされた。
 そして椋はもはや用済みとばかりに、事故にみせかけて殺された。
 真相を知る者らはみな口を噤む。
 かくして美しい姫君が美しい若武者に救われる美談が語られ、不都合な真実は闇へと葬られた。

 主君のため、姫のため、御家のためにと懸命に働いた若者を待っていたのは裏切り……。
 絶望の果てに、椋はありったけの呪詛をぶちまけ慟哭しながら死んだ。
 渦巻くどす黒い感情に触れた瞬間、椋の中にいた藤士郎もまた苦しみだす。
 意識とともに現実に置いてきた肉体にも影響が及んだ。
 もしも近くに控えていた銅鑼がすぐに処置をしてくれなければ、藤士郎はそのまま物語に引きずり込まれて帰ってこれなかったかもしれない。

 じきに藤士郎は瞼を開けた。
 それでもすぐには起きられないほどに消耗している。

「危ないところだったみたいだね。助かったよ、銅鑼」

 張りのない声で礼を言われて、黒銀虎毛のでっぷり猫は「ったく、世話をかけやがって」と口をへの字に結ぶも、長い尻尾をゆらゆら。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

処理中です...