狐侍こんこんちき

月芝

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其の百三十六 舞台裏

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 武士としての心構え、心身を鍛えるのが剣の道。
 というお題目を掲げている剣術道場。
 だがそれはあくまで建て前、実体は力を持て余した連中の吹き溜まりのようなもの。
 もちろん上に立つ者がしっかり手綱を握っているところは、規律も厳しく門下生一同もきちんとしている。乱暴狼藉なんぞはもってのほか。
 けれども上が駄目だと集団はとたんに堕落する。真面目で誠実に剣術に取り組んでいる者ほど、そんな場所からはさっさと逃げ出す。あとに残るのは頭の足りない出涸らしのみそっかすばかり。

 二代目の宗近が率いる小木野道場は、典型的な出涸らし集団。
 昆布や小魚にかつおぶしならば、まだ佃煮などにして食べられるが、連中は煮ても焼いても喰えやしない。そんな連中が、試合に負けたからとておとなしく引き下がるわけもなく……。

  ◇

「あー、しんどい。いらぬ汗をかかされた。いかに腹に据えかねていたとはいえ、わざわざ挑発して暴発を促すなんて。美耶お嬢さまにも困ったものだよ」
「まったくだ。これではいかに大和屋の九年物でも一本では割に合わぬ。せめて三本はつけてもらわねばな」

 濡らした手ぬぐいで汗を拭きながらぼやいていたのは、九坂藤士郎と桑名以蔵。
 結局おさまりはつかず。立ち合いのあと、お約束の乱闘騒ぎへ突入。藤士郎たちは二対多勢の戦いを強いられることになった。
 とはいえ個々の技量は未熟、指図する立場の師範代や高弟はのびている。ろくに連携もとれない烏合の衆なんぞは、物の数ではなかったけれども。それでも二十人近くを叩きのめして、追い出すのはたいそう骨が折れた。

 そこに「ご苦労さまでした」と顔を出したのは美耶。手づからお盆を運んでは労いの言葉をかける。彼女の足下には、まとわりついているでっぷり猫の姿もあった。「にゃんにゃん」やたらと媚びているとおもったら、どうやら銅鑼はお盆にのっている茶請けの南蛮菓子のかすてらを狙っているようだ。
 これがかつて古代の大陸にて猛威を振るった大妖・窮奇で我が家の居候……。
 ちょいと情けなくなって、藤士郎は穴があったら入りたい。

「こら、銅鑼ったらもう……。うちの猫がすみません」

 申し訳ないと頭をさげる藤士郎に、「べつに気にしなくていいわよ。ちょっと食い意地が張ってるけど悪さはしないもの」と美耶、しげしげ狐侍を眺めては「それにしても強いとは聞いていたけど、人は見かけによらないものねえ」

「えっ、聞いていたって誰から?」

 藤士郎が真っ先に思い浮かべたのは、仲介した口入れ屋の主人の顔。
 だが美耶の口から出たのは意外過ぎる人物の名前。

「誰って、そりゃあ田沼の殿さまからよ」
「はぁ?」
「えっ!」

 どうしてここで幕閣の大物の名前が出てくるか?
 目を剥く藤士郎と桑名以蔵。美耶はくすりと笑みを零しつつ「じつは……」と舞台裏の種明かしを始める。

  ◇

 すべてはずっと前から動き始めていた。
 きっかけとなったのは松坂屋のひとり娘の美耶が、ある決意を固めたこと。

「はんっ、下り油ですって? いつまでも上方連中の好きにはさせないんだから」

 油問屋同士のつき合いにて、上方からやってきた大店連中の接待役の手伝いをすることになった美耶。父庄衛としては「ゆくゆくは良縁を」とかの思惑もあっての顔見世のつもりであった。聡い美耶も承知しており、澄まし顔にて応対していた。
 だがしかし、上方の連中ときたら江戸の賑わいを褒めるくせして、最後にはちくりと釘を刺しては、必ず嫌味を口にする。いらぬひと言が多い。

「自分たちが上でこっちは下、お前たちは自分たちのおこぼれで稼がせてやっているんだから、せいぜい感謝しろよ」

 との本音を隠そうともしない。
 そんな横柄にてつけ上がった態度にたいそう腹を立てた美耶。「いまにみてらっしゃい!」と連中をやっつけてやろうと心に決めた。

 するとそんな彼女に目をつけたのが田沼意次。
 彼もまた江戸の油をとりまく現状を憂いていた者のうちのひとり。
 松坂屋は田沼邸とも商いをしており繋がりがある。美耶の才媛ぶりを以前から聞き及んでいた田沼意次。たまさか挨拶を交わす機会があったもので、試しに声をかけてみたら、ふたりはたちまち意気投合。歳や性別に身分を越え「打倒! 上方油」を掲げる同士となった。
 だが上方勢は手強い。過去に何度も幕府の介入を退けてきた。いざともなれば公家やら朝廷をも動かしてくる。
 地の利は向こうにある。銭も人脈もある。江戸から馬鹿正直に乗り込んだとて、言うことなんぞは聞かせられやしない。

 ならばと美耶が提案したのが地産地消の仕組み。
 自分たちで作って自分たちで売って自分たちで使えば、いちいち上方に頭を下げなくていい。
 この構想そのものは昔からあった。美耶はその計画をよりつめて、段階的に発展させていく道筋をつける。

「もっともなことだ」とこの案を採用した田沼意次。でも敵の手はすでに幕府内部にものびている。大々的に動けば、きっと邪魔をされ潰される。
 そこである程度、目星がつくまではこっそり計画を進めていくことにしたのだが……。

 方々に目と耳を張り巡らせている上方勢。
 早くも江戸のたくらみを嗅ぎつけ「芽のうちに摘んでおけ」と動きだす。
 表向きは何事もなく。さりとて裏では攻防がくり広げられる。
 さなか狙われたのが松坂屋と美耶。
 先の用心棒候補らの中に紛れ込んでいた賊は、ただの賊じゃない。意図的に差し向けられた上方からの刺客。さすがに時の老中を直接害するわけにはいかないが、繁盛している油問屋であれば、強盗にあったとてなんら不思議ではない。ましてやはずみで一家皆殺しにされたとしても。

 ところがどっこい、美耶の方が一枚上手だった。
 それを逆手とって網を張り、獲物を捕えたという次第。どうせとかげの尻尾切りにて、大元には辿れやしないだろうけど、牽制にはなる。しばらく時間を稼げる。
 これが初日の捕り物の顛末。
 上方対江戸の油合戦。
 すでに水面下では戦いが始まっており、ばちばち火花を散らしている。
 とんでもない大戦(おおいくさ)!
 たいへんな舞台裏の事情を聞かされて、藤士郎らは呆気にとられて目をぱちくり。


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