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其の百三十五 悪名
しおりを挟む小木野道場の高弟と桑名以蔵の試合は、桑名以蔵がわずか二手にて勝った。
だからとてそれであっさり引き下がってくれるわけもなく、しっかり藤士郎にも出番が回ってきた。
「九坂さま、遠慮はいりません。がつんとやっちゃってください」
初戦を制し、美耶はのりのりだ。そして彼女の膝の上で猫を被っている銅鑼は、おとなしく撫でられてやる駄賃だとばかりに、干し芋をかじっている。
藤士郎は「はぁ」と小さなため息にて、対戦相手の方をちらり。
もう後がない小木野道場側。投入してきたのは、もうひとりの高弟。師範代を務めている人物。体つきこそは、先ほど戦った者よりも小さいが、その分あちこち締まっており、動きは機敏そうだ。
なおこの手の他流試合において、道場主が出てくることはまずない。なぜなら道場主が破れたら看板に傷がつくからだ。なんのかんのいっても道場も商売。負けるのはまずい。評判が落ちたらたちまち傾く。
だから、この場合の小木野宗近の選択は正しい。毎度毎度、冷やかしの道場破りにみずから相手をしている伯天流道場こそがおかしいのである。
まぁ、それはさておき、藤士郎は宗近への認識を少しばかり上方修正する。
偉大な先代が亡くなり「自分が死んだら道場をたため」との遺言を残された。当人のやる気の有無はわからないが、親の贔屓目でも息子に剣才がないのは明白であったのだろう。
にもかかわらず後を継いで二代目をやっている。たとえ周囲からおだてられ担がれたとはいえ、そこそこの門弟を抱える程度には栄え、これを維持している。
そういった点では、弟子がひとりもいない道場の主である藤士郎よりも、よほどしっかりしている。
軽い神輿……、剣才はないが商才はそこそこあるようだ。
◇
いざ、立ち合いに臨むにあたって桑名以蔵は自前の杖で戦ったが、藤士郎は「さて、どうしよう」と思案する。
伯天流は小太刀を使う。とはいえあくまで試合ゆえに、腰の烏丸を抜くわけにはいかない。あいにくと木刀の持ち合わせもない。だからとて得物を敵方から借りるのなんてのは論外。先ほどの立ち合いの様子からして、どんな小細工をされるかわかったものじゃない。
そこできょろきょろと周囲を見ていたら、ちょうどいい物が落ちていたので、そいつを拝借することにした。
藤士郎が拾ったのは、庭に植えられた紅葉の小枝。
これに顔を真っ赤にして怒ったのが師範代。
「おのれっ、それがしを愚弄するか!」
怒り心頭にて、審判の開始の合図を待たずにいきなり襲いかかってきた。
仮にも師範代だけあって鋭い攻め。上段の振り下ろし、からの切り上げ、突きへと続く怒涛の三連撃。
けれども当たらない。長身痩躯の狐侍はひょいひょいとかわす。
でもってするりと脇を抜けがてら、手にした枝を鞭のようにしならせる。
ぺしりと枝葉の先が打ったのは、相手の目元。
師範代は反射的に目をつむり、顔をそむける。一時的に視界が塞がれたこの状況を嫌い、手にした木刀をぶぅんと横薙ぎ。強引に間合いを確保しようとする。
が、あろうことかそれをしゃがんでやりすごした藤士郎。
敵の目の前で座る。およそ剣術ではありえない動き、から放ったのは開いている方の手による拳骨。狙ったのは無防備にさらされている急所。弁慶どころかすべての英傑たちが悲鳴をあげる泣き所を「えいやっ」とずどん。
師範代、たまらず悶絶。うずくまって地面を転がる。
よもやの急所攻撃、酷い試合内容に観客一同はあんぐり。
だが、でっぷり猫が「きしし」と笑い、釣られて美耶が「ぷっ」と噴き出したところで、はっ!
とたんに飛んできたのは批難の声。
「ひ、卑怯だぞ」
「それが武士のすることか」
「なんてやつだ、信じられん」
「恥を知れ」
「こんなのは剣術の試合じゃない」
「断じて認めんぞ。無効だっ、無効!」
小木野道場側がぎゃんぎゃんとやかましい。
だが藤士郎としては、いささか心外である。ちゃんと壊れないように手加減をした。本来ならば枝で目をつぶし、それと同時に股間を蹴飛ばしていたというのに。
でも、そのことを口にしたら、余計に騒ぎが大きくなった。
そしてここでさらに火に油を注いだのは美耶である。
「ほほほ、さすがです九坂さま。田沼さまの御前試合にて『幻の十人抜き』を成しただけのことはありますわ」
◇
老中田沼意次は、幕府の中枢にて実権を握るかたわら、昨今の軟弱な武士のあり方を憂い、文武両道を推奨している。剣術にも熱心で、自分の屋敷の敷地内に自前の道場を構えては、家臣らに鍛錬をさせている。
その一環として田沼邸で行われた御前試合。
殿の覚えめでたくば、立身出世も夢ではない。目の色を変える剣客たち。
江戸中から名立たる猛者どもが集う中にあって、それらをばったばったと薙ぎ倒し、十人抜きの快挙を果たしたのが、まったく無名の若者。それこそが誰あろう九坂藤士郎であった。
しかしその結果、藤士郎と伯天流道場が得たのは賞賛や羨望、褒美などではなく、罵詈雑言の嵐にて評判は地に落ちた。
伯天流はいわゆる古流というやつで、戦場を想定したより実戦的な内容。
それゆえにいささか荒々しい面を持つ。これがいまの太平の世にはまるでそぐわない。
当時もいまと変わらず門下生のいなかった伯天流道場。ずっと父子のふたりきり、狭い世界で武を磨いていた藤士郎はまだまだ若く、世情にとても疎かった。
昨今の道場剣術とはまるでちがう動き、情け容赦のない急所攻撃、手も出る足も出る、関節も決める。
伯天流を学んだ身からすれば、喰らうほうがまぬけ、用心を怠り隙をみせるのが悪い。
でも世間一般からすると、それを攻めるのは卑怯卑劣ということになるらしい。
田沼邸で藤士郎ははじめてそのことを学んだ。
そして轟く悪名、この日を境にして、伯天流は異端の烙印を押されて、江戸剣術界から名を口にするもの汚らわしい、鼻つまみ者とされた。
ようやくほとぼりが冷めてきたというのに、古い話を持ち出されて藤士郎は「ちえっ」
一方でどうにもおさまりがつかないのが小木野道場側。高弟と師範代が立て続けに破れた。たとえ真っ当な試合であったとしても、素直に認められないところを、内容が内容であるがゆえに、ざわざわざわ。
一触即発、とてもではないがこのままでは終わりそうにない雰囲気。気の毒なのは主人の庄衛。もともとあまり気が強くない。緊張のあまり青くなって地蔵になってしまっている。
なのにこの状況を愉しんでいる美耶。
困ったお嬢さまに藤士郎はやれやれ。
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